髙橋史朗115 – SDGs・ESD・Well-being・感知融合に通底するホリスティックな視点
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●人間性心理学・トランスパーソナル心理学からポジティブ心理学へ
1980年代に広がった中国のタオ(道)の根本思想は、あらゆる技法を捨てたところに本来の道が開けるという点にあり、この思想はアメリカの心理学者マスローに影響を与え、従来の心理学理論の二大主流(フロイト主義とワトソンの行動主義理論)に代わる「第三勢力の心理学」(Third Force Psychology)」と呼ばれる、新しい「人間性心理学」に受け継がれた。
フロイト主義と行動主義は、人間と動物との本質的な相違は全くないと考え、人間の「病理」に焦点を当て、人間の行動を目に見える量的法則に還元しようとした。これに対してマスローは、人間の願望・希望・抱負などの「精神的健康」に注目し、科学の権限の中から価値を排除する伝統的な考え方に対して真っ向から対立した。
この人間性心理学は「第三の心理学」として、不動の地位を確立し、アメリカを中心に、教育・産業・組織と経営、治療・自己改善などの分野に多大な影響を及ぼした。マスローは『完全なる人間』の第二版の序文で、次のように述べている。
このマスローの言葉通り、“transpersonal”という個人を超えた世界の体験を重視する「国際トランスパーソナル学会」が1978年に設立され、崩壊の危機にある人類文明を社会的、生態学的、宇宙的文脈において総合的に捉え直し、科学と精神を結ぶ統一理論を構築する試みが始まった。
今日の学問の柔軟性を欠いたアプローチを解体総合化し、東洋文化の伝統に見出される環境と心身の合一性を強調することによって、人間性についてのわかりやすい統一的なイメージを創出することを目指す同学会が1985年に京都で開催され私も参加した。これが底流となって、1996年に「日本トランスパーソナル学会」が設立されるに至った。
臨床心理学や社会心理学研究が主流であったが、徳心理学(virtue ethics)に注目するポジティブ心理学が1998年にアメリカ心理学会会長であったペンシルベニア大学のセリグマン教授によって発議、創設され、欧米を中心に急速に広がり、多くの大学・大学院や民間組織でポジティブ心理学の授業が開講され、2007年に「国際ポジティブ心理学会』が設立され、中国、インドなど世界各地で国際会議が開催され、世界50カ国以上から研究者や実践家たちが結集し、日本の大学・大学院にも広がった。
●唯心論・唯物論を超えたホリスティックな「人格性」と「心の場」
ところで、アドラー心理学に大きな思想的影響を与えた「ホーリズム」の提唱者であるスマッツは、人間の全体としての人格性を明らかにするためには心理学では不可能であるとして、「人格性学」(Personology)という新たな学問領域を提示し、次のように指摘した。
スマッツは唯心論と唯物論のいずれも批判する立場から、「世界は唯心論者が考えているように、心によって生み出されたものではなく、また心の結果ではない。また、心は唯物論者が考えているように、脳に対する外的刺激によって生じたものではない」と明確に述べた上で、「心の最も内奥の本性と本質は、意識として、そして経験において意識から具体化する主観と客観として現れる」として、「主観と客観は、意識のレベルにおいては経験の二つの局面であり、心そのものの源の二元性そのものを反映している」「主観と客観は独立しているのではなく、相互依存しており、主観と客観は心の場における両極である」と指摘している。
スマッツは「心の場」という概念を持ち出し、「心の場は物理的でもなければ、生理学的でもない。心には中央の光輝く領域がある」と説明し、「心の超構造は、心が基礎を置いている脳或いは神経系の構造より、計り知れないほど大きなものであり、心が生じてきた有機的秩序からの革命的出発を示す全く異なった秩序である」と指摘している。
●スマッツ「人格性は自己治癒力を持っている」
スマッツはノーベル化学賞を受賞したプリゴジンの「散逸構造論」における自然の「自律的秩序形成機能」すなわち自然治癒力に注目し、「人格性は自己治癒力を持っている」と強調した。スマッツによれば、「人格性は、ホリスティックな一連の進化に現れた最近の最高の統一体であり、宇宙における偉大なホリスティック運動の最後の局面である」という。
