髙橋史朗 58 -「共同養育」の新たな仕組みの構築一「こども家庭庁」の最重要政策一
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授
麗澤大学大学院客員教授
●科学的根拠に基づく子育て支援学
核家族化の急速な進行により、血縁、地縁による支援を失った多くの母親たちが、社会的・公共的な支援を十分に受けることもできないまま、誰の助けも借りられず、一人で子育てを行わなければならないという状況に追い込まれ、悩み苦しんでいる。NPO法人マドレボニータの調査によれば、産後1年ほどの間に8割以上の母親が「産後うつ」の一歩手前の状態になったと答えている。
深刻化する日本の子育て問題をいかに解決すべきか、PHP研究所の親学研究会で1年間議論を重ねて『親学の教科書』を出版し、平成18年に親学推進協会を設立し、平成21年にこの協会は一般財団法人になった。協会設立15年を経て、4月からNPO法人として再スタートすることになった。
日本財団の助成を得て、悩み苦しんでいる親に寄り添い、ケア・サポートに徹する「親学アドバイザー」養成に全力を尽くし、親学基礎講座・認定講座を東京・千葉・大阪・高知・福岡・沖縄で開催してきた。
近年、脳科学などの子育てに関する科学的研究が急速に進み、「科学的根拠に基づく子育て支援学」研究が注目を集めている。その先駆者の一人が京都大学大学院の明和政子教授である。比較認知発達科学を専攻する明和教授は、京大付属病院小児科との共同研究によって、胎児が見ている世界を視線検出装置で可視化したり、子育て中の親に自分の子供が映った動画を見てもらい、その間の脳活動をfMRI(磁気共鳴機能画像法)で計測してきた。
育児場面を見たときに特異的に活動する脳のネットワークを「親性脳」(parental brain)という。人間性の最大の特徴である「共感」能力の2大神経ネットワークの一つである「メンタライジング(認知的共感)ネットワーク」では、意識的、客観的に子供が置かれている状況を推論、判断して何を行うべきかを考える。
前述した脳活動の計測によって、養育経験によって脳内ネットワークの働きには違いがあるが、「親性脳」には生物学的性差は見られなかったという。こうした科学的事実は、従来の「母性、父性」という捉え方ではなく、「親性」という枠組みにおいて親としての脳と心の発達を考えるべきことを示している。
幸せホルモン、愛情ホルモンとも呼ばれ、ストレスを緩和し幸せな気分をもたらすホルモンであるオキシトシンの濃度が母親に高いと、父親、子供のオキシトシンも高いことがわかっている。オキシトシンは特別なことをしなくても、目を見る、触るだけでも出る。胎児を育むための女性ホルモンであるエストロゲンは、出産とともにゼロに近くなるほど低下し、不安感や孤独感に苛まれる。
人間の子育ての特徴は、ミラーニューロン(情動的共感)とメンタライジングをうまく使い分ける点にあり、チンパンジーはメンタライジングシステムの機能が弱く、基本的に教育することが少ない。このメンタライジングシステムが機能していない親に様々な問題が起きるのである。子供の置かれている状況を推論して判断できないからである。
●父親の「親性脳」の研究成果
また、同教授は一昨年12月2日、麻布大学の菊水健史教授らとの共同研究によって、妊娠初期から発達する父親の「親性脳」の活動を確認したと発表した。今回の研究成果によって、父親の「親性脳」の成熟は、妊娠期からゆっくりと発達が始まること、ただし、それには大きな個人差が存在することが、世界で初めて明らかにされた。具体的には、以下の点が明らかになった。
⑴ 男性は育児に関する動画に対して、「親性脳」領域が強く活動した。これまで、子供を持つ予定のない男性では、「親性脳」が活動するという報告はなかった。これは、子供を実際に持つ(予定がある)か否かにかかわらず、「親性」にかかわる脳機能を、男性が潜在的に持つことを示している。
⑵ 妊娠週数20週未満の妻を持つ父親と、子を持つ予定のない男性では、島(とう)と呼ばれる脳領域の活動に差異が見られた。父親になる予定がある男性の「親性脳」の発達は、妻の妊娠中からすでに始まっているといえる。
⑶ 「親性脳」の活動パターンには大きな個人差が見られた。個人差は、「育児に対するイメージ」「一週間当たりの平均勤務時間」「最近の育児経験(乳幼児との交流経験)の有無」といった、ある特定の行動と関連していることが明らかになった。他方、テストステロンとオキシトシン値の個人差については、「親性脳」の個人差との関連は見られなかった。
