高橋 史朗

髙橋史朗91 -「包括的性教育」推進提言を検討し、日本型性教育の構築を目指す

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所 教授

麗澤大学 特別教授

 

●日本財団「包括的性教育の推進」提言の問題点

 日本財団の「性と妊娠にまつわる有識者会議」が8月に公表した「包括的性教育の推進に関する提言書」の問題点について考察したい。

 第一の問題点は、性教育の「歯止め規定」の運用上のバージョンとされている学習指導要領の「歯止め措置」と「歯止め規定」の「撤廃・見直し」を、それらが学習指導要領に盛り込まれた経緯、とりわけ中教審の専門部会の3年間の審議内容を十分に踏まえないで提言していることである。

 第二の問題点は、朝日新聞が10月9日付け1面トップ記事で詳しく報道したアメリカの性教育をめぐる親と学校の深刻な対立の背景にある「包括的性教育」誕生の歴史的経緯と「包括的性教育」の本質的問題点についての考察が欠落していることである。

 第三の問題点は、「道徳教育との峻別」「人権教育としての性教育」を中核とした「性教育の手引き」の必要性を強調していることである。

 第四の問題点は、「包括的性教育の実施で、性的行動は慎重になる」と断じているが、これを否定する研究もあることを踏まえていないことである。

 第五の問題点は、「リプロダクティブ・ライツ」をめぐる論争を踏まえていないことである。

 第六の問題点は、国際的なスタンダードを根拠に日本の学習指導要領を批判し、5~8歳の段階で「性と生殖に関する健康」「家族の様々な形」「ジェンダーの理解」について教え、「ジェンダーとセックスの意味を明らかにし、それらがどのように異なるかを説明する」などと述べていることである。

 

 

●中教審専門部会の合意事項一4点の「歯止め規定」への留意を求めた「歯止め措置」

 具体的に説明しよう。まず第一の性教育の「歯止め規定」の運用上のバージョンとされている学習指導要領の「歯止め措置」とは、⑴児童生徒の発達段階を考慮すること、⑵学校全体で共通理解を図ること、⑶保護者や地域の理解を得ること、⑷集団指導と個別指導の内容の区別を明確にすること、の4点の「歯止め規定」に留意することを求めた措置である。

 文科省によれば、この性教育の「歯止め規定」が学習指導要領に初めて記載されたのは、1998年の改定時であるが、中央教育審議会「健やかな体を育む教育の在り方に関する専門部会」が3年間にわたって議論を積み重ねた結果、次のような意見の一致を見た。

 

⑴ 学校における性教育として求められる内容は何かということについて共通理解を図って議論すべきである
⑵ 学校における性教育については、子供たちは社会的責任を十分にはとれない存在であり、性感染症を防ぐという観点からも、子供たちの性行為については適切でないという基本的スタンスに立って、指導内容を検討していくべきである
⑶ 性教育を行う場合に、人間関係についての理解やコミュニケーション能力を前提とすべきであり、その理解の上に性教育が行われるべきものであって、安易に具体的な避妊方法の指導などに走るべきではない
⑷ 心身の機能の発達に関する理解や性感性症等の予防の知識などの科学的知識を理解させること、理性により行動を制御する力を養うことなどが重要である。
⑸ 性教育においては、集団で一律に指導する内容と、個々の児童生徒の抱える問題に応じて個別に指導する内容の区別を明確にして実施すべきであり、学習指導要領に関する検討に当たっては、特に集団指導の内容について議論すべきである(傍線筆者、以下同様)。

 この4点の「歯止め規定」に留意することを求めた「歯止め措置」は、3年間17回に及ぶ中教審の専門部会の審議を経て合意に至ったものであり、この歴史的経緯と論議を踏まえずに、とりわけ傍線部分について明確な反論根拠を明示しないで、「歯止め規定」「歯止め措置」の「撤廃・見直し」を提言しているのは、審議会軽視も甚だしい。

 

 

