髙橋史朗81 – 日本型の教育を通して得られるウェルビーイング
――個人と場(地域・社会)のウェルビーイングが循環する「多世代共創社会」の実現を目指して
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授
麗澤大学 客員教授
●日本人の「文化的幸福」の特徴
日本は先進諸国と比較すると、主観的な幸福観が低いことが指摘されている。しかし、幸福の成り立ちが文化によって異なる事実はほとんど考慮されていない。欧米で策定された基準で日本の幸福度を測定し、単純に平均値を比較して日本の幸福度が低いと断定することは間違っている。
単純な平均値比較を行うのではなく、その社会に生きる人々が何をもって幸福と感じるのかという「文化的幸福観」を認識する必要がある。それぞれの国や文化における幸福観の構造や、何が幸福と結びつきやすいか、といったパターンそのものの違いを検証する必要がある。幸福とは何かを問う土壌をつくることが大切である。
文化が心の働きとどのように関わっているか実証的に研究し、データを取って解析する「文化心理学」が一般的に用いる用語に「文化的自己観」という用語があるが、「自分とは何か」という認識は、その人が所属する文化によって異なり、その考え方を「幸福」にまで延長すると、自分にとって何が幸せか、人生をどう把えるかについても文化が影響する。
日本人の「文化的幸福観」の特徴は、人との関係性を重視し、自然との調和を大切にする点にある。
持続可能な社会を実現するためには、「個人の幸福」に着眼した幸福度指標の適用ではなく、国や地域の文化や風土に基づいた幸福概念である「集合的幸福観」、そして地域や社会全体の集合的幸福感を考慮する必要がある。SDGs・ウェルビーイングを日本発の「常若・志道和幸」教育として世界に積極的に発信する役割を担うことがいま私たちに求められている。持続可能なウェルビーイングは「文化的幸福観」「集合的幸福観」に立脚する必要があるからである。
東日本大震災によって人生や幸福についての考え方が変化した者の割合は、「大きく変化」13%、「やや変化」45%、「どちらとも言えない」21%などであったが、内閣府経済社会総合研究所が行った地震前後での被災地以外の20代、30代の「若年層の幸福度に関する調査」によって、6割近くの若者は、未曽有の震災被害と原発事故を目の当たりにして、人生観が変化したと回答した。
その中で最も多く経験されたのが「結びつき重視」であり、震災後に家族や地域とのかかわりの重要性を再認識し、これまで当たり前だと思っていた日常の「協調的幸福」を再評価しようとする傾向が強まっていることが判明した。また、震災後の幸福度判断の際、震災について思い浮かべた若者は、震災後により幸福感が高まったが、震災について思い浮かべなかった若者には、震災後の幸福感の変化が見られなかった。
こうした幸福度の二極化現象は、現在の日本社会全体の「文化的幸福感」と関連している。震災後にも幸福観が変化せず、むしろ個人的理想を追い求める若者には心理的な疎外感を感じている傾向が強く広がっていた。
関係性の場から外れてしまい心理的疎外感を感じている「ニート・ひきこもり」の調査研究によれば、3つの志向性、すなわち、⑴フリーター生活志向性(日本の伝統的な規範を持つ階層社会の中で働くことを良いとは考えない態度を表す要素)、⑵コミュニケーション能力や社会で働くスキルについて自信がない「自己効能感の低さ」、⑶将来の目標の不明確さが特徴的であり、ここから浮かび上がってくるのは、個人内の心の問題と社会的要因が相互構成的に問題を恒常化させていることである。
●内閣府「幸福度に関する研究会」の主な論点と「協調的幸福尺度」
平成22年に内閣府に「幸福度に関する研究会」が設置され、幸福度指標について議論が行われたが、主な論点は以下の5点であった。
⑴ 主観的に経験される幸福並びに客観的な幸福を指標化し、その幸福感に影響を与える要因を検討することの是非。客観的指標と主観的指標をどのようにそれぞれ用い、両立させるか。
⑵ OECDなどが実施している国際比較と、日本独自の幸福感を入れていくことのバランス。
⑶ 医療や介護、子育てなど、社会保障に関わる問題をはじめとする政策決定において、個々人の価値観や主観的幸福感の数値を活用するにはどうするべきか。そのために、ライフステージや世代差を考慮した調査を実施し、世代ごとに異なる幸福の在り方を検討していく必要があること。
