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          ―非・理・法・権・天はこれ真理なり―

中山 理 9 – 現代の日本人が胸に刻むべきいにしえ武士もののふの箴言 ①
      ―非・理・法・権・天はこれ真理なり―

中山 理

モラロジー道徳教育財団特任教授

麗澤大学・前学長

麗澤大学大学院特任教授

 

●ロシアのウクライナ侵略で脳裏に浮かんだ成句

 現在、世界を震撼させている事件といえば、いうまでもなくロシアによるウクライナへの軍事侵略でしょう。数々の国際法違反もさることながら、私たちをもっとも驚かせているのは、国連憲章の精神を遵守すべき立場にある常任理事国の大国が、こともあろうに核兵器の使用をちらつかせながら一方的に「力」で他国を侵略していることです。

 今回の軍事侵略によって、ウクライナの人々がこれまで築き上げてきた市民生活は一瞬にして破壊され、無辜の市民の命までも無差別に奪われ続けています。このような暴挙は、前述したように国際法違反の犯罪的行為であるだけでなく、第二次世界大戦後の国際的秩序を根底から覆した不道徳的行為として歴史に刻まれることでしょう。

 そのような世界情勢と現在の日本がおかれた現状をみるにつけ、筆者の脳裏に浮かぶ箴言がありますので、ご紹介したいと思います。それは、法学者・歴史学者・道徳教育者である本財団の創立者、廣池千九郎が書き残した成句、「非・理・法・権・天はこれ真理なり」です。

 廣池は、質の高いモラルを体得したいと思っている人の「記憶に便ならしめんがために」、その実質の内容を簡単な一つの成句にまとめあげました。その大著である『道徳科学の論文』には同様の成句が全部で136句収載されているのですが、その最後を飾るのがこの「非・理・法・権・天はこれ真理なり」です(『道徳科学の論文』416~18ページ)

「非・理・法・権・天」は南北朝時代の武将、楠木正成(1294~1336年)の軍旗に記してあった五語だと伝えられています。これを書き下すと、「非」は「理」に勝たず、「理」は「法」に勝たず、「法」は「権」に勝たず、その「権」は「天」に勝たずとなります。「天」とは明にして私がない天道のことですから、人は何人たりとも、天道を欺くことはできない、したがって天道に従って行動すべきだという戒めです(『精選版 日本国語大辞典』)

 廣池はこの成句が真理だといえる理由をつぎのように説明しています。すなわち、悪いことは道理に勝たぬ、法律の中には正義に反するものもあるので、道理は法律に勝たぬことがある、たとえ正義に合致する法律でも、みだりに権力や暴力を振るうものに対すれば、これには勝たぬが、結局、いかなる者も天の力には勝たぬ、と。法律に精通した法学者の廣池の成句だけにすこぶる説得力があります。

 

 

●日本の「法」だけでは独裁国家の「権」には勝たず

 このエッセイで「非・理・法・権・天」を取り上げたのは、今でも日本人が箴言として肝に銘ずべき生命力がこの成句に宿っていると思えたからです。

 日本で「法」といえば、まず「平和憲法」ともいわれる日本国憲法が思い浮かぶでしょう。この憲法を遵守するのは法治国家の国民として当然の義務であることは言うまでもありません。しかし、この日本国の「法」さえあれば、世界のあらゆる「権」に常に勝てるかというと必ずしもそうではなく、おのずと限界があるのは明らかです。というのも、いくらこちらが「法」に訴えても、「みだりに権力や暴力を振るうもの」が相手となると、これに太刀打ちできないからです。

 現在のウクライナ・ロシア情勢を見ればわるように、国連総長がロシアを訪問し、同国の行為は国連憲章違反だといくら訴えても、同国は聞く耳を持たず、その侵略行為を止めようとしませんでした。これと同じように、わが国の平和憲法だけでは、日本の侵略行為は禁止できても、外国の侵略行為を止めるまでの抑止力は望めず、「法」だけを寄りどころにしていると、日本国の安全と存続が脅かされることにもなりかねないのです。

 日本国憲法の前文に明記されているように、「恒久の平和を念願」するのはとても大切なことです。また「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ことに共感を覚える人もいるでしょう。

 しかし弱肉強食の世界は「平和を愛する諸国民」だけで構成されているわけではありません。残念ながら、平和を愛するよりも権力を信奉し、武力で他国への侵略を虎視眈々と目論む大国も実在しているのです。

