川上 和久

川上和久 – 礼の心――内面に根差したもの

川上和久

麗澤大学教授

 

 

●拡散される日本への称讃

「おもてなしの心」。2020年のオリンピック大会招致で、壇上に立った滝川クリステルさんが柱に据えたのは、「お・も・て・な・し」だった。来客に礼を尽くす日本人の心象風景を滝川さんは、

「東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語で『おもてなし』と表現します。それは訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります」

「もし皆様が東京で何かを失くしても、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました」

「東京は世界で最も安全な都市です。街中の清潔さ、そして、タクシーの運転手の親切さにおいてもです」

と、現代の国際社会の中で、日本人が、他者に対する礼儀を忘れずに持ち続けていることを強調した。

 2022年11月か開催されたサッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)。開幕戦となった、開催国のカタール対エクアドル戦の後、スタジアムに残った日本人サポーターたちが、いたる所に放置されたゴミを収集した。その動画がYouTuberによってSNSで拡散されると、世界的な話題となった。

 ナイジェリアの日刊紙『This Day』のコラムニストであるザイド・イブン・イサー氏は「我々は皆、日本人のようにあるべきだ」と銘打ったコラムを掲載し、

「サッカーを愛する世界中の人々がサムライブルーの虜になったのは、選手たちの躍動だけが理由ではない。日本人のファンは誰よりも高揚したであろう勝利のあとにも、冷静に気を配り、スタジアムの清掃を手伝っていたのだ。彼らが見せる魅力的な礼儀正しさは、世界中から計り知れないほどの尊敬を集めている」

と日本人の礼儀正しさを賞賛した。

 このような日本人の「礼儀正しさ」は、歴史的に受け継がれてきた「宝」でもある。

 新渡戸稲造は、『武士道』の第6章「礼儀」を

「外国人が、観光客としてわが国を訪れると、誰でも日本人の丁重な礼節に注目し、これが日本人の特性だと思うようである」と書き出している。

 礼儀の重要性の強調は、聖徳太子の『十七条の憲法』にすでに表れている。

 四に曰わく、群卿百寮、礼を以て本とせよ。それ民を治むるの本はかならず礼にあり、上礼なきときは下ととのわず。下礼なければ以て必ず罪あり。ここを以て、群臣礼あるときは位次乱れず、百姓礼あるときは国家自から治まる。

(政府の高官や一般の官吏たちは、礼をいつも基本としなければならない。人民をおさめる根本は、必ず礼にある。上に立っている者が礼法にかなっていないときは下の者の秩序は乱れ、下の者が礼法にかなわなければ、必ず罪を犯す者が出てくる。だから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然に治まるものだ)

 

 

●棒杭の商い――上杉鷹山の改革

 礼の重要性は、その後、新渡戸の言葉を借りれば、「他人の感情を察する同情的な思いやりが外にあらわれたもので、正当なものに対する尊敬、ひいてはひいては社会的地位に対する公正な尊敬」として武士に内面化され、武士の間だけでなく、「お天道さまが見ている」 (人が見ていなくても太陽は、お見通し。だから人がいなくてもちゃんとした振る舞いをしなさいよ、という戒め)などという形で、庶民の間にも浸透していった。

 武士の道徳が庶民に広まった典型的な例が、米沢九代目藩主である上杉鷹山の改革の成果の象徴である「棒杭の商い」だろう。

 上杉鷹山は、1751年(寛延4年)に、秋月藩の秋月種美の次男として生まれた。幼少のころから聡明の誉れ高く、上杉重定の養子となって、上杉家9代の米沢藩藩主となった。細井平洲に師事し、倹約を奨励する一方で、農村復興・殖産興業政策などにより藩財政を改革し、米沢藩の財政を立て直して1822年(文政5年)に没した。その治世の優れていることは、内村鑑三が1894年(明治27年)に英語で出版した『代表的日本人』で取り上げたことで、世界に知られるようになり、ケネディ大統領が尊敬する日本の政治家としてあげたことでも知られる。

 私の曾祖母は米沢出身だが、鷹山公の小さな像を拝み、私が麻布中学校に合格した時には、「そこは秋月藩の上屋敷があったところで、松三郎君(鷹山公の幼名)が御幼少の頃育ったところだ」と、そのことを喜んでいたのを思い出す。

 その上杉鷹山の治世で、値段を書いた棒杭を立て、脇にざるを下げておく「棒杭の商い」が行われるようになった。人々の心が荒れている頃は「棒杭の商い」そのものが成り立たなかったが、改革が進んだ米沢藩では、決められた代金がざるの中に入るようになったということだ。治世が安定し、領民も礼をもっていた好例だ。

 

 

●形式的なものにあらず

 このような日本人の「礼」を大事にする心は、明治時代にも引き継がれた。

 エドワード・シルベスター・モースは、アメリカの動物学者・考古学者であり、日本の動物学・考古学の基礎を作った研究者として知られる。彼は1977年(明治10年)、東京大学理学部動物学教授として来日し、2年間滞在して、その間大森貝塚を発見して発掘したが、日本人について、「店をあけっぱなしにしておいても何も盗まれない」「クリーニングの服のポケットにお金が入っていても、ちゃんと届けてくれる」と、その礼節を賞賛している。

 礼に始まり礼に終わる。武士道でも引き継がれ、明治以降も日本人の重要な徳として引き継がれてきた「礼の心」は、形式的なものであってはならず、新渡戸が言うように、個人の内面に根差したものであってこそ、社会に余計なコストをかけない安定につながっていく。自然の発露としての「礼の心」。新渡戸の考察を次回も引き続き見ていきたい。

 

 

参考文献 新渡戸稲造 須知徳平訳 『武士道』 講談社
     内村鑑三 鈴木範久訳 『代表的日本人』 岩波文庫
     岡野守也 『聖徳太子十七条憲法を読む』 大法輪閣

 

(令和4年12月2日)

 

 

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