⑷ 個人の幸福度だけではなく、世帯或いは社会全体の幸福度も測定し、集団内外の格差を考慮した上で、目指す指針を議論するための材料とする。単純に幸福度の平均値を上げるのではなく、格差が広がっていないかなどを注視する必要があること。
⑸ 県別の幸福度ランキングなどを知りたいという要望があり、また、単一の数値で表される「幸福度」の指標があるとわかりやすいという声もある。しかし、幸福は多面的なものであり、単なるランキング競争になることの否定的な側面を考慮して、指標は単一指標にはせず、県別ランキングの公開は行わない。
同研究会が平成23年12月に提示した幸福度指標案では、幸福度やポジティブ・ネガティブな感情経験、人並み幸福感を含む「主観的幸福」と、それを支える3つの柱として、「(心身の)健康」、仕事や住環境などの「経済社会状況」、家族や地域・自然とのつながりなどの「関係性」を含めている。また、これとは別に「持続可能性」の軸を設けて検証することを試みた。
同研究会委員の内田由紀子京都大学こころの未来研究センター准教授らは、日本的幸福の定義に基づく、次のような「協調的幸福尺度」を開発した。
⑴ 自分だけでなく、身近な周りの人も楽しい気持ちでいると思う。
⑵ 周りの人に認められていると感じる。
⑶ 大切な人を幸せにしていると思う。
⑷ 平凡だが安定した日々を過ごしている。
⑸ 大きな悩み事はない。
⑹ 人に迷惑をかけずに自分のやりたいことができている。
⑺ 周りの人達と同じくらい幸せだと思う。
⑻ 周りの人並みの生活は手に入れている自信がある。
⑼ 周りの人たちと同じくらい、それなりにうまくいっている。
日米の比較研究によれば、アメリカ人は個人のウェルビーイングや自尊心や自己価値を大事にするが、日本人は自尊心や自己価値より、他者と強調して調和を保つことを重視する。つまり文化によってウェルビーイングの価値観が異なる点に注目する必要がある。ウェルビーイングを山に例えれば、山に登る道は文化によって異なり、ウェルビーイングの対象や実現方法も異なる。従って、「個」を重視する欧米的な幸福感を日本人にそのまま適合させることはできないのである。
●ブータンの「国民総幸福」調査と「幸福を感じる力」の育成
このような「ほどほど」の幸せを追いかける徐行運転が社会の持続性を担保する、と内田氏は近著『これからの幸福について一文化的幸福観のすすめ一』(新曜社)で指摘する。また、SDGsが示す持続可能な社会を実現するためには、ブータンの国民総幸福(GNH)調査の4つの柱である「自然環境の保全」「公平で持続可能な社会経済開発」「良い政治」「伝統文化の保護と振興」という視点を参考にする必要がある。
この4本柱に基づいて、GNH指標には、「時間の消費の仕方」「身体的健康」「心理的健康と幸福」「地域活動」「伝統文化」「良い政治」「生活水準」「環境」「教育」の9領域が設定されている。そのうち6つ以上が満たされている状態を「幸福」と定義しており、ブータンの「文化的幸福」やバランス志向に根差した「集団的幸福」の特徴が反映されている。
特に重要なのは「幸福を感じる力」への志向性である。祈りや瞑想の時間を設けることが日常的に行われており、日本と同様に「足るを知る」精神を重要視している。ブータンでは経済発展以外の側面も重視し、伝統文化や教育、自然環境を重視している。幸福を支える要件と「幸福を感じる力」は別物であり、同要件の上昇が「感じる力」を削いでしまうこともある。こうした幸福モデルを日本も世界に発信していく必要がある。とりわけ「幸福を感じる力」の育成こそが今後の教育の最重要課題といえよう。
●ウェルビーイングの実現を最重要視する中教審論議の最新動向
次期教育振興基本計画の策定に向けて議論している文科省の中央教育審議会は7月12日、「一人ひとり多様な幸せであるとともに、社会全体の幸せでもあるウェルビーイング」をどう実現していくかについて議論を行った。議論をリードしたのは内田由紀子委員(京都大学教授・同こころの未来研究センター副センター長)で、日本特有の文化的価値に基づいてウェルビーイングの定義を考えることの重要性を強調した。
教育新聞(7月12日付)の報道によれば、内田教授の主張を要約すると次のように整理できる。