「人格性は自己治癒力を持っている」とは一体どういうことを意味しているのであろうか。この点について彼は次のように説明している。
このように「人格性」の意味を説明するにあたって、“wholeness”という言葉が繰り返し登場する点が注目されるが、スマッツが提唱するホーリズムの中核的な概念である「数々の全体」が重なって浸透し合う「場」としての「人格性」を「ホール」と捉え、個の中に全体性が表現されていると観ているところに彼の独自性があり、このような考え方が「ホロン」という考え方に受け継がれたといえる。
スマッツによれば、「自然の中に存在するホーリズムは我々の身近にあり、我々がより良い生活に向かって努力する時に真の支えとなるもの」であり、「心はまだ主人ではないが、主人すなわち人格の手の中にある鍵である。心はドアの鍵を外し、新しく生まれた精神を自然の必然性という束縛と手枷と土牢から解放する。心は支配の最高のシステムであり、自由の秘密を握っている。心は宇宙が神聖なものであることを識る目である」
●ホーリズムの視点から見た「感性」
スマッツはホーリズムの視点から「感性」について一体どのように捉えていたのであろうか。彼はこの点について直接的に論じているわけではないが、感性に関連して次のように指摘している。
数々の分化した感覚を微妙に融合して統一している感覚(第六感)がないだろうか。それらの感覚を単一の全体へと融合する首尾一貫性は、それらを融合して統一する心である。もしもそれが心であるなら、それはこれらの分化された感覚に加うるに、心における感覚的要素または要因でなければならない。私にとって特別な感覚の中に、あるいは間において見出されるよりも多くの総合的なタイプの感覚と直観の力が心の中にあるというのは簡単な尤もらしい考えであると思われる。さもなければ、私は経験的主体と客体の両方の基礎を成す統一が説明できない(同)>
中央に光り輝く領域がある「心の場」に経験が力強い影響を及ぼし、「感覚的直観の刑式を含むテレパシーのまだ知られていない主体があり、感覚や直観が分化してきた感覚の基礎は、実在についてのホリスティックな感覚を説明する霊的な感覚、あるいは知的直観の能力を作り上げてきた」と彼は説明する。
このようにスマッツが「感覚と直観の間で働く微妙で深遠な統合的活動」「分化した感覚を微妙に融合して統一している第六感」「経験的主体と客体の両方の基礎をなす統一」「テレパシーのまだ知られていない主体」「知的直観」「ホリスティックな感覚」「霊的な感覚」などと表現しているものと、本拙稿連載で詳述してきた「感知融合」の視点とはかなり密接な関係があると思われる。
●学校教育のパラダイム転換――新旧パラダイムと「ケアリング」の6領域
こうした感知融合のホリスティックな視点からSDGs・ESD・ウェルビーイングに通底する価値観を捉え直し、学校教育のパラダイム転換を図る必要がある。そのためには、社会適応か自己実現か、系統学習か経験学習か、自由か規律か、画一性か多様性か、などと教育行為の両極性を二者択一的に捉えるのではなく、お互いを活かし合い、補い合う相互補完関係として包括的に捉えるホリスホリスティックな新しいパラダイム(表1・2参照)に立脚する必要がある。
スタンフォード大学のネル・ノディングス教授は『学校におけるケアへの挑戦』(ゆみる出版)において、学校の教科主義を厳しく批判し、「ケアリング」を中心原理とする6領域の主題でカリキュラムを再編成する新たな学校構想を提言した。
6領域とは、「自己のケア」「親しい者のケア」「見知らぬ人や遠い他者のケア」「動物・植物・地球のケア」「人口世界(道具と技術)のケア」「アイデア(芸術と学問)のケア」である。教師には「ティーチング」「ケアリング」「コーチング」「主体変容」(トランスフォーメーション)の役割を果たすことが求められている。
学校を単なる将来のための準備の場所ではなく、教師自身がケアする主体のモデルになる「モデリング」、ケアの倫理を多数の前で態度表明する「信念の表明」「対話」「実践」という4つの方法によって、人と自然と社会とのつながりを回復し、「助け助けられる」互恵関係を体験させ、自然と社会を破壊から救う道を学び合う場所へと変革しようというノディングスの提言は傾聴に値する内容を含んでいる。
(令和5年2月7日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
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