高橋 史朗

髙橋史朗112 – 日本的ウェルビーイングとは何か ⑴ ―― 能、和、常若の視点から

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●「和する歌」の伝統を破壊した藤原定家――返歌しなかった罰を「能」として表現

 『まんが日本昔ばなし』は日本的ウェルビーイングの宝庫であることは、本連載73「日本的ウェルビーイングの原型を探る――日本の昔話と古典に学ぶ」で詳述したが、日本的ウェルビーイングの原型を明らかにするためには、古事記神話、多種多様な人々の和歌が収められている日本最古の歌集『万葉集』、平安時代に生まれた『古今和歌集』にまでさかのぼる必要がある。

 和歌は文字通り「和する歌」で、歌の中に「和」の語法が内包されており、歌を詠みかけられたら、それに和して応えることが和歌の基本ルールとして求められていた。平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人である藤原定家は、そのルールから美しく逸脱し、「和する歌」の伝統を破壊する「絶歌」を完成させた。

 能楽師の安田登によれば、和歌が「和」の性質を失ったがために、「和」の性質を継いだのが、「連歌」であり「俳諧の連歌(連句)」で、それを行う場として「座」が生まれ、座というシステムは、平安時代までの「和歌」が成立しなくなったがために、「和」が含まれる歌を生み出そうとした試みだったという。

 ちなみに、絶世の美女と言われた小野小町がシテ(主人公)の能『卒都婆小町』は、醜く年をとった乞食の老女の小野小町は老残の姿をさらして人々から軽蔑され、彼女との思いを遂げられずに憤死した深草少将の亡霊に憑依されて狂気になる能であるが、そのようになってしまった理由は、深草少将から贈られた歌に返歌しなかった罰であると能では語られている。

 

 

●「日本的ウェルビーイング」の重要なヒント

 能という芸能を大成した世阿弥ぜあみは、能の最高の境地の一つを次の藤原定家の歌で表現した。

「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ」

 馬を停めて、袖に降り積もっている雪を払っている。そんな姿もない雪の夕暮れ、と定家は詠んだ。本居宣長は「ないならば、わざわざ歌う必要はないじゃないか」と批判したが、この「ないもの」を詠うことこそ世阿弥が重視したものであり、「日本的ウェルビーイング」を考えるうえで重要なヒントになる、と安田は指摘し、次のように説明している。

 

<定家のこの短歌を、私たちも「歌」として聴いたと想像してみます。まず題として『雪』が示されます。聴者が「ああ、雪の歌が詠まれるんだな」と思っているところに、『駒とめて』と節を付けてゆっくりと詠まれていきます。聴いている人の脳裏には、雪の降りしきる中、馬を停めて立ち止まる人の姿が浮かびます。やがて、彼は袖に降り積もる雪を、手で
サッサッと払い落とす・・・と、そこまで脳裏に浮かべたときに、突然「かげもなし」と、その姿を否定されるのです。しかし、一度想像したものはどんなに否定しても残ります。ソフトフォーカスをかけた彼方に拡がるような縹渺たる景色、それがこの歌が提示する風景なのです。(安藤英由樹・阪倉杏介・村田藍子編著、渡邊淳司・ドミニク・チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』BNN、令和2年、参照>

 

 

●世阿弥「初心忘るべからず」の意味

 能には、「何もしないあいだ」という意味の「せぬ隙(ひま)」という概念があり、能の動作は「静止」を作るためのもので、能の囃子(音楽)は音そのものに意味があるのではなく、「音と音の間の無を作るもの」であるという。能舞台上に大道具や小道具などを置かないために、観客が何でもそこに投影できる。

 空虚な空間だからこそ、そこには何でも見ることができる。禅庭における「枯山水」と同じである。世阿弥の完成した能や松尾芭蕉によって完成された俳諧のことを、高浜虚子は「極楽の文学」と呼んだが、これは「何もないから、何でもありうる」という境地といえる。この「色即是空、空即是色」の境地によって得られることが「日本的ウェルビーイング」の一つのかたちといえる。

 前述した藤原定家の歌には、何もない「不在」の状況が風景の中に溶け込んでいる。空間的な「何もなさ」こそが能であり、その不在を愛することこそが、乱世の中で世阿弥が悟った境地なのであり、五感の区別がない「共感覚的な感性」といえよう。

