髙橋史朗78 – 日豪合作の舞台ミュージカルに使われた日本のわらべ歌、童謡、民謡
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授
麗澤大学 客員教授
東京、埼玉、大阪、福岡で師範塾を開塾し、10年以上教師の「師範力」育成に取り組んできたが、私が理事長、塾長として深い親交があり、長くオーストラリアに住み、師範塾の講師もしていただいた作家の林秀彦氏が制作し、オーストラリアで準備が進められた舞台ミュージカル『帰ってきたガリヴァー』の画期的な内容を紹介したい。
このミュージカルは、痛烈な文明批評と社会風刺に満ちていたイギリスの作家ジョナサン・スイフトの代表作『ガリヴァー旅行記』(1726)を土台とし、その続編の形を現代に求め、全く新しく自由な発想のもとにオリジナル台本として製作された。
全編に使用される40数曲の音楽は、すべて日本の古いわらべ歌,及び明治、大正、昭和期の童謡、民謡、のメロディーに、それぞれストーリーに即した内容の新しい英語による歌詞をつけたものである。
それらをオーストラリアの子供たちを中心に、世界の少年少女の独唱、及びコーラスによって舞台を展開させ、日本のわらべ歌、童謡、民謡などを通して、日本の感性文化、日本人の美しい心を世界に発信することを目指したものである。
日本でも有名な音楽家たちと上演に向けた協議と準備が続けられていたが、林秀彦氏が病に斃れたため実現しなかったことは痛恨の極みである。日豪合作で製作された同ミュージカルのみごとな英文歌詞はケン・ベラミー氏が担当し完成された。すべての歌が日本の歌であることはあえて世界の観客には強調しない、という基本方針のもとにこのミュージカルは制作された。結果的に日本の美しい心、感性文化への共感が広がればいいのである。ミュージカルの概要は以下の通りである。
●舞台ミュージカル『帰ってきたガリヴァー』のテーマ解説
西欧の物質文明を象徴するのはガリヴァーが暮らしている人間社会、すなわち、現行の世界文明である。この金と戦争、嫉妬と憎しみの世界にガリヴァーは毒されている。一方、彼が十数年前に立ち去ったリリバットの小人の国は、心と和の文明、以心伝心の社会、すなわち、かつての日本文明を象徴した世界であった。
舞台はまずオーケストラによる前奏曲によって幕が上がる。それらはすべて日本の古いわらべ歌、童謡、民謡などをアレンジしたものである。
人間社会の人間はガリヴァーを含め、ごく少数の大人の役者によって演じられ、舞台の大部分を構成するリリバットの人々は、全員子供たちによって演じられる。プロローグの舞台は幕の背後、シャドー・シーンとして処理され、大きなリリバットの島の地図にスポットが当たる。
原則として大道具などを使った舞台装置は使用せず、物語を進行させるための役者間の演技、芝居の部分がない。最小限の衣装による効果以外の効果は、すべて照明により、物語の進行はその都度舞台中央に進み出てなされる登場人物の独唱、デュエット、輪唱、歌の掛け合い、あるいは少年少女のコーラスなどの歌詞によってなされ、必要不可欠の場合のみナレーション(あるいはオフ・シーンの台詞)が使われる。また、物語進行上の時代設定は、ファンタジーとして過去とも現代ともつかぬ、まったく架空の時間空間である。時代背景は空想の中にある。
みすぼらしい下宿に住むガリヴァーに大家の女将さんの怒鳴り声が聞こえる。大家の大声「もう5か月も家賃が溜まっているんですからね! 今週中に耳を揃えて払ってくれなきゃ、出て行ってもらいますから! なんだってそういつも同じ地図ばっかり見ているんだろ。よく飽きないねえ。そんなにその島がいいところなら、帰えればいいじゃないのさ、まったく!」
その声を押し隠すように、子供たちのコーラスによる……
<音楽1『赤とんぼ』山田耕筰>が流れ始める。リリバットを象徴する「リリバットのテーマ曲」である。(コーラスは舞台中央に並んで歌われる)
英詩の意味:人間の心だけが価値のある国がどこかにある。そこは子供の夢が大人の夢になり、大人の夢が子供の夢と同じ国だ。子供の夢がそのまま大人の夢にならないはずはない。それは愛と平和の夢である……。
リリバットの国から人間社会に戻ったガリヴァーは、こと志と違い、悲惨な運命に晒されている。妻子には去られ、医者の免許は剝奪され、貧困にあえいでいる。ところが偶然リリバットから持ち帰っていた小石の中から、現在の原子爆弾の数倍強力な爆弾が作れるダブル・プラトニュームが発見されたことによって、彼の運命は変わる。
