髙橋史朗70 – いじめ・学級崩壊・校内暴力を一掃する「学校安心ルール」を全国に!――尾木ママが受け継いだ「管理主義」言説からの脱却
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授
麗澤大学 客員教授
●画期的な自民党の「いじめ対策」提言
学校でのいじめ対策を検討している自民党の作業チームは、いじめを行った児童生徒に対し、校長の権限で学校の敷地に入らないことを命じるなどの懲戒処分を創設すべきだとする提言をまとめた。
提言では、児童生徒がいじめを繰り返す場合、教育委員会が保護者に対し、出席停止を命じることができる制度があるものの、学校現場で十分に活用されておらず、被害者を守る体制が十分ではないと指摘している。
このため、指導によって改善が見られない場合などは、いじめを行った児童生徒に対し、出席停止に至るまでに段階的な措置を講じられるようにするため、「教育を受ける権利」との関係を整理した上で、校長の権限で学校に敷地に入らないことを命じるなどの新たな懲戒処分を創設すべきだとしている。
そして、処分を行う際は、直ちに学校から教育委員会に報告し、学校で記録しておくよう求めている。私が自民党文教部会でアメリカ全州のいじめ法について詳細に報告したことが契機となって、いじめ防止対策推進法の原案作成を依頼されたことは、本連載の第1回拙稿で述べたが、全国のいじめの認知件数は50万人を超えており、深刻化している。
福岡大学の大久保正廣教授が今年の3月に同大人文論叢第53巻第4号に発表した論文「公立小中学校における安全で安心できる『チーム学校』を担保する教育委員会のルールづくり」によれば、今日の学校における暴力行為の顕著な特徴は、小学校における暴力行為の深刻化である。
平成18年頃から次第に増加傾向となり、平成25年から急激に増加し、現在では中学校と比肩するレベルとなっていることが注目される。
いじめ問題では加害者に対する出席停止制度の活用がこれまで深刻な事件が起こるたびに繰り返されてきた。しかし、昭和60年度前後を境に、急に数値が減っており、平成28年以降もかなりの減少となっている。
一体なぜこのような急激な減少傾向が続いているのか。昭和58年、平成8年、平成13年に出席停止に関する法改正が行われているが、改正が行われるたびにいじめや暴力の「加害者の学ぶ権利」が重視され、「被害者の学ぶ権利」がないがしろにされてきたという根本問題があった。
●日本教育学会で台頭した「管理主義」言説
大久保正廣『混迷の学校教育一日本的規律瓦解と規律指導の再構築』(牧歌舎、平成22年)によれば、その背景には、1980年代後半に台頭した「管理主義」言説があるという。大久保によれば、「管理主義」原因説が学会で初めて登場したのは、昭和58年の日本教育学会第42回大会シンポジウム「学校生活における子どもの指導と管理」である。
ルポライターの鎌田慧、校内暴力事件で全国に名を轟かせた三重県の尾鷲中学校教師川上敬二、研究者の川合章が校内暴力などの教育荒廃の根因は「管理主義」にあると批判した。
川合によれば、「管理主義」とは「集団に成立する規則を管理する側のみで作ってそれを成員に対して一方的に押し付ける点に特徴があり、それが今日の学校教育の荒廃をもたらしている原因である」という。
2年前の日本教育学会第40回大会のシンポジウム「現代社会と非行問題」では、多くの論者が現代日本社会のもたらす「発達のゆがみ」の結果として捉え、地域・家庭・学校の教育力の低下や過密なカリキュラムなどに原因があると分析していた。
「いじめっ子・いじめられっ子」をテーマにした昭和60年の第44回大会では、研究者の藤田昌士が子供たちを抑圧しているものとして「管理主義」を挙げ、体罰と校則の押し付けの問題性を指摘した。
翌年の大会では「人間らしい触れ合いとは何か」というテーマで教師の体罰問題が論議され、体罰、校則問題に象徴される「管理主義教育」こそがいじめや校内暴力の最大の要因と強調されるようになった。
●佐藤学東大教授との白熱した討論――日本教育学会公開シンポ
