高橋 史朗

髙橋史朗66 – アドラー心理学と幸福学を活用する道徳教育を目指して

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授

 

 

 私がアメリカの大学院で学んだアドラー心理学と現代の実証主義的心理学、ポジティブ心理学、「統計学に基づく幸福学」の構造は逆になっているが、全体像には共通点があり、道徳教育に活用する多くのヒントを示唆しているように思われる。

 私が昨年から始めた髙橋史朗塾の2期生のメインテーマは、「感知融合の道徳教育――いのちの科学的根拠に基づく『幸和常若』教育の試み――」であるが、日本の伝統的な持続可能な「常若」思想で、SDGsを捉え直し、幸福学とアドラー心理学の基礎理論と「和して同ぜず」の和の精神を統合した「幸和」の考え方でウェルビーイングを「主体的、対話的な深い学び」として深める「感知融合の道徳教育」の理論と実践の構造化、体系化を目指している。

 

 

●アドラー心理学の哲学――「共同体感覚」の三要素

 1980年代初頭の日本にアドラーを紹介した精神科医の野田俊作によれば、アドラー心理学の中核である「共同体感覚」を構成する三要素は、「自己受容」「他者信頼」「貢献感」であり、ポジティブ心理学やウェルビーイング研究において統計的に検証されている。

 幸福学研究の第一人者で「ドクター・ハピネス」とも称されるエド・ディーナー博士が「自分の研究は科学的かつテクニカルであり、どうすれば幸せになれるかという問いは私のやりたいことの範疇外である」と明記している点に、現代実証主義的心理学者の典型的な立場が表明されており興味深い。実証主義的心理学の多くは「どうして人は悩むのか」という視点を基本にしているのに対して、アドラー心理学は「どうすれば人は幸せになれるか」を明らかにして「患者を治す」ことに重点を置いている。

 哲学から始めて実践で終わるアドラー心理学と科学から始めて哲学で終わる幸福学には構造的に大きな相違点があるが、両者の全体像には共通点がある。この点について考えてみたい。

 アドラー心理学の土台になっている「共同体感覚」を構成する三つの要素は次の通りである。

 

自己受容
 自分を受け入れること。自己承認とは似ているようで、まったく違う。自己承認は、自分の良いところを見つけること。自己受容は、自分の良いところも、ダメな欠点も含めてOKを出せること。
他者信頼
 周りの人を信頼できること。
貢献感
 周りの人の役に立てているという感覚。

 この三要素が高ければ高いほど、共同体感覚が満たされ、人は幸せを感じるという。心の病やさまざまなトラブルは、この3つが低いことによって生じているので、この3つを高めれば、多くの問題が解決して幸せになれる、とアドラーは考える。

 

 

●アドラー心理学と幸福学の相関関係

 統計的な検証に基づく実証的な心理学の研究の中で、人間の幸福度を高める「幸せの4因子」を発見した幸福学研究のわが国の第一人者である前野隆司慶応大学ウェルビーイングリサーチセンター長によれば、幸福度ともっとも相関関係が強いのが、アドラー心理学の「自己受容」であるという。ちなみに、前野教授が発見した「幸せの4つの因子」は以下の4つである。

 

やってみよう因子(自己実現と成長)
 夢や目標を持っていたり、主体的に行動できる人は幸福度が高い。自己肯定感が高く、周りへの信頼感もある人は、失敗を過度に恐れずに行動することができる。また、仲間とのつながりが安心感を生み、その安心感が確保されている環境に属しているほうが、創造的に行動する傾向が高くなる。
ありがとう因子(つながりと感謝)
 人と積極的に接して、感謝できる人は幸福度が高い。アドラー心理学の「他者信頼」と「貢献感」と深い関係にある。他者との信頼関係が幸福度を高めるという研究や、人への親切、思いやりが、その人を幸せにするという研究も多く発表されている。
なんとかなる因子(前向きと楽観)
 常に前向きで楽観的、気持ちの切り替えが速い人は幸福度が高い。アドラー心理学の「自己受容」と非常に相関関係が高い因子であることがわかっている。「自己受容」ができていると、「なんとかなる」と物事を前向きに捉えられるからである、
ありのままに因子(独立と自分らしさ)
 人の目を気にせず、本来の自分のままに行動できる人は幸福度が高い。

 現代の実証心理学の統計調査による検証によって、「自己受容」ともっとも相関が高かったのが、現代の心理学で言う「本来感」と呼ばれているものに近い「ありにままに因子」ではなく、「なんとかなる因子」であったことは大変興味深い。「なんとかなる因子」は「自己効力感」と相関が高く、「勇気が湧いている状態」に近いという(本稿の主要参考文献である平本あきお・前野隆司『幸せに生きる方法』ワニ・プラス、令和3年、参照)。

 

 

●アドラー心理学の理論

 次に、アドラーが提唱した共同体感覚の理論は、次の五つに分類できる。

 

