高橋 史朗

髙橋史朗73 – 日本的ウェルビーイングの原型を探る―日本の昔話と古典に学ぶ―

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授

麗澤大学 客員教授

 

 

●日本昔話はウェルビーイングの宝庫

『まんが日本昔ばなし』はウェルビーイングの宝庫である。そのエンディングテーマである「にんげんっていいな」の歌詞には、日本的ウェルビーイングの原点が、「ごはん」「お家」「風呂」「布団で眠る」にあることを示している。

 昔話には名前がないおじいさんとおばあさんが多数登場し、主人公の弱さや嫌な部分をあるがままに肯定し、成長しないという特徴がある。弱い感情をほろっと描く達人である杉井ギサブロー監督の奇作『火男』は、「おじいさんは山へ芝刈りに……まぁ……あまり行きませんでした」と、弱さや嫌な部分をあるがままに肯定し、大酒飲みの男が主人公の『酒が足らんさけ』も始まりと同じゼロの地点へ戻る日本昔話の同じパターンの物語である。

 語り継がれてきた日本の昔話には、欲や栄誉を手放すことによって福がもたらされ、ウェルビーイングが始まるという展開の物語が数多くある。例えば、有名な『笠地蔵』を取り上げてみよう。

 大晦日の夜、貧しい老夫婦が正月を前にして餅がないことを嘆き、笠を売りに出かける。しかし、笠は一つも売れなかった。おじいさんは雪が降りしきる帰り道で頭に雪が積もったお地蔵さんをかわいそうに思い、笠をかぶせて手ぶらで帰宅する。その後、お地蔵さんたちがお礼の食料を運んで来てくれてめでたしめでたしでしたとなるわけであるが、予想外の食料を得られたことは、ここではあくまで結果論でしかない。

 お地蔵さんたちが恩返しにやってこなくても、おじいさんとおばあさんは何の文句もなかったはずである。そうではなく、『笠地蔵』で最も語られるべきことは、貧乏で食べるものもないほどの老夫婦が、年末年始を乗り切るための唯一の原資を失っても良しとした、という点である。

 

 

●ケーズデンキの「頑張らない経営」戦略と「お~いお茶」の俳句

 得よう、得ようとしてもなかなか得られないが、手放したからこそ学べるものがあるというのが、日本の昔話から学べる、ウェルビーイングにとっての重要な教訓である。残業なし、ノルマ無し、無理をしない家電量販店ケーズデンキの「頑張らない経営」戦略によって、販売員がのびのびと丁寧に、本音で接客できるように変化し、それによって高額商品の売り上げが伸び、コロナ禍にもかかわらず昨年3月期の連結決算は過去最高を記録したという。

 苛烈な競争が繰り広げられる外資系企業よりも、競争が激しい時代だからこそ、「あるがままでやっていく」ことを大切にするケーズデンキの社員のほうがよりウェルビーイングな人生を送っているといえる。

「お~いお茶」というロングセラーの緑茶商品がある。この商品のラベルには必ず俳句が載っているが、全体的に見ると否定を受容する俳句が非常に多い。例えば、27歳の女性の応募作品で第25回新俳句大賞文部科学大臣賞を受賞した「プロポーズされそうなほど冬銀河」という俳句がある。

「プロポーズ」という期待を予感させる言葉から始まるにもかかわらず、「されそうなほど」と続き、最後は「冬銀河」で締めている。つまり、実際にはプロポーズはされていないし、何も起きていないのである。このような構造は日本を代表する歌人・藤原定家の次の和歌(『新古今和歌集』)にも共通している。

「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」

 この和歌は「花も紅葉も」とまず華やかなイメージを展開しておきながら、「なかりけり」と打ち消し、最後は実際には目の前にわびしい風景しかないことを歌っている。柔らかな余韻を残して、「だがそれでいいのだ」という諦念、日本人特有の美意識が垣間見られる。このように「否定を受容」してきたのが日本文化の特徴といえる。

 日本初の勅撰和歌集である『古今和歌集』には、満開の桜などを肯定的に讃える和歌が多いが、次第に桜は満開よりも散りかけが、祭りは最中より終わった後が良しとされるようになっていった。このような精神性は今日の日本人にも受け継がれている。

 こうした「nobodyとnegativeを愛でる」日本文化の「わびさび」の特徴は、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句にも共通してみられる。実際に見えているのは夏草だけで、今はもういない兵どもを愛おしむ精神性が日本的ウェルビーイングに繋がっているという(石川善樹・吉田尚記『むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました――日本文化から読み解く幸せのカタチ』KADOKAWA)。

 

 

●日本語の「幸せ」の語源と原型としての『万葉集』『古今和歌集』

 このように否定を受容し、匿名性(nobody)やnegativeを愛でてきた日本文化から生まれたものの一つが「謙遜」である。諸外国に比べて日本の若者は自己肯定感が著しく低いと指摘されているが、自分で自分を肯定するのは「粋じゃない」という文化感覚があることを見落としてはならない、

 日本語の「幸せ」の語源は、お互いに何かをやり合う「為(し)合わす」で、それが転じて「仕合わせ」となり、「幸せ」へ変化したと考えられている。このように考えると、日本的ウェルビーイングの原型は、人間関係の「間柄」の中に見出すことができるといえよう。

 ウェルビーイングな状態、すなわち、満たされた「幸せ」とは一体何かを、日本の歴史、文化の成り立ちから捉え直す必要がある。日本的ウェルビーイングの原型を明らかにするためには、奈良時代の日本最古の歌集『万葉集』、さらに、平安時代に生まれた『古今和歌集』、さらには『古事記』神話にまでさかのぼる必要がある。

