高橋 史朗

髙橋史朗87 – 子供との「心のキャッチボール」―― 何が子供を変えるのか

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団 特任教授

麗澤大学 特別教授

 

●行動療法の達人・金澤純三氏に学ぶ

 平成元年より全国の教育現場の行脚を始め、不登校児や高校中退者を集めた高校やフリースクール、教護院や少年院などを視察して、問題行動から立ち直った教育について研究する「臨床教育学」の理論と実践の研究に打ち込んできた。

 そのキッカケになったのは、同年3月の読売テレビの深夜の討論番組(2年間司会を務めた)「今、学校が危ない!」であった。平成2年に神奈川県教育委員会の学校不適応対策研究協議会の専門部会長に任じられ、不登校についての父母向けのハンドブックの責任編集をしたことも、学校に適応できない子供たちに対する先駆的な教育実践研究へと向かわせる契機となった。

 不登校から立ち直った優れた実践校として注目されるのは、全国に先駆けて神経症的登校拒否生徒のための全寮制高校として平成元年に開校した生野学園高校と平成6年に開校した兵庫県立神出学園であるが、私がテレビの不登校の特集番組で解説し、月刊誌『文藝春秋』に掲載された私の論文で紹介した金澤純三氏の行動療法は大きな反響を呼んだ。

 埼玉県狭山市で開善塾教育相談研究所を開いている金澤所長は、私がこれまで全国行脚をして出会った実践家の中で最も傑出した「子供との心のキャッチボール」の達人といえる。金澤所長は学校や家庭を訪問する独自の方法で多くの不登校児を学校に復帰させてきた。

 教育相談には様々な技法があるが、金澤所長は行動療法によって学校へ行く気を起こさせ、約3週間で学校に復帰させるプロであった。金澤所長から直接伺ったいくつかの事例に基づいて、その具体的方法を次に紹介しよう。

「神経質を治すには、まず形から入ることが大切だ」と金澤氏は言う。例えば、子供に「ちょっと家の周りを回ってこい」というと、優しいお母さんがすかさず口をはさんで、「先生、ちょっと待ってください。この子はね、心が治っていないんですから、心が治ってからやってください」などという。

 これに対して、金澤氏は次のように言う。「それは違う。家の周りを回るのは足があればいいんだから、心は関係ない。とにかく回ってこい」。すると、お母さんが「いや、先生、この子は勇気がありませんからそんなことできませんよ」と言う。

「勇気なんかいらん、とにかく回ってこい。回って帰ってきたら、その時にできているのが勇気だ」というわけである。これが形から入る「行動療法」の一例である。

 ある晩、猛烈な家庭内暴力をふるっている不登校児の親から金澤氏に電話がかかった。金澤氏はすぐに車で直行し、暴れている子供と一緒になって、「おもしれーな」などと言いながら、「一緒に暴れてあげた」という。

 しばらくすると、暴れている子供が「ちょっと待ってくれ。あんた誰?」と聞いた。「あんまり君が楽しそうにやっているんで、つい一緒にやっちゃったんだよなぁ」という調子で「心のキャッチボール」を始め、自分の車に乗せて外出し、わざと道を間違えて遠くへ行き、その子に一生懸命道路地図で道を探させ、道を教えてもらいながら、少しずつ心を開かせていった。

 他人の家で家庭内暴力をふるっている子供と一緒に暴れるなどという大胆なことを平気でやってのけるところにこの人の非凡さがあるが、これも金澤氏一流の「行動療法の一例」と言えよう。

 

 

●「心のキャッチボール」の実例

 金澤氏の「心のキャッチボール」の仕方は、凡人の常識的な発想とは全く逆になっている。その逆の発想が子供の心を開き、リラックスさせている点が見事である。子供の心理を深く理解すれば、それが正当な指導法であることがよくわかる。

