髙橋史朗95 – 小林秀雄に学ぶ――歴史を「思い出し」「感ずる心」を育てる
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
昭和45年8月9日、雲仙で開催された大学生の合宿教室で、当時68歳の小林秀雄氏の講演を拝聴したことによって、歴史に開眼し、ライフワークの歴史研究へと私を誘った。九州女子大学の山田輝彦教授によれば、この講演はちょうど『本居宣長』の30章前後を書かれていた時期で、実に深い内容の講演であった。
●小林秀雄の学問論、歴史論、天皇論
この講演記録は『日本への回帰』第六集に収録されたが、講演後の学生との質疑応答は、『新潮・小林秀雄追悼記念号』に掲載された。山田教授が書かれた解説によれば、講演の柱は学問論、歴史論、天皇論の三つであった。
ある時は言葉を探すように瞑想し、一語一語嚙みしめるように語られるかと思うと、早口にたたみかけるように、「今の学問は君たちから生きた知恵を奪っています。君たちはそう感じないか」というような激語が飛び出してくる。
講演はまず、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」から始まった。日本人の桜への哀惜を枕として、話は歌の中の「大和心」に触れる。「大和心」も「大和魂」も、その出自は平安女流文学であり、男の「才」に対する、女の生活の知恵を意味した。
「日本人は大和心をなくしてしまうように学問せざるを得なかった」と小林氏は指摘する。日本の学問は、常に舶来の学問との戦いを宿命として背負っていたのであり、『古事記』もそういう文脈の中で捉えられている。
次に「歴史論」として、本居宣長が『古事記伝』完成の折に詠んだ「古事のふみをら読めば古への手ぶり言問ひ聞見る如し」の歌を引用し、「宣長の学問は古えの手ぶり口ぶりをまのあたり見聞くようになること」だと指摘。
歴史は「調べる」だけではなく、上手に「思い出す」ことだと指摘し、次のように断言する。
「歴史は決して出来事の連続ではありません。出来事を調べるのは科学です。けれども、歴史家は人間が出来事をどういう風に経験したか、その出来事にどのような意味あいを認め、どんな風に解釈したかという、人間の精神なり、思想なりを扱うのです。歴史過程はいつでも精神の過程です。だから、言葉とつながっているのです。言葉のないところに歴史はないのです」
歴史を「発展史観」で捉える時代通念に対する、目の覚めるような批判を身を乗り出すようにして語られ、大思想家と無名の大学生たちが、対等の人格として渡り合う真剣勝負が繰り広げられた。
「天皇に対して、どのように接したらよいか」という学生の質問に対して、「君はどうしてそういう抽象的な言葉を出すのか」と詰問し、政治問題としての天皇制についての、インテリ風の解釈の仕方など、「何にも興味を持たない。つまらない」と断言された。
そして、新嘗祭の儀式を、深夜賢所に入って一人で行われる陛下、篝火を焚いて外で待っている臣下、その時に出る白酒黒酒、それに鴨の雑炊の話をされ、「日本という国、あるいは天皇というものについて、非常に卑俗なところから経験するんです。僕はそういう風なものが、どうして日本の教育に入ってこないか残念に思う」と答えられた。
●早大2年生当時の私の感想文
当時早稲田大学2年生であった私は、次のような感想文を書いている。
「『現代の学問が生きた智恵を奪っている。君たちはそれを感じているか』と鋭い口調で語られた小林先生の言葉が胸に強く突き刺さった。概念をこね回す現代の知性は、人生の真実とは遠くかけ離れており、歴史を流れてきた祖先の思い、生命を自分の内に甦らせることこそ大切だということを一貫して講義していただき。最も重大で最も根本的な生き方に目覚めることができた」
「どんな理想を持てばよいか」という学生の質問に対しては、「そんなことは人に聞くことか。君の理想に火をつけるのは君自身だろ。理想は君が発明したまえ」と言下に突っぱねた。
愛児をなくした母親は、何年経っても遺品を手に取れば、在りし日の子供の顔がまざまざと甦る。遺品である歴史の諸資料を介して子供の姿が胸に色あせることなく甦る。小林はそれが歴史であって、歴史の資料を「調べて」知識として残すだけでは歴史ではない。過ぎ去った過去が、今の自分の中に生き返り、ありありと「思い出す」ことが歴史だという。
前述した合宿で同じ班になり、後に私が理事長を務めた福岡師範塾の塾長就任を依頼した、中村学園大学名誉教授で『文士小林秀雄』(致知出版)の著者である占部賢志氏が小林氏に「歴史を知ることがなぜ自己を知ることになるのか」と質問したのに対して、次のように答えられたという。
●本末転倒の学習指導要領改訂の問題点
しかし、平成20年の学習指導要領の歴史的分野の目標には、「我が国の歴史の大きな流れを世界の歴史を背景に各時代の特色を踏まえて理解させ、それを通して我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め,、国民としての自覚を育てる」と書かれていたが、平成29年の改訂によって、次のように変わった。
「我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」(目標一)
「歴史に関わる事象の意味や意義、伝統と文化の特色などを、時期や年代、推移、比較、相互の関連や現在とのつながりなどに着目して多面的・多角的に考察したり」(目標二)
「多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚・・・」(目標三)
改訂の狙いは「知識の体系であった学習指導要領を資質・能力の体系へと転換」することにあり、教育課程企画特別部会の論点整理(平成27年8月26日)によれば、「まずは学習する子供の視点に立ち、教育課程全体や各教科等の学びを通じて『何ができるようになるのか』という視点から、育成すべき資質・能力を整理する必要がある。その上で、整理された資質・能力を育成するために『何を学ぶのか』という、必要な指導内容などを検討し、その内容を『どのように学ぶのか』という、子供たちの具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある」という。
