髙橋史朗82 – SDGs・ウェルビーイング理論を問い直す
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授
麗澤大学 客員教授
●SDGsの「開発(development)」の意味を問い直せ
効率性・利便性・均一性を重視する機械論的世界観に立脚して一律的な「開発(development)」を目指してきた西欧型の「自立型社会」から、複雑系の自律的秩序形成機能を活かす日本型の「自律型社会」への転換が求められている。神道の中で受け継がれてきた「産霊(むすひ・むすび)」が自律的秩序形成機能に他ならない。産霊は自然界が秩序を産む霊妙な働きを意味している。ノーベル化学賞を受賞したイリヤ・プリゴジンが「散逸構造論」において指摘した「自律的秩序形成機能」を活かそうとする伝統を二千年以上前から大切にしてきた日本文化の伝統は、人と自然との関係を大切にする日本人の感性によって育まれたものである(スマッツ著・髙橋共訳『ホーリズムと進化』玉川大学出版部、の私のあとがき参照)。
この視点からSDGsの「開発(development)」の意味を根本的に問い直す必要がある。中村桂子氏によれば、「進化(evolution)」は多様な内発的展開を意味するが、「開発」は一律的になっている点に問題がある。生きものの発生(development)という言葉が示す世界観そのものを見直す必要がある。機械論的世界観に基づく「進歩」は利便性・効率性・均一性を重視するが、その限界と「継続性」の重要性に気づいたからSDGsが提唱されるに至った。
「持続可能な(sustainable)」という言葉は継続性を重視するが、その後に「開発(development)」という一律的な言葉を続けて「目標(goal)」にした点を見直す必要がある。
中村桂子氏によれば、「グローバル」という言葉も本来は地球の各地域の多様な価値観を尊重するものであるが、今日では一律的な特定の価値観を意味するようになってしまった。「ポスト・コロナ」という言葉の世界観も、コロナと戦って勝ち、コロナと関係のない社会をイメージしているが、コロナと共存する中で賢く生きる生き方や社会を目指す必要があるのではないか。「脱炭素」ということが示す世界観にも同様の問題点がある。炭素化合物は生き物の根幹であり、炭素を上手に循環させる社会を目指す必要がある。
21世紀の現代科学が辿りついた複雑系の自律的秩序形成機能を日本の伝統文化は2千年以上前から尊重し、全体との調和の中で「和を成して」多様性を活かし、違いに学び、違いを活かし合い、補い合う「共活」、そして自他の利害の単なる調整を超えて自他がつながり合い、支え合って、相互補完性を重視した新しい秩序を共につくっていく「共創」社会を目指してきたのである。こうした文明論的視点から日本文化を創造的に再発見し、SDGsを日本発の「常若・志道和幸」の視点から捉え直す必要がある。
●「道徳的実践意欲と態度」につなぐキ―ワードは「願力」
私が4年間研究テーマにしている「感知融合の道徳教育の理論と実践」は、道徳教育(道徳性)の3本柱である「道徳的心情」「道徳的判断力」「道徳的実践意欲と態度」の関係性を科学的に解明して、構造化、体系化を図ることを目指している。これまでの研究によって、「道徳的心情」は「情動的共感(ミラーニューロン)」、「道徳的判断力」は「認知的共感(メンタライジング)」に近いことが、脳科学、脳神経倫理学、道徳心理学などの視点から明らかになっている。
この二つと「道徳的実践意欲と態度」との関係を解明することが今後の課題といえるが、8月27日に開催された「脳科学などの科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」で講演していただいた「情動学」研究の第一人者である東京大学大学院教授で同大学院発達保育実践政策学センター長の遠藤利彦氏が『「情の理』論』(東京大学出版会)で明らかにされた、情動や感性と知性を表裏一体のものとして捉える視点は、感性教育をライフワークとして研究してきた私には目から鱗の視点であった。
