髙橋史朗118 – SDGsからウェルビーイングへの移行――日本の果たすべき役割
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●2030年から「SDGsからWGsへ」移行
ウェルビーイング学会が昨年発行したウェルビーイングレポート日本版によれば、国際社会の尺度の変遷を俯瞰すると、1930年以降はGDPの時代、2015~2030年はSDGsの時代、2030年以降のSDGsの次の尺度は感染症と武力衝突の脅威を共に実感した国際社会の総意として、国連生誕100年(戦後100年)までの国際社会の物差しは、人と社会に寄り添うことのできるウェルビーイングへと移行するという。
ちなみに、新型コロナウィルス感染症の対応に当たるWHOが、国際機関との議論に基づいて2021年にディスカッションペーパーを発表し、「ウェルビーイングを国際アジェンダの中心概念として捉えるべきである」と主張した。
一国の観点から見ると「GDPからGDWへ」、国際目標の観点から見ると「SDGsからWGs(Well-being Goals)へ」の移行である。ウェルビーイングの頭文字の「W」が最上位の価値観として位置づけられ、人と人、人と地球の動的な良い状態を目指す視座に立ち、「負の遺産を将来世代に残さない」という姿勢から、「正の遺産を将来世代に繋いでいく」という積極的な未来姿勢へと発想を大きく転回させることが、次の世代の新しい尺度に求められる役割である。
福井県立大学の高野翔准教授によれば、現在の国際基準のウェルビーイングや幸福度の測定方法は、1961年にハードレー・キャントリルが開発した“キャントリルの階梯”と呼ばれる主観的ウェルビーイングの測定方法を主に採用している。人生をハシゴと見立て、0段目はあなたにとって「最低の生活」、10段目はあなたにとって「最高の生活」。あなたの生活は今、ハシゴのどの段階にいるかを各個人が自己評価する方法である。
ギャラップ世論調査では、この測定方法を用いて「⑴今現在、ハシゴの何段目に立っているか」と「⑵5年後には、ハシゴの何段目に立っているか」の2つの設問によって、現在と未来の主観的ウェルビーイングを尋ねている。
そして、⑴の現在が7段目以上且つ⑵の将来が8段目以上の人々を「ウェルビーイング実感が高い」、⑴の現在が4段目以下且つ⑵の将来が4段目以下の人々を「ウェルビーイング実感が低い」とし、個人レベルでは人々の生活満足度や充実度を、集団レベルでは社会の健全度を見える化した。
例えば、国連機関が実施している世界幸福度調査の世界順位も、この測定方法の結果に基づいて公表されている。ちなみに、2019年の結果では、日本は155ヶ国中58位で先進国の中では下から2番目であった。翌年の結果でも153ヶ国中62位と低迷し、北欧諸国が上位を占めている。
地域別傾向としては、北欧諸国は人生の評価が高く、中南米諸国はポジティブ体験が多く、東アジア諸国はネガティブ体験が多い。また、ある一定の収入を超えるとそれ以上ウェルビーイングは高まらず頭打ちになることが判明(図1参照)した。経済的要因は、一定程度まで人生の評価や日々の体験に影響するが、一定の収入を超えると関係しなくなることが明らかになったのである。
では、ウェルビーイングを高めるためには、お金以外では何が重要となるのか。ブリティッシュコロンビア大学のジョン・ヘリウェル教授によれば、それは「人との繋がり」であるという。そこで、「あなたが困った時、助けてくれる親戚や友人はいますか?」という質問が求められる。
いずれにしてもこのギャラップ社の国際基準のウェルビーイングの測定方法は西洋の価値観に基づいて設計されており、人生をハシゴと見立て、上に上がれば上がるほどウェルビーイングや幸福度が高いという考え方・測定方法は文化的に日本には必ずしも当てはまらないといえる。
また、2002年にウェルビーイング研究の創始者であるディーナーらが1958年から30年間調査した日本人の「生活満足度」と「一人当たりのGDP」の推移の結果(図2参照)を発表し、日本人の生活満足度は戦後30年間全く向上していないことが明らかになった。
●「世界幸福度」測定方法の見直し――「GDPからGDWへ」
ところで、世界幸福度調査を設計したジム・ハーター氏は、次のように述べている。
しかし、一体なぜウェルビーイングがこのように測定されているのであろうか。このような測定方法は必ずしも日本をはじめとするその他多くの地域で歓迎される方法とはいえない。そこで、日本の公益財団法人Well-being for Planet Earthを中心に、西洋の価値観だけでなく日本をはじめとする多様な地域の価値観も尊重し、新しい国際基準となるウェルビーイングの測定方法についての検討が進められている。
世界中の研究者が結集し、様々なテーマで議論が展開されているが、最も注目されるのは、人生の調和・ハーモニー・協調性・バランスがとれているという幸福感を測定するという視点である。現在のウェルビーイング測定の国際標準をハシゴ型と捉えるのであれば、振り子型の調和やバランスを重視した測定方法(図4参照)といえる。
このような日本的価値観を反映したウェルビーイングの測定方法の発想や挑戦の延長線上に、GDWという新たな概念・指標がある。では、この新しい概念・指標は一体どのような変化を生み出すのか。また、どのような変化の中にGDWは位置づけられるものなのか。
