高橋 史朗

髙橋史朗 62 – ウェルビーイングを「幸和」として捉え直し、道徳教育の実践化を目指す

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

 

 

 私が昨年引っ越した自宅マンションのミーティンングルームで始めた教師塾は、日本と世界に発信すべき21世紀をリードする教育の在り方について探求している。科学的根拠に基づく道徳教育の実践化を目指し、「感知融合の道徳教育—命の科学的根拠に基づく『幸和常若』徳育の試み―」をメインテーマに共同研究に取り組んでおり、6月と11月に開催される日本道徳教育学会で自由研究発表を行う予定である。

 

 

幸福学の三つの基礎が調和する「幸和」

 「幸和」とは、ウェルビーイングを日本文化の主体性に立脚して捉え直した理念であり、「常若(とこわか)」とは、SDGs(持続可能な開発目標)を同様に捉え直した理念である。「常若」については、拙稿の本連載60「『常若(とこわか)』の思想を世界へ発信する宗像国際環境会議」を参照されたい。ちなみに、宗像市長から安倍昭恵夫人が「むなかた応援大使」に任命されている。

 世界保健機関(WHO)憲章前文によれば、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態(well-being)にあること」を意味する。つまり「ウェルビーイング」とは心身ともに「良好な状態」で、幸福、健康、福祉を包含した概念といえる。

 この「ウェルビーイング」の考え方を日本の和の精神で捉え直すと、ウェルビーイングの「主体的、対話的な深い学び」として構造化、体系化するヒントが得られる。キーワードは「調和」であるが、妻・髙橋こずえの詩集『ありがとうの音色を響かせて』(MOKU出版)の中に、次のような詩がある。

調和

事物が 人が
調和ある姿で存在することが
何よりの美しさでしょう

 

調和って 単に調っているだけではなく
生き生きと それぞれがそこに活動しながら
衝突することもなく 存在する姿

 

勾玉のように
まん丸ではないけれど

 

次に動き出す生命の躍動がある
みなが動きながら ぶつかることもなく 行き交う

 

あの人は ああ考えながら
この人は こう考えながら
美しく調和する

 「幸福学」の第一人者である前野隆司慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長によれば、ウェルビーイングは「科学的エビデンスに基づく倫理学」であり、幸福学は「予防医学」であり、幸福学の基礎は、①安全など、環境に基づく「社会的に良好な状態」、②健康など「身体的に良好な状態」、➂心的要因(幸せの4因子)である「精神的に良好な状態」であるという。この幸福学の三つの基礎が調和する「幸和」がウェルビーイングに他ならない。

 「幸せの4因子」とは、①自己実現と成長(「やってみよう」因子)、強み、主体性、②つながりと感謝(「ありがとう」因子)、利他、多様性、➂前向きと楽観(「なんとかなる」因子)、チャレンジ精神、④独立と自分らしさ(「ありのまま」因子)、自分軸である。

 こうした考え方は、「臨床の知」「神話の知」に通ずる。「臨床の知」は、諸感覚の協働に基づく「共通感覚」的な知で、「神話の知」に通ずる(詳細については、拙稿「『道徳性の芽生え』を育む道徳教育の今日的課題—『臨床の知』と『科学の知』の融合—」『モラロジー研究』87号、参照)。

 

 

「勾玉」の文化と「とこわか」思想の接点

 「神話の知」とは一体何か。神話の根底にある「知恵」である。日本神話に登場する、日本の皇室に伝わる「三種の神器」を構成する「鏡」「勾玉」「剣」の精神(象徴的意味)の解釈については様々な説があるが、SDGs(とこわか)、ウェルビーイング(幸和)の基本理念と深い関係にある点に注目する必要がある。。

 水野祐によれば、勾玉は日本特有の遺物であり、「出雲の玉の文化はじつに、北九州の宗像系の人々との接触によって、そこに独自の勾玉の文化が築かれたという考え方に導かれる」「宗像から出雲へ移った」文化であるという。

 その宗像の地で国際環境会議が8回開催され、昨年の10月8日に「常若宣言」、一昨年の12月20日には「常若産業宣言」が発表され、「多種多様な生命(いのち)の循環、常若社会の実現」「常若(とこわか)という日本の伝統的な持続可能な考え方の上に立ち取り組んでいく」「日本のものづくりの心と体は、常若から始まっている」と宣言し、令和元年の<宗像宣言>では、「『常若』とは『Sustainable』(持続可能)の言いかえではなく、持続可能な定義に精神性、地球と人類のあるべき姿の可能性を含んでいる。今後は、…『常若』の国際的な発信を行っていきたい」と高らかに宣言した。