父親の「親性脳」の発達には、3つのパターンが存在する。第一は、妊娠初期からすでに親性脳の発達が良好なグループ、第二は、妊娠中から親性脳の発達がある程度見られるグループ、第三は、親性脳の活動がほとんど見られないままのグループで、特に第三のグループに属する父親の親性発達を注意深く見守り、支援していくことが、子供への虐待のリスクや母親の育児の孤立化を未然に防ぐ上で極めて重要である
こうした科学的知見を踏まえると、父親の産休取得制度には大きな意味があるといえる。
ただし、その期間は親性脳と親心を成長発達させるための機会とすること、社会全体で親の成長発達を支援する具体策が必要不可欠である。
この科学的エビデンスを踏まえ、今後は、妊娠初期に見られる父親の「親性脳」の活動パターンは、実際に子供が生まれた後、どのように、どの程度変容するのか、それは、男性の日常の育児行動や、子供が生まれてからではなく、妻が妊娠中の時期から、個々の女性、男性の脳と心、行動特性に合わせて、両者の親性発達を支援する取り組みの実装が急務である。
そこで、同研究グループは、「科学的エビデンスに基づく子ども・子育て支援の実現は、パートナーや子どもを含む家族の幸福度、さらには次子を持ちたいという出産意欲を向上させるはずだ。これは、日本の少子化対策に大きく寄与するものだ」と述べている。
●「親性脳と親心」が成長発達する「親性教育プログラム」の開発
明和教授によれば、現代の育児スタイルは、戦後に起こった社会システムの急速な変化が大きく影響しているといえる。戦前までの日本は、父母や多くの兄弟姉妹に加え、祖父母や伯父・伯母などが同居する大家族(多世代同居)が一般的であった。地域コミュニティとのつながりも強く、子供が産まれると、家族だけでなく隣近所の大人たちが育児を助けるのはごく日常茶飯事であった。授乳中の女性同士が、互いに「もらい乳」をすることも決して珍しくなかった。まさに「社会の宝」として社会全体で子供を育てていたのである。
しかし、戦後、核家族化が進んだことで、「共同養育」の場が失われていった。現代の母親は、出産だけでなく、子育ても一人で担わざるを得ない状況に置かれているために、「産後うつ」や児童虐待、夫婦不和などの様々な問題に悩み苦しんでいるのである。
ヒトの進化の歴史をたどると、二足歩行によって赤ちゃんが通る産道が狭くなり、脳が未熟なまま産まれる「生理的早産」になった。それ故に、産まれてから長時間、手間暇かけて育てることが必要になったのであるが、待機児童ゼロ作戦によって子供は早くから保育所に預けられ、「親子が共に育つ」機会がなくなってしまったのである。
親性脳と親心の発達過程に関する科学的研究が進み、就学前に自己と社会にかかわる「非認知能力」を育むことが生涯の幸福や社会的成功、ウェル・ビーイングにつながることがコホート研究(長期追跡調査)によって検証され、科学的根拠、エビデンスに基づく子育て支援学が構築されつつある。筆者が代表世話人を務める「科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」において、最新の研究成果が発表され、近い将来、それらを集大成して、世に問うつもりである。
「共同養育」の新たな仕組みを改めて社会全体で構築していく必要があり、母子健康手帳を「親子が共に育ち、発達する」「家族みんなの成長発達手帳」に改め、親としての成長発達の度合いの「見える化」を図り、親としての歓びが感じられる仕掛けも工夫する必要がある。子育てを頑張っている親を、日常的に褒める仕掛けとして、親としての自己効力感を高める商品の開発にも取り組んできた明和教授は、次のように述べている。
一昨年5月に出された「少子化社会対策大綱」には、「科学技術など新たなリソースを積極的に活用」と明記されているが、育児の「利便化・省力化」を図るために科学技術を活用するだけでは、親が子育ての経験を通して子育ての意味や親としての歓び、自分の価値を見出す機会とはならない。「親子が共に育つ」環境を整備し、親性脳と親心が成長発達する「親性教育プログラム」の開発が時代の要請である。こうした時代のニーズに応える「親性脳と親心の成長発達」を支援する施策こそが求められており、「こども家庭庁」や少子化対策の最重要政策として位置づけられるべき施策といえる。
(令和4年2月7日)
※髙橋史朗教授の書籍
『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』
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