髙橋史朗100 – 「持続的幸福」と「律(リズム)」の関係
――セロトニンと「幸福優位の7つの方法」
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
●重度の障害児の心身を一変させた和太鼓
第51回東久邇宮国際文化賞を受賞した和太鼓・津軽三味線二刀流演奏家木村善幸氏の受賞記念講演会・祝賀会が12月4日ホテルニューオータニで開催された。鶴の間で繰り広げられた和太鼓・津軽三味線・琴(小田安希与)の演奏は圧巻で、古くから継承されてきた「太鼓道」が木村善幸氏の率いる小学生を含む和太鼓演奏者たちに脈々と受け継がれていることを実感し身震いした。
講演者の深谷隆司元通産大臣は「武士道精神」と題して、武士道の3本柱は、正しく道理に合っている「義」と、勇猛果敢で死を恐れない「勇」と、他者に対する労りの心、惻隠の情である「仁」であると説き、実践すべき7つの徳目について解説された。
ベルギーの法学者は「日本には特別の宗教が無いのに道徳をどう授けるのか」と疑問を呈したが、儒教に裏打ちされた武士道精神が日本人の道徳のベースにあり、SDGsの社会、経済、環境の目標の土台である文化伝統の中核であり、日本型ウェルビーイングの中核といえる。
数学者の櫻井進氏の著書『雪月花の数学』によれば、日本人の脳の中核は「数のリズム」で形成されているという。リズムを意味する漢字の「律」には、音楽のリズムである「旋律」と道徳に直結する「規律」という二つの意味があることは極めて示唆的である。
●文科省「教育改革推進モデル事業」として実証された研究
『脳と障害児教育一適切な支援への模索』の編著者である府中養護学校の坂口しおり教諭は、私が主宰した感性・脳科学教育研究会において、目も手足も動かなかった重度の障害児が和太鼓が聞こえてくると目も手足も動き始めた感動的な映像を紹介してくれた。
魂を揺り動かす和太鼓の演奏を聞いて、是非全国の学校をめぐって、不安とストレスにさいなまれている子供たちに元気を与えてほしいと木村氏にお願いした。また、和太鼓という古代より受け継がれてきた日本の「常若」の伝統文化を日本発のSDGs・Well-beingの結晶として世界に発信し世界を元気にしてほしいと呼びかけた。
和太鼓などの音楽のリズム、短歌、百人一首などの言葉のリズム、幼稚園で実践されている、16ビートの音楽が流れる中で跳び箱や鉄棒、全力疾走等を行う「体育ローテーション」と呼ばれる体操のリズム運動によって、セロトニン神経が活性化され、元気になることが脳科学の研究によって実証されている。
茶道や読経、論語の素読によって「幸福脳」「道徳脳」と関係しているセロトニン神経が活性化されることも東北大学の川島隆太教授や『セロトニン欠乏脳』の著者である東邦大学の有田秀穂教授らの研究によって立証されている。12月の「脳科学などの科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」では、有田教授から「セロトニン脳を育む」というテーマで講演会を開催予定である。
熊本大学の三池輝久教授によれば、朝日を浴びてリズム運動をすれば、幸福感の源である神経伝達物質セロトニンが分泌される。和太鼓、合奏、体育ローテーションなどのリズム運動によってもセロトニンが増加することが文部科学省の「教育改革推進モデル事業」として有田秀穂先生の指導の下に「幼児のリズム運動とセロトニンの分泌について」という研究テーマで取り組まれた埼玉県飯能市の白鳥幼稚園などの教育現場で実証されている。
●セロトニンと幸福、生命誌とSDGs、常若と道徳の関係――「科学倫理学」の現代的課題
有田教授によれば、セロトニン神経が弱ると、うつ病・自殺傾向、慢性疲労症候群、自閉症などになり、三池輝久教授によれば、昼夜が逆転している神経症的登校拒否は「セロトニン欠乏症」であり、セロトニンが不足すると、向上心が低下し、勉学や仕事への意欲低下、協調性の欠如などをもたらすという。
大脳皮質連合野の前頭部に位置する前頭前野は、情動、言語、理性、意思決定、ワーキングメモリ等に関与し、道徳脳(モラルブレイン)に深く関与する「人間性知能」であるが、前頭前野の障害は情動・認知機能に影響し、「人格障害」を引き起こすことが判明している。言葉と音楽と体操のリズムはセロトニン神経を活性化して前頭前野に影響を及ぼすことも明らかになっている。
