髙橋史朗114 – 今、なぜ「感知融合」の道徳教育なのか?
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●感性に関する学問的論究の系譜
玉川大学出版部から『臨床教育学と感性教育』と題する著書を出版し、同大学院と明星大学でライフワークとして「感性教育」について研究してきた私が、近年「感知融合」の道徳教育について研究し、学会発表を重ねている理由は一体何か。
これまでの感性教育に関する著書は、『感性・心の教育(全5巻)』(明治図書)、『感性教育』(至文堂)、『日本文化と感性教育』(モラロジー研究所)、『感性を活かすホリスティック教育』(同)、『豊かな感性育成プログラム』(監修髙橋、日本青年会議所)などであるが、こうした感性教育に対する先行研究の成果を否定するものではなく、発展的に継承しようとするものである。
感性に関する学問的論究が多く出始めるのは近代以降で、代表的なものはデカルトの「情念論」、パスカルの『パンセ』、スピノザの『エチカ』などであるが、哲学的な原理として感性の重要性を認識させたのはイギリスにおける経験論哲学であった。
また、カントは『純粋理性批判』の中で「先験的感性論」を展開し、時間と空間に関する感性的直観について論じ、ルソーも感情や感覚の価値を感性よりも重視した。さらに、独特の哲学的人間学を確立したフォイエルバッハは精神的世界と物質的世界は感性によって媒介されることなしには互いは関係を持ちえないとして、感性の重要性を強調し、歴史上初めて感性を根本原理に据えた人間観を哲学的に展開した。
20世紀に入ると心理学の発展に伴って、感性の価値が飛躍的に認識されるようになり、フロイトやユングの深層心理学、さらにベルグソンの時間論と直観主義などが近代の理性的な人間観や理性的認識能力を原理的に批判し、感性を原理にした人間観や生き方に道を拓いた。
●芳村思風の「感性論哲学」――感性をホリスティックな視点から捉え直す
『感性の時代』『感性論哲学の世界』の著者である芳村思風氏によれば、感性は、①本質としての感性、②感性の直接的な現象形態である感覚、感情、欲求の三つの働き、③意味を感じる心、④感覚器官と神経系、の四段階の構造をもって機能しており、②の三つの働きの根底には、生理学的生物学的に「ホメオスタシス」と呼ばれる機能が存在する。
このホメオスタシスという感性の働きを現象学的に分析すると、この機能は「調和作用」と「合理作用」と「統一作用」という三つの有機的作用の複合的相乗効果として成立しており、この三つの作用が統合的に働くことによって、「勘」や「コツ」がわかるようになる。
ノーベル化学賞を受賞したプリゴジンの「散逸構造論」は、ホメオスタシスのフィードバックという第一世代のシステム論を発展させたものであるが、『ホーリズムと進化』の著者であるスマッツの言う「分化した感覚と微妙に融合して統一している第六感」「ホリスティックな感覚」等々は、「勘」や「コツ」がわかるという感性に極めて近いものと思われる。
一般的には、感性と理性を対立的に捉え、理性が能動的であるのに対して、感性は受動的な感受性と解されているが、両者は対立するものではなく、感じることによって知の活動が活性化され、知が深まることによって感性も深まるという相互補完関係にある。感性は外界の対象を受け身的に受け入れるだけの感覚とは違って、対象に対して心が揺り動かされるところにその特色がある。
感性は「価値あるものに気付くホリスティックな感覚」であり、スマッツの言う「知的直観」に他ならない。同じ体験をしても何に興味や関心を持ち、何に感動に注目するかは人によって異なり、その意味で感性は個性的なものといえる。このように感性をホリスティックな視点から捉え直す必要がある。
●感知融合の「情動学」との出会い
「色心不二」を説いた空海、「心身一如」を説いた道元は、心と身体を分離して考える弊に陥ることに警鐘を鳴らしたが、近代化によって理性は心に、感性は身体に引き付けられて解釈され、理性と感性は対立的に捉えられ、感性は理性に従属する低次の能力と捉えるようになってしまったのである。
『感性の哲学』の著者である桑子敏雄東京工大大学院教授は、科学的思考と感性との統合という感性哲学の課題に取り組んだ大森荘蔵こそ日本の感性哲学の先駆者であるとして、語られた理念が人の心と身体を動かし、世界を動かす時、その言葉の力こそ「言霊」と言われるのにふさわしい、と指摘している。桑子教授によれば、感性は「環境世界と自己の身体との交感能力」であり、性が感じて情となり、感という相互作用が性と情を繋いで統合して感情になるという。
