髙橋史朗121 – 幸福感尺度を総点検し、協調的幸福感尺度を国際発信せよ
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
2021年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)では、金融や社会経済等のシステムを一度すべてリセットして再構築する「グレート・リセット」がテーマになった。グレート・レセットはパンデミックや気候変動、社会的な課題などの解決に必要な、持続可能な経済システムをつくる手段である。
同フォーラム創設者のクラウス・シュワブ会長は、グレート・リセットによって「人々のウェルビーイングを中心とした経済に考え直すべきだ」と述べ、困難な世界状況の中で経済をウェルビーイングの視点から再構築しようとしている。
●ウェルビーイングの5要素を高める方法
世界幸福度調査を実施しているギャラップ社によれば、ウェルビーイングには次の5つの要素がある。
⑴ キャリア・ウェルビーイング一大部分の時間が充実していて意味があると思える
⑵ ソーシャル・ウェルビーイング一幸福な人間関係
⑶ フィナンシャル・ウェルビーイング一収入という尺度だけではなく他人のための寄付も
⑷ フィジカル・ウェルビーイング一睡眠・運動でストレスが解消する身体的幸福
⑸ コミュニティ・ウェルビーイング一コミュニティに影響を与えられると幸福を感じる
この5要素はギャラップ社のウェルビーイングに関する統計から導き出されたものであるのに対して、本連載で紹介した米心理学会会長のセリグマンが考案したPERMA理論によれば、ウェルビーイングの以下の5要素を高める方法は次の通りである。
⑴ ポジティブな感情(希望、喜び、感謝、誇りなど)を高める方法・・・Positive
①大切な人と過ごす
②趣味などの楽しめる活動をする
③感謝していることやうまくいっていることを振り返る
⑵ エンゲージメント(仕事等の活動に没頭している状態)を高める方法・・・Engagement
①好きな活動に参加する
②日常の活動や仕事に集中する練習をする
③自分の強みを知り、発揮する
⑶ 他者との良好な関係を築く方法・・・Relationship
①興味のあるグループに参加する
②よく知らない人に質問するなどして、相手をもっと理解する
③しばらく関わりのなかった人と連絡を取る
⑷ 生きる意味や意義を自覚する方法・・・Meaning
①目的を見つけたり、組織に入ったりしてみる
②新しくて創造的な活動をしてみる
③他者の役に立つことに情熱を注ぐ
⑸ 達成感を得る方法・・・Accomplishment
①具体的、測定可能、達成可能、現実的、期限付きの目標を設定する
②過去の成功を振り返る
③達成できた時は自分をほめる
このようにウェルビーイングは仕事だけでなく、様々な場面での生き甲斐や喜び、経済的な豊かさから精神的な豊かさを含めたものである。
●幸福度尺度の主要な領域
ところで、幸福が心理学の研究テーマとなって数十年の間に、様々な幸福感尺度が開発され使用されてきたが、京大大学院の内田由紀子教授によれば、心理学調査で最も多く使われる主観的幸福感の指標は、「人生に対する主観的な評価を表す人生満足感尺度」「感情経験を調べる尺度」「ハシゴ型尺度」に大別される。
中坪太久郎らの研究によれば、1993年から2014年までの期間において、18歳以上を対象に作成された幸福度尺度で選定基準に合致した99の尺度の分析が行われている。まず幸福の定義につては、明確で完全な定義は提供されていないものの、多次元的な要素として、主観的な領域と客観的な領域に分けて定義付けがなされていることが指摘されている。
レビューされた99本の論文には、196の測定次元が含まれており、それらは①「精神的ウェルビーイング」、②「社会的ウェルビーイング」、③「身体的ウェルビーイング」、④「スピリチュアル・ウェルビーイング」、⑤「活動と機能」、⑥「個人的状況」の6つの主要なテーマ領域に集約され、さらに総合的・全般的に測定を行う次元による尺度があることが報告されている。
「精神的ウェルビーイング」は、人生に対する心理的、認知的、情動的な質を評価するもので、幸福の経験や人生の状態に対して持っている個人の思考や感情が含まれる。また、「社会的ウェルビーイング」は、地域社会などのコミュニティにおける他者とのつながりの程度と関連するもので、社会的な相互作用や人間関係の深さ、社会的支援の利用可能性が含まれる。
「身体的ウェルビーイング」は、身体的機能の質とパフォーマンスに関するもので、生きるためのエネルギーや痛みや快適さの経験が含まれる。「スピリチュアル・ウェルビーイング」は、自分よりも大きい何かとの関係や信仰に関するものが含まれる。
「活動と機能」は、日常生活上の行動や活動、日頃行う具体的な活動やそれを実行する能力が含まれる。「個人的状況」は、個人が直面する外部からの影響に関するもので、経済的な問題など、多数の社会的・環境的な要因が含まれる。
●幸福感尺度の現状調査の方法と結果
また、1960年から1965年に報告された10の尺度では、18の次元に留まっており、その内3つの尺度で「抑うつ」の次元が含まれていたのとは対照的に、90年代以降は幸福感尺度研究に大きな広がりがみられることが指摘されている。
このように多様な尺度があるということは、幸福という概念に個別性や多様性があること、そしてそれ故に幸福の明確な定義と、その定義に基づく単一の尺度の開発が困難であることを物語っている。
