髙橋史朗 59 – 一人ひとりが「志を遂げ」「処を得る」国
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授
麗澤大学大学院客員教授
●紀元節の廃止と「国民の祝日法案」の修正点
昭和23年1月の時事通信社の「祝祭日に関する世論調査」によれば、国民の89%が紀元節の存続を望んでいたが、GHQのバンス宗教課長は「世論調査において紀元節支持が多かったのは、誤った教育の結果に過ぎない」として、紀元節を除外した「国民の祝日に関する法律」が同年7月に公布された。
同年6月15日付の「国民の日に関する法律(案)」の第1条は、「自由と進歩とを求めてやまないわれら日本国民は、ただしい伝統を守りつつ、よりよき社会、より豊かなる生活を生みだすために、ここに国民がこぞって祝い、感謝し、あるいは記念する日を定め、これを『国民の日』と名づける」となっていたが、傍線部分がGHQによって次のように修正された。
この修正の中で特に注目されるのは、「われら」という言葉が削除され、「ただしい伝統を守りつつ」という表現が、「美しい風習を育てつつ」に改められた点である。これらは、教育基本法の前文案から「伝統を尊重して」という字句がGHQ によって削除され、昭和21年2月4日に定められた「教科書検閲の基準」に基づいて「わが国」という用語が教科書から削除されたことと軌を一にしている。
●天皇が考え続けてこられた「皇道」—「天皇はいかにあるべきか」
明治6年、政府は日本書紀に基づいて、神武天皇が橿原で即位された日を「紀元節」と定め、神武建国の精神に立ち返り、悠久の歴史に思いを致す日にした。今年は紀元2682年である。「神武天皇橿原奠都の詔」には、「民に利有らば、何にぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ」と書かれている。明治維新は神武創業の建国神話の再現を意味する「王政復古」として、1868年に「王政復古の大号令」を発し、「諸事神武創業の始に原(もとづ)き、……至当の公議を竭(けっ)し……」と明記した。
天皇陛下のご学友である小山泰生氏は、『新天皇と日本人』(海竜社)において、天皇陛下が「天皇はいかにあるべきか」について、上皇陛下と昭和天皇から聞かされ、真剣に考え続けてこられたエピソードを紹介しながら、次のように述べている。
「五箇条の御誓文を引用することが、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした」
当時は、アメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を援用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要がありました。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないために、あの宣言を考えたのです。
●日本の「国柱」の精神とは何か
こうした点を十分に踏まえて明治神宮御鎮座80年の折に美智子皇后陛下(当時)が詠まれたのが、「外国の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき」という御歌である。明治天皇が明治元年3月14日に天地神明に誓約する形で示した「五箇条の御誓文」には、「万機公論ニ決スヘシ」「官武一途庶民二至ル迄、各其志ヲ遂ゲ」「天地ノ公道ニ基クヘシ」「万民保全ノ道ヲ立ントス」と書かれている。また、同時に国民に対する手紙として発せられた御宸翰には、「天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば」と書かれ、一人ひとりが「志を遂げ」「処を得る」ことを重視されたことが明示されている。
昭和天皇が戦後日本の再出発にあたり、「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨二則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ」と書かれた「五箇条の御誓文」を引用された背景には、こうした大御心が込められていたのである。
GHQのWGIP(ウォーギルト・インフォメーション・プログラム)の陣頭指揮を執ったブラッドフォード・スミスは、1942年の論文「日本精神」で、「精神的武装解除」を行うべき「日本精神」の3本柱は、皇道、神道、武士道と捉えたが、「皇道」すなわち、歴代天皇が「天皇のあるべき道」として最重要視されてきたのは、以上述べてきたように、一人ひとりが「志ヲ遂ゲ」「処ヲ得ル」「天地ノ公道」「万民保全ノ道」であり、「民意ヲ暢達シ」「万機公論」を尊重する日本独自の「民主主義」であった。それ故に、こうした「民主主義を援用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった」のである。
こうした「皇道」精神は、聖徳太子の17条憲法第1条には、「和(やはらか)なるを以て貴しと為し、……上和らぎ、下睦びて事を論ふに諧ふときは、事理自づからに通ふ。何事か成らざらむ」と書かれている。また、前述した「神武天皇橿原奠都の詔」には、次のように書かれている。
このように人々の多様性を活かし、多様な議論を通じて「道理」の発見につなげようとしたのが、「皇道」であり、日本の精神的伝統であることを見落としてはならない。鈴木大拙は「松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである」と述べたが、一人ひとりの多様な個性を十分に発揮し、「自らに由る」ことが、日本の伝統精神に基づく「自由」に他ならない。
「もったいない」の精神が世界に発信されたが、「物体」=「物の本来あるべき姿」がなくなるのを惜しみ、嘆く仏教用語が「もったいない」である。外的束縛から解放される「市民的自由」だけでは、人間は幸せになれない。自分で自分を内側から束縛している内的束縛から解放される「精神的自由」「道徳的自由」を得ることによって、私たちは「真の自由」を得るのである。一人ひとりが「志を遂げ」「処を得る」ためには、「市民的自由」に偏重した教育ではなく、以上述べてきたような日本の歴史を貫いている縦軸の伝統的価値観を踏まえて、子供の自由や人権の意味について深く根源的に問い直す必要がある。
(令和4年2月14日)
※髙橋史朗教授の書籍
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