川上 和久

川上和久 – 武士道の精神性を支えた「儒学」

川上和久

麗澤大学教授

 新渡戸稲造が『武士道』の第2章「武士道の淵源」の中で、仏教、神道、儒教が武士道の精神性を支えていることを紹介し、仏教と神道の武士道への影響についてこれまで述べてきた。
 今回は、儒教の武士道への影響について、新渡戸の言説をもとに紹介したい。

 

 

儒教・儒学の広がり

 儒教は、言うまでもなく、中国の代表的思想であり、日本人にも非常になじみ深い。紀元前770年の周の王室が東遷し、それから紀元前403年に晉の韓・魏・趙三氏の独立によって戦国時代が始まるまでが「春秋時代」だが、その末期に孔子が現れた。孔子は紀元前552年、あるいは紀元前551年に魯の国に生まれ、紀元前479年に74歳で亡くなっている。仕官を志すが、生涯のほとんどを在野で過ごし、弟子の育成に力を注いだ。孔子とその弟子との間の問答をまとめたものが『論語』で、日本人にも、今に至るも読み継がれている名著だ。
 孔子の教えは、戦国時代にはいわゆる「諸子百家」の一つであったが、漢の武帝の治世である紀元前136年に国教となった。
 儒教は宗教ではないが、清朝の崩壊に至るまで歴代朝廷の支持を得て、政治権力と一体化していたという意味では、キリスト教に匹敵する影響力を持っていたといえる。儒教は本来、士大夫(支配階級や知識人)の学とされており、武士階級に必要とされる道徳的修養として親和性があり、「儒学」として広まっていった。
 
 鎌倉時代の末には『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書を中心とする朱子学に造詣のある中国の禅僧が渡来して関東武家の道徳的要求にこたえ、室町時代に入ると、義堂周信が足利将軍義満に四書を講じたといわれている。
 江戸時代になると、儒学の一派である朱子学者の林羅山が徳川幕府に仕えて学校(後の昌平黌)を建て、儒学教育を担当した。
 諸藩でも儒学教育に努め、全国で250校以上の学校があったといわれている。水戸の弘道館、名古屋の明倫堂などだが、民間の私塾も開かれ、儒学は広く封建道徳の涵養に役立った。

 

 

磨かれていく武士道

 新渡戸は、儒教の武士道に与えた影響について、孔子の教えが武士道に輸入されたというより、それ以前からあった「民族的本能」が、孔子の教えによって再確認されたと述べている。

「厳正な意味における道徳的教養に関しては、孔子の教える道が、武士道のもっとも豊かな淵源であった。孔子が説いた君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の、この五倫の道は、中国よりこの聖人の教義が輸入される以前から、わが国の民族的本能が、これを認め重んじていたことであって、孔子の教えはこれを確認したにすぎない」
 また、平静・寛容・処世の知恵など、孔子の教えは民衆の上に立つべき武士の有り様として広く受け入れられた。
 
 また、新渡戸は孟子についても、「武士道の大きな拠り所となった」と述べている。孟子は孔子が没した後100年ほどたった、紀元前4世紀前半ごろに鄒の国に生まれている。若い頃に、魯に遊学して、孔子の孫の子思の門人に学んでいる。さまざまな国で教えを説いたものの、王に受け入れられず、晩年は郷里で後進の指導にあたっている。
 孟子は、力による統治「覇道」を否定し、仁愛による「王道」によってこそ、民心を獲得し、天下を統治できるとした。人心の掌握こそ統治の要諦である、としたのである。
 孟子の民心把握の重視は、民の信頼を失った天子は武力によって討伐されても当然という「易姓革命の肯定」という過激な形でも表れ、当時から危険思想とみなされた。
 それでも、こういった孟子の思想は「武士の心から永久に離れることはなかった」と新渡戸は述べている。

 新渡戸は、孔子・孟子の著した古典は大人たちが議論し合う場合の最高の権威となるものではあったが、その言葉だけを知っている者は、「論語読みの論語知らず」ということわざにある通り、かえってあざけられたともいう。
「武士道は、そのような種類のたんなる知識を軽んじた。知識は終極の目的ではなく、智恵を獲得するための手段として追求すべきであるとした」と、知識だけでなく、武士がそこから智恵を求めたことを強調した。

 その意味で、武士が深い感化を受けた教えとして、新渡戸は王陽明も取り上げている。
 王陽明は1472年に生まれ、1528年に没した明代の儒学者で、特に「知行合一」が知られる。
「知行合一」とは、知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え方で、論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっているが、武士の心性に特に適していたと新渡戸は述べている。

 仏教、神道、儒教の考え方を巧みに受け入れながら、「武士道」は武士の生き方を支える心性として磨かれていった。
 最後に、第2章の中の新渡戸の以下の記述をもって、武士の心性の形成のまとめとしよう。
「われわれの先祖である武士たちの、健全で純朴な性格は、古代思想の大道、あるいは小道から、平凡で断片的な教訓の落穂を拾い集め、それを精神の豊かな糧とし、時代の要求に応じて、その教訓からさらに比類のない人間の道を新たに形成していったのである」

 

参考文献

新渡戸稲造 須知徳平訳 『武士道』 講談社

(令和4年1月26日)

 

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