髙橋史朗77 – 安倍元首相の遺志と「和して同ぜず」の生き方を継承しよう
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授
麗澤大学 客員教授
●保育園長が安倍元首相に直訴「待機児童なんていない。待機親がいるだけだ」
安倍元首相が銃弾に斃れ亡くなられたことは痛恨の極みであり、心よりお悔やみを申し上げたい。拙著『「こども庁」問題Q&A』を昨年11月に直接手渡し、最も熱心に熟読され、この問題の核心を深くご理解いただき、要所要所で陣頭指揮をとっていただいたことに深く感謝している。
安倍元首相が平成24年に結成された親学推進議員連盟の会長であったため、直接お話しする機会は少なくなかったが、私が翌年4月に親学推進協会理事長を辞任し、名誉職の会長に退いた理由について直接説明する機会がなかったことは唯一の心残りである。
「教育界出る杭ネットワーク」の提唱者として、さまざまな妨害活動を乗り越え、「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」「出過ぎた杭になりましょう」と訴え、率先垂範してきたが、「親の愛情不足が原因で発達障害になる」と説く親学という不当なマスコミのレッテル張りによって、親学推進議員連盟が1年足らずで解散に追い込まれたことは断腸の思いであった。
当時、産経新聞の「解答乱麻」の拙稿連載で反論し、熊本大学の高原朗子教授も専門的立場から反論に加わっていただいたが、弁明によって感情的な反発がかえって炎上することは避けられない情勢になり、ここは堪え難きを忍んで「引くべきだ」という同志の忠言に耳を傾け、理事長辞任を決断した次第である。その背景には過激派団体が暗躍したとんでもない裏事情があったが、関係者に迷惑がかかるので今は公言できない。
親学推進協会に1億円以上の助成をしていただいた日本財団の笹川会長の配慮で、会長室で発達障害児の親の会代表と面会し、発達障害についての科学的知見に基づく親学推進協会の正式見解について詳しく説明する機会を与えていただき、誤解は完全に解消し笑顔で握手して面会を終えることができた。しかし、その後に過激派団体の働きかけによって大どんでん返しが起きたわけであるが、何が起きたかについては機が熟すればいずれ明らかにしたい。
衆議院議員会館で開催した親学推進議員連盟の研修会で、ある保育園長が安倍元首相をはじめとする国会議員に対して、「待機児童なんていません。待機親がいるだけです」と叫んだ言葉は生涯忘れられない。私自身も首相官邸で開催された男女共同参画会議で、第2次安倍政権が掲げる「保育の無償化は人づくり革命の第一歩」というのは「子供の最善の利益」に反する「経済優先の保育政策だ」と苦言を呈したところ、担当大臣が意外にも同意されたので驚いたことがある。
第一次安倍政権時代に山谷えり子政務官がまとめた政務官会議の「あったかハッピーPT」の「経済の物差しから幸福の物差しを取り戻す」という提言を忘れたのかと私は直訴した。政府が一昨年末に発表した「新子育て安心プラン」も子供ではなく「親が安心」する「保育サービス」「育児サービス」政策に他ならない。
●教育再生・男女共同参画・歴史戦に対する遺志の継承
安倍元首相は教育基本法を改正し、教育の第一義的責任は親にあることを明確にし、教育再生会議を立ち上げ、その後教育再生実行会議に受け継がれた。著書である『美しい国へ――自信と誇りのもてる日本へ』(文春新書)の第7章には「教育の再生」によって自信と誇りの持てる「美しい国・日本」を取り戻したいという思いが熱く語られている。
安倍元首相の思い出の1つとして忘れられないのは、男女共同参画会議有識者議員の選任をめぐる問題である。第一次安倍政権時代に松下政経塾の入塾審査や講師をしていた関係で親しかった高市早苗大臣室に呼ばれて、安倍首相と担当大臣が私を推薦したが、他の有識者議員の抵抗が強いので、塩崎官房長官の指示により少子化対策重点戦略検討会議の委員になってほしいと告げられたことである。首相と担当大臣が推薦して通らない人事があることを知って驚いた。
第二次安部政権時代にも同様の騒動があった。1月の某新聞に私の顔写真入りで安倍元首相が私を男女共同参画会議議員に任命と明記されていて大変驚いた。知り合いの同新聞社の記者に電話して取材源は誰かと尋ねたら、年末に元首相と社長が会食した際に社長が直接聞いた話だから間違いないとのことであった。正式には3月の人事であったためフライング気味の報道への批判も加わって抵抗が激化した。
