髙橋史朗110 – 「歴史伝統に基づき未来を構想し、切り拓く力」を育てる
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●近代学校制度に対する子供たちの「異議申し立て」
明治以来のわが国の学校は、急速な近代化を国策とする政府の主導によって制度化され、西洋の近代文明に起源をもつ知識を「身につけさせる」ことによって、国家の側からは近代化に必要な人材の育成と選抜、親の側からは「末は博士か大臣か」を目指す「立身出世」のための機能を果たしてきた。
いじめや不登校、学級崩壊などの増加という今日の教育問題は、このような近代産業社会を担う予備軍養成所としての近代学校システムに対する子供たちの「異議申し立て」に他ならない。いじめについては埼玉県教育委員会委員長を務めた時期に全国に先駆けて「いじめ条例」制定に取り組み前文案まで書いたが実現しなかった。また、神奈川県学校不適応対策研究協議会の専門部会長として、『学校に行けない子供たち』を責任編集し県内の全小中学校に配布し、いじめや不登校の教員研修を長年担当してきた。
月刊誌『文藝春秋』に不登校から立ち直った実践例について詳述し、解説した論文が大きな反響を呼び、テレビでも不登校指導のポイントについてお話しさせていただいた。学級崩壊についても実態調査を踏まえて、『「学級崩壊」10の克服法』(ぶんか社)を出版した。詳しくは、いじめについての共著『いじめの根源を問う』(展転社)、『教育にとっていじめとは何か』(明治図書)、『喜びはいじめを超える』(春秋社)、並びに、拙編著『癒しの教育相談一ホリスティックな臨床教育事例集(全4巻)』(明治図書)、同『子供がいきいきするホリスティックな学校教育相談』(学事出版)を参照されたい。
戦後、わが国が高度経済成長に入る1960年代の初めまでは、日本人の多くは農漁村に住み、水稲耕作を中心とする農業的な社会の中に生きていた。三世代同居の中で子供たちは祖父母らとともに、豊かな家族関係の中で家事労働を手伝い、近隣の異年齢の遊び仲間と地域社会のお祭りや伝統行事に参加しながら育った。
黒板と教科書を用いて学年学級制のもとで一斉授業を行うという近代の学校教育は、このような伝統的な地域社会と家庭の教育力が生活経験と相補う形で一定の役割を担ってきた。明治以来、教育水準の向上という大きな成果をもたらした学校教育が、今日で制度疲労に直面し、子供たちのイキイキワクワクの阻害要因となり、平等主義、効率主義、機能主義が画一性、硬直性、閉鎖性として病理化するに至ったのは、学校教育を補う地域社会や家庭の教育力が衰弱してしまったからに他ならない。
●『失敗の本質』に学び、学校教育を根本的に見直す
日本の文化・政治の“中空構造”のマイナス面(無責任体制など)が軍部の独走を許した点を厳しく総括し、日本的な「和の精神」の功罪両面についてのホリスティックな視点に立った歴史・文化的・政治的考察が必要不可欠である。中曽根政権下の政府の教育審議会である臨時教育審議会は審議を始めるにあたって全委員が共著『失敗の本質――日本軍の組織的研究』(中公文庫)を読み、「失敗の本質」についての共通理解を土台として3年間毎週3時間の濃密な審議を積み重ねた。一人の委員の発言時間が数分間に限定された今日の教育再生実行会議や男女共同参画会議とは全く異なり、自由闊達な論議が活発に交わされた。
日本の子供たちの最大の欠点は「排他性」にある。それ故に、多様な異なる文化や価値観との接触によって、文化の「溶解」と「再発見」という過程を体験させることによって、偏見や固定観念から脱却し、「共感の土壌を築いて気配りしつつ、説得力ある自己主張のできる」「和して同ぜず」の真の「和の精神」を体現した「日本人の自覚を持った地球市民」として、人類的課題に対してリーダーシップを発揮できる。グローバルな視野と的確な時代認識力、判断力、行動力を持った子供を育てていく必要がある。