 万葉集には、天皇から防人、芸人、農民など身分の貴賤を問わず多種多様な人々の和歌が収められているが、『古今和歌集』の序文には次のように書かれている。

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれにける。世の中にある人、事業、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」

 

 

●七五調のリズムと日本語の特質

 櫻井進『雪月花の数学』によれば、日本人の脳の中核には七五調のリズムがあり、西洋の美を象徴する黄金比(5対8)に対して、法隆寺の金堂・五重塔・西院伽藍や雪舟の「秋冬山水図」、菱川師宣の「見返り美人図」に代表される日本の美は白銀比(5対7)で構成されているという。

 ちなみに、国歌「君が代」の歌詞も聖徳太子の17条憲法も、人気テレビ番組「子供たちに伝えたい美しい日本のうた」で毎週紹介されている童謡「はとぽっぽ」「雪やこんこん」等々も七五調のリズムになっている点に注目する必要がある。

 右脳と左脳による情報処理が、日本人だけ特異的であることを指摘した、角田忠信『日本人の脳』によれば、大脳は大脳辺縁系と大脳新皮質との二重構造になっており、大脳辺縁系には扁桃体と海馬、視床、視床下部等の領域があり、扁桃体と海馬が感性の中枢センターであるという。

 川のせせらぎや虫の声を雑音と感じ、邦楽を音楽ではないと感じる西洋人の感性と日本人の感性は全く異なっており、日本語の50音の配列の奥に秘められた日本文化の特質がある。「阿吽の呼吸」の「阿」は口を開けた呼気、「吽」は口を閉じた呼気と呼気の後の止息を象徴している。

 呼吸は自律神経をコントロールする技法として、「道」の文化で重視されるが、呼吸と発音は密接な関係があり、さらに5母音と生理機能も深い関係がある。「ア」は筋肉を弛緩させ、「オ」は筋肉を緊張させる。つまり、アイウエオは生理機能に及ぼす影響を考慮して、緊張と弛緩の度合いに応じて順に配列されているわけである。

 言語を単なる意思伝達の手段と見做さず、発音が生理機能に与える機能を考慮して配列した統合性と、緊張と弛緩を「対」にして捉える陰陽概念の思想は、50音の配列の奥に秘められた日本文化の特質を見事に表している(拙著『日本文化と感性教育』参照)。

 

 

●古典と昔話から学ぶ日本型ウェルビーイングの教訓

 河合隼雄『中空構造日本の深層』によれば、「日本の昔話は世界の物語の中でもかなり特殊」であり、日本神話の中心は「空っぽ」になっており、天之御中主之神と他の二神(タカミムスヒ、カミムスヒ)のバランスをとる「中空構造」になっているという。

 西洋のように「上」に向かうのではなく、日本は「奥」を目指して「ゼロに戻る」というのが日本的ウェルビーイングの原型といえる。トヨタ自動車の豊田社長は一昨年の中間決算の発表で、「幸せを量産する使命」という表現で、ウェルビーイングの追求を経営理念の中核に置く宣言をした。「車を量産する」会社ではなく、「幸せを量産する」ことこそが新しい使命であると定義した。

 昨年は日本におけるウェルビーイング元年であり、日本政府の「成長戦略実行計画」は「国民がウェルビーイングを実感できる社会の実現」を掲げ「孤独・孤立対策担当大臣」を任命した。ウェルビーイング研究の最新知見によれば、「選択肢がある」「自己決定できる」ことが大切である。

 ウェルビーイングの起源は、WHO憲章前文の定義「健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的に完全にウェルビーイングな状態」であるが、今日では、「満足」と「幸福」が2本柱になり、「ウェルビーイングとは、人生全体に対する主観的な評価である『満足』と、日々の体験に基づく『幸福』の2項目によって測定できる」と理解されている。

 脳科学(認知神経科学)的には、脳の前頭前野の左側が活性化している状態=「脳が心地よい状態」といえるが、「ポジティブ心理学」の大流行によって「自分の長所を伸ばして周囲とつながり、楽しく生きよう!」の後に、「東洋哲学ブーム」が起こり、完璧であるべきというプレッシャーに疲れた若者を癒した点にも留意する必要があろう。

 落語の間抜けな「与太郎」(愚者)を責めない寛容さを象徴する「しょうがねえなあ」という言葉や、病気と元気の調和や「難が有る」人生こそがウェルビーイングにつながる視点も重要であろう。

 道元は「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己を忘るるるなり」と喝破したが、何かをし何かにならなくても(doing, becoming)、自分がいる(being)だけでよい、存在に感謝するという視点も大切である。

 最後に、石川・吉田の前掲書は、日本文化から学ぶウェルビーイングの教訓として次の5点を挙げている。

⑴  「上より奥」の精神
⑵  ハプニングを素直に受け入れてみる心
⑶  人間は多面的であることが当然という認識に立ち戻る
⑷  自己肯定感の低さにとらわれすぎない
⑸  他者の愚かさを許し、寛容に受け入れる姿勢を身につける

 以上のような日本型ウェルビーイングの視点と「幸福学」を繋ぐ「幸和」の視点から、「感知融合の道徳教育」を捉え直した理論と実践を体系化し、年間指導計画から本時の指導案に落とし込んだ共同研究発表を6月と11月の日本道徳教育学会で行い、100回大会で「ラウンドテーブル」形式で新たな問題提起を世に問う準備を進めており、創立100周年に「中間発表」を行いたい。8月の令和専攻塾でも最新の研究報告を行いたい。

 

(令和4年6月21日)

 

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