 世阿弥は「初心忘るべからず」と言ったが、「初」という字は、着物を作る時に布地に最初に刀(鋏)を入れることを表す漢字である。進歩するためには、そのように過去をバッサリ切り捨てる必要がある。それが「初心忘るべからず」の意味である。

 

 

●能における制限と自由の関係――世阿弥「無主風」と「有主風」

 能では身体的な「制限にこそ自由がある」と考えた。歴史の中で能の衣装はどんどん硬く重くなっていったが、これはあえて身体の制限を作るための変化であった。また、世阿弥は「無主風(主体性のない芸風)」と「有主風(主体性のある芸風)」と表現したが、前者は、能の稽古は徒弟制度で、師匠と一緒に過ごしながら、師匠の芸のみならず様々ななことをそっくりそのまままねる芸である。この無主風を身に着けるまでに最低10年はかかるという。

 それがある瞬間に「有主風」となり、初めて役者としての人生が始まるわけであるが、このように「無主風」から「有主風」に変わることができるのは、とりもなおさず身体に「制限」があるからであり、制限によってのみ実現されるのが「個性」である点に注目する必要がある。これは千利休の「型を守り、型を破って、型から離れる」という「守破離」の精神に通ずる。

 標準的な能舞台は、三間四方と呼ばれる約5メートル×5メートルの正方形という小さな空間で、空間に制限があるこそ精神が自由に飛翔できると考えた。これが天井から俳優を吊り上げる歌舞伎との違いである。

 楽曲においても時間軸を錯綜させた物語を作ったり、異なる物語を混ぜ合わせたりして、能には自分はあの人かもしれないし、今は昔かもしれないという「共話」的な感覚、「わたし」を超越した「和(龢)」の感覚が背景にある。

 

 

●主客が融合する「共話」

 中世の能では、文脈からも敬語からも主語が特定しにくくつくられるようになり、わざと主語がはぐらかされ、「わたし」も「あなた」もなくなり、主客が融合してしまう。能の中の主客の融合は、日本語に特徴的な「共話」という会話形態によって引き起こされる。

 能にはこの世の人間である「ワキ」という役と、この世に存在しない「シテ」という役が登場する。ワキは私達と同じく、過去から現在、そして未来へと進む「順行する時間」の中に住んでいるのに対し、シテは今の時間を過去へ引き戻そうとする「遡行する時間」の中に住んでいる。

 この住む世界の異なる二人の会話は当然かみ合わないが、あることをきっかけに二人の間に共有する《何か》が出現し、その《何か》をきっかけに二人の会話が「共話」となっていく。「共話」によって融合し始めた二人の会話は、それが進むとお互いに発する語数が減ることによって、それはさらに促進され、ついにはどれが誰の発言なのか全くわからなくなる。自他の境界が溶け合い、最後には彼すらも消えてしまったような感覚を観客に与える。「ワキ」と「シテ」の二人は、彼らを取り巻く環境、すなわち景色と一体化するのである。

 「あなた」に対する「わたし」が消えるだけでなく、「わたし」そのものが消えてしまい、彼我の時間の差も越えて、現在と過去が統合される「いまは昔」が出現するのである。相違よりも共有を見出す「共話」という方法によって、住む世界すらもまったく違う両者が融合していき、「わたし」が消滅していくのである。

 

 

●聖徳太子の17条憲法と『論語』――「和の議論」“対話”とディベートの違い

 この「私」の消滅は「滅私奉公」の名のもとに個人を軽視した封建的道徳として批判され、付和雷同的な日本人の国民性が形成されたと非難の対象となってきた。しかし、付和雷同の「和」は、日本本来の「和」の精神とは全く異なるものである。

 聖徳太子の17条憲法の「和を以て貴しと為す」と『論語』の「和を貴しと為す」は酷似しているが、『論語』には「礼の用は和を貴しと為し」と書かれ、「和」を成立させるためには「礼」の作用が必要だとしている。

 一方、聖徳太子は「和」そのものが尊いと考えたが、「和」の古い字形は「龢」である。これは、様々な音の楽器を一緒に演奏するというのが原義で、そこからさまざまな人が色々な意見を出したり行動しながらも、そこに調和を見出すという意味が生まれた。

