髙橋史朗131 – 香山健一氏が中曽根政権下の臨教審に投げかけた問題提起を問い直す
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●香山健一氏との定期的な「戦略会議」と文部省の反発
1984年8月に政府が設置した臨時教育審議会は「第3の教育改革」を目指し、戦後教育改革の根本的変容を迫るものであった。今後の教育改革の在り方を検討する上で、臨教審の今日的意義をいかに総括するかは避けて通ることができない課題といえる。
3年間の米留学から1983年に帰国して在米占領文書研究の成果、とりわけ教育基本法の成立過程と教育勅語の廃止過程に関する私の論文が注目され、臨教審設置法に「教育基本法の精神に則り」と明記されたことから、「教育基本法の精神」とは何かについて論議する必要があったため、総論について議論する第1部会の専門委員に選ばれた。
臨教審の総会と第1部会で教育基本法の成立過程と教育勅語の廃止過程について、在米占領文書の第一次資料と日米の関係者インタビューに基づいて詳細な報告をさせていただいた。とりわけ強調したのは、教育基本法と教育勅語の関係についての歴史的経緯についてであった(高橋史朗編『臨教審』『臨教審と教育基本法』至文堂、参照)。
中曽根首相は臨教審が教育基本法の改正に踏み込めず、教育理念の検討が不十分であったという理由から、臨教審改革は「失敗した改革」と評価したが、その最大の原因は文部省(当時)が強く抵抗したからであった。
最大の論点は「教育の自由化」をめぐる論議であった。臨教審委員の人選は、「学校選択の自由」や「学校設立の自由」などの「教育の自由化」を目指す政策を提言した「世界を考える京都座会」の基本的な考え方に賛同する有識者とそれに反対する文部省サイドの有識者の推薦者リストのせめぎあいの中で行われた。
私が所属した第1部会は前者、第3部会が後者の急先鋒であった。前者をリードした学習院大学の香山健一教授が月刊誌『文藝春秋』に「文部省解体論」を発表し、対立が先鋭化しヒートアップした。
香山氏が亡くなった後、机の中から「忍」という多くのメモ書きが発見されたが、この対立の渦中にあって、香山氏の「自由化論」への風当たりがいかに強かったかを雄弁に物語っている。第一部会終了後、赤坂にある社会工学研究所(牛尾治朗社長、黒川紀章所長)に移動して俵孝太郎専門委員と3人で「教育の自由化」をめぐる対立をいかに収めるかについて「戦略会議」を定期的に行った。
教科書調査官は事務職に過ぎないために優秀な人材が集まらないことを立証する文部省の内部文書が、元社会科教科書主任調査官の村尾次郎氏が明星大学戦後教育史研究センターに寄贈された「村尾次郎文書」に含まれていたため、私が拙著『教科書検定』(中公新書)で公表し、香山氏が臨教審総会で取り上げて真正面から議論したために、文部省は強く反発した。
●「和と多様性」をめぐる臨教審論議
臨教審会長で京都大学総長の岡本道雄会長は私と面会して自由化論や教育基本法問題について教育学者としての見解を聞きたいと何度も表明されたが、事務局(文部省)が私との面会に反対して、日程調整ができなかったと、治療中の京大病院に見舞いに訪れた時に打ち明けられた。
岡本会長は臨教審会長を引き受けるにあったって、プラトン哲学研究の権威である京大の田中美知太郎教授を訪ねたところ、「21世紀の教育理念は親孝行」と強調されたというエピソードを私に語ってくれた。
岡本会長は京都で毎月京都学派の学者たちを集めて、教育理念に関する研究会を積み重ねた研究成果の記録があるので、是非将来出版したいと熱く語られたが、文部科学省にその記録について問い合わせたところ、文科省の倉庫の中に眠っていてどこに保存されているかは不明である、とのことであった。
臨教審で絶えず議論になった問題の一つは、和と多様性の問題あるいは、日本の伝統文化の個性をどう認識するかという問題であった。アメリカの国是は「多様なるものの統合」であるのに対して、日本の伝統的な国是は「和の中の多様性」という文化的特質を有している。
いずれも度を越せば長所が欠点に変質する危険性があり、欧米列強の外圧の下で、戦前の一時期、日本の良き伝統は行き過ぎて変質し、寛容の伝統を持つ神道は非寛容の「国家神道」に歪み、我が国独自の全体主義、排外主義、独善主義、画一主義に陥った。
我が国の伝統文化の中核である「和の精神」は異質な文化に対する包容力と寛容性とを備えたもので、画一、均質、閉鎖を特徴としたものではなく、個性を大切にするものであり、戦前の一時期に出現した軍国主義や極端な国家主義とは明確に一線を画するものであった。
戦前の一時期に支配的になった、これらの伝統文化から逸脱した病理現象を自覚的に克服することによってはじめて、真の意味における美しい日本の伝統文化を継承し、創造的に再発見することが可能になるのである。