脳科学的には、幸福(Well-being)の土台はセロトニン(図参照)であり、「人間性知能」「セロトニン神経」を活性化する和太鼓は古代から現代の子供たちに脈々と受け継がれている日本型SDGs・Well-beingの中核である「常若」文化の結晶といっても決して過言ではない。
本連載96・97で詳述した日本道徳教育学会第100回大会における共同研究発表は、「生命誌」と「常若」、「幸福(Well-being)」、SDGsと道徳の関係をテーマとしたが、SDGsと生命誌、常若と生命誌、幸福(Well-being)、道徳との繋がりは次図の如くである。
伊東俊太郎東大・麗大名誉教授が『変容の時代一科学・自然・倫理・公共』(麗澤大学出版会)で指摘されたように、デカルトの「機械論的自然観」から脱却して、科学と倫理の乖離を克服し、「生命誌」に立脚した「科学倫理学」を樹立し、SDGs・Well-beingと道徳の関係を明確にし、「持続可能な社会を実現するための道徳」の現代的課題を明らかにする必要がある。
●東日本大震災後の若者の「幸福感」の変化
GDP(国内総生産)の増加に伴って不安障害、抑うつになる割合も増加し、アメリカでは50年で10倍になっており、発病年齢も30歳から15歳以下に変化している。ネガティブな感情から逃げないで真正面から向き合うWell-being教育が時代の要請といえる。
京都大学こころの未来研究センターの内田由紀子教授とノラサクンキットとの共同研究で作成された「ニート・ひきこもりリスク尺度」によれば、ニート・ひきこもりリスクには、①フリーター生活志向性、②自己効能感の低さ、➂将来の目標の不明確さの3つがあり、個人内の心の問題と社会的要因(仕事の流動性や経済的状況、「場」への復帰可能性)が相互構成的に問題を恒常化させていることが浮き彫りになった。
内閣府の20~30代の若者の幸福度調査によれば、東日本大震災後には、気分的には落ち込みが感じられるため、一時的なポジティブ感情は減少し、ネガティブ感情が上昇したが、一方で震災の経験は自らの価値観を変え、今まで当たり前に享受していた環境や他者の存在を再評価する気持ちが芽生え、その結果として幸福の判断基準が変わり、幸福感はむしろ上昇した。ただしその効果には個人差があり、被災地域に共感的な人のほうがより強くこのような傾向を示した。
また、「今回の地震を受けて、あなたの人生や幸福についての考え方は変化しましたか」という問いに対して、「大きく変化した」と「やや変化した」という回答を合わせると58%にのぼった。その変化内容については、「結びつき重視」が最も多く、正規雇用者及び学生で高く、パートタイマーや非正規雇用者では「個人的努力重視」、無職者では「虚無感」がより高い傾向にあった。
この結果から、20代、30代の若者の半数以上の人生観や価値観に変化が生じ、絆や繋がりなどの社会的な関係性および日々の日常に幸福感を感じる傾向が強まったことが明らかになった。
●「逆境が大好き」と答えたサッカーの堂安選手
私は自衛隊の幹部学校で「精神教育の要諦」という講義科目を長年担当しているが、戦闘機パイロットの訓練生は、地面に突進する恐怖の只中のネガティブな感情を正視することによって急上昇に転じるポジティブな心を学ぶ。
サッカー・ワールドカップ・カタール大会のドイツ及びスペイン戦勝利の立役者である堂安選手が「逆境が大好き」と述べたインタビューには度肝を抜かれたが、大谷翔平選手が高校1年生の時に書いた「目標達成シート」にも、目標を達成するために重視した「メンタル」として、「ピンチに強い」を挙げている。Well-being教育によってピンチを怖れず、逆境から立ち直る精神的回復力(レジリエンス)を育てる必要がある。
「持続的幸福」を実現するためには、幼児期の「非認知能力」の育成が最重要課題といえる。また、レジリエンスを築く方法は以下の如くである。
⑴ 関係性を構築する
⑵ 危機に遭遇しても、それを乗り越えられない問題とは考えない
⑶ 自分の目標に向かって進む
⑷ 変化を生活の一部として受け入れる
⑸ 断固とした行動を起こす
⑹ 自己発見の機会を求める
⑺ 自分自身についてポジティブな見方を持つようにする
⑻ 物事を正しく捉える
⑼ 希望に満ちた見通しを持ち続け、物事を楽観的に考えるようにする
⑽ 自分自身を大切にする
●ネガティブ心理学からポジティブ心理学への転換
ポジティブ心理学と脳科学の10年以上にわたる画期的な研究によって、成功と幸福の関係は、成功によって幸福になるのではなく、幸福によって成功に導かれることが明確に証明された。この事実は何千という科学的研究によって立証されている。