世界制覇の野望と陰謀に明け暮れる「人間大統領」はガリヴァーにもう一度リリバット国に戻り、このダブル・プラトニューム含有の石を大量に持ち帰ることを要望し、その見返りとして膨大な報奨と巨大なステイタスを約束する。
以上のようないきさつを、舞台中央に進み出る少年少女の次のコーラスによって紹介する。
●日本のわらべ歌、童謡、民謡と英詩をみごとに融合させた感性と創造力
<音楽2『あわて床屋』山田耕筰)=「彼は誰?」>英詩の意味:昔はよい人だった。それがすっかり落ちぶれて、奥さんにも愛想を尽かされ、お金もない。可哀想……。
<同3『船頭小唄』中山晋平(おれは河原の枯れすすき)=「ダブル・プラトニュームの歌」>英詩の意味:たった2個の爆弾で地球が吹っ飛ぶ。リリバットの国から持って帰ればガリヴァーは大金持ち。恐い、恐い……。
<同4『肩たたき』中山晋平(母さん、お肩をたたきましょう)=「大統領の陰謀」>
<同5『黄金虫』(黄金虫は金持ちだ)=「ガリヴァーの煩悩」>
<同6『早春賦』(春は名のみの風の寒さや)=「過ぎ去った時」>
<同7『青い目の人形』(青い目をしたお人形は)は少年少女のコーラス「流れ星の彼方>
<同8『うさぎ』文部省(ウサギ、ウサギ、何見て跳ねる)=「ノーチョイス」(ガリヴァー)>
<同9『村の鍛冶屋』文部省=ビーボディ婦人が歌う「説教の歌」>
<同10『人を恋うる歌』(妻を娶らば才たけて)=「ほっといてくれ!」(ガリヴァー)>
<同11『ゴンドラの唄』(命短し、恋せよ乙女)=「青い鳥の歌」>
<同12『海ゆかば』=「リリバット国歌」>
<同13『出船の港』=「われらは妖精」(コーラス)>
<同14『八木節』民謡=「民主主義の独裁者」(バーセロミュー)>
<同15『この道』(この道はいつか来た道)=「忘れられない人」(シャーロン)>
<同16『ペチカ』=「リリバットの子守歌」>
<同17『荒城の月』=「失ったもの」(アルフレッド)>
<同18『紅葉』=「もしかすると希望」(ゴードン)>
<同19『カナリヤ』(唄を忘れたカナリヤは)=「命の半分」>
<同20『会津磐梯山』民謡=「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」(コーラス)>
<同21『お山のお猿』=「ほしい、ほしい、ほしい」(ヴァイオレット)
<同22『からたちの花』=「再開の歌」(ガリヴァー・シャーロン)>
<同23『婦人従軍歌』と『揺り籠のうた』=少年少女の二部合唱「君の手を取ろう」>
<同24『七つの子』=「真心の歌」(ビーボディ)>
<同25『かごめかごめ』わらべ歌=「女王に何が起こったか」(コーラス)>
<同26『五つ木の子守歌』民謡=「涙の意味」>
<同27『どんぐりころころ』=「ストライカーの陰謀」>
<同28『村祭り』(村の鎮守の神様の)=「欲望の歌」>
<同29『てるてる坊主』=「ディーディーの悲しみ」>
<同30『里の秋』=「去っていったあの人」(シャーロン)>
<同31『朧月夜』=「あたたかい涙」(ジュミマ)>
<同32『箱根八里』=「あの山の峰」(ゴードンとコーラス)>
<同33『しゃぼん玉』=「ディーディーの歌」>
<同34『木曾節』民謡=「新しい文明」(コーラス)>
<同35『椰子の実』=「私たちの望み」(ゴードン)>
<同36『同期の桜』=「ガリヴァーの挑戦」>
<同37『待ちぼうけ』=「俺のほうが悪者」(コーラス)>
<同38『叱られて』=「デイドリーム」(シャーロン)>
<同39『夏は来ぬ』=「春の雨」(コーラス)>
<同40『春が来た』=「魔法が解けた」(ジュミマ、アルフレッド)>
<同41『通りゃんせ』=「ガリヴァーが去っていく」(ゴードン)>
<同42『仰げば尊し』=「さようなら、友達」(全員)>
<同43『証城寺の狸囃子』=「カム、カム、エヴリボディ」(全員)>
幕が閉じる。
紙面の都合上、略記したが、英詩と日本のわらべ歌、童謡、民謡などが見事に融合し、オーストラリアでは拍手喝采を浴びたという。この素晴らしい日本的感性とグローバルな創造力を継承し、新たな日本発SDGs・ウェルビーイング教育として発展させていきたい。
(令和4年7月28日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
『家庭で教えること 学校で学ぶこと』
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