髙橋史朗127 – 科学的根拠に基づく家庭・道徳教育の連携
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●IQ・EQ(情動知能)・HQ(人間性知能)
大脳生理学の権威である時実利彦氏は、脳幹・脊髄系、大脳辺縁系、新皮質系の三つの統合神経系で人間を全体的・総合的に理解する必要があると指摘しているが、この点を踏まえて、基本的には以下の三つの知見を活かす必要がある。第一に、脳幹を育て、生体リズムを整えること、第二に、大脳辺縁系(扁桃体・海馬など)を鍛え、育てること。第三に、新皮質特に前頭連合野を育てることである。
脳幹は呼吸、睡眠、心臓活動、血液調節などを司る生命の中枢部分で、脳幹を育て、生体リズムを整えるためには、早寝・早起き・朝ごはん、テレビ・ゲームは時間を決める、外遊びの奨励などの実践が必要である。
大脳辺縁系は「たくましく生きる」ための中枢部分で、扁桃体は好き・嫌いの判断、情動に係わり、海馬は記憶にかかわる部分で、運動するとセロトニンが出て扁桃体に抑制がかかり、過剰反応をしなくなる。脳がスッキリして効果が上がる。また、運動すると運動連合野が働き、隣の前頭連合野が刺激されて学習効果、記憶力が上がる。
山口県山陽小野田市では全ての小学校で早寝早起き朝ごはんと読み書き計算の徹底反復を実践したところ、わずか九か月間でIQ(知能指数)の平均値が102から111と9ポイントも上がったという。朝食を食べた子と食べない子の学力差については各県の調査で既に明らかになっているが、前述した学力の基礎・基本の徹底反復練習がIQを高めるというのはたいへん興味深い。
知能にはIQのほかに、EQ(感情をコントロールする知能)、HQ(人間性知能)もあり、IQは後頭葉・頭頂葉・側頭葉が関与し、EQは大脳辺縁系の視床下部という古い皮質が、HQは前頭葉の前頭連合野が関与している。
脳の前頭連合野は思考、行動の抑制、感情や情動の統制、コミュニケーションや意思決定などの「人間らしさ」を司る脳で、人間力の核といえる。事故で前頭連合野を損傷したアメリカのフィニアス・ゲージは、IQは失わなかったが、EQ・HQを失い、主体性、好奇心、集中力、社会性、創意工夫、将来に向けた計画・展望・夢、幸福感や達成感などを失い、感情を抑制できなくなったという。
●脳科学に基づく食育
近年の相次ぐ凶悪事件を起こした若者にも、IQは比較的高いがEQやHQが低いという共通の問題点がある。全国学力テストによって基本的生活習慣と学力とは明確な因果関係があることが証明され、全国で「早寝・早起き・朝ごはん」運動が展開されている。
本連載でも述べてきたように、子供の心を育む脳内の神経伝達物質には、快感をもたらすドーパミン、恐怖感・不安感・緊張感をもたらすノルアドレナリン、幸福感安心感リラックスをもたらすセロトニンの三つの神経がある。
セロトニン神経は、数は少ないが脳全体に分布しており、セロトニン神経が活発に働くと、①からだをスタンバイ状態にセットしてくれる、②さわやかな気分で目覚め、寝起きがよく、正しい姿勢を保てる(首筋・背骨の回りや下肢筋などの抗重力筋に刺激を与える)。③精桿な、しまりのある顔つきになる(まぶたや顔面の筋肉に刺激を与える)。
一方、セロトニン神経が弱ると、①朝の寝起きが悪い、②他者とのコミュニケーションを拒絶して、閉じこもる傾向にある、③姿勢が悪く、体がぐにゃぐにゃになる、④痛みに関して我慢できずに大騒ぎする、⑤不安や少しのストレスに我慢できない、⑥動物虐待など、「生きる力」、自己管理能力が低下する。
そして、うつ病、パニック障害、摂食障害(拒食症や過食症)などの症状が現れる。ちなみに、ラットのセロトニン神経を破壊すると、飼育箱に一緒に入れたマウスを殺して食べてしまう。しかし、ラットの脳にセロトニンを補給すると残虐な行動は消失する。
このセロトニン神経を鍛えるには、歩行、呼吸、岨嶋などの基本的なリズム運動と太陽の光を浴びることが必要である。また、セロトニン神経によい食物はトリプトファンという必須アミノ酸を多く含む食品で、バナナ、納豆などの大豆製品、ごま、しらす干し、チーズなどの乳製品もよい。
一方、ドーパミン、ノルアドレナリン神経によい食物は、チロシンを多く含む食品で、肉類、かつお節、タケノコ、牛乳、ピーナツ、アーモンド、バナナなどである。このように脳科学の視点から分析すると、子供の心をつくる脳内の神経伝達物質と食物とは密接な関係があり、「脳科学に基づく食育」が時代の要請といえる。
