高橋 史朗

髙橋史朗94 -「家族」の視点から人類史を書き換える

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

●核とは「戦争を不可能にするもの」

 フランスの歴史人口学者・家族人類学者、エマニュエル・トッド氏が国家基本問題研究所創設15周年記念講演で行った問題提起は大きな波紋を呼んだ。櫻井よしこさんが11月7日付産経新聞1面に掲載されたコラムの冒頭に紹介したのは、以下の内容であった。

「戦争が進行中の欧州から来た人間として、おこがましいかもしれませんが言わせてほしい。ウクライナ戦争で明らかになったことの一つは核兵器が安全を保障する武器だということです。日本は強い軍を持つべきですが、人口的に、(十分な)若者を投入することは難しい。ならば核武装すべきです。核武装こそ平和維持に必要だとの確信を私は深めています」

「敵基地攻撃」という表現さえ忌避する我が国への助言としては大胆であるが、ソ連崩壊をその15年前に予言したトッド氏の炯眼けいがんを無視するのは歴史の展開に目をつぶるに等しい、と櫻井さんは評している。

 トッド氏によれば、核兵器は、軍事的駆け引きから抜け出すための手段であって、核の保有は、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームの中での力の誇示でもない。むしろパワーゲームの埒外に自らを置くことを可能にするが核兵器で、核とは「戦争の終わり」で「戦争を不可能にするもの」なのだという。

 

 

●少子化は「直系家族の病」であり日本存亡の危機

 トッド氏は国・地域ごとの家族システムの違いや人口動態に注目するユニークな方法論によって、『最後の転落』で「ソ連崩壊」を、『帝国以後』で「米国発の金融危機」を、『文明の接近』で「アラブの春」を、さらにはトランプ勝利、英国のEU離脱なども次々に予言した。

『老人支配国家 日本の危機』『第三次世界大戦はもう始まっている』(文春新書)に続き、新著『我々はどこから来て、今どこにいるのか?(上下)』が先月末に文藝春秋から出版された。

 トッド氏が日本の存亡の危機であり、安全保障政策以上の最優先課題だと訴えるのが「人口減少」と「少子化」問題である。日本の「少子化」は「直系家族の病」であり、家族の過剰な重視が家族を殺す、と指摘する。

 家族にすべてを負担させようとすると、今日の日本の「非婚化」や「少子化」が示しているように、かえって家族を消滅させてしまうと警告している。そこで、家族を救うためにも、公的扶助によって家族の負担を軽減する必要があると主張する。

 日本の強みは、「直系家族」が重視する「世代間継承」「技術・資本の蓄積」「教育水準の高さ」「勤勉さ」「社会的規律」にあるが、そうした“完璧さ”は、日本の長所であるとともに短所に反転することがあり、今日の日本はまさにそうした状況にあるという訳である。

 そこでトッド氏は、上下関係が厳しいはずの会社の上司と部下が酒の席では和やかに話している「日本の5時からの民主主義」の“奔放さ”が日本の危機を打開する突破口になるという。

 礼儀正しく規律を重んじる日本人は「排外的」だと言われるが、出生率を上げ、「移民を受け入れる」寛容さ、“不完全性”や“無秩序”をある程度受け入れる必要があると強調する。

「日本人になりたい外国人」を移民として受け入れること、国が思い切って抜本的な少子化対策を講じることが最優先課題であるという。

 

 

●“ゾンビ万葉集・直系家族”という日本人の二元性

 日本人には秩序を重んじる「直系家族的価値観」と「5時からの民主主義」とトッド氏が名付けた「自然人」のおおらかさと無秩序の二元性があるが、国際日本文化研究センターの磯田道史教授によれば、後者のおおらかで無秩序な側面は、時間の観念と婚姻ルールを基準にして見るとわかりやすいという。

 時間観念でいえば、遅刻がどれだけ許されるか。これは「沖縄時間」という言葉があるように、沖縄がダントツで遅刻に寛容である。四国もややそういう傾向がある。婚姻ルールでいえば、セクシュアリティや婚前交渉、非嫡子への寛容性で見ればわかりやすい。