文科省が、情動を科学的に解明し、教育に応用するための研究協力者会議を立ち上げ、10大学16教育委員会が連携して「子どもみんなプロジェクト」という教員向けプログラムを開発した画期的な成果が発表されたが、これを道徳教育と家庭教育につなげる必要がある。
拙著『日本文化と感性教育』(モラロジー研究所)で明らかにしたように、感性は低次の受け身の感受性や感覚ではなく、思考と直結した能動的で高次な働きであり、感性からのメッセージは知性によって認知され、行動の方向付けや動機付けを行う。その中で琴線に触れて自己の「願い」と重なったとき、人は行動に向かうのである。
知性は内なる<いのち>の叫び、<いのち>の内奥から発する聖なる声である感性に照らして、この行動が感性の喜びになるかを判断する。感性は創造性の原動力であり、真善美の創造の源泉エネルギーである「願力」であり、道徳的心情と道徳的判断力がこの「内なる<いのち>の叫び」、自己の願いと重なったときに「道徳的実践意欲と態度」へと向かう。感知を表裏一体のものとして捉える「情動学」の視点に立脚して、情動的共感(道徳的心情)と認知的共感(道徳的判断力)を道徳的実践意欲と態度につなぐ鍵となる「願力」、一人ひとりの「内なる<いのち>の叫び」を“感じ、見つめ、深める”ことが「行動への動機付けや方向付け」、すなわち、「道徳的実践意欲と態度」に直結する。子供たち一人ひとりの内なる「願い」を引き出すことによって、安倍元首相が座右の銘にした「自ら反みてなおくんば、千万人といえども我ゆかん」という、内なる理想に基づく至上命令として「志を立て」「道を求め」「和を成して」「幸せを実感する」ことにつながるのである。
●第9回宗像国際環境会議のテーマ「常若 生命の源泉」
言葉と音楽と体操のリズムが道徳規範と直結している「律」の二面性にも注目する必要がある。SDGsを「自分事」として捉える「常若産業甲子園」の取り組みも、「常若」という「生命の源泉」、すなわち、一人ひとりの「内なる<いのち>の叫び」、子供たちの魂の内奥にある「願力」を引き出し育てようという試みに他ならない。
この「常若 生命の源泉」をテーマとする第9回宗像国際環境会議が10月26日から3日間、宗像大社で開催(共催:日本博国際文化芸術プロジェクト、後援:環境省・福岡県)される。宗像大社は「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇より祀られる」(日本書紀)との神勅により、海外との交流拠点の役割を果たすことによって、大和朝廷から手厚い祭りが行われてきたが、このことは今も先人たちから語り継がれ、平成29年には有史以来、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぐことになった。宗像ではこの日を永遠に語り継いでいくため、毎年、森里川海が豊かになることを願う「豊穣祭」を執り行い、その後、豊かな海づくり大会で整備された鐘崎漁港において、稚魚の放流を行っている。今年は10月29日に開催されるが、私も3泊4日の全期間、髙橋塾の塾生有志と一緒に参加する予定である。
近年の宗像の海は、海水温の上昇、磯焼け、海洋ゴミ問題などにより、海の環境が著しく変化している。この行事はそのような環境を少しでも回復させ、次世代へ引き継ぐことによって、かつての神々しい海を取り戻したいという願いが込められている。
第9回会議は、「世界遺産と環境問題」「海の変化と再生への取組み」「環境問題の現状と課題」「経済と循環型社会」「自然との関わり方」「生命の源泉」などをテーマとする9つのセッション、「常若」教育の4つの「育成プログラム」、竹漁礁づくりのフィールドワーク、世界遺産登録5周年ファッションショーなど、実に多彩なプログラムで構成されている。後日、本連載でその報告をさせていただきたいと思っている。
●幸福理論の不備を補ったウェルビーイング理論の5要素