文部科学省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」報告は、「子どものこころの健全な発達のためには食育が重要である」と指摘しているが、脳科学の知見に基づく食育についての共通理解を保護者に図っていく必要があろう。
●脳科学に基づく道徳教育――徳育懇談会の有識者ヒアリング
前回詳述したように、文科省は子供の心の発達を支援し、わが国社会の形成者として健全な徳性を身に付けることを社会総がかりで支援するため、「子どもの徳育に関する懇談会」を設置し、①子供の育ちをめぐる現状と発達課題②家庭・学校・地域社会における徳育について、を主な検討課題として、学識経験者等による調査研究に着手した。
この調査研究を円滑に進めるために連携協力を行うとともに、その調査研究を活かした方策を検討するため、文部科学省内に9名の関係局課長で構成するプロジェクトチームが編成(調査研究の庶務は、初等中等教育局児童生徒課が担当)され、学識経験者ヒアリングが精力的に行われた。
このヒアリングで筆者が注目している主な指摘事項は、以下の通りである。
○母親との関係性によって充足されるべき要素(愛着形成)が欠けたために、「外部に注意を払い、自分の状態を調整する」といった能力の全体に支障が及ぶ。
○ヒトの脳の中でも、社会性の基となる機能は主に前頭連合野が担っており、前頭連合野の発達の臨界期は、視覚などの他の機能における臨界期よりも遅く、17~18歳まで続くと言われている。
○全国学力・学習状況調査の調査結果として、神戸市では学校のきまりを守っている児童生徒ほど、国語や算数・数学の正答案が高い傾向が見られた。これらのデータから、親や社会が変われば、子供も変わることの可能性は示唆される。少なくとも両者の間に統計上の相関関係があるとういう事実だけは、社会に対して積極的に示していく必要があるのではないか。(河合優年 武庫川女子大学教授)
○「生きる力を測るものさし」として、「魅力的な笑顔」、「豊かな表現力」、「積極的な関係づくり」の3つを重視したい。(中村桂子 JC生命誌研究館館長)
○生後3歳くらいまでは、絶対的な安心感を与える養育者の存在が百%必要である。子供への身体的な接触の少なさも、愛着形成を阻害する要因の一つとなる。
○最近の母親の授乳室での行動を見ると、皆がケータイに熱中し、母親同士の会話もなくなっているという。授乳は本来、子供の目を見て行い、子供とコミュニケーションを交す機会であったものが、ここでは単なるファンクション(機能)に成り下がっている。
○人格形成においては、3歳~4歳までの時期が圧倒的に重要であり、その時期を過ぎてから、育て直し、生き直しをしようとすれば、莫大な労力と費用を要することになる。
○読み聞かせ等により、親の愛着を実感できる。また、親自身が癒され、親がかって読んだ本を子供に読ませることで、家庭の文化が生まれ、引き継がれる、といったよさがある。(柳田邦男 ノンフィクション作家)
○幼児期は「道徳性の芽生え」を育てる時期であり、小学校はだんだんと自分で考え、行動できるよう「他律から自律に」変わっていく時期であることに留意する必要がある。(尾田幸雄 お茶の水女子大学名誉教授)
○徳育は小さい時からの自然な感情として芽生えるように対応していくことが重要であるが、このことは脳科学の分野からも実証的に言えることである。
○子供に対しては知育だけではダメであり、パッション(情動)に訴えかける教育が不可欠だが、これは脳の内部でも大脳辺縁系が深く影響している。
○「心を揺さぶる教育」ついては、幼児期に富士山に連れていくことの経験をつませることが考えられるが、こうすることで脳の中で情動に関係する部分がしっかりと磨かれる。このことはアメリカ・ハーバード大における研究においても検証されているところである。(小泉英明 JST社会技術研究開発センター領域統括)
このような脳科学に基づく子供の発達段階情動などの視点から徳育のあり方に関す本格的な調査研究が始まったことは、道徳教育を「新たな枠組み」で見直す画期的な動きとして極めて注目される。
●脳発達の感受性期(臨界期)
近年の脳科学の研究によって、大脳皮質機能が生後の環境によって特に変わりやすい感受性期(臨界期)の発現メカニズムの解明が飛躍的に進み、感受性期(臨界期)の開始や終始を操作できる可能性が示された。種々の脳機能の発達の感受性期(臨界期)が明らかになれば、徳育などの適切な教育カリキュラム、教育時期などに関する指針を与え、科学的データに基づいた新しい教育理論の構築が可能になる。