⑴ 「自分だけでなく、身近な周りの人も楽しい気持ちでいると思う」といった「協調的」な幸福感を考慮する必要がある。
⑵ 多様なウェルビーイングの求め方を認めることが重要であり、日本では、獲得的幸福感を測る「私の人生は、とても素晴らしい状態だ」「大体において、私の人生は理想に近いものである」といった尺度より、協調的幸福感を測る「大切な人を幸せにしていると思う」「平凡だが安定した日々を過ごしている」などの尺度がなじみやすい。
⑶ 教育においても自己実現やスキルといった側面だけでなく、多様なつながりと「協働」、社会貢献力、利他性などの協調的な幸福感につながる側面も重視する必要がある。
⑷ 子供のウェルビーイングを構成する要素として、「現在・将来・周囲のウェルビーイング」(学校生活が楽しい、大切な人を幸せにしたり楽しませたりしていると思う、自分は将来幸せに暮らしていると思う、など)、「自己実現と自己受容」(自分には良いところがあると思う、など)、「多様なつながりと協働・向社会性」(相談できる大人がいる、先生のことが好きだ、クラスの居心地が良い、など)、「安心・安全な環境」を挙げた。
⑸ 教職員や関係する地域の人々などのウェルビーイングの実現も含め包括的に考えることが重要である。教員のウェルビーイングの構成要素として、「学校が楽しい」などの「主観的幸福感」の他、「教育に意欲を感じる」「子供の成長を実感する」「職場の居心地がいい」「生徒、保護者、地域との信頼関係がある」「卒業生とのつながりがある」などを挙げた。
⑹ 教育振興基本計画での指標を検討していく上で、「ウェルビーイングの意味するところは学校や地域によって異なることから、外向きのランキングや評価ではなく、学校や地域ごとに考えること、思い込みを是正して子供や学校現場の声を聞くこと」が重要である。
これに対し、慶應義塾常任理事の松浦良充委員は、「ビーイング(在り方)」よりも「よい状態にどう導くか」というプロセスが大事であり、「例えば不登校で苦しんでいる状態を、ウェルビーイングに導くためのプロセスをどう実現するかに知恵を絞る必要がある」とコメント。島根県教育魅力化特命官の岩本悠委員は「子供の幸せのためにも、一人ひとりの先生が幸せになり、子供も大人も自分自身を大切にすることと他者への貢献の両方が重要なポイントだ」と強調した。
●後継世代への伝統の継承・革新を目指す「多世代共創社会」の実現
こうした教職員や地域の大人のウェルビーイングも含む包括的なウェルビーイングの実現を、人と自然との調和を大切にしてきた日本人の「文化的幸福」「集団的幸福」「協調的幸福」を踏まえ、「個人」をターゲットにするだけでなく、「場」づくりをターゲットにしていくことが持続性の観点からも極めて重要である。個人の成長を支えるのは場の仕組みだからである。幸福な社会、集団、地域はどのようなものかを考える必要がある。とりわけ日本における幸福においては「場」や「関係性」の絆が重要である。
生涯学習の基盤が目指すのは、個人の成長のみならず、地域社会の発展やウェルビーイングに資するような地域社会づくりである。持続可能な社会の実現に向けて多世代・多様な人々が活躍するとともに、将来世代も見据えて、世代を超えて共にデザインしていく「多世代共創社会のデザイン」研究開発として、科学技術振興機構は、「漁業と魚食がもたらす魚庭の海の再生」プロジェクト活動に取り組んでいる。
個人のウェルビーイング(主観的幸福、協調的幸福感など)とよりよい場の状態が循環し、後継世代に伝統が継承され革新されていく、持続可能な「多世代共創社会」の実現こそ時代の要請である。地域の一体感、異質な多様性への寛容さ、向社会的行動(地域内外の他者への支援、地域への貢献活動など)を基盤とした「多世代共創社会のデザイン」は、本連載で詳述してきた宗像国際環会議の「常若産業宣言」や「海の鎮守の森プロジェクト」に通じるものがある。
今回の考察によって、ウェルビーイングと「常若」の繋がりに深く気付かされたが、11月19日の日本道徳教育学会第100回大会のランドテーブル企画「感知融合の道徳教育――SDGs・ウェルビーイングを『常若・志道和幸』教育で実践する試み――」の共同研究発表に研究成果を活かし、さらに深めたい。
(令和4年8月19日)
※髙橋史朗教授の書籍
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