 では、そのような「公正と信義」への信頼が持てない「力」の信奉者に対して、私たちはどうすればよいのでしょうか。ここで求められるのは、やはり神学的な平和論議ではなく、目前の脅威に対する具体的で実質的な対処法や対応策でしょう。それも私たちに突きつけられた国際社会の厳しい現実に対応できるものでなければなりません。

 それでもなお「いかなる武力行使も認めない」とか、「今まで日本が平和を享受できたのは平和憲法のお蔭だから、これだけを守っていればよい」とかいう意見があるかもしれません。しかし、そのような平和主義的な空論だけで、はたして日本人の生命、財産、領土を守ることができるでしょうか。

 それは筆者だけの懸念ではありません。今回のウクライナ・ロシア問題で、多数の日本国民が現在の日本の安全保障体制に多かれ少なかれ不安をいだくようになりました。たとえば、毎日新聞と社会調査研究センターが実施した全国世論調査によると、「ロシアがウクライナに軍事侵攻したことで、日本の安全保障が脅かされる不安を感じるか」という問いに対し、「強い不安を感じる」(46%)と「ある程度の不安は感じる」(41%)を合わせて87%が不安を感じると回答しています(2022年3月19日)。

 

 

●平和主義だけでは日本の安全保障は成り立たない

 イギリスの作家でジャーナリストのジョージ・オーウェルは、平和主義者が「暴力を“放棄”できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使してくれるからだ」と述べています。 [*1]

 もしオーウェルが先ほどの平和主義的な日本人の発言を聞いたら「彼らが“平和”を維持できるのは、彼らに代わってアメリカが核の傘を提供してくれるからだ」と呟いたかもしれません。現在は、そのアメリカの「力」でさえ相対的に低下しているのです。

 誰もが戦争には反対でしょうし、誰もが戦争よりは平和のほうを望むでしょう。そして問題が起これば、正義が平和裏に実現されるよう、相手の理性と良心に訴えて粘り強く話し合い、戦争にならないよう最大限の外交努力をすべきです。しかしながら、いくら正義のもとに話し合おうとしても、またいくら平和を望む気持ちを強くしても(ウクライナも最初は外交的解決を望んでいた)、一方的に他国から侵略されれば、自国民の命を守るために軍事力をやむをえず行使せざるをえない場合があるのです。それが国際社会の厳しい現実ではないでしょうか。

 つまり、いかに「理」や「法」に訴えても「力」なき正義論は無力であり、対等の防衛力なき外交努力にはおのずと限界があるということです。むしろ戦争が起こるのは、国家間における「力」の均衡が崩れるときではないでしょうか。ウクライナは、ソ連から独立した1991年、約1800発の核弾頭と約180基の大陸間弾道ミサイルを保持していましたが、1994年の「ブタペスト覚書」で核兵器を撤去することに合意しました。というのも、それを交換条件として、アメリカ、イギリス、ロシアの国連常任理事国が同国の独立、主権、領土を守ることを保証したからです。

 ところが、その当事国のロシアが安全保障の約束を反故にしてウクライナの領土を侵略し軍事力で自国の要求を飲ませようとしているのです。「法」はあっても、核の「力」による威嚇や恫喝があるためか、国連もその侵略行為をとめることができないのです。

 ここから私たち日本人が学ぶべきは、「力」の信奉者に対する場合、自国の安全は自国の「力」で守るしか選択肢がないということです。そのうえで日本の安全保障を真剣に考えるならば、こちらから戦争を起こさないのはいわずもがな、相手に戦争を起こさせないような未然防止策に万全を期すことが何よりも重要なのです。そのためには「法」を遵守しながらも、それだけで良しとするのではなく、あるいは「法」が不備ならば正当な「力」を発揮できるよう「法」を改正し、あらゆる可能性を想定しながら、国際軍事力学のバランスが保たれるよう日本独自の防衛「力」を十分に整備しておくことが必要なのではないでしょうか。

 

*1

1945年10月にオーウェルが発表したエッセイ「ナショナリズムに関するメモ」(Note on nationalism)の中の一節(“Pacifist: Those who ‘abjure’ violence can only do so because others are committing violence on their behalf.”)文中の訳文はジョージ・オーウェル著、 小野寺 健 編集・翻訳『オーウェル評論集』(岩波文庫1982年)から。原文の直訳は「暴力を“放棄”する人々は、他の人々が彼らの代わりに暴力を振るってくれるからこそ、そのようなことができるのである」というほどの意味。

 

<②へ つづく>

 

(令和4年5月2日)

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