髙橋史朗116 – 次期教育振興基本計画の核「ウェルビーイング」基本方針と私の提言
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●持続可能な社会の創り手の育成
文部科学省は2040年以降の社会を見据えた教育政策の総括的な基本方針として、⑴「持続可能な社会の創り手の育成」、⑵「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を掲げる次期教育振興計画の策定に向けた「審議経過報告」を1月13日に公表した。教育振興基本計画は10年ごとに作成され、全国の教育委員会はこれを踏まえた教育振興基本計画を策定する。今後の教育政策の2本柱の中身は一体どのようなものかを明らかにしたい。
ちなみに、国外ではOECD(経済協力開発機構)において、2030年の教育を見据えた「Learning Compass 2030(学びの羅針盤2030)」が2019年に示されるとともに、ユネスコでは「教育の未来」グローバルレポートが取りまとめられている。
同羅針盤は、子供の主体的な自己開発力といえるagencyを中心概念とし、その描く目的としてウェルビーイングを掲げている。その中核は「変革を起こす力」であり、その構成要素は「新たな価値の創造」「対立やジレンマへの対処」「責任ある行動」の3本柱であり、これを手掛かりに「攻め」の道徳教育と授業改善を図る必要性があると、日本道徳教育学会第100回大会の記念講演で、会長である永田繫雄東京学芸大学教授は強調した。
では、「2040年以降の社会を見据えた持続可能な社会の創り手の育成」は一体何を目指しているのであろうか。グローバル化や気候変動などの地球環境問題、少子化・人口減少、都市と地方の格差等の社会問題やロシアのウクライナ侵略による国際情勢の不安定化の中で、一人一人のウェルビーイングを実現していくためには、この社会を持続的に発展させていく必要がある。
特に我が国においては少子化・人口減少が著しく、将来にわたって現在の経済水準を維持するためには一人一人の生産性向上と多様な人材の社会参画を促進する必要がある。また、社会問題の解決と経済成長を結び付けて新たな革新につながる取り組みを促進することが求められる。
Society5.0においてこれらを実現していくために不可欠なのは「人」の力であり、「人への投資」を通じて社会の持続的な発展を生み出す人材を育成していかなければならない。こうした社会の実現に向けては、一人一人が自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協議しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、「持続可能な社会の創り手」になることを目指すという考え方が重要である。将来の予測が困難な時代において、未来に向けて自らが社会の創り手となり、課題解決などを通じて、持続可能な社会を維持・発展させていくことが求められる。
Society5.0においては、「主体性」、「リーダーシップ」、「創造力」、「課題設定・解決能力」、「論理的思考力」、「表現力」、「チームワーク」などの資質・能力を備えた人材が期待されており、こうした要請を踏まえ、多様な価値観に基づき地球規模課題の解決等を牽引する人材を育成していくことも重要である。
●日本社会に根差したウェルビーイングの向上
次に、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」の概念整理のポイントは以下の通りである。まず第一に、ウェルビーイングをどのように捉えるか。ウェルビーイングとは身体的・精神的・社会的に良い状態にあることを言い、短期的な幸福のみならず、生きがいや人生の意義など将来にわたる持続的な幸福を含むものである。また、個人のみならず、個人を取り巻く場や地域、社会が持続的に良い状態であることを含む包括的な概念である。
ウェルビーイングの捉え方は国や地域の文化的・社会的背景により異なりうるものであり、一人一人の置かれた状況によって多様なウェルビーイングの求め方がありうる。すなわち、ウェルビーイングの実現とは、多様な個人それぞれが幸せや生きがいを感じるとともに、地域や社会が幸せや豊かさを感じられるものとなることであり、教育を通じて日本社会に根差したウェルビーイングの向上を図っていくことが求められる。
第二に、ウェルビーイングの国際的な比較調査においては、自尊感情や自己効力感が高いことが人生の幸福をもたらすとの考え方が強調されているが、これは獲得的な幸福を重視する欧米的な文化的価値観に基づくものであり、同調査によると日本を含むアジアの文化圏の子供や成人のウェルビーイングは低いとの傾向が報告されることがある(「道徳サロン」拙稿連載111「ウェルビーイングの内外の動向と日本に求められている国際発信」参照)。
しかし、我が国においては人とのつながりや思いやり、利他性、社会貢献意識などを重視する協調的な幸福感がウェルビーイングにとって重要な意味を有しており、獲得的幸福と協調的幸福とのバランスを取り入れた日本発のウェルビーイングの実現を目指すことが求められる。こうした調和と協調に基づくウェルビーイングの考え方は世界的にも取り入れられつつあり、我が国から国際的に発信していくことも重要である。
第三に、日本社会に根差したウェルビーイングの要素としては、「幸福感(現在と将来、自分と周りの他者)」、「学校や地域でのつながり」「協調性」、「利他性」、「多様性への理解」、「サポートを受けられる環境」、「社会貢献意識」、「自己肯定感」、「自己実現」、「心身の健康」、「安全・安心な環境」などが挙げられる。
これらを教育を通じて向上させていくことが重要であり、その結果として特に子供たちの主観的な認識が変化したかについて証拠を収集していくことが求められる。協調的幸福については、組織への帰属を前提とした閉じた協調ではなく、共創するための基盤としての協調という考え方が重要であるとともに、物事を前向きに捉えていく姿勢も重要である。
●教師・親・地域全体のウェルビーイングの向上
また、ウェルビーイングと学力は対立的に捉えるのではなく、個人のウェルビーイングを支える要素として学力や学習環境、家庭環境、地域とのつながりなどがあり、それらの環境整備のための施策を講じていくという視点が重要である。
加えて、社会情動的スキルやいわゆる非認知能力を育成する視点も重要である。さらに、組織や社会を優先して個人のウェルビーイングを犠牲にするのではなく、個人の幸せがまず尊重されるという前提に立つことが必要である。
