中山 理 7 – 令和4年をグローバルな視点に立った歴史理解の元年に ②
中山 理
モラロジー道徳教育財団特任教授
麗澤大学・前学長
麗澤大学大学院特任教授
●「歴史総合」の掲げる目標の実質化に期待する
令和4年度から「歴史総合」を新たにスタートさせる文部科学省の狙いは何でしょうか。2018年3月に告示された『高等学校学習指導要領』には「歴史総合」の目標が3つ掲げられていますが、このどれをとっても共感できる内容です (※1)。ごく簡単にまとめますと、「歴史総合」の中心テーマである近現代史を理解するにあたり、いろいろな資料から歴史関係の様々な情報を収集・整理してまとめられるようになること、社会的事象を歴史的な観点から眺めて思考し、判断し、それを発表できるようになること、そして生徒自らがテーマや課題を設定し、それらを主体的に追究して解決しようとする態度を持てるようになることです。
これらの目標を実現するには、まず教える側が歪な歴史認識や偏狭な歴史観にとらわれることなく、日本の将来を担う若者たちがグローバルなバランス感覚と科学的客観性に基づく健全な歴史観を形成できるように支援することが必要でしょう。というのも、これまでの歴史教育の中には、すこぶる残念なことに、ことさら日本の歴史の負の部分だけを強調するようなスタンスをとるものがあったからです。この種の歴史観は「自虐史観」、「日本悪玉史観」、「東京裁判史観」などとも呼ばれ、そのような姿勢では一方的に日本を貶める見方しか生まれないのでないかという批判も起こりました。
このような批判に応えるならば、今回の文科省の教育方針を遵守し、断定的、イデオロギー的な歴史観を生徒に押しつけないように注意することが何よりも重要だと言えるでしょう。この種の弊害を避けるためには、できるだけ多様な資料にあたり、それらを公平にバランスよく提供し、社会的事象に対し多角的、多面的な見方ができるような教育環境を整えることが大切です。その上で生徒自らが考え、判断する力を育成するのです。
たとえば、近現代史で第二次世界大戦や東京裁判を取り上げるならば、はじめから結論ありきの歴史観を刷り込むのではなく、当時の日本人はどうして戦争をせざるをえなかったのか、また当時の国際法から見て東京裁判はどのような裁判であったのかなど、多角的、多面的な視点から史実を科学的、客観的に捉えるよう支援してはどうでしょう。
それは諸資料の選択や情報の収集にも言えることで、たとえ生徒が今までの歴史教育で教材として供されなかった資料や参考図書を主体的に取り上げても、教える側はそれが自分の歴史観に合わないからといって排除してはいけないということです。たとえば東京裁判でいえば、ハンキー卿著、長谷川才次訳『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社 1952年)、滝川政次郎著『新版 東京裁判をさばく』(創拓社 1978年)、小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』(講談社学術文庫 1995年)、佐藤和男著『世界がさばく東京裁判』(明成社 2005年)などの参考図書です。
学習指導要領には目標(1)として「世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能」を育成することが謳われているのですから、この方針に従い、生徒には様々な資料を駆使してまとめ、考え、議論する機会を提供してもらいたいと思うのです。それなくしては、目標(3)の「多面的・多角的な考察や深い理解」を実現するのは難しいのではないしょうか。
〈※1〉
目標(1)
近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。
目標(2)
近現代の歴史の変化に関わる事象の意味や意義、特色などを、時期や年代、推移、比較、相互の関連や現在とのつながりなどに着目して、概念などを活用して多面的・多角的に考察したり、歴史に見られる課題を把握し解決を視野に入れて構想したりする力や、考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力を養う。
目標(3)
近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追求、解決しようとする態度を養うとともに、多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚、我が国の歴史に対する愛情、他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。
●日本だけの視点ではなく、他者の多様な視点にも目を向ける
抽象論では分かりにくいかもしれませんので、もう少し掘り下げてお話ししましょう。たとえば、前述したように、日本の近代史観を論じる際に避けて通れないのが東京裁判ですが、いわゆる「東京裁判史観」の視点だけで史実を考えるのでなく、日本の戦犯を裁いた相手側のアメリカ人、たとえば、ダグラス・マッカーサー本人が、どのように日本との戦争や東京裁判を見ていたかを知るのも興味深いことです。
どうしてマッカーサーに注目するかというと、彼こそ極東国際軍事裁判所(東京裁判を行う裁判所)の設立を自ら命令した対戦国の連合国最高司令官だったからです。そのGHQ(連合国最高司令官総司令部)は、日本占領政策の一環として、「太平洋戦争史」や「真実はかうだ」など、日本人に戦争に対する罪悪感を植えつけるための組織的な情報宣伝活動(War Guilt Information Program)を行っていたことを思い出すべきでしょう。
そのマッカーサーの本心を吐露したと思われる重要資料の一つが、1951年のアメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会での証言です。その中でマッカーサーは当時のアメリカが交戦手段として日本への「経済封鎖」を実施したことに言及し、「もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と述べています(小堀 1995 565頁)。(※2)ここでいう「彼ら」とは日本人であり、「戦争」とは第二次世界大戦のことです。
この証言はオーストリアの哲学者のヘルムート・ウォーティッシャーらの編著『哲学的信仰と人類の未来』の中でも言及されており、「この証言でマッカーサーは、アメリカが厳しい経済封鎖を行ったため、日本人は武装するよう拍車をかけられたのであり、日本が戦争を始める目的は大部分が安全保障上の理由によるものだったことを認めている」と指摘しています(筆者訳)。 (※3)
小堀氏によりますと、当時の『朝日新聞』は5月3日の第1日目の証言でマッカーサーが「太平洋においてアメリカが過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」と述べたという事実は報じていますが、残念ながら、前述したような「日本の自衛戦争」についての核心的証言にはまったく触れていないということです(556~63頁)。
したがって多角的、多面的に史実を検証するには、日本国内での新聞報道などの資料を参照するだけでは、おのずと限界があるということです。幸いなことに、今ではインターネットの普及で世界中のいろいろな情報を簡単に閲覧できますので、国内の限られた情報だけでなく、広く世界にも目を向け、ネットワークを通じてそれぞれの知的空間を広げる機会を最大限に活用してはどうでしょう。もちろん、フェイクな情報には注意が必要ですが、デジタル化された「歴史に関する情報」は以前よりも格段に入手しやすくなっています。
〈※2〉
同書に収載されている原文は以下の一節です。
“They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.”(小堀 563頁)
〈※3〉
“In this testimony, MacArthur admits that America’s sever economic blockage encouraged the Japanese to arm themselves, and Japan’s purpose in going to war was largely for security reasons.” (Helmut Wautischer et al. 2014. p.359.)
(令和4年3月4日)
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