 皆が自由に意見を出したり行動したりすると「俺が、俺が」となって、混沌状態に陥りがちになるので、それを統御するために「礼」が必要だというのが『論語』の考え方といえる。「わたし」を捨て、相違点よりも共通点を見出す「共話」を会話の基本とする日本人は、ディベートとは正反対の「和の議論」を重んじ、まずは「わたし」を捨て、対話によって個人では到達しえなかった、全く新しい高度の知見を獲得できることを「三人寄れば文殊の知恵」と表現し、じっくり俟って「和して同ぜず」の「和の精神」を大事にしてきた。

 孔子は「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」といい、「和」に対する概念として「同」を提示した。「同」とは皆で同じことをすることで、これが「付和雷同」につながる。「和の議論」である「対話」とは「異なるものの調和」であり、「対決」であり、双方に「わたし」にこだわらない「変容」をもたらす改善力を有するものである。これが「日本的ウェルビーイング」の核心といえる。

 

 

●「常若」「祈り」が「日本的ウェルビーイング」の中核

 日本人の感性は、常に自然の変化に晒され続けながら歴史を積み重ねる中で洗練され研ぎ澄まされてきた。こうした変化を人との連帯によって乗り越えていくところに「日本的ウェルビーイング」が生まれ、とりわけ文化財にはその実相が強く反映された。

 伊勢神宮は20年に1回、春日大社は70年に1回遷宮し、常に変わることで永遠に続く新しいものであることを実現できる「常若(とこわか)」文化が形成されたが、これは人間の身体が歳をとるにつれて細胞が入れ替わるが、「私」は常に「私」のままで、「死と再生」のダイナミズムによって不変の生命へとつながることと共通している。

 このように日本は古来から「変化によって」持続可能性を実現してきたのであり、だからこそ、「日本的ウェルビーイング」に注目する必要があるのである。「日本的ウェルビーイング」はいい意味での曖昧さによって形成されてきたといえる。

 日本で古くから大切にされ、培ってきたネットワークは、地下茎のようにどこかが切れてもまた別の部分とつながるような構造、すなわち日本的な「重層的多様性」があるといえる。また、「誰かのために」祈ることは「日本的ウェルビーイング」の中心的要素であり、異なるものの異なる役割を認めながら多様性を担保し包摂していくところに「日本的ウェルビーイング」の今日的意義があるといえる。

 

 

●「ウェルビーイング」の語源と三つのアプローチ

 「ウェルビーイング」という言葉の語源は、「being(本質)」と「well(満足の)」である。従って、「満足の本質」としての「日本的ウェルビーイング」について考察する必要がある。「ウェルビーイング」を理解するアプローチには、「ロジックによって分解」し「大局観」によって「再構築」する理解と、「直観」による理解という三つのアプローチがある。

 国連が毎年150以上の国・地域を対象に行っている「幸福度調査」によれば、幸福度と最も関連が高いのが、「一人当たりのGDP」、2番目が「困ったときに頼れる人がいるか」、3番目が「平均寿命」、4番目が「自分の人生を自由に選べる感覚」、と続くが、こうした西洋的なロジックの観点からウェルビーイングを理解するのは難しい。

 では「大局観」で理解するアプローチはどうか。公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事の石川善樹氏によれば、京都の街を描いた狩野派の『洛中洛外図』には、橋や衣服、履物といった各要素は非常に細かく描かれているが、絵画全体の大部分は雲で覆われており、京都とは何たるかを要素ごとに分解して再構築することは不可能だと判断し、ピクチャーとしての京都と、いくつかの詳細を描き、その間を「間」として「ごまかした」のだという。

 では、人生をピクチャーとして捉えるとどうなるか? 100年の人生を25年ごとの「春夏秋冬」に区切って考えればよい。3つ目の「直観」による理解アプローチでは、ロールモデルを見出すことが大切だと石川氏は指摘している。

 最後に、ウェルビーイングと切っても切れない関係にある「真の自己」とは何かを問うことがウェルビーイングとは何かを問うことであり、ウェル―ビーイングと道徳の関係を問うことにつながる。デカルトとカントに代表される西洋近代哲学の自己観と「東アジア的自己観」すなわち、老荘思想や禅を中心とする仏教思想として語られてきた「全体論性」「身体行為性」を二大特徴とする「真の自己」観について考察する必要があるが、紙面が尽きたので次号で論じたい。荘子の「天籟」、道元の「心身一如」「身現」、西田幾多郎の「行為的直観」が「真の自己」のキーワードである。

 

(令和5年1月31日)

 

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