 一方、「親を養う」という直系家族的な考え方は根強い。また、子供ができたら結婚するという考え方が非常に強く維持されているので、芸能人でも「できちゃった婚」が多い。

 今日の日本は、最も性愛におおらかだった万葉集の時代や文化に近い“ゾンビ万葉集”の可能性もあると磯田教授は分析するが、盆暮れの帰省ラッシュには「直系家族的価値観」が根強いことを物語っている。

 トッド氏によれば、核家族システムのフランスでは、「親を養う」という意識は希薄であるという。婚外子の存在も普通で、一人親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も高い。

 トッド氏が今日の日本で「直系家族的価値観」を実感したのが、2016年10月12日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電となった。その時都内のホテルに滞在していたトッド氏は、非難する宿泊者たちの規律正しい姿に驚嘆したという。

「家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない」「“ゾンビ直系家族”と言っていい」とトッド氏は指摘している(「日本の人口減少は『直系家族病』だ」『文藝春秋』平成28年12月号)。

 日本の家族システムには移民受け入れを阻害している要因が存在する。それは秩序を守ろとする”完璧さ“である。日本はもう少し社会に移民のような無秩序な要素を受け入れる寛容さが必要である、とトッド氏は強調する。

 今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立を妨げ、少子化を招いている。家族のことを家族に任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきである。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題、少子化対策だというのがトッド氏の結論である。

 

 

●家族システムの起源――家族史の定説を覆す家族類型

 トッド氏は『家族システムの起源(上下)』(藤原書店)において、従来の家族史の定説を覆す見方を提示し、家族というものを、親子関係、兄弟姉妹関係、内婚制(いとこ婚を許容)が外婚制かという基準で分類し、以下の5つの家族類型に整理した。家族史は、核家族から直系家族、外婚制共同体家族へ移り、そして内婚制共同体家族へと展開してきたという。

⑴ 絶対核家族一英米
 子供は早くから親元を離れ、結婚すると独立した所帯を持つ。遺産相続は親の意思による遺言で決定されることが多い
⑵ 平等主義核家族一フランス北部、スペイン、イタリア北西部
 相続においては子供たちの間で平等に、男女差別なく遺産を分け合う
⑶ 直系家族一ドイツ、日本、フランス南西部、ノルウェー、韓国
 通常は長子が跡取りとなり、結婚後も父の家に住んで、全てを相続する。親子関係は権威主義的で、兄弟間は不平等である
⑷(いとこ婚を認める)内婚制共同体家族一アラブ地域、トルコ、イラン
「共同体家族」は、男の子供が全員、結婚後も親の家に住み続ける家族形態であり、父親の下に兄弟の家族もみな同居するため、家族が一つの巨大な「共同体」となる。相続平等であるが、親子関係は権威主義的である。兄弟の子供同士が結婚することを要請し、兄弟間の情愛の強さと持続性を表す。アラブ家族の最も基本的な絆である
⑸(いとこ婚を認めない)外婚制共同体家族一中国、ロシア、北インド、フィンランド、ブルガリア、イタリア中部
 家父長制家族で、兄弟は対等で男性性優位の一般原則を確立

 これらの内、最も新しいのはユーラシア大陸の中央部の広大なエリアに分布している「共同体家族」で、反対に、最も近代的に見える「核家族」こそ、実は「最も原始的」であるという。中国語を研究しているローラン・サガールによれば、「中心地で生まれた新たな語形が周辺へ伝搬する結果、古い語形ほど外に、新しい語形ほど内に分布する」というのは言語学の常識だという。

 これがヒントになって、人類史全体にわたって実証的に検証した結果、共同体家族がユーラシア大陸の中心にあり、核家族が周縁にあるなら、それは核家族が最も古く、共同体家族が最も新しいに違いない、と示唆してくれたという訳である。

 

 

●中絶論争と学歴との相関関係

 女性の地位という視点から見ると、核家族の双系制的な在り方よりも、父系的な直系家族では地位が下がり。父を頂点として兄弟たちが同じ屋根の下で暮らす共同体家族では、さらに女性の地位は低下する。一人っ子政策下の中国での男女比率の著しい歪みも、その端的な表れである。つまり、ユーラシア大陸の大部分で数世紀にわたって進行してきたのは、女性の地位の低下に他ならない。

