高橋 史朗

髙橋史朗111 – ウェルビーイングの内外の動向と日本に求められている国際発信

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●タル博士の幸福度モデル

 ポジティブ心理学の中心人物の一人で『ハーバードの人生を変える授業』の著者として有名なタル・ベン・シャハ―博士は、ウェルビーイングをより具体的に高めるための物差しとして、SPIRE(スパイア)というモデルを提唱している。タル博士は幸福度を次の5つのモデルに分けて分析している。

⑴ Spiritual Well-Being:精神のウェルビーイング
⑵ Physical Well-Being:身体のウェルビーイング
⑶ Intellectual Well-Being:知性のウェルビーイング
⑷ Relational Well-Being:人間関係のウェルビーイング
⑸ Emotional Well-Being:感情のウェルビーイング

 この5項目の頭文字をとったものがSPIREモデルであるが、この5つのウェルビーイングが実現されている状態を”Whole-Being”(全体性を持った在り方)と呼んでいる。⑴は、自分の人生の目的や意義は一体何か。どんな価値観のもとに行動するのか。今ここを感じているマインドフルな感覚などを分かっているか、感じているか。

 ⑵は、生活に習慣として運動を取り入れているか。食生活は栄養のバランスを考えているか。身体的に良い状態が保てているか。⑶は、常に新しいことを学び、知的好奇心を日々満たしているか。何らかの挑戦に日々取り組んでいるか。

 ⑷は、人間関係が良い状態かどうか。互いに大切に思い合えるような関係でいられているか。周囲との関係が自分自身と健全に繋がっている状態か。⑸は、心地よい感情が自分の中を流れているか。心地よくない感情に対しても、レジリエンス(回復力)を発揮して、穏やかな感情を維持できているか、を意味している。

 タル博士によれば、「人間関係のウェルビーイング」こそが最も幸福との繋がりが強い要素であり、アドラー心理学でも「人間の悩みは、全て対人関係の悩みである」と指摘している。本連載82(SDGs・ウェルビーイング理論を問い直す)83(「幸福学」の創始者に学び、道徳・倫理学に活かす)で紹介したセリグマンのウェルビーイングの5要素のPERMA(パーマ)モデルは、自分の内面に意識を向ける項目が多いのに対して、SPIREモデルは「身体」への意識を補完している点が相違点といえる。

 両者の共通点は「バランス」に注目している点にあり、タル博士は明確に全体性という言葉を使って、一つの構成要素だけ優れていても全体のバランスが大事であることを示唆している。

 

 

●幸せとウェルビーイング、日本的幸福と北米的幸福の相違点

 京都大学の内田由紀子教授とジェルミー・ラブリー准教授によれば、⑴「幸せ(happiness)」と⑵ウェルビーイングの違いは、⑴はより短期的で個人的な状況評価・感情状態であるのに対して、⑵はより包括的で、個人のみならず個人を取り巻く「場」が持続的に良い状態である点にあるという。

 自分の生きる道だけでなく、家族や友人、自分の住む街・国がどのようにすれば「良い状態」でいられるのかについて考え、経済だけでなく、「心」の充足、生活への評価・感情・価値・健康まで含めて捉えるのがウェルビーイングという新しい「物差し」であるという。

 個人として今が楽しいだけでなく、これからの将来に希望を持て、クラスや地域の人々の幸せを願い、この町・家庭・学校・国、世界を良くしていきたいという公共的な利他性、持続性がウェルビーイングに他ならない。

 ウェルビーイングの意味は国や地域の文化によって異なり、それぞれの集団・地域・国における文化的価値につながるウェルビーイングの在り方を考える必要がある。幸福度の世界ランキングではなく、学校や教育現場の状況を知ることを重視することが大切であり、多様なウェルビーイングの求め方を認めることが「ウェルビーイングを考える際の注意点」であるという。