つまり、「何ができるようになるのか」(思考力・判断力・表現力等)という目標論=学力論を上位に置き、「何を学ぶのか」という教育内容論と「どのように学ぶのか」という教育方法論を、その目的実現の手段として位置づける「学力構造の転換」を図ったといえるが、歴史教育の本質論から見て問題がある。
「伝統文化の特色」「我が国の歴史に対する愛情」「国民としての自覚」という「歴史的分野の目標」がアクティブ・ラーニングや「多面的・多角的考察」の名の下に、軽視又は矮小化されてしまった。本末転倒も甚だしい。また、育成すべき資質・能力の3本柱である「学びに向かう力、人間性等」を育む「非認知的」な共感性を育む視点が欠落している。
小林秀雄は「歴史は詮索するものではない。まず共感しなければいけないものだ」と喝破したが、学習指導要領を「共感」を軽視し、「詮索」を重視する「考え、議論する」「アクティブ・ラーニング」へと転換させる改悪を行ったことが問題といえる。
「どのように学ぶのか」=「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)が重視され、各章の終わりにグループ討論・ワークや発表につなぐデジタル教科書の構成が際立っているが、江戸幕府による赤穂浪士の処罰の評価についてグループで話し合うなど、現代の価値基準で歴史を裁くことはいかがなものか。「考え、議論する道徳」の前に、「共感する」道徳教材が欠落しているのとまったく同様の問題点が歴史教科書にもあるといえる。
●歴史に「感動する心」、「胸中の温気」を育てる
小林は魂の存在、信ずるという心の働きの大切さを説いたが、民俗学の柳田國男が少年の頃に茨城県の親戚の旧家の庭の亡き祖母を祀った祠をのぞくと、祖母の形見が置かれていた。彼はくらーっとして変な気分に襲われ、立ち上がって快晴の空を仰ぐと、見えるはずのない多くの星が瞬いていた。ヒヨドリがピーっと鳴いて空を横切った。それを聞いてはっと我に返ったという。
もしヒヨドリが鳴かなかったら、自分は発狂していただろうと柳田は回想している。この不思議な碩学の体験を紹介した後、小林は学生に向かって、柳田さんはね、おばあさんの魂を見たんだ。ヒヨドリが鳴かなかったら発狂していただろうというほどの感受性があったから、あれだけの偉大な学問が出来たんだよ、と語った。
こういう体験は科学では説明できない。小林秀雄『考えるヒント3』に収録されている「美を求める心」には、「歌人は言い表し難い感動を…言葉を使って現わそうとするのです」と述べ、言葉は単なる意思伝達の手段の道具ではなく、美しい姿や形を持っていることを懇切丁寧に説明している。
すなわち言葉には姿があり、その姿に美がある。その美とはまさに「感動する心」であるという。歴史の理解の仕方には、⑴understandと⑵realizeがあるが、学習指導要領の歴史的分野の(目標一)の「諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付ける」というのは⑴であり、小林秀雄が批判している「歴史を詮索」することである。
一方、同(目標の三)の「我が国の歴史に対する愛情、国民としての自覚」は⑵、すなわち、小林が指摘する、「歴史を思い出す」こと、しみじみと実感することである。小林は知識や学問が普及すると「感じる能力」が衰弱するという。「物の性質を知ろうとする知識や学問の道は、物の姿をいわば壊す行き方をするから」だと指摘する。
高校時代の日本史の先生が「特攻隊は犬死だったんだよ」とニヤッと冷笑したことが、私の心に火をつけ占領史研究に向かわせたが、それは歴史や先人に対する温かい気持ち、すなわち小林の言う「胸中の温気」とは正反対の、「胸中の冷気」を育む歴史教育であったといえる。
●歴史を「思い出し」「感ずる」ことが大切
「画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です」「絵や音楽が解ると言うのは、絵や音楽を感ずる事です。愛することです」「感ずるということも学ばなければならないものなのです」と小林は説く。歴史教育においても歴史を「思い出し」「感ずる」ことを学ぶことが大切である。
水の性質はH²Oだと科学的知識が理解できても、水が解ったことにはならない。砂漠や奥深い山を歩いている時にカラカラに乾いた喉を潤す1杯の「おいしい水」を飲んだ時に実感し感動する心が「水がわかる」ということだ。
歴史は涙なくして読めない感動の物語の連続だと小林は言う。歴史の急所に焦点を当てて歴史を「思い出し」「感ずる」心を育てることが重要である。そのためには、まず教師や親自身が歴史を上手に「思い出し」「感ずる」ことを学び、修養を積む必要がある。
私は長年滋賀県にある重度の障害者施設を訪問して交流を深めるゼミ合宿を重ねてきたが、この施設の子と公立小学校の児童に福井達雨先生が「雪が解けたな何になる?」と質問したところ、小学生は「水になる」と答え、障害児は「春になる」と答えた。雨が降ってきた時、障害児が外に出て空に向かって「いい天気ありがとう」と叫んだという。先生が「雨が降ったら悪い天気や」と言うと、首を横に振って水不足で山も人も喜んでいるから「ありがとうや」と言ったという。朝日新聞によれば、この問いに対してある小学校では「水になる」を唯一の正解としたというが、これでは「感ずる心」は育たない。
最後に、小林の「美を求める心」の一文を引用して本稿を締めくくりたい。
(令和4年11月17日)
※髙橋史朗教授の書籍
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