 明治時代から天皇の代替わりに元号が変わる「一世一元の制」に改められたが、江戸以前は天変地異などの差異を理由に元号が改められる「災異改元」が少なくなかった。「国生み神話」に書かれているイザナギとイザナミの「失敗」も「修理固成」(「理(ことわり)」を修めてつくり固めなせ)という「神話の知」「臨床の知」を象徴する物語と解釈できる。

 現代風に言えば、流産してしまった責任を責めるのではなく,理(ことわり)を修めることによって蘇ったのである。「難有」とは、「難が有るから、有難い」という意味であるが、こうした困難や失敗に際しても「心のコップ」を上に向ける「臨床の知」が「神話の知」「災異改元」「難有」の精神に貫かれている点に注目する必要がある。

 

 

道徳・感性・歴史教育重視の小中一貫校「志明館」

 こうした日本の伝統精神に立脚した新たな小中一貫校が令和6年4月に北九州市に開校する「志明館」である。「2・3・3・1制」による9年間の新しい教育システムを導入し、「誇りと志を培い、日本で世界で羽ばたく人財の輩出」を教育理念に掲げ、校訓は国際性や創造性を高める「和・誠・礼・勇」である。

 ビジョンには「志教育」を掲げ、道徳教育・感性教育と日本の偉人を教える歴史教育に力を入れる。「発憤教育」と銘打ち、高い志をもって公に貢献する力、自分の道を切り開く力の育成を重視している。当初は宗像市が土地を無償提供して宗像市で開校する予定であったが、建設予定地の地下に硬い岩盤層があることが分かり、岩盤除去費用に約5億円かかることから学校建設を断念し、北九州に建設することになった次第である。

 「志明館」の準備責任者からの強い協力要請を受けて、3月13日の髙橋史朗塾にオンラインで参加していただき、画期的な学校構想を踏まえて、全面的にバックアップすることになった。4月から「幸和」教育研究グループ、「とこわか」教育研究グループ、「生命誌」教育研究グループに分かれて分科会を開催し、「感知融合の道徳教育」の授業実践の構造化、体系化に取り組むが、新たに「志明館」支援分科会も開催することにした。

 

鎌倉女子大学の初等部の校章

 こうしたグローバルな視野に立って日本の伝統精神を活かそうと試みる学校は他にもある。「グローバル化の中で自分の力で生き抜くことができる立派な日本人の養成」を目指す鎌倉女子大学の初等部の校章は三種の神器の八坂瓊(やさかに)の勾玉・矢咫(やた)の鏡・草薙(くさなぎ)の剣でかたどられている。この三つは「知育・徳育・体育」を象徴すると同時に、人間として最も大切な徳とされる「知・仁・勇」を意味している。「建学の精神・教育の目標」の3本柱は、①感謝と奉仕のこころ,②ぞうきんと辞書をもつこころ(身の回りの整理整頓と積極的に学ぶ態度)、➂人・物・時を大切にするこころ(礼儀正しく美しい言葉で接し、物の有難さを思い、時間を大切にする)である。

 校門を出入りする時には立ち止まって一礼し、一日3回、「修養の鐘」が鳴り響き、1分余り起立して黙想し、豊かな情緒を育む「修養日誌」や美しい感性や人としての立ち居振舞いを学ぶ礼法指導などのユニークな取り組みが行われている。

 

 

「共通性と多様性をつなぐ」ゲノムには38億年の生命の歴史が刻み込まれている

 道徳の内容項目は①主として自分自身に関すること、②主として他の人とのかかわりに関すること、③主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。④主として集団や社会とのかかわりに関すること、に分けられているが、前述した「幸和」「常若」を軸として、「生命誌」(拙稿の本連載54参照)や「胎児の生命権」(勾玉は胎児の形でもある)などの生命倫理の視点に立脚した新たな道徳教育学の理論構築と、「理論と実践の往還」を積み上げた道徳授業の構造化、実践化を目指す共同研究を「志明館」とも連携しつつ進めていきたい。

 中村桂子の「生命誌」研究によれば、「共通性と多様性をつなぐ」ゲノムには、38億年前の起源からの生命の歴史が刻み込まれており、子供たちに自分自身の中に38億年の歴史が内在していることに深く気付かせたい。進化生物学・行動生態学を専門とし、進化論から本質的な男女の特性についても研究している長谷川眞理子総合研究大学院大学学長の研究成果も活用したと考えているが、詳細については、拙稿「『こども家庭庁』『こども基本法』問題についての一考察」(『歴史認識問題研究』第10号所収論文)を参照されたい。

(令和4年4月6日)

 

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