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髙橋史朗147 – 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか――日本的ウェルビーイングの歴史的、哲学的一考察

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 近現代を超える独自の思想を形成してきた立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の内山たかし 教授の著作集全15巻、それに『新しい共同体の思想とは』(2021年)『民主主義を問い直す』(2021年)『資本主義を乗り越える』(2021年)『いのちの場所』(2015年)『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(2007年)は、日本的ウェルビーイングとは何かについて歴史的、哲学的視点から考察する上で大きな示唆を与えてくれる。

 内山によれば、日本における個の形成は自己を「極める」掘り下げとして行われ、武士道など「道を究める」中で自己形成が行われてきた。ところが、明治以降の近代化は、このような日本の伝統的な「縦軸」の個の形成を弱体化し、伝統的な共同体と自己形成の関係が従属的な要素に変化した。それが極限にまで強まったのが戦前期の昭和という時代であるという。敗戦は国家という個人の帰属先を崩壊させ、伝統的共同体も国家共同体も崩壊した。

 しかし、敗戦から半世紀たって、それらに嫌気がさす人が増え、個人の利益追求とは違う生き方をしたいという若者の「伝統回帰」傾向が強まり、21世紀に入ると、企業という時空と個の形成が対立するようになり、企業から離脱することによって個を確立しようとし始めた。企業を基盤にして個を形成してきた構造が崩れ、伝統の「創造的再発見」によって、新しい関係づくりを模索し始めた。

 自然との関係を作り直し、伝統的な「縦軸」の道として継承されてきた技との関係、地域との関係、家族との関係、社会との関係の中で自分自身の生き方、働き方を問い直す動きが広がり始めている。

 今年の元旦の能登半島大地震、その悲惨な被害状況を連日報道し続ける映像を目の当たりにして、災害が多い日本では、「自分だけで生きる」といくら踏ん張っても限界があることは一目瞭然であり、「つながり合う世界がうまくいってこそ、個人のウェルビーイング・幸福もある。だから、つながり合う世界を混乱させてはいけない」(内山)という発想になる。

 内山によれば、災害のように自然で悪いことが起きてくるというのも、つながり合う世界のなかに何らかの邪悪なものが入っていて、そのためにつながりがうまくいかなくなっていて、それが個別の現象として災害を起こしたり、人間関係がうまくいかなかったり、いろいろな問題が起きるという。人間の病気を治すのも、「自然とのつながりがうまくいっていないから病気になる。その人と自然とのつながりの中にある邪悪なものを取り除こう」という発想で、つながり合う世界のほうに本質を見てきたのが古代からの日本の伝統的な発想であったという。個人の病気と災害を同次元で論じることはできないが、日本的ウェルビーイングとは何かを考察する上で踏まえておかなければならない視点の一つと言えよう。

 

 

●「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

 内山節は『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)の最終章を次のような文章で締めくくっている。

<1965年を境にして、身体性や生命性と結びついてとらえられてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられた歴史だけが肥大化した。広大な歴史がみえない歴史になっていった。……身体性と結びついた歴史は、身体と結びついた力が受け継がれていくかぎり、感じられる歴史でありつづける。それは、ずっと人々はこうやって自然とともに生きてきたのだと感じられるような歴史である。身体とともにある世界が、たえず循環し継承されることによって諒解されていく歴史である。……  村人とともにある「神」は、つきつめれば姿かたちがないばかりでなく教義もない。なぜなら神の本体は自然と自然に還ったご先祖様であり、その本質は「おのづから」だからである。「おのづから」のままにありつづけることが神なのである。だから人々は神が展開する世界に生命が流れる世界をみた。だから人間も「おのづから」に還ることができれば神になれる。……  この生命性の歴史が感じられ、納得され、諒解されていた時代に、人々はキツネにだまされていたのではないかと私は考えている。だからそれはキツネにだまされたという物語である。しかし、それは創作された話ではない。自然と人間の生命の歴史の中でみいだされていたものが語られた。それは生命性の歴史を衰弱させた私たちには、もはや見えなくなった歴史である>

