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髙橋史朗102 – 日本発「持続可能な開発のための教育」と縄文文明の持続可能性――SDGsの目標達成の鍵を握る

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

 

●廣池千九郎「天功を助く」と「天地の化育に賛ずる」という思想

 物理学に始まったパラダイムシフトの波は生物学へ、さらには心理学へと波及していった。機械論的世界観の前提となっていた物心二元論、やがて心を忘れて物を中心に描いてきた機械論的世界観、その世界は要素によって細かく分解することで客観的に真実が発見されると考えてきた要素還元主義、そのいずれもが再検討を要するものとなった。

 この物理学のパラダイムシフトに端を発した機械論的世界観から生命論的世界観への転換という新たな文明論の提唱者であるフリッチョフ・カプラは、この新たな文明はデカルトやニュートンの機械論的概念から、ホリスティックでエコロジカル(生態学的)視点への大転換をもたらしたとして、「持続可能な世界」の実現をリードすることが期待される日本の伝統文化とこの新たな世界観が「多くの点で共通」しており、「それ故日本は、今日の地球規模の問題解決のために早急に必要とされるホリスティックでエコロジカルな世界観への移行、それを促進する特別な立場に置かれた国である」と指摘している。

「ホリスティック(全包括的)」な世界観とはつながりを重視するものであり、エコロジカルな生命論的世界観とホリスティックな世界観の視点は共通している。中村桂子氏が提唱する「生命誌」の視点とも共通点があり、今日の地球環境の破壊などの人類的危機を乗り越える鍵を握るSDGs・Well-being教育に重要な示唆を与えてくれる。

「ホリスティック」という言葉は『ホーリズム』の形容詞形で、もともと東洋に根づいていた、包括的な考え方に近いものといえる。『中庸』の「天地の化育に賛ずる」という思想、鈴木大拙の「即非の論理」、西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」、『モラロジー概説』において、「天功を助く」と説いた廣池千九郎博士の道徳科学にも共通するものがある。

 J.Cスマッツが提唱したホーリズムは心理学においてはフロイト・ワトソンに次ぐ第三の「人間性心理学」を提唱したマズローに受け継がれた。この新潮流は、相互に影響を及ぼし合いながら絶えず変化を続ける多様なシステムの集合体を意味する「複雑系」という新しい自然観へと発展し、非連続的世界観を反映した機械論的世界観から、生命の「自律的秩序形成機能」を総体的に把握する連続的自然観を反映した複雑系的世界観への転換という新たな潮流をもたらした。

 この20世紀後半の歴史的潮流は非連続的世界観に立脚する西洋近代文明の限界を示しており、近代化の中で日本人が見失った伝統文化を見直すことが今後の教育の急務の課題であることを示唆している。

 

 

●日本発の「持続可能な開発のための教育」

「近代化」と「民主化」に代わる21世紀の「第三の教育改革」の最重要課題は、ノーベル化学賞を受賞したプリゴジンが発見した「自律的秩序形成機能」(これが子供の「発達力」「発達資産」に他ならない)に注目したホーリズムから感性・情緒を中核とする日本の伝統文化の価値観を捉え直し、経済の開発、社会の発展、環境の保全の持続可能な開発の土台が教育にあることを明確に指摘した「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development、略称はESD)」を推進することである。

 このESDは2002年の持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)において、我が国の提案によって世界首脳会議に「ESDの10年」に関する声明が盛り込まれ、国連は2005年からの10年間を「国連ESDの10年」として、ユネスコを主導機関に指名し、ユネスコが策定した国際実施計画が国連総会で承認され、2009年にはドイツで「ESD世界会議」が開催された。

 2012年にブラジルで「国連持続可能な開発会議」が開催され、宣言文の中に2015年以降もESDを推進することが盛り込まれた。さらに、2014年にESDに関するユネスコ世界会議が名古屋市と岡山市で開催され、日本発の「持続可能な開発のための教育」が世界に浸透した。

 

 

●「キー・コンピテンシー」の3本柱のお手本は縄文文明

 私が政府の臨時教育審議会を代表して米英仏蘭の海外視察をした折に、OECD(経済協力開発機構)の代表と学力の中核である「キー・コンピテンシー」について激論を交わしたが、OECDは「キー・コンピテンシー」について、次のように定義している。