 外向きのランキングや評価ではなく、自分たちの学校や家庭、地域のウェルビーイングとは何かを考えることが大切である。結果だけでなく、それを支える要因やプロセスを重視して、包括的に検討して長所、欠点を分析し、思い込みを是正し、子供や現場の声に耳を傾けることが教育現場のウェルビーイングの向上につながる。

 日本的幸福と北米的幸福には相違点があり、日本的幸福は「協調的幸福観」で、幸福には「陰と陽」があり、他者とのバランス、人並み志向、それらがまわりまわって自分にも幸せがやってくるという信念、と特徴づけられる。

 一方、北米的幸福は「獲得的幸福観」で、個人の自由と選択、自己価値の実現と自尊心、競争の中でもまれる、それらが翻って社会を豊かにするという信念、と特徴づけられる。

 「協調的幸福」は、自分だけでなく、身近な周りの人も楽しい気持ちでいると思い、平凡だが安定した日々を過ごしており、大切な人を幸せにしていると思う幸福観である。「獲得的幸福」は、私の人生はとても素晴らしい状態であり、大体において理想に近いもので、これまで私は望んだものは手に入れてきたという幸福観である。

 

 

●バランスと調和を図る「協調的幸福感」を「世界幸福度」に導入

 「獲得的幸福観」の人生の「満足感尺度」で調査すると、日本・韓国の得点は低いが、「協調的幸福感尺度」を使うと他国と平均値は大体同じであることが明らかになっている。従って、人生満足感尺度のグローバル指標で調査すると、東アジア地域は勉強のスコアは高いが、精神的ウェルビーイングが低いという結果が導き出されてしまうのである。

 それ故に、ユニセフの「メンタルヘルス」指標に基づくPISAの世界順位は、日本は下から2番目であるという世界ランキングに基づくネガティブなメディア評価が誇張される結果を招いたのである。

 そこで、ユネスコアジア太平洋地域はPISA2017の後に幸福を改善するためのプログラムを開始し、「世界幸福度」に「バランス」と「ハーモ二―(調和)」という概念を新たに取り入れ、「協調的幸福感」が世界で取り入れられるに至った。

 日本的ウェルビーイングは「独立性」と「協調性」の2つの自己意識の良いバランスと調和を模索する。他者の幸せを考えて人と協調しつつ、多様な生き方を認め、多様な人々とつながり、新しい機会を得て、同調圧力から解放する公平なシステムを尊重する「独立性」とのバランス、調和を図ろうとする点に特徴がある。

 自分と他者、社会の互いのウェルビーイング(幸せな状態)を循環させる要因のキーワードは、「多様性」「開放性」「社会的繋がり」「自立と共生を支える仕組み」であり、地域の幸福の測定指標としては、地域内の社会関係資本(信頼、互酬性の規範など)、地域の幸福(個人の主観的幸福、協調的幸福、健康)と地域の一体感、多様性への寛容さ、向社会的行動(地域への貢献・他者への支援行動)、多世代共創(後継世代への継承・伝統と革新)が鍵となる(JST RISTEX「持続可能な多世代共創社会のデザイン」参照)。

 

 

●「経済成長」から「心の成長」への転換期

 京都大学の広井良典教授によれば、人類は①狩猟採集社会、②農耕社会、➂産業化(工業化)という三度の拡大期・定常期を経験しており、①が始まった約5万年前には「心のビッグバン」が生じ、洞窟壁画や装飾品、工芸品などが現れ、日本では縄文土器が発明された。②が始まった紀元前5世紀前後は「枢軸時代」と呼ばれ、仏教や儒教や老荘思想、キリスト教やユダヤ教が生まれ文化的・精神的な豊かさが志向された。これからの時代は「経済成長」の時代から「心の成長」の時代への転換期である。

 2000年から2015年はミレニアム開発目標(MDGs)、2015年から2030年まではSDGs(持続可能な開発目標)を国際社会は目指してきたが、2030年以降は持続可能なウェルビーイングを目指す時代が到来するであろう。ちなみに、新型コロナウイルス感染症の対応に当たるWHOは2021年にディスカッションペーパーを発表し、「ウェルビーイングを国際アジェンダの中心概念として捉えるべきである」と主張したが、2030年から2045年の国際社会の物差しはGDPからGDW(Wはウェルビーイングの頭文字)へ、SDGsからウェルビーイングへ移行することが予想される。2045年は戦後100年、国連誕生100年という記念すべき年である。