私は平成11年に玉川大学で開催された日本教育学会第58回大会の公開シンポジウム「学校教育のあり方を問う――子どもにとって学校とは何か――」の提案者として招かれ、いじめや暴力行為に代表される子供たちの問題行動や「学級崩壊」をいかに捉え、この問題状況を具体的にどのように乗り越えていくべきかについての見解を求められた。
翌年の日本教育学会の第59回大会でも「学級崩壊の背景と課題」について研究発表し、同学会の『教育学研究』に掲載された。日本教育学会の公開シンポジウムの提案者として招聘されたのは、開催校である玉川大学大学院で「臨床教育学」を担当し、「学級崩壊の背景と課題」についても講義していたことから私が指名され、「臨床教育学」の先駆者として京大大学院に「臨床教育学専攻」を立ち上げた和田修二教授が同シンポの司会を務められ、後に日本教育学会会長に就任した東大の佐藤学教授らと議論する機会を与えられた次第である。
私と「スケープゴート」「シャドウ・ワーク」としての「卑屈な意識と感情」に陥った教師の管理主義を批判する佐藤学教授の白熱した討論は注目を集めた。また、平成11年4月27日の産経新聞の1面トップ記事として大きく報道された「学級崩壊」に関する「悩める教師を支援する」教育相談活動に基づく私の教育論と実践論には説得力があったようで、NHKの朝のニュ―ス番組「おはようニッポン」(5月10日放送)で解説した「学級崩壊の背景と課題」についての問い合わせの電話が全国から殺到した。
海外の15か国からも反響が寄せられ、全国の千名を超える教師からの悩み相談が寄せられた。最も相談が多かったのは50代と20代の教師であった。教員歴何十年のベテラン教師たちが「手の施しようがなく、自信を喪失した」と苦しい胸の内をさらけ出す姿は衝撃的であったが、教師が子供の変化に「不適応」になっている現実が浮き彫りになった。
●学級崩壊を克服する10のポイント
詳しくは、拙著『学級崩壊の10の克服法』(ぶんか社、平成11年)を参照してほしいが、私が東京、埼玉、大阪、福岡で10年以上指導してきた師範塾で教師に学級崩壊に対する具体的な対処法として指導してきたポイントを列挙すれば以下の通りである。
⑴ 校長がリーダーシップを発揮した学校運営の実現と教職員の一致団結
⑵ チーム・ティーチングの導入など、複数教師の協力的指導体制の確立
⑶ 教師と親との問題意識の共有による「学級王国」の密室性の打破
⑷ 子供の意識改革に通じる体験教育の積極的導入
⑸ EQ(情動知能)とライフスキル教育の導入(拙著『日本文化と感性教育』152-176頁、モラロジー研究所、平成13年、参照)
⑹ 低学年の授業時間の短縮、弾力化
⑺ 「学級崩壊」の“芽”を早期に発見し、早期に対応するための教師の研修の実施
⑻ カウンセリング・マインドの全面的展開
⑼ 教師が弱音や本音を吐ける場づくり
⑽ 「父性」「母性」のバランスの取れた家庭教育の実現
●教師の「不適応」を問う――校長試験・教員採用試験小論文問題の新傾向
平成10年の東京都の校長試験に前述した、子供の変化への教師の「不適応」に関連する次のような小論文問題が出題された。
「子供たちが学校に適応できなくなっているのではなく、学校が子供たちや社会の変化に適応できなくなっているのではないでしょうか。今、子供たちの『なぜ学校に行くのか』という疑問に答えられていないように思います。このことについて、校長としてのあなたの考えを述べなさい」
教育界はこれまで「不登校」などの問題を「子供の不適応」と捉えてきた。問題の本質を学校に適応できない子供の側に原因があるものとして捉え、何のために学び、学校に行くのか、という教育の原点を見失ってきた。全国に広がった「学級崩壊」は、この本質的問題を教師と親に鋭く突き付けた。
平成11年の教員採用試験の小論文問題にも次のような問題が出題された。
「大人は子供のころのことを忘れています。このことについてあなたの考えを述べなさい」
「教師の姿勢、態度、言葉遣いが重視されています。このことについてあなたの考えを述べなさい」
●「管理主義」批判に風穴を開けた大阪市の「学校安心ルール」
