高橋 史朗

髙橋史朗65 -「ジェンダー」をどう捉え、教えるべきか

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団 道徳科学研究所教授

 

 

 自然的・生物学的性差(セックス)に対して、社会的・文化的性差をジェンダーという。ジェンダーという用語は、1995年の第4回世界女性会議で採択された北京宣言及び行動綱領において使用されたが、男女共同参画基本法においては使用していない。

 

 

●多様性を示すために生まれた「ジェンダー」概念

 上野千鶴子東大名誉教授によれば、「なぜこんな新しい概念が生まれたかといえば、生まれつき決定されていると考えられるセックスに対して、ジェンダーの多様性や変化の可能性を示すため」であり、「社会的につくられたものだから、社会的に変更することができる」ことを明確にするために、あえて「ジェンダーという外来語を訳さずにそのまま使っている」という。

 ジェンダーは社会的・文化的概念であるから、人間社会のありとあらゆるところに見出すことができる。「ジェンダーバイアス(ジェンダーに根差した偏見や固定観念)を取り除く」という掛け声のもとに、家庭や職場などにおける男女の固定的役割分担、テレビコマーシャルなど、人間社会のほとんど全領域において、現在の在り方を根本的に覆すことができるようになる。

 つまり、ジェンダーという言葉を武器にして男女平等や男女共同参画を主張すると、社会全体を変革する大きな破壊力を発揮することができるという訳である。ジェンダーという用語がフェミニストたちの合言葉となり、男女共同参画社会基本法が成立してから、にわかにこの耳慣れない言葉が登場し頻発されるようになり、教科書にも登場するようになった背景には、このような狙いや思惑が潜んでいたのである。

 一方、内閣府が明らかにしているように、「ジェンダー・フリー」という用語は、使用する人によってその意味や主張する内容は様々であり、前述した北京宣言及び行動綱領や国連婦人の地位委員会の年次会合の報告書などでは使われていない。また、男女共同参画社会基本法や基本計画等においても使用していない。

 ジェンダー・フリーをめぐる混乱や不毛な対立を乗り越えるためには、ジェンダー・フリーという言葉の意味内容を明確にする必要がある。

 ジェンダー・フリー思想の最大の問題点は、それが「ジェンダーは抑圧を生む」という迷信、イデオロギーと一体になっている点にある。例えば、上野千鶴子氏はフランスの社会学者でジェンダー・フリーの生みの親であるクリスティーヌ・デルフィの「男であるということは支配する性である。支配する性であるためには支配される性がなくてはならない」という文章を紹介しているが、このように男女の関係を「支配する性」と「支配される性」という支配・被支配の敵対関係と捉え、男の女に対する「抑圧システム」「権力装置」からの解放を目指すのが「ジェンダー・フリー」だと多くのフェミニストたちは主張する。

 

 

●ジェンダーの三段論法と積極的意義

 埼玉大学の長谷川三千子名誉教授は、ジェンダー理論は次の三段論法から成り立っていると分析している。

①「ジェンダー」は(男女の定型を押し付けることによって)女性たちを抑圧する。
②「ジェンダー」は、文化的・社会的に形成されたものにすぎないから簡単に変更し、解体できる。
③ だからジェンダーは解体しなければならない。

 この論理の根本的な誤りは①にある。人間社会のありとあらゆるところに支配・被支配、権力・抑圧の構造を見るというのは、既に破綻したマルクス主義の亡霊的発想であるが、文化マルクス主義という今日の「新しい全体主義」に受け継がれている思考パターンといえる。この①の前提から出発すると、ジェンダーが持っている積極的な意義が見失われてしまう。

 ジェンダーの積極的意義とは一体何か。いかなる生物も単なる染色体の差異による雌雄の差があるだけでは繫殖することができない。例えば、オーストラリアのあずまや鳥は、雄が飾り立てたあずまやに雌を誘ってはじめて交尾が可能になる。

 私は30年以上、学生を引率して多摩動物公園を訪れ、園長や飼育係から人間と動物の繁殖と子育ての違いについて実際に動物を見学しながら解説してもらう授業を行ってきたが、アカカンガルーの雌は、力比べに勝った雄でなければ交尾を許さない。また、チョウゲンボウの雄は小型で素早く狩りをし、雌は大型で卵やヒナを保護するのに適しており、片方が子育ての最中に死んでしまうと、全部共倒れになってしまう。