●道徳を全面否定する「包括的性教育」

 第二の「包括的性教育」誕生の歴史的経緯と本質的な問題点については、月刊『正論』3月号(「社会的混乱を狙う『グローバル性革命』」)と本連載50の拙稿を参照されたい。「包括的性教育」推進の中心になっている「急進的性教育」団体を筆者が批判した際に、6か月に及ぶ自宅への無言電話と出版社への異常な攻撃が続いた事実が、この「本質的問題点」を浮き彫りにした。「包括的性教育」に潜む建前と本音のギャップを見抜かねばならない。

 第三の問題点は、道徳教育や性道徳を全面的に否定する「包括的性教育」は真に「包括的」なものではなく、教育界を大混乱に陥れるイデオロギー的に偏向した思想に基づくものである。

「包括的性教育」は、あらゆる事象にジェンダーの視点を取り入れる「ジェンダー主流化」のイデオロギーが、「新たな衣を着て、歪曲された自由、寛容、正義、平等、差別禁止、多様性という名の殻をかぶって再登場している」ものに他ならず、男女の性別というジェンダーの階層秩序を破壊し、「性規範の解体」によって社会構造を解体し、規範としての異性愛の消滅を目指す「文化マルクス主義」「マルクス主義フェミニズム」などの過激なイデオロギーに立脚している。詳しくは、ガブリエラ・クビー著『グローバル性革命一自由という名における自由の破壊一』を参照されたい。

「包括的性教育」を行ったイギリスでは、2010年に制定された差別禁止法に沿って、新しい性教育指針書がつくられ、同性愛、同性婚とトランスジェンダーが正常であり、性別を自由に選択して決定できる「性的自己決定権」が子供にあることを教育するように義務付けたところ、精神的・肉体的混乱が広がった。2009年に性転換手術を受けた18歳以下は77人でしたが、2019年には2590人に急増した。

 

 

●注目されるアメリカの「性的自己抑制教育」の効果

 第四の問題点は、「包括的性教育の実施で、性行動は慎重になる」と断じているが、10代のセックスを遅らせる「性的自己抑制教育」の方が性行動の抑制に効果的であることも明らかになっている。

 ユニセフでエイズ問題を担当したジョー・フォビン氏は、「十代にとってはセックスを遅らせることがベストだ、と思わせることが大切だ」と指摘し、共和党政権下で厚生省十代妊娠対策室長を務め、全米の総括的なコーディネーター役を務めたパトリシア・ファンダー女史は、次のように証言している。

「私がアメリカの厚生省で妊娠対策を担当していた時に、十代の節制のアプローチがどのような効果を上げたかをこの目で見てきました。私たちは十代がセックスをする時期をできるだけ遅らせる努力をしています。…日本についていえば、家庭を中心にしてセックスを遅らせるように指導するのがいいのではないかと思います。学校ではコンドームを奨励したり配布したりすべきではないでしょう」

 また、「ニューヨーク・タイムス」が取り上げたアトランタ市のグレイディー病院とエモリ―大学が開発した「性交渉先延ばし(postponing sexual involvement)」プログラムや、エイズが爆発的に広がっているニューヨークの公立学校で広く採用されている「ベース・グラント・プログラム」や「プロジェクト・ブリッジ」などの「性的自己抑制」プログラムが効果的であることが実証されている。

 サンフランシスコでは、コンドームを無料配布し、避妊方法を徹底的に教えたが、性行為の時に常にコンドームを使用したのは、男性の8%、女性の2%に過ぎなかった。また、全米の14種類の非指示的な性教育プログラムについて調査した結果、いずれも性行動を減少させる効果はなく、避妊を基本とした「包括的性教育」を実施した学校区と実施しなかった学校区を比較したところ、前者の学校区では十代妊娠が平均17.3%増加したのに対して、実施しなかった学校区では逆に妊娠が平均15.8%減少した。

 ちなみに、米政府当局及び疾病管理センターが作成した「エイズ予防ガイド」では、「どうすればエイズの感染を防げるか?」という質問に対して、「性交渉を持つのを遅らせてください。性交渉を持ってはいけません。節制こそ唯一の確実な予防法です」と明記している。

 前回の拙稿連載で紹介したように、ペンシルバニア大学のジョン・ジェモット教授の比較研究やヘリテージ財団のシャンナン・マーティンが指摘した「包括的性教育」カリキュラムの問題点についての分析も共通している点に注目する必要がある。