このような子供の変化への教師の不適応という視点から、教師の姿勢、態度、言葉遣いを見直すことは必要不可欠であるが、前述した「管理主義」言説と混同してはならない。「管理主義」を提唱した全国生活指導研究協議会(全生研)の常任委員会代表の宮坂哲文『生活指導の基礎理論』(誠信書房、昭和37年)によれば、「管理主義」とは、「学級の外面的秩序の確立維持のみでなく、そのような外面的秩序を内面化させることを目的とした子どもの心情面の統制をも含めて、それらいっさいの管理の責任を教師が負おうとする立場」であるという。
このような思想的立場は、「学校管理的立場」や「権力支配の体制に淵源」しているという。ちなみに、「管理主義」批判の急先鋒であった全生研常任員会『学級集団づくり入門』(明治図書、昭和58年)によれば、民主的な集団づくり等の自治活動の欠如の結果として校則問題や体罰問題などの「管理主義」が生まれ、学校荒廃の元凶は「管理主義」にあるという。
そこで、「懲戒・訓戒権を学級担任から切り離し、教師集団(日教組など)の意思に基づくものに再編」することを提案している。このような全生研の「集団主義」の思想的淵源は、社会主義国家の建設を目指したソ連の教育実践家マカレンコであった。
このような特定のイデオロギーに基づき、学校における規律や指導を「管理主義」の名のもとに批判する論調が、日教祖や日教組講師団の教育学者、マスコミなどによって教育現場に拡散され、いじめる側の権利を擁護する今日の風潮に受け継がれているのである(今村城太郎との共著『“いじめ”の根源を問う一集団主義教育の「犯罪」』展転社、平成7年、参照)。
こうした「管理主義」批判を乗り越えたのが、大阪市で導入された「学校安心ルール」で、児童生徒の問題行動を類型化し、問題行動の類型に応じて5段階に分け、段階に応じて「教師の指導」「別室指導」などの指導方法を細かく決めた。
そして、「レベル5」に認定された場合、所属校への登校を禁止され、大阪市内の廃校になった学校の校舎を転用して設置された「個別指導教室」に通学させ、元校長などの指導員から個別指導を受けることにした。
●暴力事件が急減した「学校安心ルール」とは何か
大阪市が次のような「学校安心ルール」を本格実施した平成28年度から小中学校における暴力事件は急激に減少し、神戸大学の西村和雄教授が産経新聞の平成30年11月14日付「正論」欄に「子供の暴力、劇的改善に学ぶ」と題して高く評価して注目を集めた。
⑴ 指導基準の明確化
⑵ 段階的指導
⑶ それに応じた管理職を含めた組織的対応(「チーム学校」での取り組み)
⑷ 重度のいじめなどの違法行為への、管理職と教育委員会・関係機関との具体的対応
大阪市のより具体的な説明は次の通りである。
⑴ 学校生活のルールや決まり(校則など)は、児童生徒、保護者、地域関係者や教職と十分に協議の上、合理的な説明ができる内容とし、互いに納得できるものとなるよう心掛ける。
⑵ 学校生活のルールや決まりは、児童生徒及び保護者に事前に周知する。
⑶ 義務教育段階や高等学校では、懲戒を行う場合は法にのっとって実施する。
⑷ 義務教育段階では、教育委員会が保護者に対して行う児童生徒の出席停止措置がある。
⑸ 高等学校で行う特別指導は、合理性のある運用をしなければならない。
冒頭に述べた自民党の「いじめ対策」提言が、こうした保護者の共通理解のもとに、全国的に「チーム学校」で実践されることが期待される。テレビを中心とするマスメディアの寵児となった尾木ママに受け継がれ、「こども家庭庁」論議にも大きな影を落としている「管理主義」言説からの脱却こそが求められている。
生徒指導の方針・基準を明確化・具体化し、「懲戒を加えることができる」と明記した学校教育法第11条や退学の要件(「性行不良で改善の見込みがないと認められる者」など四つの事由)を定めた同法施行規則第26条第3項を明示した文科省の『生徒指導提要』の記述が、法制審議会が決定した「懲戒権」廃止の民法改正などと絡めて、今回の改訂でどのように見直されるのか注視する必要があろう。
(令和4年5月30日)
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