高野准教授によれば、GDPを志向する世界の価値観は“成長と拡大”であったが、GDW指標では“多様性と調和”へと移行(図5参照)していく。1964年の東京オリンピックが前者を、2020年の東京オリンピックが後者を目指したように。
では、多様性と調和を尊重する社会とはいかなる状態であるのか。一人一人の多様性が響き合い、音が共鳴しながら拡がっていく調和・バランスのとれた幸福感に満ち溢れた状態であり、幸福の目標は量的尺度から質的尺度へと移行する。
●仏教用語「かいほつ」の意味と「持続可能性」の「基本的ニーズ」
経済社会発展の歴史を振り返ると、Development(開発)の主語はいつも国であり、戦後の歴史においてDevelopmentは他動詞として活躍した。「A develop B=既存の物差しで優れていると評価されるA国/地域が、既存の物差しで劣っていると評価されるB国/地域を開発する」というように。
しかし、developmentの日本語である「開発」は、もともと仏教用語で「かいほつ」と呼ぶ。自己に内在するものを見つめるという意味であり、自己発展といった自動詞的な意味である。生活の質を重視する観点に立つと、一人ひとりの主体的な生活者と地方自治体の信頼の絆が重要になる。
チリの経済学者マンフレッド・マックス・ニーフは、「貧困」とは人間の根源的ニーズが長期的に充足されないことと定義し、「持続可能性」の「基本的ニーズ」は「生計」、「保護」、「愛情」、「理解」、「参加」、「怠惰」、「創造」、「アイデンティティ」の9つであるとした。ウェルビーイングが測定する世界はこの深さとなり、市場ニーズから人間の根源的ニーズへの視点の転換が時代の要請といえる。
さらに、資源の捉え方にも変化が起きる。市場ニーズを満たすために資源を地域外から持ってくるという外発的な発想から、地域ごとにある固有の地域資源をいかに活用し、その地域の人々の想いと行動こそが最大の地域資源であると、内発的な発想へとGDWは誘う。
国際NGOオックスファムの2020年の調査報告「世界の富豪2153人は人口の60%を占める46億人よりも多くの資産を有している」が示すように富の寡占が問題となり、「富める者が富めば、自然と貧しき者にも富が行き渡る」と仮定したトリクルダウン(trickle down)の経済理論は明らかに行き詰まっている。短期且つ特定関係者のみに利益を生み出す目線から、将来世代を含めた長期の視点で多様性を持つ人々と共生し、共に新たな秩序を創っていく「共創」社会を築いていくという姿勢が必要不可欠である。その意味で、GDWはSDGsの基本理念である「誰一人取り残さない」と符合する。
●健康の定義に「スピリチュアルな領域」を加えよ
「こども家庭庁」の設置に向けた政府の基本方針では、その基本理念として「全てのこどもの健やかな成長、ウェルビーイングの向上」が掲げられ、「今こそ、こども政策を強力に推進し、少子化を食い止めるとともに、一人ひとりのこどものウェルビーイングを高め、社会の持続的発展を確保できるかの分岐点である」と明記された。
国の今後の教育政策に関する基本方針である「教育振興基本計画」の次期計画(令和5~9年度)の中核にウェルビーイングの向上が掲げられ、学習指導要領にこの基本方針が明記され教科書にも反映されることになる。
地方自治体におけるウェルビーイングの取り組みも風雲急を告げており、富山県では、「幸せ人口1000万~ウェルビーイング先進地機、富山~」を打ち出し、新たにウェルビーイング推進課を設置し、若い女性のウェルビーイング向上を重視するとともに、企業・団体の顕彰制度の創設、ウェルビーイングの測定指標の設定に取り組んでいる。
また、福岡市では、ウェルビーイング政策の検討に当たって、客観的指標だけでなく、「住みやすい」、「住み続けたい」といった主観的ウェルビーイングの指標を重視している。さらに、子供のウェルビーイング向上に向けて、全児童と教職員に対するアンケートを実施し、ウェルビーイングの認知度向上と機運醸成に力を入れている。次期教育振興基本計画(「道徳サロン」拙稿連載116「次期教育基本振興基本計画の核『ウェルビーイング』の基本方針と私の提言」参照)並びに学習指導要領の中核理念となるウェルビーイングの授業実践も今後急速に全国に広がるであろう。
昨年3月の最新の世界幸福度報告では、人々の生活における調和やバランスに関する幸福感の調査結果(図6参照)が発表された。日本の伝統精神である「和」の視座が世界の人々のウェルビーイングの在り方に新たな視点をもたらしたことは高く評価できる。この「協調的幸福」の視点に加えて、WHOが憲章全体の見直し作業の中で、健康の身体的、精神的、社会的側面に加えて、スピリチュアルウェルビーイングの定義を追加するよう提案し、以下のスピリチュアリティに含まれる4領域と18下位領域(図7参照)を明確化したが、日本はその実現に向けて強いリーダーシップを発揮する必要がある。G7教育大臣会合や「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる大阪・関西万博で、この「日本的ウェルビーイング」の視点を明確に国際発信すべきである。
【図7 WHOの健康概念:スピリチュアリティに含まれる4領域と18下位領域】
『歴史認識問題研究』12号、論文「日本発のSDGs・ウェルビーイング教育についての一考察⑴」より
(令和5年2月15日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』
絶賛発売中!
※道徳サロンでは、ご投稿を募集中!