川上 和久

川上和久 – 武士が持つべき徳目――「仁」

川上和久

麗澤大学教授

 

 

●孔子の定義した「仁」

  今回は、新渡戸稲造の『武士道』第5章の「仁・惻隠の心」について、「武士の仁」とは何か、考察していきたい。

「仁」は、中国の倫理思想において、非常に重要な概念とされてきた。孔子も、仁を最高の道徳であり、日常生活に遠いものではないが、容易に到達できないものであるとしている。
「仁」は、どのように定義されるだろうか。
 孔子は、弟子に対して、さまざまな答えで「仁」を定義している。

 弟子の燓遅はんちに対しては、
「樊遅、仁を問う。子の曰く、居処は恭に、事を執りて敬に、人に交わりて忠なること、夷狄いてきくと雖ども、棄つべからざるなり」
(樊遅が仁について質問した。先生がおっしゃった。家にいるときはうやうやしく、仕事をするときは一心に怠らず、また慎重に取り組み、人との交わりは真心を持って。こういうとは、たとえ野蛮人の国のような文化の低い所に行ったとしても、棄ててはならない。)
と答えている。

 一方、弟子の顔淵がんえんに対しては
「顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんやと。顔淵曰く、請う其の目を問わんと。子曰く、礼に非ざれば視ること勿かれ。礼に非ざれば聴くこと勿かれ。礼に非ざれば言ふこと勿かれ。礼に非ざれば動くこと勿かれと」
(顔淵が仁について質問した。先生がおっしゃった。自分に打ち勝って礼に立ち返ろうとすることが仁である。一日自分に打ち勝って礼に立ち返ることをすれば、世の中はその人の人徳に帰伏するであろう。仁を実践することは自分の振る舞いによるのであって、どうして他人に頼るものであろうか、いやそうではないと。顔淵は言った。仁を実践するための要点をぜひお尋ねしたいですと。先生がおっしゃった。礼にかなっていなければみてはいけない。礼にかなっていなければ聴いてはならない。礼にかなっていなければ言ってはいけない。礼にかなっていなければ〈その〉行動をしてはいけないと)
とやりとりしている。

 また、弟子の仲弓ちゅうきゅうに対しては、
「仲弓、仁を問う。子曰く、門を出ては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承えまつるが如くす。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し。仲弓曰わく、雍、不敏なりと雖も、請う、斯の語を事とせん」
(仲弓が仁について質問した。先生がおっしゃった。家から外に出て人とお付き合いをするときには、大切な賓客と接するように敬意を表しなさい。人を使うときには、大切な祭を執り行なうような気持ちで臨みなさい。そして、自分が嫌なことは人にしてはいけない。これが仁というものだ。こうすれば邦にあっても、家にあっても、人に怨まれることもないと。これに対して、仲弓は、私のような出来ない人間でも先生の言うことを実行していきますと答えた)
とやりとりしている。
「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」は、孔子の言葉の中でも名言の一つに数えられている。

 

 

●人と刃を交えるがゆえに

 新渡戸は、「孔子も孟子も、人を治める者の最高の必要条件は、仁にある、と繰り返している」と、仁の必要性を述べている。
 武士は、戦いに臨み、場合によっては人と刃を交えて死に至らしめる存在であることは疑いようがない。その武士が、人を愛する心、人に同情する気持ちを兼ね備えることの必要性を強調するのは、分かりにくい部分があるかもしれない。しかし、新渡戸は、専制政治が「武断政治」であるとして否定的に捉えるのに対し、「父権政治」という言葉を用いているが、「臣民は天よりゆだねられた子であり、主君はその父である」という表現で、仁が主君である武士が持つべき徳目である。
 一方で、武士における仁の「矛盾」にも言及する。

「仁は、やさしくなごやかな徳である。たとえていえば母の心である。誠実なる義と、厳格なる正義が男性的であるとすれば、仁愛は女性的なやさしさと説得力をもつ。しかしながら仁愛を行うのに、正義と義をもってしなければ、みだりに愛に溺れることがあるので、これはいましめなければならない」
と述べている。

 仁と義の兼ね合いの難しさを、伊達政宗の
「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」
という格言も引用して述べている。

 その兼ね合いの中で、「仁」は重要な徳目となる。「仁」が単独で武士の徳目になるわけではなさそうだ。
 新渡戸はこうも言っている。
「最も剛毅なる者は最もやさしくなごやかで、最も愛のある者は最も勇敢である」
「武士の場合においては、(中略)その心には正義を忘れない仁愛があり、それはまた衝動的な発現ではなく、その背後に、相手に対する生殺与奪の権力を有した愛なのである」

 武士における「仁」は、孔子や孟子が言うような、根本的な倫理観としての他者に対する思いやりや慈しみの感情であることに違いはないものの、武士としての強靭な正義の心に裏付けられた「仁」なのである、という条件を付けることで、武士の仁を説明したのである。
 新渡戸が第4章に「義」を、そしてその後の第5章に「仁」を配したのは、「義に裏付けられた仁」を、欧米の人たちにより理解してもらうための工夫だったのかもしれない。

参考文献
  新渡戸稲造 須知徳平訳 『武士道』 講談社
  孔子 齋藤孝訳 『現代語訳 論語』 ちくま新書
  孔子 金谷治訳注 『論語』 岩波文庫

 

(令和4年10月13日)

 

 

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