「日本教育新聞」Web版でモラロジーが紹介されました

「日本教育新聞」Web版の記事内でモラロジーが紹介されました(6/5)。
 以下に、当該記事を転載いたします。

 


 

コロナ時代に考えたい学校問題

考え、議論する道徳

「モラロジー」という言葉を聞いたことはあっても、詳しくは知らない方はいまだに多いのではないだろうか。モラル(道徳)とロジカル(科学)の融合である。公益財団法人モラロジー研究所は、モラロジー(道徳科学)および倫理道徳の研究と、これに基づく社会教育を推進する研究教育団体で、大正15年に廣池千九郎先生によって創立、一貫して人間性・道徳性を高める研究・教育・出版事業を展開している。私の尊敬する先生も教鞭を執られ、教え子も御世話になった。
 道徳が「特別の教科」となり、その理念や活動が重要度を増している事からも、具体的な展開が学校教育でもなおいっそう期待されている。
 そこで、大切なのは、これまでの道徳の授業ではないと言うことである。「考え、議論する」をメインに打ち出した意図は何なのか。それをどのように仕掛けて行くのかは、実は容易ではない。何故なら、「考え、議論する」は、今までもやって来ているとされかねないからである。そして、評価もせねばならない。道徳をどう評価すればよいのか。「必要だから、やれ!」という力を帯びているために、学校現場では、やらされ感が漂っている。
 これを払拭して、期待を越える道徳として、その質や手法の転換をする事が出来るのか。その試みにもっとも近いのが、このモラロジーであると私は考えている。何故なら、科学との融合を掲げ、倫理道徳を実証しているからである。
 この先見性は現代を見据えていたように思えてならない。それは、明らかに3次元の視座で地球や生命感を捉えているからである。そのグローバルな視座こそが、これまでの道徳を俯瞰して、「考えたくなる」「議論したくなる」学習が創出される事が期待できるからである。

 

 教師の仕掛けや視座のスキルアップに一切が掛かっているのは間違いない。残念ながら、そうした鍛練は未だほとんどの大学で有益な演習授業がされているとは言い難い。すべては、教える側の姿勢こそが波動を起こす。日々鍛練される人間性、行動力、信念に培われた資質力量に委ねられる所が大きい。
(おおくぼ・としき 千葉県内で公立小学校の教諭、教頭、校長を経て定年退職。再任用で新任校長育成担当。元千葉県教委任用室長、元主席指導主事)

 

 

日本教育新聞Web版(6/5)より)
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