國米欽明氏は脳科学からみた「子供中心主義」の子育ての重大な誤りは、以下の五点であるという。
①自己抑制力の中枢である眼窩前頭皮質の発達を無視したこと。
②脳の発達に臨界期が存在することを考慮しなかったこと。
③動物脳である大脳辺縁系ばかりを主に育ててきたこと。
④人間脳である大脳新皮質の正しい価値判断を大人たちが適切に教えなかったこと。
⑤何よりも、大脳辺縁系の衝動的な愛を唯一の子育てのよりどころにしたこと。
眼窩前頭皮質の働きは、自己抑制力(自制心)の中枢、相手に感情移入できる能力、相手に共感する能力、物事を建設的に解決する能力、顔の表情にも関係、などであるが、UCLAの医学校精神医学・生物行動学のアラン・ショア博士らの共同研究によって、眼窩前頭皮質の発達の臨界期は三歳までであり、特に、出生少し前から生後二歳半までが最もよく発達する時期で、三歳を過ぎてからはほとんど発達が期待できないことが明らかになった。
●道徳性の発達段階に関する心理学的理論
第一回徳育懇談会において、愛知学院大学の二宮克美教授が、子供の道徳性の発達段階に関する心理学的理論について解説したが、興味深かったのは、①Gilligan(1982)②Smetana(1982)③Hoffman(2000)④Kagan(2005)の理論である。
①は、女性は、人間関係・気配り・共感などを主要原理とする「配慮と責任の道徳性」を発達させる。②は、人工妊娠中絶の問題を道徳領域の問題ととらえるか、個人の領域の問題ととらえるかで、中絶率に違いが見られる。
③は「共感と道徳性の発達理論」で、共感が普遍的で向社会的な道徳性(共感的道徳性)であり、共感的苦痛と共感をもとにした罪悪感が、誘導的なしつけによって、共感的道徳性を発達させる。
④は「気質に関連した道徳性の発達段階説」で、次の6段階に分けている。
段階1:罰せられた行為を抑制できる
段階2:禁止された行動を表象できる
段階3:共感・恥・罪悪感などの情動をもつ(2歳の終わり頃)
段階4:良い・悪いといった意味的概念を獲得する(3歳のはじめ頃)
段階5:社会的カテゴリー(性別・社会階級・国籍など)の道徳的義務を受け入れる(4歳から6歳頃)
段階6:公正と理想の概念を理解する(学童期)
この中で最も注目されるのは、「共感的苦痛と共感をもとにした罪悪感が、誘導的なしつけによって、共感的道徳性を発達させる」という理論である。
わが国で最近頻発している少年凶悪事件やいじめの背景には、この「共感的苦痛と共感をもとにした罪悪感」が欠けているという共通の根本問題があり、「共感的道徳性を発達させる」ことが今後の重要な教育課題であると考えるからである。
「共感をともとにした罪悪感」が育つのは二歳の終わり頃であり、良い、悪いがわかるのは三歳の初め頃であるならば、「共感的道徳性も発達させる」道徳教育の基盤は三歳までの家庭教育・幼児教育にあるということになる。
●保護者の啓発活動を要請する教育団体の共通意見
それ故に、同懇談会に対する各団体の意見は、次のように家庭教育に焦点を当てた提言が目立つ。
○徳育は、基本的に家庭で行うもの(全国都道府県教育委員会連合会)
○保護者の啓発活動に意識的に取り組んでいただきたい(全国高等学校長協会)
○学校における道徳教育の充実について、「心のノート」の理解を保護者に深めるなど、保護者に協力していただく環境をつくる必要がある(社団法人中央青少年団体連絡協議会)
○特に家庭教育の充実を期して、具体的な提言を基に啓発活動を国民運動として展開することに賛同する(全国都市教育長協議会)
○本提言が、社会構造の変化に有効に機能する国民運動に発展することを願う(全国国公立幼稚園園長会)
○徳育の推進における家庭の役割、特に人格形成の基礎となる乳幼児期が大事だという点では一致(社団法人日本PTA全国協議会)
保護者に対する啓発活動を国民運動として展開するためには、徳性の発達段階を明らかにして、発達段階に応じてどのようにかかわっていけばよいかについての共通理解を図る必要がある。とりわけ道徳性の芽生えを育む家庭教育・幼児教育が重要なのである。
(令和5年3月11日)
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