創造的自己
 創造的自己は、主体性や自分の行動を自分で決める自己決定と関係している。神戸大学社会システムイノベーションセンターの西村和雄特命教授と同志社大学の八木匡教授が日本人を対象に行った2万人調査によれば、「所得や学歴より、自己決定度の高さが幸福度を上げる」ことが判明した。また、アメリカの研究でも「幸せな社員は、不幸な社員よりも創造性が3倍高い」ことがわかっている。
 また、大きな夢を目指すよりも、小さな夢や目標で満足する人のほうが幸福度は高く、小さな目標を達成することを積み重ねて大きな夢につなげるのが良いこともわかっている。アドラー式成功体験トレーニングでは、自分でしたいことを意識的に決めさせ、実行したら「できた」としっかり認識させる。
目的論
 目的論には狭義の目的論と広義の目的論がある。狭義の目的論では、あらゆる行動や感情にはすべて目的があると捉え、目的を見つけ出すことで、問題になっている行動や感情を変えられると考える。行動や症状が起こる原因ではなく、目的(=メリット)に注目し、他の方法で同じメリットを得ることはできないか、自己決定してもらう。
 一方、広義の目的論の基本となるのは、アドラーの「どこから来たかではなく、どこに向かうのか(目的)が重要である」という発想である。つまり、原因論のように悪いところを探すのではなく、良いところを探すのでもなく、「どうなりたいのか」「結局のところ、どうなったらいいのか」という未来の目的から発想するのが広義の目的論である。アドラー心理学は科学的な正しさを追求するのではなく、臨床現場で役に立つことを目指す立場といえる。
主観主義
 主観主義は現象学、認知論とも呼ばれ、反対の概念は客観主義である。主観主義は、「人間一人ひとりの価値観、ものの考え方、見方はそれぞれ異なる、という前提に立ちましょう」という仮説である。主観主義とは、相手の見ている・感じている世界に寄り添うことで、相手の世界に深く寄り添うことができれば、相手の気持ちは満たされ、不安が癒され自ら問題を解消することができるようになる。
 主観主義は幸福学と親和性が高く、主観主義は多様性を認めることでもある。前野隆司教授によれば、「多様性に富んだ社会のほうが幸福度が高く、イノベーションも起きやすい」「友達が多様なほうが幸せだ」という研究もあるという。
対人関係論
 アドラーは「すべての問題は、対人関係に由来する」と指摘しているが、「対人関係論」とは、そのことを前提に人と関わるべきだとする仮説である。対人関係論の対極は精神内界論で、心にまつわる問題(うつ病やパニック障害など)はすべてその人の身体の内側で起きていると捉える立場である。
 アドラー心理学のカウンセリング事例によれば、万引き常習犯の中学生は万引きした商品そのものには全く興味がなく、万引きをすると、いつもは強い立場の母親が傷ついて「それだけはやめて」と懇願するような態度になるために万引きをしたことがわかった。対人関係論で関わるカウンセリングによって、万引き問題を解決に導いたのである。対人関係論は「すべての人間は、自分の居場所を見つけようとしている」という前提に立っているといえる。
全体論
 全体論とは「人間の中には、本来、対立や矛盾は存在しない」というアドラーの考えを前提とする立場である。全体論は要素還元論のように、「あんな失敗をしてしまった自分は、もう生きていく価値がない」というふうに発想するのではなく、「あの体験は本当につらく、悲しいことであったけれど、難があったからこそ有難いと気付かされ、学んだことがある」と捉えて「心のコップを上に向ける」陽転思考に立脚する。

 

 

●科学的・臨床的アプローチを融合する道徳教育の理論と実践の接続を目指して

 以上のアドラー心理学の理論は、あくまで治療効果を高めるための臨床工学的な仮説といえる。真理を追究する科学と、効果を追求する臨床アプローチとは、目的が根本的に異なる。この「科学の知」と「臨床の知」を融合した道徳教育については、拙稿「『道徳性の芽生え』を育む道徳教育の今日的課題――『臨床の知』と『科学の知』の融合」(『モラロジー研究』87号、令和3年10月、所収論文)を参照されたい。

 6月26日に開催される日本道徳教育学会第99回大会と、11月20日に開催される同100回大会において、「感知融合の道徳教育の理論と実践――いのちの科学的根拠に基づく『幸和常若』教育の試み――」と題して、髙橋史朗塾の小学校教師と共同研究発表する準備を進めている。

 麗澤大学大学院に所属し、同学会の研究発表を3年間で6回行ったが、道徳教育の理論の分科会に参加、発表する研究者と、実践研究の分科会に参加、発表する現職教員の間には乖離が見られ、相互交流が圧倒的に不足していると痛感した。そこで、昨年から小学校教師を中心とした髙橋史朗塾を開塾し、道徳教育の理論と実践の往還を深めることにした次第である。髙橋塾は科学的根拠に基づく道徳教育・家庭教育、「幸和常若」教育、歴史認識の継承と遺志の継承グループの分科会も開催し、8月20・21日に開催される令和専攻塾でもその成果と課題に関する最新報告を行う予定である。

 

(令和4年5月6日)

 

※髙橋史朗教授の書籍
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