高橋 史朗

髙橋史朗84 – 包括的な体験型「命の授業」のモデルをいかに構築するか

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授

麗澤大学 客員教授

 

●スマッツが提唱した「ホーリズム」が思想的原点

 ノーベル化学賞を受賞したプリゴジンという物理学者は、混沌あるいは無秩序から自己形成する新しい秩序を「散逸構造」と呼び、「宇宙はあらゆる形態が互いに関連して流動的に変化し続けている不可分の全体」であることを明らかにした。

 F・カプラは『新ターニングポイント』において、物理学のパラダイムシフトに端を発した根源的変革の潮流について次のように述べている。

「物理学の新しい概念はわれわれ物理学者の世界観に、デカルトやニュートンの機械論的概念から、ホリスティック(包括的)でエコロジカル(生態学的)な視点へと、大きな変化をもたらした」

 J.Cスマッツが提唱したホーリズムは、植物の種子は単なるアトムではなく、それ自体の中に小さな宇宙を含む全体であるという概念で、生命体の各部分はその部分の中に全体意志が貫かれており、全体は部分の総和よりも存在価値があるとみる。

 ホーリズムは究極的、合成的、組織的、規則的で秩序のある宇宙の活動であり、その活動は組織的集団と、そこにある統合体、原子と物理化学構造から、細胞と有機体、動物の精神を経て、人間の人格性に到達し、ホリスティックな宇宙までを説明するものであった。それはシステム論として受け継がれる一方、北米においてベイトソン、ケストラー、ヤンツやマズロー等によって受け継がれ具体的に展開されていった。

 医学の分野においても肉体の病患部に薬を投与して、外部手術によって病気を機械の故障と同じように治そうと考えた西洋医学の限界を打ち破ろうとする「ホリスティック医学」の運動が1970年代後半から台頭し、1980年代後半から「ホリスティック教育」の新たな潮流へと発展した。

 

 

●20世紀後半の歴史的潮流――複雑系的世界観への転換

 カプラが示した現代物理学の新しい世界観とホリスティックな世界観には相通じるものがあり、これらの「対話」、つまり比較、検証、相互作用を試みることによって、現代の社会や教育の諸課題を解く鍵を獲得していく必要があろう。

 この新潮流は、相互に影響を及ぼし合いながら絶えず変化を続ける多様なシステムの集合体を意味する「複雑系」という新しい自然観へと発展し、非連続的世界観を反映した機械論的世界観から、部分と部分、部分と全体の包括的な関係性に注目して、生命の自律的秩序形成機能を総体的に把握する連続的自然観を反映した複雑系的世界観への転換の新たな潮流をもたらした。

 この20世紀後半の歴史的潮流は非連続的世界観に立脚する西洋近代文明の限界を示しており、近代化の中で日本人が見失った感性文化を見直すことが21世紀の教育の重要課題であることを示唆している。

「近代化」と「民主化」に代わる21世紀の「第3の教育改革」は、自律的秩序形成機能に注目した複雑系的世界観、ホーリズムから感性、情動を中核とする日本文化の価値を創造的に再発見、再評価することによって、日本人としてのアイデンティティーを再確認する必要がある。

 20世紀の現代科学が辿りついた複雑系の自律的秩序形成機能を日本人は「産霊(むすび)」というコンセプトとして二千年以上も前から尊重し、それを活かそうとする文化を育んできた。

 

 

●「天地の化育に賛ずる」(『中庸』)と「天功を助く」(廣池千九郎)

 中国の古典『易経』によれば、「咸」とは「感」のことであり、宇宙全体を構成する陰(女性的原理)と陽(男性的原理)の二気が相互に感じ合い、喜び合うことを表す。陰陽の二気は宇宙の根源であることを、『易』は「天地が感して万物が化生する」と表現しており、二つのものが感じ合うことを「感応」や「交感」という。

 東洋医学の基礎にある「陰陽五行説」は、陰陽の気が凝集して物質的機能を持ったものが木火土金水の五行という基本的な物質の在り方となり、対立するエネルギーの状態の陰陽の相互作用からすべての現象を説明する。

 この相互作用を「感」という語で表す。生物の発生は、雄と雌、男と女という対立原理の相互作用によって成立し、人間と宇宙、人間と全ての生物はこのような意味で連続している。