 1990年代から台頭したポジティブ心理学の主観的ウェルビーイングとレジリエンス(回復力)の概念が注目を集め、これらが職場での成功や人生の満足度を決める鍵となるという研究成果が2000年代に入って続々と発表されるようになった。このポジティブ心理学によって裏付けられた主観的ウェルビーイングの概念が政府機関の注目を集める大きな契機になった。

 

 

●ウェルビーイング政府計画の国際的動向

 2001年から始まったアフガニスタン、イラクへのアメリカの派兵によって、紛争地域で兵士が強いストレスにさらされ、帰還兵とその家族のメンタル問題への対応が喫緊の課題となり、ポジティブ心理学を提唱したペンシルベニア大学のセリグマン教授は、2008年11月に米陸軍と共同で、同大学ポジティブ心理学センターにおいて、110万人の帰還兵とその家族を対象とした「包括的兵士フィットネス」と呼ばれるウェルビーイング及び回復力確保プログラムを開始した。

 また、オーストラリア政府はいじめ防止対策として、「国家学校安全枠組み」プログラムを策定し、2000年から「『心は大事』プログラム」、それを受け継いだ「『跳ね返る』プログラム」などのウェルビーイング及び回復力向上事業を推進してきた。

 さらに、ニュージーランド政府は2019年に世界で初めて、国民のウェルビーイングを体系立てて勘案し予算を組む「ウェルビーイング予算」を編成している。地域政府の取り組みとしては、スコットランドが2007年に開始した「国家パフォーマンス枠組み」を2018年に大幅に拡充し、主観的ウェルビーイングの関連指標を盛り込んだ。

 

 

●ウェルビーイングをめぐる国内の動向

 日本ではGDP至上主義からの脱却を目指す民主党の鳩山政権下で2010年の「新成長戦略」に、幸福度指標を作成する旨が盛り込まれたことを受けて、同年12月に「幸福度に関する研究会」が設置され、翌年12月に「同研究会報告一幸福度指標試案一」が作成された。しかし、同研究会の試案づくりの検討の最中に東日本大震災が発災し、その対応に追われ、その後の政権交代によって頓挫した。

 2018年3月に自民党「日本ウェルビーイング計画推進プロジェクトチーム」が立ち上がり、同年5月に第1次、翌年7月に第2次、2020年6月に第3次提言が出され、同年の「経済財政運営と改革の基本方針2020」に「人々の満足度(ウェルビーイング)を見える化」との文言が盛り込まれた。

 同年に同プロジェクトチームが発展解消して、自民党「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」が設置され、翌年2月4日の衆議院予算委員会で、下村博文議員の「ウェルビーイング重視の政策形成に舵を切るべきではないか」という質問に対して、菅総理が「ウェルビーイングの実現と考え方の方向性は同じ」と応じる答弁をした。

 同年3月に閣議決定された「科学技術基本計画」にウェルビーイングに関する方針が明記され、同年4月の「子供・若者育成支援推進大綱」にウェルビーイングの視点が明記された。

 

 

●自民党「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」の提言

 同年5月には「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」が次の4項目の第4次提言を発表した。

 

⑴ 各種基本計画等におけるウェルビーイングの「ものさし」設定を必須化
⑵ 関係府省の知見向上・統計の改善
⑶ 包摂的な社会の構築による人と地域のウェルビーイング向上
⑷ ウェルビーイングの考え方の万博(大阪、2025)への反映

 また同年6月には、「経済財政運営と改革の基本方針2021」に「個人と社会全体のウェルビーイングの実現を目指す」と明記され、同年7月に政府に「ウェルビーイングに関する関係府省庁連絡会議」が設置され、全省庁の計画にウェルビーイングの文言が盛り込まれた。