ところで、「ポジティブ感情」「エンゲージメント」「意味・意義」の3要素で構成された従来の幸福理論の不備を補ったウェルビーイング理論には、2つの要素が加わって、以下の5要素となった。それは⑴「ポジティブ感情」、⑵「エンゲージメント」、⑶「意味・意義」、⑷ポジティブな「関係性」、⑸「達成」であり、頭文字を取って簡略的に「PERMA(パーマ)」と表される。
⑴は主観的尺度である幸福感と人生の満足度で、楽しみ、心地良さ、温かさ、恍惚感などの快の要素であり、⑵は「あれは楽しかった、素晴らしかった」などという回想的なもので、通常、思考や感情は過去にしか存在しないものである。⑶は自分よりも大きいと信じる存在に属して仕えることである。意味・意義は主観的な判断とは矛盾することがあり、今日では、他者とのつながりや⑷ポジティブな関係性が、人生に意味や目的を与えるものであることは衆知の通りである。
⑸は多くの場合,⑴⑶⑷のいずれが得られることがなくても、そのもののよさのために追求される。映画「炎のランナー」で、実在のオリンピック走者エリック・リデルを演じた俳優は、「神が私を速く走らせてくれるのだ。私が走る時、私は神の喜びを感じるのだ」と語ったが、「達成の人生」を送っている人は、自分がやっていることに没頭し、夢中になって快を求め、勝つとポジティブな感情を得て、自分よりも大いなるものに仕えて勝利を収める。
ウェルビーイング理論においてポジティブ心理学の目指すところは、人間の「持続的幸福」を測定し、構築することにある。この目標を達成するには、「自分たちを本当に幸せにしてくれるものは何か」を問うことから始まる。
●欧州連合各国の「持続的幸福度」調査
「持続的幸福」とは一体何か? ケンブリッジ大学のフェリシア・ハパートとティモシー・ソウは、23の欧州連合各国の「持続的幸福度」を定義し、測定した。その定義はウェルビーイング理論に適うものである。個人の持続的幸福を実現するためには、以下の「基本的特徴」のすべてと、6つの「付加的特徴」のうち3つを備えていなければならないという。
<基本的特徴>
「ポジティブ感情」「エンゲージメント」「興味関心」「意味・意義」「目的」
<付加的特徴>
「自尊心(自尊感情)」「楽観性」「レジリエンス(精神的回復力)」「活力」「自己決定感」「ポジティブな関係性」
ハパートとソウは、以下のウェルビーイングに関する7項目について、国民の持続的幸福を目的として、各国がどのような取り組みを行っているかを知るために、各国の2,000人以上の成人を対象に調査を実施した。
⑴ ポジティブ感情一総じて、自分はどれくらい幸せだと思いますか?
⑵ エンゲージメント、興味関心一自分は新しいことを学ぶのが大好きだ
⑶ 意味・意義、目的一自分のやっていることは有益で価値のあることだと思う
⑷ 自尊心(自尊感情)一自分はとてもポジティブな人間だと思う
⑸ 楽観性一いつも自分は将来について楽観的だ
⑹ レジリエンス一自分の人生で何かうまくいかなかったとき、普通の状態に戻るのにしばらくかかる(逆の回答は精神的回復力を示す)
⑺ ポジティブな関係性一自分のことを心から気にかけている人がいる
調査結果によれば、持続的幸福の基準を満たす割合はデンマークがトップで、33%の市民が持続的幸福度を実現した状態にあり、イギリスは18%、ドイツは12%、フランスは9%、ロシアは最下位で6%に過ぎなかった。
●GDPと「人生の満足度」
富と幸福の関係について扱った学術文献は多数あるが、全ての文献に共通しているのは次の2点である。
⑴ お金があればあるほど人生の満足度も大きい。このグラフ(『GDW興国論――幸福度世界一の国へ』より。飛鳥新社 下村博文著)では、それぞれの円は国を示しており、直径の大きさは人口に比例している。横軸は2000年時のレートで、ドル換算の購買力によって測定された2003年時の国民1人当たりのGDP、縦軸は国の平均的な人生の満足度に対する評価である。サハラ砂漠以南のアフリカの大半の国は左下に位置し、インドと中国は2つの大きな円で左の方にあり、西ヨーロッパ諸国は右上近く、アメリカは右上の大きな円である。人生の満足度は国民1人当たりのGDPが高いほど高くなっている。左の斜面にある貧困国の間で最も急勾配となっていることに注目する必要がある。これはお金の多さと人生の満足度の大きさとが最も強く関連していることを示している。