⑴ 社会・文化的、持続的ツールを相互作用的に活用する能力
 ①言語、シンボル、テクストを活用する能力
 ②知識や情報を活用する能力
 ③テクノロジーを活用する能力

⑵ 多様な社会グループにおける人間関係形成能力
 ①円滑な人間関係を構築する能力
 ②協調する能力
 ③利害の対立を御し、解決する能力

⑶ 自律的に行動する能力
 ①大局的に行動する能力
 ②人生設計や個人の計画を作り実行する能力
 ③自らの権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力

 ESDを推進するためには、こうした「キー・コンピテンシー」すなわち、「生きる力」「人間力」を育成する必要がある。この考え方は日本の「教育振興基本計画」「学習指導要領」にも取り入れられたが、この「持続可能な開発」や「キー・コンピテンシー」のお手本が1万数千年続いた我が国の縄文文明にある。

 

 

●縄文文明が示す持続可能性の5原則とSDGsの目標との関係

 SDGsの経済圏の目標を自然との和、社会圏の目標を共同体の和を育てた縄文文明の持続可能を実現する5原則の再発見によって乗り越えていく必要がある。筑波大学講師の伊勢雅臣氏によれば、持続可能性を実現する5原則は次の通りである。

⑴ 自立性――共同体を守るための最重要課題
 共同体が経済的に自立できると、安定的な共同体の和を生み出す。

⑵ 分散性――生命圏そのものの本質への随順
 経済性を落とさずに、いかに人口分散を図るかが持続可能性の鍵を握っている。

⑶ 適応性――気候・風土・植生に適応した暮らし
 自然との和を回復するには、自然の多様性を受け入れ、各地域の気候風土に適応したライフスタイルが不可欠であり、各地方で発達した独自の食べ物や生活スタイルが、その地域の人々を結び付けて、共同体を育てる。栄養学衛生学者の島田彰夫氏によれば、伝統的な日本食は、一つの民族が何世代もかけて、どうすれば適切な栄養の摂取ができるかを追求し到達した料理の体系に基づいている。(島田彰夫『身土不二を考える――ヒトと人間の食と健康』無明舎、参照)。

⑷ 循環性――自然の季節循環に従う
 田植えや稲刈りなどの農作業は季節の循環性に基づいて行われ、縄文時代の「すべては神の分け命」という生命観が今も受け継がれ、伊勢神宮は20年ごとに建て替える循環性により、永遠のいのちを保っている。

⑸ 緩衝性――自然の変動を吸収する仕組み
 縁側は、内なる生活と外なる自然を繋ぎつつ、適度の緩衝性を保つ工夫であり、緩衝性は共同体の和とも密接に関係している。縁側は近所の人々が気軽に立ち寄って、縁側に座って世話話をするなど、共同体の和を醸成する仕掛けでもある。大雨や洪水で共同体の一部が被害を受けた時に助け合うのは、和を通じた緩衝性といえる(伊勢雅臣『この国の希望のかたち』グッドブックス、参照)

 SDGsの17の目標をバランスよく達成するためには、この5原則が必要不可欠であり、17の目標は生物圏、社会圏、経済圏の三層構造になっている。その土台である生物圏は自然との和を実現すべき対象であり、その課題は目標⑥⑬⑭⑮の4つである。

 次に、社会圏の目標①~⑤⑦⑪⑯は、共同体の和によって、その他の経済圏の目標は、分散性・自立性が後押しし、「誰一人取り残さない」というSDGsのスローガンは、国民の一人ひとりが「処を得る」という歴代天皇に受け継がれてきた「国柱の精神」によって実現される(産経新聞「解答乱麻」の拙稿連載参照)。

 

 

●中国の感性哲学から感性の意味を捉え直す

 20世紀の現代科学が辿りついた複雑系の自律的秩序形成機能を、日本人は「産霊むすび」というコンセプトとして、2千年以上も前から尊重し、それを活かそうとする「持続可能」な伝統文化を育んできた。

 中国の古典『易経』によれば、「咸」とは「感」のことであり、宇宙全体を構成する陰(女性的原理)と陽(男性的原理)の二気が相互に感じ合い、喜び合うことを表す。東洋医学の基礎にある「陰陽五行説」は、陰陽の気が凝集して物質的機能を持ったものが木火土金水の五行という基本的な物質のあり方となり、対立するエネルギーの状態の陰陽の相互作用からすべての現象を説明する。