日本の近代化と矛盾するように見えて実は近代化を陰で支えてきた人間関係や生活体験を重視する伝統的な地域社会と家庭の「生命共同体」が高度経済成長とともに急速に崩壊し、高度に工業化、都市化、核家族化した新しい環境の中で戦後世代は育った。
このように学校教育を成立させてきた前提条件が大きく変質し、地域社会と家庭の教育力が大幅に衰退したにもかかわらず、学校に対する一般の見方は近代化の延長線上にあって全く変わっていない。この硬直した「学校信仰」と現状認識の甘さが「不登校」やいじめ、「学級崩壊」などの今日の教育荒廃の元凶に他ならない。
できるだけ効率的に一定の水準と量的知識と技能を伝達するために、意図的・計画的な「工学モデル」の教育観に立脚し、建物の構造まで「工場生産」をモデルとして組織されてきた近代学校制度の弊害が明白になった今日、学校、教師の役割、あり方を根本的に見直し、学校教育の転換を図る必要がある。
●近代化、民主化に代わるホリスティックな「第三の教育改革」
前述した「工学モデル」の教育観が不適切なことは言うまでもないが、教師や親の「指導」中心の旧教育からの解放を急ぐあまり、子供の人権や自由の意味をはき違え、子供の自主性や創造性の陶冶の主力が歴史的文化にあることを見失ってしまった、「誤った子供中心主義」の「開発モデル」の教育観も見直す必要がある。
学校教育を転換するためには、こうした教育行為の両極性を二者択一的に捉えるのではなく、お互いを活かし合い、補い合う相互補完関係として包括的に捉え、「工学モデル」の教育観の背景となっている機械論的自然観と「開発モデル」の教育観の背景となっている有機体論的自然観を超えるホリスティックな自然観、宇宙観に立脚することが必要不可欠である。
ノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンは、混沌あるいは無秩序から自己形成する新しい秩序を「散逸構造」と呼び、「宇宙はあらゆる形態が互いに関連して流動的に変化し続けている不可分の全体」であり、そこでは「いかなる部分も他に比べて根源的ではなく、あらゆる部分の特性は他の全ての部分の特性よって規定されている」こと、すなわち「それぞれの中にすべてがあり、すべての中にそれぞれがある」という「開放的流動的有機的な物の見方(カプラ著『タオ自然学』工作舎)に向かって急速に進んでいると指摘している。また、ケストラーは「ホロン」という概念を導入し、宇宙の万象はすべて「ホロンが層をなすマルチレベルのヒエラルキー(ピラミッド型の階層組織)だ」と表現した。
こうした現代物理学の自然観の変化、科学革命の意義は京都大学の和田修二教授が指摘しているように、可塑性や規則性を局所的に含むような、不可逆性、不確定性、複雑性の科学が可能であることを明らかにすることによって、近代科学を「包越」する新たな科学的展望を切り拓いたこと、そうすることでデカルト以来の物質と生命、身体と精神、部分と全体、偶然と必然といった近代思想の二元論と、そのいずれかにすべてを帰着させようとする還元主義的一元的な思考を超えて、これまで絶対の矛盾対立関係にあると考えられてきたものの間に、再び新たな統合の可能性をつくり出したところにあるといえる(和田修二・山崎高哉編『人間の生涯と教育の課題』昭和堂、参照)。
現代の物理学者や欧米の知識人たちは「万物は一体で相互に連関しているという根本的な合一性の自覚を本質とする東洋的な世界観」を、西洋のそれと相互補完関係にあるものとして多大な関心を持ち始めており、明治の近代化、戦後の民主化に代わる「第三の教育改革」は、わが国の歴史的文化的伝統に立脚しつつ、近代を克服する東西文化を総合するホリスティックな新たなパラダイムに基づいて行わなければならない。
●「国柱」の精神に学び、「歴史伝統に基づき未来を切り拓く力」を育てる
日本の「常若」の歴史的文化的伝統を現代に蘇生させ、SDGsやウェルビーイング等の現代的課題やグローバルな視野と展望の中で再発見・吟味することが求められている。関連性の欠落したバラバラの知識を詰め込む教科の蛸壺「授業ボックス」から脱却し、「わが国の歴史伝統に基づいて未来を構想し、世界的なリーダーシップを発揮できる力」を育てていくことが、「第三の教育改革」の最重要課題である。