「あなたは幸福ですか」という西洋的尺度で世界幸福度ランキングが報告されてきたが、幸福度の実態が適切に測定できているかは大いに疑問である。近年は日本においても幸福感尺度を用いた研究が多く行われているが、日本社会に適合する尺度開発、さらには個人差や多様性を視野に入れた研究が望まれる。
中坪らは日本での幸福度尺度の利用の現状について調査を行うために、まず論文検索サイトCiNiiを用いて、2010年から2020年までの出版年を指定して、「幸福and心理」のキーワードを用いて検索を行った。その結果に対して、発表論文集や講演録、web上での本文の入手が不可能な報告を除き、尺度を用いて幸福感について調査を行っている報告のみを抽出した。
その結果、454件の日本語による文献が抽出され、上記の方法によって選択したところ、最終的に72本の報告が残った。その考察によれば、この10年間に日本で行われた幸福感に関する調査で使用された尺度の数は22であり、海外の幸福度尺度の使用状況と比べると、使用された尺度のバリエーションが少ないのが特徴である。
●主観的幸福感尺度と日本版主観的幸福感尺度
最もよく使用された尺度は、「主観的幸福度尺度」(伊藤・相良・池田・川浦、2003)で、29本の報告で使用されていた。この尺度は、WHOの健康の定義に基づく代表的な幸福感尺度であるSUBI(Subjective Well-Being Inventory)で、11の下位尺度からなり、心の健康度(陽性感情,19項目)と心の疲労度(陰性感情、21項目)を測定する計40項目より構成され、認知的側面と感情的側面が含まれている。
主観的幸福感尺度はこのSUBIをもとに、「人生に対する前向きの気持ち」「達成感」「自信」「至福感」「人生に対する失望感」の5領域を測定するもので15項目から構成されている。ただし、日本人にとって馴染みやすさや統計結果の問題を踏まえて、その後の研究では「至福感」を除いた4領域が12項目で構成されている。
2番目によく使用された尺度は「人生に対する満足尺度」(角野、1994)で、14本の報告で使用されていた。3番目によく使用された尺度は「日本版主観的幸福感尺度」(島井・大竹・宇津木・池見・Lyubomirsky、2004)で、10本の報告で使用されていた。
日本版作成の目的として、多面的尺度の場合、幸福感という主観的経験そのものと幸福感を支える要因とが混同されがちであるという問題があり、それ故に、主観的幸福感を単一の要因からなる比較的少数の項目で測定することのできる尺度を開発する必要があったという。
4番目によく使用された尺度は、「人生に対する満足感」質問紙(寺崎・綱島・西村、1999)で、4本の報告で使用されていた。この尺度はできるだけ感情的な要素が入らない生活全体に対する認知的な評価を問う質問項目で構成されており、「現在満足」「過去満足」「未来希望」の3因子28項目で構成されている。
●日本的ウェルビーイングの「協調的幸福感尺度」の国際発信を
5番目によく使用された尺度は「協調的幸福感尺度」である。これは「集合的幸福」という日本的な文化の幸福感を反映させた「日本的ウェルビーイング」の尺度といえる。開発者である京大大学院の内田由紀子教授は、「日本では穏やかで、人並みの、また、自分だけではなく他者とともに実現される幸福感が重要になることも多く、人生満足感尺度ではあまりうまく日本の幸福感が捉えきれない可能性がある」と指摘している。
これまでの尺度とは異なり、日本人の得点を欧米と比較しても低いスコアにならなかったことに加え、日本人にも馴染みやすい幸福感のイメージが項目として設定されていることから、従来から使用されてきた満足感や感情経験とは異なる視点で幸福感を測定することが可能になったといえる。
2010年度に内閣府に「幸福度に関する研究会」が発足し、⑴主観的に経験される幸福並びに客観的な幸福を指標化し、その幸福感に影響を与える要因の検討、⑵国際比較を視野に入れつつ、一方で日本独自の幸福感を検討すること、⑶高齢者や子育てなど社会保障にかかわる問題をはじめとする政策決定において、個々人の価値観や主観的幸福を活用すること、⑷ライフステージや世代差を考慮すること、⑸個人の幸福度だけでなく、世帯あるいは社会全体の幸福度とその格差を考慮した上で、目指す指針を議論するための材料とすること等を主な論点として議論を重ねてきた。
同研究会が翌年12月に提示した指標案では、幸福度やポジティブ及びネガティブな感情経験、人並み幸福感を含む「主観的幸福感」と、それを支える3つの柱として、「心身の健康」、仕事や住環境などの「経済社会状況」、家族や地域、自然とのつながりなどの「関係性」を含めている。さらに、これとは別に「持続可能性」の軸を設けて検証を試みている。
持続可能な社会を実現するためには、経済協力開発機構(OECD)が提唱するような「個人の幸福」に着眼した幸福度指標の適用だけでなく、国や地域の文化や風土に基づく幸福概念である集合的幸福観、地域や社会全体の集合的幸福感を考慮する必要がある。内田教授が強調する「文化的幸福」について、日本は積極的に国際発信することが求められている。5月のG7教育大臣会合、2年後の大阪・関西万博はその絶好の場であろう。
(令和5年2月27日)
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