川上和久 –『武士道』から「勇気・敢為堅忍の精神」を読み解く
川上和久
麗澤大学教授
●動じない心を持って
新渡戸稲造の『武士道』、今回は第4章「勇気・敢為堅忍の精神」を読み解いていくことにしたい。
「勇気」はCourage、「敢為堅忍」はThe spirit of daring and bearingを日本語にしたものだ。
「敢為堅忍」という言葉は、今ではほとんど使われることはない。「敢為」は「物事を困難に屈しないでやり通すこと」、「堅忍」は、「つらいことによく耐え忍ぶこと」を指す。
「敢為堅忍」という言葉よりも、「堅忍不抜」という四字熟語の方が、人口に膾炙するようになったかもしれない。意味は、「どんなに辛い事があっても心を動かさずに耐え忍んでいくこと」を指す。
中国の書家である蘇軾の「晁錯論」の中での「古の大事を立つる者は、唯だに超世の才有るのみならず、亦た必ず堅忍不抜の志あり」(昔の偉人は才能があっただけではなく、我慢強く耐え忍んで何事にも動じない心を持っていた)が発祥だ。
横綱昇進の伝達式の際の口上で、力士が用い、ニュースで大きく取り扱われた。この四字熟語を用いたのは三代目若乃花。「若貴のお兄ちゃん」と言った方が分かりやすいだろう。
三代目若乃花は、1971年生まれ。大関貴乃花の長男として生まれ、1988年に弟とともに「若花田」の四股名で初土俵を踏んだ。1990年3月場所で新十両となったので、決して遅い方ではなかったが、弟の貴花田のほうが一足早く十両になっていたので、やや貴花田の陰に隠れた存在だった。
1988年の初土俵以来、62場所かかって、27歳4か月で横綱に昇進したが、大関には5年近くとどまり、兄弟優勝決定戦を制して優勝したこともある。
そんな若乃花が横綱に昇進する際の伝達式での口上が、「横綱として堅忍不抜の精神で精進していきます」だった。苦労を経た「お兄ちゃん」が早熟の弟に並んだのでファンは兄弟横綱誕生を喜び、大相撲は「若貴フィーバー」がさらに盛り上がった。しかし、若乃花の横綱在位は11場所。この間、優勝はなく、堅忍不抜の精神をもってしても、怪我などに打ち勝つことはできなかった。
●生きるべきときに生きる
敢為堅忍の精神の発揚は、ただ単に、あらゆる危険をおかして命をあやうくし、死に向かって飛び込む無謀な行為ではないと新渡戸は言う。
「(武士道においては)死に値いしないことのために死ぬのを『犬死』といって卑しめてきた」と述べている。
では、真の勇気、敢為堅忍の精神とは何なのか。
新渡戸は、徳川光圀の言葉を引いている。
徳川光圀は、言わずと知れた「水戸のご老公」、『水戸黄門』のテレビドラマで有名だ。
1628年に、徳川家康の第11子である初代水戸藩主徳川頼房の三男として生まれ、1661年に34歳で水戸藩主となっている。光圀の業績は、全国から江戸の彰考館に学者を招いて、『大日本史』編纂を進めたことにあり、藩主の職を兄の高松藩主松平頼重の子綱条に譲った後もなお、『大日本史』の本紀、列伝の完成を目ざし、彰考館を水戸にも開き、「水戸学」発展の基となった。
領内で民情視察を行ったことで、明治末期になってから講談などで「水戸黄門漫遊記」などが創作され、全国を漫遊したような虚像が作られたが、これは大衆文化の産物であり、『武士道』を著した頃には、このような虚像は作られておらず、新渡戸は光圀の著作から純然たる「勇気と敢為堅忍」を見出したのであろう。
新渡戸が引いたのは、光圀の
「戦いに臨んで討死することは難しいことではない。それはどのような野人でもできることである。しかし、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことこそ、真の勇気なのである」
という言葉であり、武士の子は、少年の頃より大勇と匹夫の勇との違いをわきまえない者はいなかった、と述べている。
●「武士道精神」を磨いていくために
それでは、武士の子は、どのようにしてこのような「徳」を内面化したのだろうか。「勇気」「我慢」「大胆」「自若」「勇猛」などの心性は、武士の軍記物などを例に繰り返し説かれていた。
苦痛なことがあっても泣き出すようなことがあれば、親に叱咤された。
軍記物を例に勇気と敢為堅忍を内面化しただけではない。戦国の世も終わり、実戦の機会はないにしても、武士の子は、「幼少のころより、遠い道の場所へ使いにやらされる」、「厳寒の日の出前に起こされ、朝食の前に素足で先生の家に通って、素読の勉強」「月に一度か二度、天満宮の祭日などには、数人の少年が集まって、夜を徹して順番に大きな声で素読」「斬首の刑が行われたときなどには、少年たちはその気味のわるい光景を見にやらされただけでなく、夜暗くなってから、ひとりでその刑場をおとずれ、さらし首に印をつけて帰ってくるように命じられることもあった」などである。
現代の教育では、このような「スパルタ式」とも見えるような教育方法は考えづらい。しかし、日々自らの修練を怠らず、自らの精神を極め、いざというときに惑わされることなく自らに課された使命をまっとうする、そんな「武士道精神」を磨いていくためには、西洋式の教育ではどうしても足りない部分があることを新渡戸は訴えたかったのではないか。
折しも、我が国の至宝ともいえる安倍晋三元首相が凶弾に斃れ、帰らぬ人となった。心から哀悼の意を表するが、残された私たち一人ひとりが、「勇気」と「敢為堅忍」の精神をあらためて見直して涵養し、国の護りを全うしていくことが、その無念を晴らしていく一つの道であると、本稿を著しながらあらためて感じた次第である。
(令和4年8月10日)
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