髙橋史朗92 – 宗像国際環境会議と「常若産業甲子園」に学ぶ
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授
麗澤大学 特別教授
10月26日から3日間、宗像大社で開催された第9回宗像国際環境会議に参加した。日本書紀には、天照大神の御子神としてお生まれになった宗像三女神が「道主貴」、すなわち国民のあらゆる道をお導きになる最も尊い神として崇敬を受けたことが記されている。
「貴(むち)」とは、最も高貴な神に贈られる尊称で、宗像三女神以外には、伊勢神宮の天照大神、出雲大社の大国主命のみであり、いかに篤い崇敬を受けられていたかがうかがえる。宗像三女神を高天原から地上の筑紫の国にお降ろしになった時に授けられたのが、次の神勅である。
――「天孫を助け奉りて、天孫に祭かれよ」
「筑紫の国に降り、沖津宮・中津宮・辺津宮に鎮まりなさい。そして歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」と示され、皇室の御繁栄を祈ることが、国民の繫栄に通ずる道であることを明示されたのである。このように天照大神がご祭神に神勅を授けられたという例は他にはない。大和朝廷から手厚い祭りが執り行われ、平成29年には有史以来、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぐことになった。
宗像ではこの日を永遠に語り継いでいくため、毎年、森里川海が豊かになることを願う「豊穣祭」を執り行い、その後、両陛下御臨席の下で開催された第37回全国豊かな海づくり大会で整備された鐘崎漁港で稚魚の放流を行っている。
●葦津宮司との深い縁
宗像大社の葦津敬之宮司とは深い縁があり、私が30歳の時にアメリカの大学院に留学し、在米占領文書の研究に没頭していた折に、なかなかGHQの神道指令草案を発見できなかったので、アドバイスを求めて一時帰国して面会したのが宮司と親戚関係の葦津珍彦氏(神社本庁の設立に尽力し「神社新報社」の経営者、主筆として活躍した神道界の代表的な論客)で、オレゴン大学所蔵のウッダード文書の「天皇の人間宣言」関連文書や神道指令草案の発見、同草案を起草したバンス宗教課長へのインタビューなどに関する貴重な示唆をいただいた。
帰国後、神道宗教学会で無名の私が「神道指令の成立過程」について発表した際に、最も高く評価していただき、内外に広めていただいた。この葦津珍彦氏との出会いがなければ、これらの重要文書の発見は実現しなかった。
また、平成10年に赤坂プリンスホテルで開催された全国氏子青年協議会創立35周年記念式典で,寛仁親王殿下が産経新聞の「教育再興」欄に掲載された拙稿「宗教と伝統文化」において、次のように指摘したことを紹介された神社新報の記事を送って下さったのが葦津宮司であった。
<明星大学の高橋史朗氏は、「神社の社は『いやしろ』といい、癒しの原点。神聖な場であると同時に心身ともに他と和合する場、いのちをよみがえらせる場、健やかに元気に生きる場である」と。そして、「境内で耳を澄ますと、谷を走る水音が響き、木々を鳴らす水音が続き、木々を鳴らす風の音が聞こえる。『日本人の心の故郷』がそこにある」と結ばれていました。鎮守の森の重要性を見事に言い表している文章と思いました>
●一流講師陣の心に残った話
宗像国際環境会議は実に多彩なプログラムで構成され、9つのセッションと4つの育成プログラム、2つの分科会、フィールドワーク、交流会、世界遺産登録5周年ファッションショー、宗像大社参拝施設見学、豊穣祭、稚魚放流行事が行われた。
9つのセッションのテーマは次の通りで、全セッションにおいて、発表者とコメンテーターが3名ずつ、活発な論議を展開した。また、ファッションショーには、「常若社会」「世界遺産と環境問題」をテーマとするトークセッションも含まれていた。
⑴ 世界遺産と環境問題
⑵ 海の変化と再生への取り組み
⑶ 環境問題の現状と課題
⑷ 海水温度の上昇と異常気象
⑸ 最新技術と環境問題
⑹ 経済と循環型社会
⑺ 自然との関わり方