 日本では自然はジネンと発音されていた。シゼンと発音されるようになったのは、明治時代の後半に入ってからである。通過儀礼や年中行事などを通して伝統的な共同体の文化を共有し、この共有された生命世界の能力が人がキツネに騙される能力であった。しかし、明治の近代化によって人々は自然から分離され、自然を客観視し、自然を征服しようと考える「自然帝国主義」になった。

 戦後の経済発展によって、経済が戦後日本を支配する「神」として君臨するようになった。かつての日本人にとって経済は暮らしの一側面に過ぎず、人々は非経済的なものに包まれ、自然の生命に包まれ、神々に包まれ、郷土や我が家の歴史に包まれ、そういうものの全体、共同体の中で自分たちは生かされているという自覚を持っていた。

 

 

●自然と共同体と直結した「見えない歴史」を否定した
 戦後の発展史観「直線的な歴史」

 内山はこのような自覚を「包まれているものとともにあった信仰」と表現し、「風土とともにあった信仰」「土地とともにあった信仰」「場とともにあった信仰」とも言った。先祖から子孫までを永遠に包んでいく、永遠の絶対性をもっていた自然と共同体から離脱し始めたのが1960年代で、自然と共同体との結びつきによって支えられてきた「見えない歴史」は、発展していく歴史、乗り越えられていく歴史という形で物語られるようになった戦後の「直線的な歴史」教育によって否定され、切り捨てられた。

 鈴木大拙が説いた「日本的霊性」が見失われ、自然や神々、歴史と自分との間に、大事な根本的なコミュニケーションが成立していることを感じながら暮らしていた人々が、高度経済成長と共にその精神を衰弱させ、経済を媒介としたコミュニケーションを中心にして、自分の精神をつくりだすように変化した。その時、キツネからの働きかけに応じる能力を失ったのである。自然が発しているメッセージを人間が読み取れなくなっていったように、キツネからの働きかけが読み取れなくなってしまったのである。

 1960年代に入ると、情報の在り方やその伝達のされ方が大きく変わり、そのことがキツネと人間との間に成立していた「伝統的」なコミュニケーションを喪失させたのである。さらに受験教育化により、「正解」も「誤り」もなく成立していたそれまでの「知」を弱体化し、合理主義万能となり、伝統教育とともにあった人間の精神を衰弱させ、村の自然、神々、そして村で暮らす技や智恵を教わっていた村の伝統教育が消え、自然共同体・家族共同体という自覚も崩壊してしまったのである。

 戦後の歴史教育は、「発展」というイデオロギーに支配され、歴史が過去を乗り越えていくものとして捉えられ、生者と死者とが深い絆によって結び合って展開してきた祖国の歴史、死者の魂が森に還り、自然と一体になって村の神になっていく歴史は否定され、発展とか、乗り越えていくといった言葉とはいかなる結びつきももたない「見えない歴史」は切り捨てられた。キツネに騙されてきた歴史も、「見えない歴史」の一つに他ならないのである。

 内山が追求した「つながり合う世界」「皆の利益」などの我が国の利他の思想的伝統を創造的に再発見しようという試みが、田中朋清 石清水八幡宮権宮司と廣井良典 京大教授らが推進している「鎮守の森プロジェクト」に他ならない。伊東俊太郎氏が提唱した「シゼニズム(自然にイズムをつけた造語)」の発想を土台に置いた上で、地球人類の統合原理である「宇宙連関」という全体を繋げる「共生きの絆」が必要である。即ち、地球全体を俯瞰する「地球的な公共性」という視点を併せ持ち「日本的ウェルビーイング」の新ビジョンを世界に発信しなければならない。この「日本的ウェルビーイング」と道徳(科学)との関係を、脳神経倫理学、感性工学、「道徳感情数理工学」(東京大学大学院社会連携講座)の視点を取り込みつつ解明することが、2年後のモラロジー道徳教育財団100周年に向けた私の研究課題である。

 

(令和6年1月12日)

 

※髙橋史朗教授の「note
https://note.com/takahashi_shiro1/ 

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