「包括的性教育」に反対しているLewisやKnijnは、「包括的性教育こそが10代の性交渉の増加や性感染症感染率の増加を引き起こしている原因である」と批判し、「包括的性教育」をめぐる親と学校の深刻な対立論争に一石を投じている。

 

 

●「性と生殖の健康と権利」の新たな定義

 第五の「リプロダクティブ・ライツ」をめぐる論争については、拙稿「『こども家庭庁』
『こども基本法』問題についての一考察」(『歴史認識問題研究』第10号所収論文、令和4年)に詳述しているので、参照してほしい。

 2006年に「包括的性教育」を提唱した国際家族計画連盟の目的は、「性と生殖に関する健康と権利(SRHR)」を擁護し、そのために必要なサービスを提供することにあった。同連盟が2018年5月に発表した報告書によれば、SRHRの定義は「人権に基づく包括的性教育」や「ジェンダー平等」の視点を基軸としてて次のように新しく定義されている。

「自分の身体に関する決断を自ら下す権利を持ち、その権利を実現するために必要なサービスを受ける権利がある」「性的な行動をとるかとらないか、とるなら、その時期を自分で決められること」「自分の性的志向、ジェンダー自認、性表現を含めたセクシュアリティについて自由に定義できること」「自由に性のパートナーを選べること」「性体験が安全で楽しめるものであること」「いつ、誰と、結婚するか、それとも結婚しないかを選べること」「子供を持つかどうか、持つとしたらいつ、どのように、何人の子供を持つかを選べること」

 

 

●科学的知見に基づく「日本型性教育」の構築

「包括的性教育」と「中絶サービス」はこの「性と生殖の健康」に関する必須事業パッケージとして位置づけられているが、昭和29年に設立された日本家族計画協会も、運動目標として、「全国どこでも、誰でも、リプロダクティブ・ヘルスのサービスが受けられる社会の実現」を掲げ、「包括的性教育」を推進する性教育団体の設立資金を援助し、性教育指導用のコンドームを無料で提供している事実が、「包括的性教育」と「家族計画」のサービス提供とが直結していることを如実に示している。

 最後に、同提言は5~8歳の発達段階についての国際的スタンダードの重要性を強調しているが、朝日新聞報道のように、フロリダ州が小学3年生までは教室で性的志向と性自認を教えることを禁じた「ゲイと言ってはいけない」法が成立するなど、大きな混乱が生じている現実を直視する必要があろう。

 昨年、文科省が公表した「令和の日本型学校教育の構築を目指して」(答申)のように、性教育についても「日本型学校教育の構築」を目指す必要がある。「性と生殖の健康」についても、日本発の心身の健康・ウェルビーイング教育の新たな視点から根本的に問い直し、「包括的性教育」が真に「包括的」の名に値する成熟した内実となるように叡智を結集する必要があろう。

 同有識者会議の尾木直樹委員は、「歯止め規定」には「一部保守系議員らの政治的思想(「純潔教育」「自己抑制教育」)が色濃く反映」しており、性教育の「寝た子を起こす」論には「科学的根拠は一切ない」から、教職課程で「包括的性教育」を必修化すべきだと主張しているが、「寝た子を起こす」論や「自己抑制教育」の背景には、本稿で述べたような「包括的性教育」をめぐる欧米の混乱や対立があり、節制アプローチの効果を実証する研究も存在するのである。

 アメリカでは「節制」を強調しているが、ポジティブ心理学や幸福学の科学的知見から「自己尊重・自己統御・自己教育力」を育まなければ、“お説教”の「節制教育」だけでは子供たちの性行動を変えることは困難であろう。

 WGIP陰謀説を唱えていた人々が、家庭教育や性教育「政策を転換するチャンス」だと明言して、何でも旧統一教会の「陰謀」に結びつける姿は滑稽ですらある。WGIP論を批判する賀茂道子氏の近著について有馬哲夫早大教授が痛烈な本質的批判をしているが、詳しくは、『歴史認識問題研究』第11号の書評を参照されたい。

 

(令和4年10月17日)

 

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