子供たちのウェルビーイングを高めるためには、教師のウェルビーイングを確保することが必要であり、学校が教師のウェルビーイングを高める場となることが重要である。子供の成長実感や保護者や地域との信頼関係があり、職場の心理的安全性が保たれ、労働環境等が良い状態であることなどが求められる。
このことが学びの土壌や環境を良い状態に保ち、学習者のウェルビーイングを向上する基盤となり、結果として家庭や地域のウェルビーイングにもつながるものとなる。さらに、生涯学習・社会教育を通じて地域コミュニティを基盤としてウェルビーイングを実現していく視点も大切である。
また、社会全体のウェルビーイングの実現に向けては、個人のウェルビーイングが様々な場において高められ、個人の集合としての場や組織のウェルビーイングが高い状態が実現され、そうした場や組織が社会全体に増えていくことが必要となる。
子供たち一人一人が幸福や生きがいを感じられる学びを保護者や地域の人々とともにつくっていくことで、学校に携わる人々のウェルビーイングが高まり、その広がりが一人一人の子供や地域を支え、さらには世代を超えて循環していくという在り方が求められる。
なお、第2期教育振興基本計画において掲げられるとともに、第3期教育振興基本計画においてもその理念が継承された「自立」「協働」「創造」については、「自立」と「協働」は個別最適な学びと協働的な学びの一体的充実に対応する方向性であり、「創造」は主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善を通じてもたらされるものである。
これまでの計画の基軸を発展的に継承し、誰もが地域や社会とのつながりや国際的なつながりを持つことができるような教育を推進することで、個人や社会のウェルビーイングの実現を目指すことが重要である。
●G7教育大臣会合の「日本発のウェルビーイングの概念」提案
2月8日に開催された自民党「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」では、5月12日~15日に富山市と金沢市で開催されるG7教育担当大臣会合の準備状況について文科省から説明があり、「コロナの影響を踏まえた今後の教育の在り方」を全体テーマとして、次のようなたたき台のもとに議論することが確認された。
コロナ禍やロシアによるウクライナ侵略等を通じて、改めて明らかになった自由や平和、民主主義などの普遍的価値が保障される社会と、子供たち一人一人の多様な幸福を実現するための教育の価値を再確認、共有する。また、全ての子供を、地球規模の課題を含め、様々な社会課題について主体的に取り組んでいく社会の担い手として育むための教育の在り方について議論し、その成果を国際社会に発信・共有するとともに、将来の民主主義を支える基盤となる各国間の人的交流につて議論し、共有する。
さらに、各国のコロナ禍での経験、そこから明らかになった教育の本質的価値、これからの未来を支える人材に必要な資質・能力、各国の社会・文化的背景を踏まえた子供たちのウェルビーイングの実現に向けた教育等について、各国教育大臣から基調提案を行い討議する。
我が国から「日本発のウェルビーイングの概念を提案」する基本方針にのっとり、私は有識者の立場から意見書「G7教育大臣会合で我が国が国際発信すべき、日本発(的)ウェルビーイングの視点」を提出し、「国・地域の文化によってウェルビーイングの在り方が異なることを尊重する」立場から、「世界幸福度」の調査尺度に「調和」「協調」「バランス」の視点を導入するよう提言するとともに、以下の概念を「日本的ウェルビーイング」の概念に含めるよう提案した。
その資料として、『モラロジー研究』第58号に掲載されている、ユネスコ60周年記念国際シンポジウム「文化の多様性と通底の価値」の最終公式声明の全文のコピーを配布して、その要点について、同声明(下記の< >)を引用しつつ、問題提起を行った。ちなみに、同シンポはモラロジー道徳科学研究センター並びに国際日本文化研究センターが共催した。
⑴「和」の概念=「異なるものの調和」「和解に基づいた平和」「和して同ぜず」
⑵「道」の概念=「対話」のための理想的な場
⑶「対話」の概念=「対決」である「試練」であり「変容」➡「対話の持つ改善力」
<「文明間の対話」から「対話の文明」へ移行することが示唆された>
<そのためには、対話の条件と在り方を定義することが必要となる>
<文化の多様性は、真の対話のために必要な材料である>
<グローバリゼーションが文化を画一化する危険を募らせ、全ての文明をその本来の基盤である地球から切り離す危機が高まっている現在、土地や環境の特殊性を考えることがますます重要になってきている>
⑷「通底」(transversal)の概念一「普遍的」(universal)との違い
また、地球システム・倫理学会第12回学術大会のテーマは「A World of Sustainability ――とこわかの思想」、同第17回のテーマは[3.11に何を学ぶか――将来のレジリエント社会の構築に向けて]、同第18回シンポのテーマは「人類はどこへ向かうのか?――真のwell-beingを求めて」で、自民党「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」の有識者メンバーである鈴木寛 東大・慶應義塾大教授、前野隆司慶應義塾大教授と、中教審委員の内田由紀子京大教授、2年後の大阪万博をリードする宮田裕章慶應義塾大教授、服部英二麗澤大客員教授が討議を行い、さらに、麗澤大学は「サステイナビリティ推進機構」を創設することも報告した。
自民党の同委員会には全省庁の幹部官僚も出席して隔週に開催され、ウェルビーイング教育並びに予算審議も行われる予定である。今後、「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」を発展的に解消して、日本発SDGs・ウェルビーイング教育の理論と実践に関する長期的共同研究を深め、日本道徳教育学会、日本感性教育学会などで研究発表を毎年積み重ねるとともに、これに関連する教育政策や国際発信の在り方についても自民党の同委員会で積極的に提言していきたい。
(令和5年2月10日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
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