●『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』の教訓を臨教審に問う
香山健一氏は、昭和56年7月の『文藝春秋』誌上に発表した論文「日本の誤算」(緊急増刊号)において、戦前の日本の戦略判断上の過ちの基本的な原因として、①希望的観測による誤算、②建前の硬直化による誤算、③空気支配による誤算、④「ウチの和」優先による誤算、⑤戦略的思考の欠如による誤算、の5つを挙げてそれぞれの問題点を明らかにした。
臨教審発足以降の教育改革論議にも同様の問題点があるとして、臨教審が第一次答申を取りまとめた直後の昭和60年6月末に、香山氏は、戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎氏らの共著『失敗の本質一日本軍の組織論的研究』45冊をダイヤモンド社から買い求め、次のような手紙を付して、臨教審の全委員、専門委員に寄贈した。
<(前略) 私はこの機会に、臨教審の過去半年間の審議の在り方、組織運営の在り方について、十分な反省を加えることが必要と考えております。私は従来、我が国の政策決定過程と組織体質の内包する諸問題につき研究を行って参りましたが、その観点からしても、臨教審が上記の検討を行うに際して参考となる点が多いものと判断して、別便にて、1冊の著作を寄贈申し上げました。(中略)この著作は戦争期の日本軍の組織と作戦を対象としながら、我が国組織体質の弱点を見事に分析しており、そこから得られる教訓は、同じ日本人の組織としての連続性を有する臨教審、文部省、学校教育界の諸組織の審議、運営、人間関係等の在り方を考える上で示唆に富むものと信じます。
臨教審や我が国教育界が、「成功の幻想」の中に自己革新能力を喪失し、失敗への道に迷い込んでしまった戦前の日本組織と同じ誤謬を繰り返さないためにも、心して、審議会の運営に当たり、こうした組織体質の改革をも含めて教育改革を成功させたいものであります>
この優れた共同研究『失敗の本質』は、戦前の日本軍の作戦から6つの失敗の事例を取り上げてケーススタディーし、そこからいくつかの教訓を引き出したものであるが、そこでは日本軍の失敗の戦略上の要因として、①曖昧な戦略目標、②短期決戦の戦略志向、➂主観的で「帰納的」な戦略策定一空気の支配、④狭くて進化のない戦略オプション、⑤アンバランスな戦闘技術体系、が指摘されており、また組織論上の失敗の要因としては、①人的ネットワーク偏重の組織構造、②属人的な組織の統合、③学習を軽視した組織、④プロセスや動機を重視した評価など、臨教審としても参考にすべき重要な問題点が鋭く指摘されていた。
●「自由」の意味と「和の精神」を問い直す
具体例を示すと、第一部会は事務局の文部省抜きに委員と専門委員だけで合宿集中審議を行い、「教育の自由化」とは何かについて激論を闘わしたが、参加していない事務局がまとめた「合宿集中審議メモ」は文部省のバイアスがかかった内容に加工されており、議論の内容を正確に反映したものではなかった。
元文部次官の木田宏氏が香山健一氏に「自由化という言葉は何を意味するのか」と問いただしたのに対し、香山氏は「自由化のエッセンスは個性主義だ」と答え、ダイエー社長の中内功氏も賛同したために、合宿の結論としては「個性主義」を推進する方向でまとめられたが、後に「個性主義」という言葉は馴染まないので、「個性重視の原則」という表現に改められ、私もそれに賛成した。
第一部会には山本七平氏(イザヤ・ベンダサン)など錚々たる論客が勢揃いしていたが、「教育の自由化」に関する教育学者としての学問的見解を求められたので、私は次のような見解を述べた。
自由には①Liberty ②Freedom ③Salvation ④Nirvana、という4つの意味がある。①は「外的束縛からの解放」を意味する社会的・政治的自由である。②は精神的自由で「内的束縛からの解放」を意味する。
③溺れている者を救い出す「救済」を意味する。④は「涅槃」で、心も身体も「解脱」しているという意味である。「ニルヴァーナ」はお釈迦様の「涅槃図」に表現されているように、心身が解放された状態である。
「教育の自由化」論が制度改革の議論として展開されているが、「自由」にはこの4つの意味があるということを踏まえて、教育論としての本質的な議論を踏まえた上で制度改革にどのように生かすかという視点が重要であると私は主張した。
「自由」とは「自らに由る」すなわち、「自分が自分の主人公になる」ということであり、自己発見、自己尊重、自己実現、自己教育へと導く教育の原点を踏まえる必要があることを強調した。このように本質的な教育論として「自由」の意味を明確化し、自己肯定感を育み身を修める「修身」によって「自律」を通して「自立」へと導くことを「教育の自由化」論の基盤とする必要がある。