 こうした雄、雌の行動の型は、動物の場合は種ごとに定まっており、本能によって学習なしに繰り返されるが、人間の場合は学習し「文化」として継承されないと身につかない。こうした男女の行動の定型はある意味で煩わしく、うっとうしい縛りでもあるが、もしそれが失われてしまったら、人工飼育されたチンパンジーが繁殖・子育てを放棄するように人間の子育て繫殖は不可能となってしまう。

 ジェンダーが人間を縛らなくなったら、人間は「繁殖の作法」を失い、人類は存亡の危機に瀕する。動物は高等になるにつれて、それぞれの決まった雄と雌の「繁殖の作法」をもち、それは本能によって行われるが、チンパンジーやゴリラにおいてさえ集団における学習が必要不可欠である。人間の場合、それにあたるのが「ジェンダー」で、人間社会における「ジェンダー」は非常に重要な働きをしているものなのである。

 男女の性差を解消して男女の逆転や中性化を目指す極端な「ジェンダー・フリー」は男女共同参画社会の実現をむしろ阻害するものである。男女共同参画は「男女の差の機械的・画一的な解消を求めているのではない」「『男らしさ』『女らしさ』や伝統文化などを否定しようとするものではない」という政府見解が内閣府によって明らかにされている。

 

 

●全国に広がった「ジェンダー・フリー」理論

 男女共同参画社会基本法があたかもジェンダー・フリーを志向しているかのような誤解を招いてしまったことについて、平成17年7月23日付読売新聞社説は、男女共同参画審議会の専門委員だった大沢真理氏が、その著書で、男女共同参画審議会答申「男女共同参画ビジョン」に「社会的文化的に形成された性差(ジェンダー)に縛られず」とあるのは、「男女共同参画はgender equalityをも越えて、ジェンダーそのものの解消、『ジェンダーからの解放(ジェンダー・フリー)』を志向する」と解説したためであるという。

 しかし、「政府が基本法の法案を作成する段階で、ジェンダー・フリーに視点は否定された」と同社説は断言している。「ジェンダー」とは、「社会的・文化的に形成された男女の定型」を意味する。重要なのは「セックス」に基づく「自然的・生物学的な性差」は先天的なもので解消してしまうことはできないが、後天的につくられた「ジェンダー」は社会的に解消してしまうことも可能だということである。

 ここに、男女の性差は常に男性が支配し、女性が抑圧されるという構造を持つというマルクスの理論が加わり、人間社会の至る所にあるすべての現象に内在している「男女の定型」イコール「ジェンダー」をすべて打ち壊すべしという「ジェンダー・フリー」理論が出来上がり、全国各地で猛威を振るっているわけである。しかし、ジェンダーには積極的な意義があり、これが失われたら人間は生きていけない。

 

 

●男女の「区別」と「差別」について慎重な検討を!

「性差別意識」の解消は必要であるが、わが国の教育界では「ジェンダー・フリー」を「性差意識」の解消と誤解したために混乱が広がり、近年の教科書におけるジェンダー記述によってますます拍車がかかっている。女子差別撤廃条約の第1条には、「『女子に対する差別』とは性に基づく区別、排除、又は制限であって」と書かれているが、男女の区別と差別の境界については慎重に検討しなければならない。

 男女の社会参加の「機会の均等」を目指す「男女共同参画」と「性差意識」の解消を目指す「ジェンダー・フリー」を混同してはならない。以上述べた点についての共通理解を図ることが混乱を収拾するポイントとなるのではないか。私は4期8年、内閣府の男女共同参画会議有識者議員として、一貫して「子供の最善の利益」を最優先に考慮する立場から発言してきたが、子供の利益よりも女性の利益を優先する発言が目立った。

 バランスの取れた東京都荒川区男女共同参画社会基本条例案と福岡県筑後市の同条例案が不当な圧力によって成立直前に撤回され、「バックラッシュ(反動的女性差別)」派に対する「ジェンダー・フリー」派の勝利という対立図式でマスコミが大きく報じたが、このような不毛な二極対立を乗り越える必要がある。

「ジェンダー・フリー」でも、その反動としての「バックラッシュ」でもない「男女共創共活社会」の実現を目指す“第三の教育”こそが求められている。「共活」とは、共に違いを活かし合う、という意味である。

 男らしさ女らしさを否定したり、逆に「男のくせに」「女のくせに」などと過度にとらわれる両極端を教育から排除し、男女が補完し合って和合の文化をつくり上げてきた日本文化の良さを生かしつつ、男尊女卑の差別意識と社会制度を変革し、男女の「機会の均等」を制度的に保障し、男女が協調して共に新しい秩序を創造する「共創社会」の建設を目指したい。なお、ジェンダーについては、本連載26283455の拙稿を参照してほしい。

 

(令和4年4月28日)

 

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