 さらに昨年5月に公表された同委員会の第5次提言は、「はじめに」において、「本委員会では、ウェルビーイングの推進に関して、これまで5年にわたり活動し、4回の提言を重ねてきた。その成果として2012年夏の『骨太の方針』や『成長戦略』にウェルビーイングが明記されるとともに、この1年間で産・官・学のウェルビーイングに関する取り組みは大きく広がった。・・・GDPという単一の経済指標だけに焦点を当てるのではなく、ウェルビーイングに関する多様な側面に焦点を当てるべき時代へと転換しつつある。その意味で『GDPからGDWへ』と、社会の動きを加速していくことが、今こそ求められている」と指摘し、企業・地域・子供のウェルビーイングに関する成果と課題について詳述した。

 また、ウェルビーイングに関する統計・調査、基本計画、人材育成につても詳述し、「政府への提言」として、

 

⑴ 「新しい資本主義」によるウェルビーイングと経済成長の好循環
⑵ ウェルビーイング中心のデジタル田園都市国家構想の実現
⑶ 子供のウェルビーイング向上
⑷ ウェルビーイングに関する調査・分析の充実と政策への反映
⑸ 日本主導での指標づくりなど、ウェルビーイングの国際発信(G7・万博など)

 さらに、昨年度から内閣府において子供・若者のウェルビーイングに関する調査の統合・新設を行い、⑴子供・若者の意識調査(自己肯定感、居場所と感じる場所等を調査)と、⑵引きこもりに関する調査を統合。主観・客観の両面から、ウェルビーイングの課題などを多面的に分析できるように改善し、子供・若者を取り巻く状況の変化を踏まえたテーマを毎年度設定し、ウェルビーイングの視点を踏まえた調査をタイムリーに実施し、これからこども家庭庁におけるウェルビーイング論議が本格化されることが期待される。また、昨年度から経済産業省では、企業のウェルビーイングに関する調査項目を充実化した。

 

 

●G7教育大臣会合・大阪万博で日本発SDGs・ウェルビーイングの国際発信を!

 2月末にはウェルビーイング国際学会が開催され、5月にはG7サミットの議長国として教育大臣会合でどのような国際発信をするか世界が注視している。OECDの「世界幸福度」の測定ガイドラインの見直しを側面援助し、「協調的幸福」尺度を導入し、主観的ウェルビーイングと客観的ウェルビーイングのバランス・調和を図る必要がある。

 また、来年の9月に開催される国連総会Summit of the Futureに向けた準備会合が今年9月に開催予定であり、2年後に開催予定の大阪万博においても、そうした日本的ウェルビーイングの観点を国際発信する必要がある。SDGsを日本の「常若(とこわか)」の伝統文化によって創造的に継承・再発見し、ウェルビーイングを「日本的幸福」「協調的幸福」で捉え直す国際発信こそが時代の要請である。

 麗澤大学に新たに「サステイナビリティ推進機構」が創設され、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所内でもウェルビーイング教育に関する共同研究を推進し、創立100周年記念事業に繋げる提案をさせていただいているが、SDGsとESDとウェルビーイングと道徳教育・家庭教育との関係についても研究と実践の往還を深めていきたい。

 

(令和5年1月27日)

 

※髙橋史朗教授の書籍
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」
日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質
家庭で教えること 学校で学ぶこと
親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育
続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育
絶賛発売中!

 

 

※道徳サロンでは、ご投稿を募集中! 

道徳サロンへのご投稿フォーム

Related Article

Category

  • 言論人コーナー
  • 西岡 力
  • 髙橋 史朗
  • 西 鋭夫
  • 八木 秀次
  • 山岡 鉄秀
  • 菅野 倖信
  • 水野 次郎
  • 新田 均
  • 川上 和久
  • 生き方・人間関係
  • 職場・仕事
  • 学校・学習
  • 家庭・家族
  • 自然・環境
  • エッセイ
  • 社会貢献

ページトップへ