しかし、「教育の自由化」をめぐって、「学校選択の自由」や「学校設立の自由」などを提案した「世界を考える京都座会」の表面的な制度改革論が先行したために、第三部会や文部省から「教育の自由化」は危険視され逆風にさらされた。
同様に「個性」という言葉も個人主義偏重への懸念が示されたので、「自由」と「個性」についての誤解を払拭するために教育の本質論の原点に立ち返りつつ、日本の伝統文化の核心である「和の精神」は多様性を尊重する寛容性、包括性をもったものであることを私は強調した。その結果、家庭、地域、学校、企業、国家、社会、文化、時代などの広義の意味で個性を捉え直すことが確認された。
聖徳太子が17条憲法の第1条に「和を以て貴しと為す」と明記した「和の精神」は国内の「和」だけを念頭に置いたものではなく、国際社会とりわけアジア近隣諸国との「和」を重視していたことは、聖徳太子が遣隋使を4回派遣したり、新羅との外交関係の樹立に努力し、積極的に文化交流に取り組んだことにも示されている。
また、「平等」について「悪平等主義」を打破しなければならないと強調した。欧米における教育の「機会の均等」は、「能力・個性に応じて適切な」という概念と平等は二本柱のセットになっているが、戦後教育において、前者は「差別・選別」教育として否定する「悪平等主義」に陥った点を改める必要があると主張し、その点が確認された。
●「一筆一人を誅し、一筆姦権を誅する」という「創造的破壊」
香山健一氏は吉田松陰が、宇都宮黙霖(もくりん)上人への書簡の中で自分の世直しの方法、社会改革の方法と上人のそれとの質的な違いについて述べた「上人の心は一筆姦権を誅するにあり。我が心は一誠兆人を感ぜしむるにあり」という言葉を引用して、次のように述懐している。
<「一誠一人を感ぜしむ」ような温かく、穏やかなやり方で教育改革の仕事をすることができればそれに越したことはないであろう。しかし、過去の教育改革の歴史を紐解いて見ると、改革は常に現状維持や既得権益擁護の厚い壁を作り上げているもののなかで最も頑固なものこそ、古い束縛された観念にほかならない。従って、改革というものは多かれ少なかれこのような古い束縛された観念との激しい論争を避けて通るわけにはいかない。「一筆一人を誅し、一筆姦権を誅する」という仕事、いわば創造的破壊の仕事がそこに避けがたいものとして登場してくる。
しかし、「一筆一人を誅する」という仕事は、人の反感を買うことはあっても共感を呼ぶことは極めて難しい。特に、我が国のような「和を以て貴しと為す」ような精神風土にあってはなおさらそうである。他方、人の反感を買うことを恐れていては、問題点を真に浮き彫りにするような論争はできないし、思い切った改革など望むべくもない。この矛盾を越えることができるような一本の細い道がどこかにあるものだろうか…誰かが古い教育界の反感を買うという辛い仕事をあえて引き受けない限り、「一誠一人を感ぜしむ」という次の仕事は幕を開けようがない。それが歴史というものの本質ならば、次の世代の新しい仕事をしやすくするために、ここは私達の世代のうちの誰かが反感を買う役をきちんと演じなければなるまい(香山健一『自由のための教育改革』PHP、参照)>
●左右の全体主義と戦った香山氏の思想と政策提言の見直し
かつて全学連委員長として全国の学生運動を領導した活動家の香山健一氏はイギリスに留学して「英国病」に目覚め、左の全体主義からも脱却する必要があることに気づき、左右の全体主義、排外主義、非寛容性の克服を目指して臨教審の「教育の自由化論」をリードした。しかし、前述した「忍耐」という手書きのメモが物語っているように、教育界からは十分な理解を得られなかった。
約3年間、毎週3時間の臨教審第一部会の審議とその後の「戦略会議」でご一緒した香山健一氏との濃密な時間は私の一生の宝であるが、その日本と世界を愛する熱い思いと志、歴史認識と問題意識の深さ、広さ、鋭さは私の心の中に深く刻まれている。
臨教審の関係文書を含む香山健一文書は国立国会図書館に保存されており、今日の教育改革を根本的に見直すためにも、志半ばで逝去された香山健一氏の思想と「日本型福祉社会」「家庭基盤の充実」を掲げた大平政権下の画期的な政策提言の今日的意義を見直す必要があろう。詳しくは、武蔵野大学の藤田祐介・貝塚茂樹教授らによる<研究ノート>「髙橋史朗氏に聞く一臨時教育審議会・オーラルヒストリー」(『武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要』第9号、2019年)を参照されたい。
(令和5年3月31日)
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