⑻ 資本主義と環境問題
⑼ 生命の源泉
講師は、黒田玲子東大名誉教授、森勇介大阪大学教授、安宅和人慶応義塾大学教授、清野聡子九州大学大学院准教授などの研究者をはじめ、NHKエンタープライズプロデューサー、九州朝日放送解説委員長、気象予報士(石原良純)、環境省元事務次官、経済産業大臣政務秘書官、内閣府知的財産戦略推進元事務局長、宮大工など実に多彩な一流講師陣が勢揃いした。黒田玲子氏の研究は中村桂子氏の生命誌研究とも関係が深い。
特に印象的だったのは、LEDを発見し、ノーベル物理学賞を受賞した天野浩名大教授は3年間の実験で1,500回失敗した、研究の99%は運、山や森には所有者がいるが、海は誰のものでもないので、誰も声を上げない、人間だけなぜ掃除をするのか?そのヒントは庭にあり、気持ちがいいのは心が掃除されるから、GDPからGDW(国民総幸福量)への転換、「レジリエンス(精神的回復力)」が重要、宮大工の棟梁・西岡常一の直弟子・小川三夫が学んだものは、木を活かす技は教えることはできない、「旧8月の闇夜に切る」「手の記憶」によって継承される、自然の摂理に基づいて社会システムを変えていく必要がある、などの指摘である。ちなみに、「無駄の持つ意味」について西岡常一は『木のいのち木のこころ』において、次のように述べている。
<塔や堂の垂木は20%ほどの無駄を後ろに残してありますのや。……学校の教育には、法隆寺や薬師寺の垂木の奥にある無駄なようなものはありませんな。大工の修行に近道はないんです。体が時間をかけて覚えこむんですな。時間をかけて覚えたことは忘れませんわ。こうした一見無駄なように思えることが大事なんですな。人間も木と同じですわ>
●「常若産業甲子園」の育成プログラム
議論は多岐にわたったが、育成プログラム3の岸本吉生氏(ものづくり生命機構常任理事)の「常若産業甲子園」に関する話が最も興味深かった。まず全国の子供たちが「常若」を自分事と捉えて自分の志や夢を語り、地域で出会った大人たちの思い、知恵、経験を受け継ぐ45分のドキュメンタリー映画が放映された。
常若産業甲子園は、世代を超えて「常若」を受け継ぐ武者修行で、まず400字で以下の4項目について文章を作成してもらう。
⑴ 人生の目的
⑵ 人生の目的と紐付いた「ありたい自分」
⑶ 卒業式当日にそうありたい自分
⑷ そうありたい自分になるために励むこと
「人生の目的」はどうやったら見つかりますか?という質問をする若者がいるが、「人生の目的」と「人生の目標」は違う。何のために生きるのかというのが「人生の目的」であり、そのために何を目指すのかというのが「人生の目標」である。人生の目的と紐付いた「ありたい自分」を見つめさせることによって、夢や理想の源泉である自らのいのちの叫び、内発的な「願い」=「内部理想」に気づかせることによって、「常若」を自分事として捉えることができるようになる。
内発的な「願い」に立脚した「人生の目的」に向かって、卒業式当日にそうありたい自分の目標を立て、その目標に向かって今何を成すべきかを考えさせるのである。このように「人生の目的」と「人生の目標」について考えさせた上で、次に「なりたい自分とありたい自分」について考えさせ、そうありたいけれどもそうなれるとは限らない状況を見つめさせ、生きる喜びを感じる「仕事」と金儲けのためにやる「稼ぎ」との違いについて考えさせる。生きる喜びを感じるのはどんな時かについて考えさせ、それは誰かに役立ち他者に貢献する人生であることに気づかせる。
「常若」の希望の星がある人生は、困っている人のために働き、森と川と里と海を「常若」にする社会課題を自分事として解決し、世の中の役に立つ喜びを味わうことをライフワークにするような生き方を「常若産業甲子園」は目指している。
自らが置かれた場所で与えられた命を大切にして仕事のミッションを全うするためには、自立と独立、奉仕・社会貢献、起業家精神、家庭と仕事の両立、安全・安定、チャレンジや、マーケティング力、メディア運用力、プロジェクト遂行力、お金を集め使う力、などの専門能力が求められる。