しかし、当時の菅官房長官は拙著を読んでいただいていたために、私は男女共同参画に反対しているのではなく、男女の違いを活かし合い補い合って、共に新しい秩序をつくっていく「真の男女共同参画」を目指しているのだと弁護して下さり一件落着した次第である。
かつて歴史教科書問題などをめぐって中川昭一議員や安倍元首相と永田町のホテルで定期的に集まる勉強会に参加していたが、そのことを嗅ぎ付けた大手新聞社が全参加者に取材して、「安倍ブレーン5人組」と大きく報道したことがあったが、私はその報道を全面否定したために「6人組」とはならなかったことがよく話題になった。
過日、ユネスコの世界記憶遺産に南京大虐殺文書を登録決定したアブダビで開催された国際諮問委員会に日本政府を代表して私がオブザーバーとして参加した報告を安倍元首相にさせていただいた折に、官民一体となって「歴史戦」に取り組まなければ、日本の名誉は守れないことを直訴し熱い議論を交わしたことも忘れられない思い出である。
最近では、「こども家庭庁」問題と実子誘拐問題の諸悪の根源というべき、著しく三権分立に反する「判検交流制度」(判事が検事に身分を変え行政官となり、97人の裁判官が法務省の要職に就き、一昨年末現在で159名の裁判官が行政官として出向している)に根本的にメスを入れる必要性について決断していただいた矢先の銃撃事件で、誠に残念至極である。その影響は計り知れないものがある。
●「和して同ぜず」の生き方の継承――「種が芽吹く」よう尽力を
以上述べたような親学や教育再生、男女共同参画、「歴史戦」や歴史認識問題に対する安倍元首相の遺志をしっかり受け継いでいきたい。明確な信念、歴史観をもって「歴史戦」をはじめとする積極外交を展開された安倍元首相が、プーチン大統領や中国政府首脳、世界各国の首脳から高く評価されているのは、「和して同ぜず」の和の精神の見事な体現者であったからである。
米戦略国際問題研究所日本部長のクリストファー・ジョンストン氏は、「過去を乗り越え未来に目を向けるという安倍氏の願望」と「米国からの謝罪を求めなかった」「安倍氏の意思への米側の信頼」が米国内の障害を克服し、広島と真珠湾の相互訪問を実現し、旧敵国同士が「互いに信頼し合った証し」となり、インド太平洋地域における日本の指導的地位を築くことに結びついたと評価した。
ロシアのウクライナ侵略、台湾有事をめぐる外交安全保障問題など、厳しい国際情勢と国内の児童虐待に象徴される親子の絆・家庭崩壊の危機をいかに乗り越えるかが私達に問われている。改めて安倍元首相がめざした「美しい国」の原点に立ち返り、遺志を受け継ぎ、「和して同ぜず」の和の精神を私たち一人ひとりが日々の生活の中で体現していこう。
昭恵夫人は葬儀挨拶で、父の安倍晋太郎氏が同じ67歳で亡くなった折に、安倍元首相が書いた手記を紹介し、その中で吉田松陰が処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために著した遺書である『留魂録』の冒頭の辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂」を引用したことに触れ、「種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」と締めくくられたが、「それが芽吹く」ように思いを致し、力を尽くすことが私達の務めであろう。
ちなみに、『留魂録』の最後の句は、「七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや」という「七生報国」(何度生まれ変わっても、国の恩に報いるという楠木正成の最期の言葉)の精神を受け継いだものであった。
2年前に山縣有朋の別荘・椿山荘で開催された創成「日本」という保守系議員の会で、安倍元首相は山縣有朋が畳の上で死なずに暗殺された伊藤博文が羨ましいと語ったエピソードを紹介したという。安倍元首相の覚悟と遺志を決して忘れることなく受け継いでいこう。
(令和4年7月19日)
※髙橋史朗教授の書籍
『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と「歴史戦」』
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
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