 このような中国の感性哲学から感性の意味を捉え直すことによって、ホーリズムやホリスティック教育と感性の関係について考察することも意義深いと思われる。中国の古典『中庸』に書かれている「天地の化育に賛ずる」という思想は、『モラロジー概説』において、「天功を助く」と説いた廣池千九郎の教えと相通じるものがある。

 こうした中国の感性哲学者たちの思想は日本の近代化に伴う西洋思想(心と身体の関係を分離できるとする思想)の流入によって全く排除されてしまい、封建思想として葬り去られてしまった。

「色心不二」を説いた空海、「心身一如」を説いた道元は、心と身体を分離して考える弊に陥ることに警鐘を鳴らしたが、近代化によって、理性は心に、感性は身体に引き付けられて解釈され、理性と感性は対立的に捉えられ、感性は理性に従属する低次の能力と捉えられるようになってしまったのである。

 

 

●感知融合の「命の授業」の重要課題

 近年の「情動学」研究によって、感性と理性を表裏一体のものとして捉え、「感知融合」という新たな視点から道徳教育の在り方について考える研究も始まっている。本連載でしばしば取り上げてきた中村桂子氏の「生命誌」を活用した授業、本連載61で取り上げた「胎児人形の抱っこ体験から『いのちの重さ』を実感させる授業」もその一つである。

 全国の150校で8,500人の中学生に10体の胎児人形の抱っこ体験を通して「いのちの重さ」を伝える授業を実践してきた上智大学の光武智美助教は7月12日、千代田区との連携事業の一環として、神田一中学校で「命の授業」と題した授業を行い、8月8日に開催された日本感性教育学会で研究成果について講演した。

 光武智美助教は平成28年にA中学校1年生160名に行った「人の誕生を題材とした体験型『いのち』の授業」で生徒は、【いのちの大切さ】【自尊感情】【感謝】などを学んでおり、自分たちのいのちについて考える貴重な機会となった。

 また、翌年にも同様の教材を用いたプログラムで授業を行い、授業後の生徒の感想から生徒の学びを整理・カテゴリー化し、それぞれのカテゴリー間の関係について考察した。

 その結果、【胎児の存在の思考】と【生まれるまでの理解】の情報が刺激となり、【育ててくれる人の思いの理解】につながったという。【育ててくれる人の思いの理解】が原動力になって【命の再考】が起こり、【今を生きる大切さの実感】に繋がっていった。【今を生きる大切さの実感】が、さらに【これからの生き方の思考】へと発展した、と光武助教は分析している。

 

 

●感知融合の道徳教育のモデル一体験型「命の授業」

 実際は目に見えず、手に触れることのできない胎児を自分の成長過程と照らし合わせて体験し、命の大切さについて、「重さ、大きさ」の視覚的認知という運動感覚情報で認識することが、自分たちの命について考える契機となった。抱っこ体験には、感動したり、驚いたりしながら、「なぜ、どうして」などと、思考を働かせ、考えを深めていくという教育的意義があることがわかっている。

 私が研究している「感知融合の道徳教育の理論と実践」の視点から考察すると、この胎児人形の抱っこ体験を核とした「人の誕生を題材とした体験型『いのち』の授業」において、「考え、議論する道徳」「主体的対話的で深い学び」という観点から、道徳性の3本柱である「道徳的心情」「道徳的判断力」「道徳的実践意欲と態度」をいかに構造化するかが重要であると思われる。

 胎児人形の抱っこ体験を通して「情動的共感(道徳的心情)」と「認知的共感(道徳的判断力)」「道徳的実践意欲と態度」をいかに深め高めていくかが問われている。私の「感知融合の道徳教育」論は「感じる」「気づく」「見つめる」「深める」「対話する」「協働し働きかける」の7段階であるが、この過程と「考え、議論する道徳」「主体的対話的で深い学び」をいかにつないで構造化、体系化を図るかが今後の課題といえよう。

 光武智美助教に麗澤中学校でもこの「人の誕生を題材とした体験型『いのち』の授業」を実践していただき、「感知融合の道徳教育の理論と実践」の往還を図るモデル構築を推進していきたい。中村桂子氏の「生命誌」を活用した体験型道徳教育としての「命」の授業の実践化も含めて、創立百周年にその成果を世に問えるように万全の準備を整えていきたい。

 

(令和4年9月20日)

 

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