 トッド氏によれば、女性の解放は人類普遍の趨勢のように見えるが、実はそうではない。女性の解放は人類の未開状態の先鋭化に過ぎず、ほとんどの父系制社会(日本、ドイツ、中国など)で、人口領域における重大な逆機能を誘発しているという。

 中国、インド、ベトナムなどユーラシア大陸の中央部では、女性のステータスを下げることを進歩と見做し、新生児の内の女子の割合が低下している。出生前に子の性別を探知する現代技術が、女性胎児の選別的堕胎のために用いられているからである。

 高等教育の普及によって生じた新たな階層化と米国社会の分断、対立の深刻化がトランプ登場の背景にあり、女性の人工妊娠中絶権をめぐる激しい論争と学歴との相関関係について、「高等教育修了者の割合」と「中絶反対」の間の関関係は、マイナス0.77という驚くべき数値が出たとトッド氏は述べている。

 これほど高い相関関数はめったにお目にかかれるものではない。教育格差による社会の分断がいかに激しいかを物語っている。中絶賛成の「高学歴の州」と中絶反対の「低学歴の州」にはっきり二分されているというのである。

 そして、注目すべきは共和党寄りの「低学歴の州」よりも、民主党寄りの「高学歴の州」の方が、内部で階層化と分断がより深刻化していることである。高学歴エリートの「左派」が「体制順応派」となり、分断に拍車がかかっているのである。

 トッド氏は、英国のEU離脱、米国のトランプ政権誕生のように、「起源が野蛮な」「民主主義」の失地回復は、学歴社会から取り残された「右派」において生じている、と分析している。

「多様性全体主義」という価値観を押し付ける「文化戦争」によって、米国内の分断、対立が深刻化しているが、違いを認め合い、補い合うことによって共存、共生、共創を目指す「和して同ぜず」の和の精神こそが分断、対立を克服し止揚するものである。

 

 

●「心の国際化」の課題と実現しなかった「国際学校」構想

 トッド氏は、経済を優先して「人口」を犠牲にし、少子化を放置して移民も拒む日本は、国力の維持をあきらめ、「世界から引きこもろうとしている」と批判しているが、少子化対策を根本的に見直すとともに、「日本の5時からの民主主義」を再評価し、「日本人になりたい外国人を移民として受け入れる」政策についても議論を尽くす必要があるのではないか。

 外国人労働者の問題については保守陣営に根強い反対論があるが、平成5年の筑波大学の小論文問題に採用された拙著『悩める子供たちをどう救うか』(PHP研究所)の「心の国際化」に関する論文を是非参照してほしい。その要点を抜粋したい。

 日本人は欧米を「教師」と考えて「学習」に出かけ、「劣等感」を抱いたのに対して、朝鮮や韓国、中国など東南アジアやアフリカの人々に対しては居丈高になり、軽蔑や差別的な態度をとり、「優越感」を抱く傾向があった。今日求められている日本の「国際化」についての発想の“コペルニクス的転換”が必要である。「人の交流」の飛躍的増大は時代の流れであり、それに伴い「文化摩擦」が生じることは避けがたい。「文化摩擦」を「創造的な病(creative illness)」として積極的に捉え、これを日本民族、日本社会を活性化するエネルギーに変えていく気力と生き方を身につける必要がある。世界の真の平和と繁栄は、一国が自らの価値観に閉じこもらず、自らとは異なる国家・民族・文化の価値の多様性を理解し、それらをお互いに尊重し合う対話の努力の積み重ねの結果、調和的、平和的な共存が可能になる。とりわけアジアの近隣諸国に対して、相手の立場に立って考えることが今日の日本人には求められているといえる。21世紀からの私たちの子孫たちが立派に外国人とつきあえるようになるための土台作りを、今私たちの世代が「繋ぎ目の世代」として担っているのだという覚悟が必要である。

 最後に、中曾根政権下の臨時教育審議会は日本人・外国人・帰国子女が一緒に学ぶ「国際学校」創設を提言し、その構想を具体化するために、文科省「国際学校研究委員会」が設置され、私を含む6人の委員が国内外の国際学校を3年間視察して、画期的な報告書を提出したが、縦割り行政の壁を打破する抜本的な内容であったため、日の目を見なかったことは残念至極である。

 

(令和4年11月9日)

 

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