高橋 史朗

髙橋史朗104 -「ホリスティック教育宣言」から、SDGs・ウェルビーイングを捉え直せ

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●「感知融合」はホリスティックな視点

 私は長年、玉川大学大学院の修士・博士課程の学生に「臨床教育学」について講義し、玉川大学出版部から『臨床教育学と感性教育』を出版し、数年の歳月をかけて『ホーリズム』の提唱者であるJ.Cスマッツの『ホーリズムと進化』を共訳し同出版部から刊行した。私の臨床教育学説については、広島大学・武庫川女子大の新堀通也名誉教授が著書で詳しく解説していただいている。また、麗澤大学大学院では「臨床教育と道徳教育」について講義した。

 スマッツによれば、ホーリズムとは「諸全体を創出していく進化の内に働く動因であり、宇宙の根本原理」である。ホ-リズムの語源はギリシャ語の「ホロス(holos)」であり、プラトンは『饗宴』において、この「全きもの(ホロス)」への、限りない憧憬と探求こそが「愛(エロス)」である、と力説している。また、ハーバード大学のR・ウーリッヒは、「whole(全体)、hale(元気な)、healthy(健康な)、holy(聖なる)という言葉は、同一の語源に由来するということを忘れてはならない」と指摘しているが、「癒し(healing)」の語源も「ホロス」である。

 ホリスティック教育については拙著『感性を活かすホリスティック教育』(廣池学園出版部)、同編著『ホリスティックな学校教育相談』(学事出版)を参照してほしいが、「ホリスティック(holistic)」とは、「ホロス」を語源として、20世紀の20年代に創られ、その後半から辞書に掲載され始めた新しい概念である。

 麗澤大学大学院に移ってから5年間研究してきたテーマ「感知融合の道徳教育」の「感知融合」の視点は、このホリスティック教育と「情動学」からヒントを得たものである。機械論的パラダイムに基づく<近代の知>から、ホリスティックな生命論的パラダイムへの転換、因果論的要素還元主義から直観と論理的分析的知性を結び付け、知と情意を融合する「感知融合」というホリスティック(包括的)な視点への転換が求められている。

 

 

●「伝達」「交流」から「主体変容」へ

 <偏った知>が心を締め出し、知と心の間の<つながり>を見失ったことが問題なのである。それ故に、ホリスティック教育はホリスティックな人間形成を図る全人教育の視点に立って、ティーチング、コーチング、ケアリング、ヒーリングの4つの視点が必要である。

『ホリスティック・カリキュラム』を出版したジョン・ミラーは、既存の教育学説の志向性を⑴「伝達(transmission)」、⑵「交流(transaction)」、⑶「変容(transformation)」の3類型に大別したが、⑴は機械論的なスキナーの教授工学や行動療法的アプローチをする行動主義心理学、⑵はデューイやピアジェ、コールバーグの認知発達学、⑶は米教育哲学会で「実存主義と現象学」と言われるエマーソン、ハイデガー、ブーバー、キルケゴール、さらには、ユング、フレーベル、シュタイナー、マズロー(人間性心理学)、ノディングス(ケアリング教育学)など、知性、情動、身体の繋がりに注目しながら、「気づき」「覚醒」「出会い」などの非連続的な「主体変容」を人間形成のプロセスに位置付けようをする人々と分類できる。

 私はこの「主体変容」の考え方を「心のコップを上に向ける」と分かりやすくキャッチフレーズ化して「親学」と師範塾の人間力研修にも導入し、師範塾2期生の原田隆史氏を通して、大谷翔平の目標達成シートにも活かされた。教師には、知識技能の「伝達」、児童・生徒との「交流」にとどまらず、教師が自らの「心のコップを上に向け」、後ろ姿で感化する「主体変容」の「師範力」の役割を果たすことが求められている。

 ちなみに、私の卒業論文のテーマは「脱近代の一考察」で、修士論文ではボルノウと「実存主義克服」をテーマにした。人生の土台になるのは自己受容・肯定によって与えられる「安心感」(マズロー)や「信頼」(エリクソン)、「被包感」(ボルノウ)である。スマッツによれば、人格は、ホリスティックな連続的進化の中で最後に現れた最高の全体であり、物質、生命、心という構造の上に建てられた新しい構造である。

 中村桂子氏が提唱する生命誌のように、相互に影響を及ぼし合いながら絶えず変化を続ける多様なシステムの集合体を意味する「複雑系」という新たな自然観への転換、プリゴジンがノーベル化学賞を獲得した研究テーマ「生命の自律的秩序形成機能」を総体的に把握する複雑系的世界観への転換が20世紀後半から始まった歴史的潮流といえる。

 

 

●「ホリスティック教育宣言」の10原則と問題意識

 1991年8月にアメリカで発表された「ホリスティック教育宣言」の序文には、「生態系の病と教育の病、両者の病の根は同じところにある」と書かれている。日本ホリスティック教育協会編『ホリスティック教育入門』によれば、同宣言の問題意識は次のように要約できる。

⑴ 現在の環境問題を引き起こしている自然支配型の産業文明は、主観と客観とを二元論的に裁断する認識図式、要素還元主義的分析的アプローチによって理解された機械論的世界観、及びそれと結びついた目的合理性に貫かれる技術論的操作的思考に立脚している。
⑵ それと同様に、近代的教育システムが露呈している複合的な原理も、根本的にはそのような特殊近代的な知の枠組みに根差している。
⑶ 従って教育の転換を、末期症状を呈している近代文明の転換に呼応しつつ行うには、システムに対する個別的な対症療法や延命治療よりも、まず教育を理解している知の枠組みそのもの転換する根本治療法が必要である。
⑷ そのために、それへ向けて転換すべき代案を「ホリスティック」と呼びうる視点に求め、その視点から教育の意味と課題を読み取り直してみる。