「感知融合」という視点に転換する決定的な契機となったのは、能楽師の脳研究に関する情動研究会(後に「日本情動学会」に発展解消)に参加し、「情動学」を学んだことであった。とりわけ東大大学院の遠藤利彦教授の『「情の理」論――情動の合理性をめぐる心理学的考究』(東大出版会)と情動学シリーズ(全10巻)に出会い、文部科学省に「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」が設置されたことは画期的意義があると確信した。
同調査研究協力者会議の提言に基づき、「研究者と教育現場の連携システムの構築」を具体化した「情動に関するプラットフォーム」として、10大学16連携教育委員会が結束して「子どもみんなプロジェクト」が立ち上がり、科学的根拠に基づく「予防」的支援の本格的な取り組みが5年間行われ画期的な成果を上げた。道徳教育についても同様の取り組みが求められている。
●二つの共感を道徳的実践意欲につなぐ言語活動の充実
さらに、近年の脳科学・脳神経倫理学・認知心理学等の科学的知見によって、道徳的判断力は、他者の感情や表情をしぐさから推測したり、他者の立場に立って感情を理解する役割取得を含む、他者の感情を想像する「認知的共感」(メンタライジング)に近く、道徳的心情は、他者の感情を自分のことのように感じる「情動(感情)的共感」(ミラーニューロン)に近い概念であることが判明した。
メンタライジングについては、アレン・フォギナー・ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床:精神分析・愛着理論・発達精神病理学の統合』(北大路書房)、ミラーニューロンについては、クリスチャン・キーザーズ『共感脳――ミラーニューロンの発見と人間本性理解の転換』(麗澤大学出版会)を参照されたい。
また、神経生理学や神経科学の研究によって、他者理解はミラーニューロンシステムによるダイレクトマッチング(他者の行為と自身の運動表象をマッチさせる過程)によって行われることがわかり、乳児期初期における他者理解のメカニズムが、京都大学の板倉昭二教授らの研究によって検証された。
さらに、私が代表世話人となって倫理研究所で開催してきた「脳科学などの科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」で講演していただいた玉川大学脳科学研究所の松田哲也所長の脳神経倫理学の研究によっても、「道徳脳」の神経基盤が解明されつつある。
適切な向社会的行動を行うためには、発達初期に萌芽的に内在し、環境要因や成育要因等によって形成される「認知的共感」と「情動的共感」という道徳性の根源である「道徳性の芽生え」を家庭でいかに育み、道徳の授業で子供の発達段階に応じて、この二つの共感性をいかにバランスよく育成するかが今後の道徳教育の最重要課題といえる。
この二つの「共感」の神経基盤も社会神経科学の研究によって特定され、扁桃体と眼禍前頭皮質内側部の結合された反応が「道徳的直観」の神経基盤であることも判明した。さらに、ジャン・デセティ、ウィリアム・アイクス編著『共感の社会神経科学』(勁草書房)によって、いじめ等の攻撃性や向社会的行動と共感とは深い関係にあり、ロールプレイや道徳的ジレンマの討論、積極的傾聴などに教師の共感性を向上させる効果があることがわかった。
SDGsを「自分事」として捉える「常若産業甲子園」や志教育を道徳教育に導入することによって、道徳的心情、道徳的判断力と並ぶ道徳性のもう一つの柱である道徳的実践意欲と態度につなぐ道徳教育の実践の深化を目指したい。
平成20年の学習指導要領改訂における「言語活動の充実」によって、論理と思考などの知的活動、コミュニケーションや感性・情動の基盤である言語活動を、子供たちの思考力・判断力・表現力等を育成するための有効な手段と位置づけ、その体系化・構造化を試み、その第一の学習活動として、「体験から感じ取ったことを表現する」が例示されたが、この視点がおろそかになっていないか点検する必要がある。
「感知融合」の基盤である「言語活動の充実」という原点に立ち返って、子供たちの心の琴線に触れる「感知融合」の道徳教育の理論と実践の深化を目指したい。SDGs・ウェルビーイングを「志を立て」「道を求める」縦軸と「和を成して」「幸せを感じる」横軸の道徳的価値を統合した「常若・志道和幸」の「感知融合の道徳教育」の試みとして、今年の日本道徳教育学会でも共同研究の成果を発表したい。
(令和5年2月6日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
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