⑵ しかし、お金をたくさん儲けることによって、すぐに人生の満足度において収穫逓減(次第に減る)点に達することになる。
コロンビア、メキシコその他のラテンアメリカの国々は、GDPは低いが人生の満足度は高い。元共産主義国はすべて、GDPが高い割に非常に不幸である。デンマーク、スイス、アイスランドは、収入は上位であるが、GDPの高さが保障する幸福度以上に幸せである。コルカタの貧しい人々はサンディエゴの貧しい人々よりも幸せである。これらの地域に豊富にあるもので、他の地域に欠けているものを見ていくことで、本当のウェルビーイングとは何かについての手掛かりが得られる。
「多様な集団における人生の満足度」調査(2004年)によれば、フォーブス誌で選ばれた最も富裕なアメリカ人の幸福度は、ペンシルベニア州の平均的なアーミッシュや北グリーンランドのイヌイット族の成人の幸福度と同じであり、アフリカのマサイ族の幸福度ともほとんど変わらない。
幸福度の気分と判断という二つの構成要素は、結果的に収入によって特異的に影響を受けることが判明している。収入が増えることで、生活環境に対する評価におけるポジティブ度が上がることになるが、これは一時的な気分には全く影響しない。気分と判断の乖離は、一国内で時間の経過とともに起きた変化に注目することで確認できる。
52ヶ国で1981年から2007年までというかなり長い年月をかけて、主観的ウェルビーイングに関する時系列的調査が行われ、東欧の6ヶ国のみが主観的ウェルビーイングが下がったことが判明した。
重要なのは、主観的ウェルビーイングが幸福感(気分)と人生の満足度(評価)に分けられ、それぞれ別々に検討されたことである。人生の満足度の大部分は収入に伴って上がるが、気分の大部分は国内における寛容度の増大によって上がる。それ故に、幸福度が収入に伴って上がるという推論は、細かく吟味すれば通用しない。収入が上がるのに伴い生活環境に対する判断も向上するが、気分はそうではないということである。
●徳性を育成する日本発のウェルビーイング教育の開発
髙橋塾ではウェルビーイング理論を「感知融合の道徳教育」として実践化する共同研究に取組んでいるが、小中学生に広がっている「不安・抑うつ」の増大を乗り越えるためにも、学校でウェルビーイング教育の実践を深める必要がある。好奇心、向学心、創造性を高め、自分の徳性をできるだけ活用させ、ポジティブな徳性を育成するポジティブ心理学プログラム、「3つの良いこと」エクササイズ、「うまくいったこと」エクササイズ、「感謝の訪問」エクササイズなどの実践が参考になる、
「3つの良いこと」エクササイズは、子供たちに1週間、3つの良いことを毎日書き留めるように指示する。そして、次のうち1つを書き添える。
「この良いことはなぜ起きたのだろうか?」
「この出来事は自分にとって何を意味するのだろうか?」
「将来、どうすればこのような良いことをもっと経験することができるんだろうか?」
「うまくいったこと」エクササイズは、毎晩寝る前に10分間、今日うまくいったことを3つ書き出して、それらがどうしてうまくいったのかを書かせ、なぜうまくいったかを考えさせるのである。
「感謝の訪問」エクササイズは、頭に浮かんだ人に「感謝の手紙」を書いて、自分で直接その手紙を届けさせる。手紙の内容は具体的に800字程度で、その人が自分のために何をしてくれたか、それが自分の人生にどう影響を与えたかを具体的に書き、自分が現在何をしているかを相手に知らせる。また、相手がしてくれたことをよく思い返していたと伝える。こうした実践を参考にしながら、「常若 生命の源泉」である「願力」を引き出す、日本発の独自のウェルビーイング教育を開発し、全国に広げることが時代のニーズといえよう。
(令和4年9月14日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』
『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』
絶賛発売中!
※道徳サロンでは、ご投稿を募集中!