1998年までは鬱や精神疾患について研究するネガティブ心理学と幸福について研究するポジティブ心理学の研究の割合は、17対1であった。1998年に当時アメリカ心理学会の会長であったマーティン・セリグマンが、今こそ心理学研究の手法を転換し、人間心理のポジティブな面にもっと注目すべきだと宣言した。
「どうすると悪い状態になるか」ではなく、「どうすればうまくいくか」を研究する必要があると宣言した瞬間に「ポジティブ心理学」という新たな学問が誕生し、世界中の大学の心理学研究室で爆発的に広がったのである。
ハーバード大学でポジティブ心理学講座をタル・ペンシャハ―博士の下で担当し人気を集めたショーン・エイカーは1600人の優秀な学生に関する実証研究を行い、膨大な調査結果を分析して、具体的で、行動に移すことができ、効果が実証済みの、成功と達成に関わる、以下の7つのパターンを特定した。
●「幸福優位7つの法則」
法則⑴ ハピネス・アドバンテージ
※happiness advantage(幸福優位性)
ポジティブな脳は、平常時の脳やネガティブな脳に比べて、生物学的な優位性を持つ。この法則から、脳を再訓練して積極性を高めることで、生産性や業績を改善する方法が学べる。
法則⑵ 心のレバレッジ化
※leverage(経済活動において、他人資本を使うことで自己資本に対する利益率を高めること)
自分の置かれた状況をどのように経験するか、またその中で成功できるかどうかは、マインドセット、すなわち心の持ちようによって絶えず変化する。この法則から、幸せと成功をもたらすこの力が最大になるように心の持ちようを調整する方法が学べる。
法則⑶ テトリス効果
※Tetris(コンピューターゲームの商品名)
ストレスや悪いことや失敗ばかり注目するパターンが胸の中に出来上がってしまうと、挫折への道に自らを追い込むことになる。この法則から、脳を再訓練して肯定的なパターン(積極性)を探せば、どんな状況からもチャンスが見出せるということが学べる。
法則⑷ 再起力
挫折やストレスや困難のさなかでも、人の脳はそれに対処するための道を考え出す。
失敗や苦難から立ち直るだけでなく、その経験があったからこそ、より幸せになり、成功をつかむ道を見出せるということがこの法則から学べる。
法則⑸ ソロ・サークル
大きな試練に圧倒されると、理性が感情に乗っ取られてしまう。まず達成可能な小さなゴールに注目してコントロール感覚を取り戻し、それから徐々に範囲を広げて大きなゴールを達成する方法を、この法則から学ぶことができる。
法則⑹ 20秒ルール
人間の意志の力には限界がある。いい方向に変化してもそれを持続させることは難しい。意志の力が尽きれば、元の習慣あるいは、「最も抵抗の少ない道」にずるずると戻ってしまう。この法則から、エネルギーの調整によって、別の道を「最も抵抗の少ない道」にし、悪しき習慣を良い習慣に置き換える方法を学べる。
法則⑺ ソーシャルへの投資
試練とストレスに見舞われると、身を丸めて自分の殻の中に閉じこもってしまいがちだ。しかし、最も成功している人々ほど、友人、同僚、家族との人間関係を大事にして、それを推進力としている。この法則からは、成功と卓越をもたらす大きな因子、人のネットワークにもっと投資する必要があることを学べる。
この7つの法則を学んだハーバード大学の学生たちは、困難を乗り越え、悪しき習慣を良い習慣に変え、より効率的、生産的に勉強ができるようになったという。そして多くが、与えられたチャンスを存分に活かして目標を達成し、潜在的な可能性を発揮したのである。
人は幸せでポジティブな感情の時に成功するのである。例えば、診断を下す前にポジティブな気分になった医師は、普通の気分の医師に比べ、3倍も賢明で想像力がよく働き、19%も短い時間で正確な診断をすることができる。
楽観的な営業マンは、悲観的な営業マンに比べて56%も営業成績がいい。数学の実力テストの前に幸せな気分になった学生は、普通の気分の学生に比べてはるかに良い成績を取るという。詳しくは、ショーン・エイカー『幸福優位の7つの法則――仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論』(徳間書店)を参照されたい。
(令和4年12月7日)
※髙橋史朗教授の書籍
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