上皇后陛下は平成13年、明治神宮御鎮座80周年にあたり、「外国(とつくに)の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき」と詠まれ、明治維新で西洋文明を取り入れながら、明治天皇がわが国の柱を太くするように導き守られた点に注目されたが、「歴史伝統に基づく構想力」はこの「常若」の「国柱」の精神を継承発展する中で育まれるものである。
昭和天皇は昭和21年の「新日本建設に関する詔書(「天皇の人間宣言」)」について、昭和52年8月の記者会見で、この詔書が「人間宣言」と呼ばれてきたことに対する違和感を次のように吐露された。
五箇条の御誓文には、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」「官武一途庶民に至るまで、各其志を遂げ」「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし」と書かれ、「諸事神武創業の始に原き……至当の公議を閲し」と明記した「王政復古の大号令」とも通底していた。
「新日本建設に関する詔書」の成立過程については、米オレゴン大学所蔵のウッダード文書と、学習院大学所蔵の山梨勝之進と浅野長光文書の新資料の実証的研究によってほぼ解明されたが、詳しくは拙著『WGIPと「歴史戦」』(モラロジー研究所)を参照されたい。
五箇条の御誓文と「新日本建設に関する詔書」に明記されている「公議」と民意を重視する精神こそが歴代天皇に受け継がれてきた「国柱」の精神であり、「王政復古の大号令」に明記された神武建国の精神が明治維新の原点となった。
この日本建国の精神は聖徳太子の17条憲法にも通底し、「和を以て貴しと為し」「事は独り断ずべからず」と書かれている。この日本の「国柱」となった「常若」の伝統精神をGHQは「皇道」と呼び、軍国主義と混同した神道・武士道と併せた3本柱を「日本精神」の中核と捉え、対日心理作戦・洗脳教育の攻撃目標にした。
2月11日の建国記念の日に全国で日本の建国を偲ぶ催しが開催されており、数年前に明治神宮で前述した内容について講演し、今年も2会場で同様のテーマで講演する予定である。
●「共感力」を高め、一人ひとりの「自己発見・尊重・実現」へと導く教育への転換
今日の教育再生の土台とすべきわが国の伝統精神を創造的に再発見し、一人ひとりが「各其志を遂げ」、経済成長の手段としての学校から、<いのちのつながり>の中で“他と共に生きる”「共感力」を高め、一人ひとりが生きる意味を発見し、主体的な志・夢に向かって邁進できるように導く学校教育への転換が時代の要請である。
物質的豊かさ・便利さ・快適さをどこまでも追求する「欠乏欲求」を満たす教育から、一人ひとりの「自己実現欲求」を満たす教育へと学校教育を転換していく必要がある。自分から父母、祖父母、先祖へと遡る従来の「生命に対する畏敬の念」を「生命誌」に基づく38億年の生命の誕生から捉え直し、<いのち>の深い<つながり>を深く自覚する中で、自己発見・自己尊重・自己実現・自己教育へと導く「臨床の知」「神話の知」によって<いのち>を活かすホリスティックな教育へと転換する必要がある。
日本が提唱した「持続可能な開発のための教育(ESD)」はこうしたホリスティック教育の視点に立脚している点を見落としてはならない。このホリスティック教育の原点からSDGs・ウェルビーイング教育を見直すとともに、「常若産業甲子園」のように、「常若」の伝統を「自分事」として捉え直すことによって、環境問題などの現代的課題を克服して未来を切り拓く力を育成することが求められているのである。
(令和5年1月24日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』
絶賛発売中!
※道徳サロンでは、ご投稿を募集中!