 一例を挙げると、7か月近くコタツにしがみついて全然動けない不登校児がいた。「ご飯はどうしてるの」とお母さんに尋ねると。「わからない」という。「食べてるの」と聞くと、「多分食べている」というあやふやな答えをする。

 家のすぐ隣りが精神病院なので、注射をして病院へ連れて行っても、すぐに逃げ帰ってしまうという。そこで、金澤氏はその子に「動くな。もっと体を堅くしろ。駄目だ、もっともっと堅くしなさい」と言って、しばらくしてから、「ハイ、もういいよ」というと、その子は安心してコタツを握りしめていた手を離した。

 子供との見事な「心のキャッチボール」である。凡庸な親や教育者は何とかコタツから手を離させようと説教するか、強引に手を離させようとする。しかし、そうすればそうするほど、子供はますます緊張し、心の扉をますます固く閉ざしてしまうだけである。金澤氏の指導法は体を堅くさせた後に、一気に心をリラックスさせる「ツボ」を心得た指導法といえる。

 コタツから離れた子供に金澤氏が「どこが痛い?」と聞くと、「おなか」と答えたという。この息子の言葉をほぼ1年ぶりに耳にしたお母さんが、金澤氏との約束を破って、「今なんて言ったの⁈」と言って、おろおろしながら部屋に入ってきてしまったので、「君は2階へ上がってなさい」と言って、その子供を2階の子供部屋に7か月ぶりに戻らせた。

 すると、すかさずお母さんが2階に上がり、しばらくして降りてきた。「お母さん、今何してきた?」と聞くと、「いや、テレビをつけ、電気をつけてきただけです」という。「なぜそんなことするのか」と問い詰めると、「暗いし、テレビをつけないと、なんか暇だと思うから」と答える。

「お母さん、そういうことは自分でやらした方がいいんですよ」というと、「わかりました」と言って、また2階へ上がっていったので、「お母さん、今なんて言ってきました?」と聞くと、「先生、大丈夫です。テレビを見たかったらつけなさいね。暗くなったら電気付けるんですよ、とちゃんと言ってきましたから」と言うのである。

 このお母さんは、自分で何でもしてやることによって、子供の自主性を踏みにじっていることに全然気づいていないのである。こういうお母さんに限って、「私はこんなに子供のことを思っているのに、どうして……」と言い、自分自身の言動に問題があることにあまりも鈍感なのである。

 

 

●荒れた高校の講演で生徒は何を感じたのか

 平成16年に大麻吸引で4人が逮捕され、8人が補導され、新聞でも大々的に報道された埼玉県立高校の全校生徒に対して講演を依頼されたことがあった。1学年200人定員の過半数が退学処分(3年生)という全国でも珍しい荒れた高校であった。

 会場となった体育館で講演前の司会者の「礼!」の号令に従う生徒はほとんどいなかった。これまで荒れた学校の全校生徒に講演する機会は何度もあったが、初めて目にする“ただならぬ“冷ややかな光景であった。これは真剣勝負を挑まねば大変なことになる、と瞬間的に思った。

 壇上のマイクを取り外し、初めて演壇から降りて生徒のほうに歩み寄り、生徒の目の前に立って、最初に「自分が好きですか?」という問いを投げかけて挙手を求めたが、9割近い生徒は黙殺し、完全な空振りで体育館全体に白けムードが広がった。まずい。今までで経験したことのない大ピンチである。

 これは心の琴線に触れる話をするしかないと思い、自殺した子供たちの詩や作文、障害児や筋ジストロフィー症の中学生の詩や全国の教育現場で高校中退、不登校、非行などから見事に立ち直った実例を中心に、心を込めて心を尽くして熱い心を伝えた。その思いが通じたのか、5分ほどで私語はぴたりと止み、斜めを向いて私を正視していなかった生徒たちが次々とこちらを向き始め、当初の冷ややかな雰囲気は一変し、生徒たちは静かに熱心に話に聞き入り、次のような感想文を寄せてくれた。紙面の都合でごく一部を引用したい。