 この相互作用を「咸」という語で表す。生物の発生は、雄と雌、男と女という対立原理の相互作用によって成立し、人間と宇宙、人間とすべての生物はこのような意味で連続している。

 このような中国の感性哲学から感性の意味を捉え直すことによって、ホーリズムやホリスティック教育と感性並びに感知融合の視点との関係について考察することも意義深いと思われる。

「色心不二」を説いた空海、「心身一如」を説いた道元は、心と身体を分離して考える弊に陥ることに警鐘を鳴らしたが、近代化によって、理性は心に、感性は身体に引き付けられて解釈され、理性と感性は対立的に捉えられ、感性は理性に従属する低次の能力と捉えられるようになってしまったのである。

 日本発の「持続可能な開発のための教育」は、縄文文明が示す「持続可能性の5原則」を土台としたホリスティック(全包括的)な教育であり、感性と理性、心と身体、教師と児童生徒、親子の繋がり、関係性を重視する教育である。

 

 

●孔子『論語』『書経』『詩経』に見る道徳と音楽の関係

「道徳教育と音楽教育との関連を図った道徳性の育成」について研究している石黒真愁子氏は、同テーマの麗澤大学大学院修士論文に続いて、「音楽科との関連を図る道徳科授業の構築――道徳的価値内容『感動、畏敬の念』を育む」「道徳性を育む詩の力――孔子の詩観を中心に」という注目すべき論文を麗澤道徳教育学会の研究誌『道徳教育学研究』第2号、第3号に連載している。

 これらの論文によれば、孔子は「詩」「禮」「楽」の三者を学問の段階と捉え、「楽」を最終段階としていた。『論語』には、「詩に興こり、禮に立ち、楽に成る」(人間は詩によって善の心が奮い立ち、礼によって安定し、音楽によって完成する)とある。この学問の出発点である「詩」という言葉の最も古い記述は最古の文献『尚書』(『書経』)に、「詩は志を言い、歌は言を永じ、聲は永きに依り、律は聲を和す。八音克く諧し、倫を相奪うこと無くんば、神人以て和せん」と書かれている。

 詩が志を表し、「律」と「聲」の調和、楽器の音の調和によって、神と人とが和合するにいたる、とあり、孔子『礼記』楽記篇にも同様の記述が見られ、「徳が性の端なり、楽は徳の華なり」(人間の美徳は本性の端緒であり、この徳の美しい表現が音楽である)と書かれている。

 また、五経の一つである『詩経』は中国最古の詩集であるが、『詩経』はもともと「詩」と呼ばれていた祭祀において神への報告や祈りとともに歌われていたものが、漢の時代に入り、儒教の五経の一つとなったものである。

 

 

●和太鼓.津軽三味線、琴などの和楽器演奏の「鼓動のリズム」と道徳教育

 中国古代において、政治と祭祀は一体のものであり、「楽」はそれを表出する媒介であった。当初の『詩経』の詩の解釈は、祈りの歌であったが、道徳規範のテキストとして移り変わり、「楽」のリズム(律)が道徳規範の規「律」へと変化していったのである。

『詩経』はほとんどが四言で構成されており、四言詩はそれ自体が「鼓動のリズム」をもち、人間の原始的で本能的な感覚、情動に働きかけるものである、以上のような点を踏まえ、和太鼓や津軽三味線、琴などの和楽器演奏の鑑賞体験などの感動体験を通して、道徳教育と音楽教育との関連を図った「感知融合の道徳教育」の理論と実践について、研究を深めたい。それは古代から今に受け継がれている「常若」文化の継承に他ならない。

 ちなみに、「小学校学習指導要領解説 音楽篇」には、次のように明記されている。

 

「第1章総則の…道徳教育の目標に基づき、道徳科などとの関連を考慮しながら、…音楽科の特質に応じて適切な指導をすること」
「(音楽科における道徳教育の指導においては、…)両者の関連を、
①音楽活動の楽しさを体験することを通して、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育むとともに、音楽に親しむ態度を養い、豊かな情操を養う。
②音楽を愛好する心情や音楽に対する感性は、美しいものや崇高なものを尊重する心につながるものである。また、音楽科の学習指導を通して培われる豊かな情操は、道徳性の基盤を養うものである。
③音楽科で取り扱う共通教材は、我が国の伝統や文化、…夢や希望をもって生きることの大切さなどを含んでおり、道徳的心情の育成に資するものである」

 

(令和4年12月15日)

 

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