 同宣言はホリスティック教育の推進組織であるGATEから『教育2000 ホリスティック・パースペクティブ』と題する冊子として刊行されたが、同宣言のホリスティックな視点とは、次の10原則である。

⑴ ホリスティック教育の基本的前提
⑵ 人間性の開発
⑶ 個性の尊重
⑷ 経験の中心的役割
⑸ 新しい教育者像
⑹ 選択の自由
⑺ 参加的民主主義への教育
⑻ 地球市民教育
⑼ 地球生命圏の教育
⑽ 精神性と教育

 

 

●「自由」「主体変容」「共感的理解を土台として批判的思考」とは?

 この中で特に注目されるのは、第一に、個性を「相互依存関係における多様性」として捉えていることである。個人の間に違いがあるから、それぞれの特性を活かし合い補い合う相互依存関係が可能になる。単相林よりも雑木林の方がはるかに安定的で環境の変化に柔軟に対応できる。違いがあることが豊かさであり、画一的で同質的な集団よりも、多様性の高い共同体の方が、長期的に見れば、安定的で創造的である。違いを共に活かし合い補い合って新しい秩序を共に創る「共創」社会を築いていくことが時代の要請である。

 第二に、まず教師の「主体変容」が求められる「新しい教育者像」については、教育者と学習者が相互に学び合い、主客が交互に交代しつつ、循環的螺旋的に学習が深まり、循環的な相互形成が営まれることを重視していることである。

 第三に、「自由」を「つながりの豊かさ」として捉えていることである。ブーバーは「強制の対極は自由ではなく、つながりである」と指摘したが、自由には、外的束縛からの解放(liberty)、内的束縛からの解放(freedom)、救い・涅槃・解脱(salvation)などが含まれている。「自由」か「放任」か、「自由」か「規律」か、「自由」か「管理」かという2項対立的な固定観念から脱却する必要がある。つながりを絶たれた状態からは、何かを自分の意志で選び取るという自由は生まれ難い。

 エーリッヒ・フロムの言う「~からの自由」にとどまらない「~への自由」という何かに向けての選択を自らの意志で行うことが大切であり、自己が自己を超えるものとのつながりを感じている時に初めて、そのつながり方を選択する意志が生まれる。

 このようなつながりの豊かさ、関係の持ち方の多様性としての、意味のある多様な選択肢が児童生徒の生きる場の中に用意されていなければならない。

 第四に、「学びの場自体が、共感的理解、自他の要求の分かち合い、正義、独自性のある批判的思考などを大切にするものでなければならない」と書かれていることである。すなわち、一言でいえば、共感的理解を土台にした批判的思考を求めている点である。

 近代が称揚してきた批判的思考力や説得的な自己主張能力の必要性を認めつつも、それ以上に、他者とのつながりの自覚、すなわち、共感的理解、傾聴力、他者の痛みを自分の痛みと感じる感受性などが重要なのである。

 

 

●文化的多様性と人類的統合性の両立――「通底する価値を探る」

 第五に、「グローバル教育は、自然と人間と文化が分かち難くつながっていて相互依存の関係にあるという、エコロジカルなアプローチに基づくものである」「様々に異なる文化や世界観と向き合っている。人間の営みの驚くべき多様性を積極的に認められるようにする教育が今こそ必要である」と書かれていることである。

「統合性」「多様性」「相互依存性」は、生態系をモデルとするエコロジカルでホリスティックな世界観の三大原理であり、文化的多様性と人類的統合性との両立が求められている。異文化理解で重要なことは、単に違いを認め合い、多様性を承認するだけでなく、違いの奥に「通底する価値を探る」ことである。

 自民族中心主義に対する文化相対主義の持つ意義は十分に尊重されるべきであるが、文化相対主義が、価値的倫理的相対主義に帰結し、文化の独自性を超える「多様性に通底する価値」を認めなければ、人類共同体の統合性のための価値規範の原理を見失うことになる。

 文化的多様性と人類的統合性を両立させるためには、自民族・自文化中心主義、文化相対主義、脱文化的なコスモポリタニズムから脱却する必要がある。

 第六に、「私たちは、地球生命圏についての基礎的理解を促す教育を求める。…この学習の中心は、生命維持の基本的システム、エネルギー循環、生命連鎖、相互依存関係、生成進化のプロセスなどの認識を得ることにある」と書かれていることである。

 また、「教育はそもそも、あらゆる形の生命体の中に流れている<いのち>への、深い畏敬の念に源を持つ営みでなければならない。…個人の幸福と地球全体の幸福が深しところで一致すること、そしてその中での各自の役割と責任の広さと深さ、これらの自覚を促す教育が求められている。教育は、グローバルでエコロジカルな見方に、しっかりと根差していなければならない」と書かれている。

 SDGsの経済圏、社会圏の土台である「生物圏」とは「地球生命圏」にほかならず、教育の究極目的であり、道徳教育の原点である「生命への畏敬の念」は、生命誌に基づく「地球生命圏」の教育によってこそ培われるものである。

 

(令和4年12月24日)

 

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