○今まで講演会なんてだるいと思っていたのですが、今日もそんな気持ちで体育館へ行きました。でも、先生の講演を聞いているうちに、自然と聞き入っていたことに気づきました。自分でも不思議でしたが、先生のお話に胸を打たれたところがあったんだと思いました。お話はとても新鮮で、大変心に響きました。今日の先生の講演を聞いて、これからの高校生活を続けるための自信と活力が湧いてきました。
○僕は今まで生きてきて、感動したことはありませんでしたが、今回の話を聞いて感動することのすばらしさを知りました。自分の人生に役立てたいと思います。
〇第一印象で、ただものではないと思いました。とても堂々としていて、自分たちに親身に問いかけてくれました。本当に真剣に自分たちに話してくれているのだなぁーと思い、とても嬉しかったです。これからも体に気を付けて頑張ってください。心から応援します。
○「困難を乗り越えた人は人に優しくできる」という言葉を聞き、妙に納得したと同時にすごく印象に残りました。
〇高橋先生の話は奥が深くて、1時間があっという間に過ぎていました。中でも心に残った言葉は、「努力を続ける人に幸運は来る」という言葉です。
〇とても共感できることが多く、生きることの大切さ、死ぬことの意味を実感した。
〇「反抗したくて反抗している子供はいない」という言葉を聞いて、とてもすごい人だと思いました。
〇話の広さがすごいと思った。どの話も自分の心に響いてくるようで不思議な感じがした。
〇今日の話は死ぬまで私の心に残るでしょう。
〇今日一番印象的だったのが、「難が有るから有難い」です。困難があるから、有難うと言える。私は、その言葉を心に残しておきたい。
〇痛みやつらさがわかるから人に対して優しくなれると言っていたことが強く頭に残った。確かにそうだって納得することが多かった
〇今日は私達のタメに話をしてくれました。真剣な話でした。とてもいい話で、心がほっとしました。是非またお話を聞きたいと思いました。
〇生きるってすばらしいということが心に伝わってきました。何事も前向きに行こうと思いました。
〇「ダメだ」とか思わないで、プラス思考で生きていくことが大切だと思った。
〇一つ一つの話が印象的で心に深く入りました。
〇この話が聞けたことで、新たに道が開けそうです。
〇すごく感動した。すごく熱心に話してくれてうれしかった。
〇この話を聞いて、生きることの大切さを知った。
〇自分が「今何をしたいか?」ということを考えさせられた。これからの僕の目標は「今を生きる」に決定だ。
〇私は1学期に不登校をしていましたが、生きることを考える時間になりました。これだと思った生き方を自分なりに努力してみようと思いました。
〇人間はすごいと思いました。
〇生徒の事をよく考えていて、すごくいい先生だと思った。
〇自分に誇りを持ち、自尊心を忘れずに今を大切に精一杯生きていきたい。
〇自分の考えが変わったような気がしました。
〇話を聞けて本当にうれしく思いました。自分の人生の一日一日を大切に精一杯生きていきたいと思いました。
〇命を大切にしていきます。

 この講演会を行った年の12月に私は埼玉県教育委員に任命されたが、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長という経歴が問題視され、日教組などが全国的な反対運動を展開し、北教組からも抗議のファックスが知事室に送られてきたと上田知事から伺った。県庁内でハンガーストライキまで行われたので、私は知事に日教組を中心とする反対陣営の代表と県庁内で「公開討論」を開催したいと申し入れたが、事務局が反対して実現しなかった。

 日教組は、私が「子供の人権を尊重しない」と批判していたので、公開討論をしてどちらが子供の意見を尊重しているか、子供の意見を聞こうではないかと提案したが、残念ながら実現しなかった。しかし、後日、私の講演を聞いた高校生の生の声が知事室に届いていたことを知らされた。

 

(令和4年10月1日)

 

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