FIDS(FeelFind,Imagine,Do,Share)によって、仲間を巻き込み、夢をかなえる。自分にも他人にも希望があり、他人の希望を聞いて助けることが大切である。私は道徳教育にどう活かすかという視点から、この「育成プログラム」に注目し、環境問題と道徳教育との接点について考えた。
麗澤大学で開催された地球システム倫理学会で、服部英二先生が”sustainability”を「常若の世」と訳されたことが、「常若」の視点で環境問題を考える契機となった。
●縦糸と横糸の折り合いの付け方――「通底する価値」
宗像国際環境会議で最も心に残ったのは、ユネスコは「気候変動は科学、倫理、社会、教育、文化の交差点」と捉え、教育を最重要視し、無形文化遺産ともいうべき「教育」を通して気候変動にアプローチしており、伝統文化という“縦糸”を外してはならないが、「多様性」尊重などの”横糸への配慮“との「折り合いの付け方」が大切だという指摘であった。
例えば日本の国会や地方議会などには、一人でも反対者がいれば折り合いがつくまで多数決はとらないという慣習が今でも残っている。服部英二先生やモラロジー研究所の先覚者、研究者たちがリードした「多様性に通底する価値を探る」という視点も優れた「折り合いの付け方」といえよう。
2002年に開催されたモラロジー研究所創立75周年記念事業として開催されたモラルサイエンス国際会議「グローバル時代のコモンモラリティ―の探求」と、2005年のユネスコ創立60周年記念国際シンポ「文化の多様性と通底の価値」で、「異なる文明に通底する価値」を見出すことの必要性が強調され、廣池千九郎学祖の「三方よしの原理」も紹介された。
「通底する価値」とは一体何か。文化や価値観の多様性を認める「寛容さ」にとどまらず、「対話」を通して、共有可能な新たな価値を探求し、「折り合い」を付けて、違いを活かし合い、補い合い、高め合うという「共生、共活、共創」という考え方が含まれている。歴史教育や性教育にも同様の視点が必要不可欠と言える。
「普遍的価値」ではなく「通底する価値」という表現にしたのは、道徳教育を進める上でも極めて示唆的である。同シンポの「最終公式声明」では、「和して同ぜず」の和の精神は「調和することを意味」し、「対話とは変容」であり、「対話のための理想的な場としての『道』」の文化の意義が確認された点に注目する必要がある。
また、2007年のユネスコ国際会議で提起された「伝統と近代の融合」「伝統文化の創造的継承」という視点は、縦軸の「常若」(志・道の継承)と横軸の多様性に配慮しつつ、「和を成して、幸せを感じる」well-beingにいかにつなぐか、という道徳教育の今日的課題と直結している。
●「道徳的実践意欲と態度」に橋渡しする試み
アドラーは幸福の3条件として、自己受容、他者信頼、他者への貢献を挙げており、セリグマンのwell-being理論と比べると、ポジティブな自己肯定感・人間関係が共通しており、これらが「持続的幸福」につながるといえる。
道徳性の3本柱である「道徳的判断力」は「認知的共感」、「道徳的心情」は「情動的共感」にほぼ一致するといえるが、「道徳的実践意欲と態度」に橋渡しする実践の一つとして、「常若」を自分事として捉える「常若産業甲子園」の試みは極めて示唆的である。
「常若」を内なる「願い」として「志を立て、道を求め、和を成して、幸せを感じる」”常若・志道和幸”教育として、主体性を重視する観点から、”SDGs・well-being“を捉え直し、新たな日本発の感知融合の道徳教育として展開する理論と実践の試案を日本道徳教育学会第100回大会の特別企画「ラウンドテーブル」で共同研究発表する予定である。
SDGsには哲学が足りないから神道の鎮守の森の「常若」思想の導入を国連事務総長から要請されたことを踏まえて、日本発の独自の国際的発信を積極的に行っていく必要があろう。気候変動への対処を倫理・教育の視点からアプローチしていくことも重要課題といえよう。
(令和4年11月2日)
※髙橋史朗教授の書籍
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