高橋 史朗

髙橋史朗 56 – 人権監視機関と「包括的性教育」導入の是非――「子ども基本法」論議の焦点

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

麗澤大学大学院客員教授

 

 

 1月18日に自民党本部で開催された「子ども・若者」輝く未来実現会議で、「子ども基本法」に人権監視機関(子どもコミッショナー)と「包括的性教育」を盛り込む必要性が強調され、大きな論議を呼んでいる。Child Rights International Network(2017)によれば、同人権監視機関は世界83か国で設置され、ヨーロッパでは47か国中34か国で設置されている。

 G7国で同人権監視機関を設置しているのはフランスとドイツだけで、アメリカ、イギリス、カナダでは、地方・州レベルで設置している。主な任務は苦情処理、報告書作成、行政の監視であり、米英は州によって異なる。カナダでは、ユニセフや一部の議員、NGOが国(連邦)レベルの子どもコミッショナーの設置を求めている。

 

 

●NGOレポートに基づく国連勧告が起点

 そもそもこうした人権監視機関を「子ども基本法」に盛り込む必要性の根拠は一体何か。

「子ども基本法」論議をリードしている日弁連・NGOは児童の権利条約の実施措置として国連が日本政府に人権監視機関の設置を勧告していることを必要性の根拠として強調している。しかし、児童の権利条約をわが国が批准する前から国連の児童の権利委員会(CRC)に同人権監視機関の設置の検討を促してきたのは,他ならぬ日弁連・NGOであった。

 子どもの人権連・反差別国際運動日本委員会編『子どもの権利条約 日本の課題95』(労働教育センター、1998)には、彼らがCRCの第1回対日審査の会期前作業部会(予備調査)に次のようなレポートを提出したと書かれている。

<日弁連を含むNGOは、条約の批准前より、国や自治体が独立機関として「子どもオンブズパーソン」を設置し、子どもの人権侵害の監視・救済に取り組む必要があると指摘してきている。…政府は、既存の機関の活動を強化することで足りるとして、そのような要求を退けた…条約の実施状況を効果的に監視できるようにするため、子どもの権利オンブズパーソンのような、行政から独立した恒常的な監視機関の設置をさらに検討すべきである>

 CRC総括所見第1回(1998)・第2回(2004)・第3回(2010)・第4回(2019)において「子供の権利に関する独立した監視機構の設置」勧告が繰り返されている(資料「国連・子どもの権利委員会総括所見比較表」子どもの権利条約NGOレポート・連絡会議編『子どもの権利条約から見た日本の課題』59頁、参照)が、第1回総括所見「監視機構」には次のように書かれている。

[懸念]
10、委員会は、子どもたちの権利の実施を監視する権限を持った独立機関が存在しないことを懸念する。

[勧告]
32、委員会は、締約国に対し、既存の「子どもの人権専門委員」制度を制度的に改善しかつ拡大するか、もしくは子どもの権利のためのオンブズパーソン又はコミッショナーを創設するかのいずれかの手段により、独立した監視機構を設置するために必要な措置をとるよう勧告する。

 

 

●英政府の主張と国連委員会の見解が一致「条約は監視機関の設置を義務付けていない」

 同様の国連勧告に対し英政府代表は、権利条約は同監視機構の設置を義務付けていないし、設置の緊急性はないとして、否定的な態度を崩さなかった。この主張を受けて、委員会も条約がオンブズパーソンのような特別の監視機関の設置を義務付けていないことを認めた(傍線筆者、以下同様)。

 また、法務省林久人権擁護局人権啓発課長は「今の段階で新しく児童の権利を監視するためのオンブズマン的な制度を作るかどうかという点については、具体的なお答を申し上げられない状況でございます」と回答している。

 さらに、CRC第3回総括所見は条約を実施するための独立した全国的な監視制度の設置、地方自治体におけるオンブズマンの設置と人権委員会の協同を求めたが、日本政府は実情の紹介にとどめた。

 CRCの第4回・第5回日本政府報告に対する次の事前質問に対して、日本政府は以下のように回答している。

<事前質問>
人権保護法案の状況と、本条約の実施を監視し,かつ児童の権利侵害に関する苦情を受理できる国内人権委員会の設置に関する最新情報を提供してください。

<回答>
政府は、2012年11月、新たな人権救済機関を設置するための人権委員会設置法案を第181回国会に提出したが、同月の衆議院解散により廃案となった。人権救済制度の在り方については、これまでなされてきた議論の状況も踏まえ、検討しているところである。

 2019年にこの第4回・第5回日本政府報告に関するCRCの次のような総括所見が示された。

A、一般的実施措置(第4条、第42条及び第44条⑹)
独立した監視
12、地方レベルで児童のための33のオンブズパーソン機関が設置されていることに留意する一方で、これらの機関には財政及び人的資源に関する独立性や救済メカニズムが欠けていると報告されている。委員会は、締約国が以下の措置をとるよう勧告する。
(a)児童による申立てを児童に配慮した方法で受理、調査、及び対応することが可能な、児童の権利を監視するための具体的メカニズムを含む人権監視のための独立したメカニズムを迅速に設置すること。
(b)人権の促進・保護のための国内機関の地位に関する原則(パリ原則)の完全なる遵守が確保されるよう、資金、任務及び免責との関連も含め、当該監視メカニズムの独立性を確保すること。

 さらに、CRCの対日審査後に、「政府として地方自治体のオンブズパーソン・ユニットを全国規模にするよう推進する予定」についての質問が「追加情報」として提供され、日本政府は、「オンブズマン制度は、我が国の各地方自治体の判断で、市民の権利擁護のために、問題の相談や救済の申し立てを行う取り組みとして行われている。現時点では政府としてこの制度を全国展開するよう推進する予定はない」と回答している。

 このように日本のNGO・日弁連が持ち込んで実現した国連勧告は監視機関の設置を義務付けてはおらず、同勧告に応じなかった日本政府の基本姿勢を崩すべきではない。後述するような「児童の権利条約の解釈及び適用に関して公的機関及び民間機関に助言を提供する」権限まで付与すれば、児童の権利条約の批准前に教育現場を混乱させた歪曲拡大解釈が全国に広がる恐れがある。

 ちなみにCRCの一般的意見第2号「児童の権利の促進・保護における独立した国内人権機構の役割」には、以下のような「推奨される活動」が示されている。

(a)苦情または自らのイニシアチブに基づき、児童の権利の侵害の状況について調査すること。
(b)児童の権利に関連する事項に関する調査を実施すること。
(c)意見、勧告及び報告書を作成し、公表すること。
(d)児童の権利の保護に関する法律及び実践の妥当性及び有効性を常に検討すること。
(e)国内法、規制及び慣行と児童の権利の保護との調和とその効果的実施を促進すること。効果的実施の促進の手段として、児童の権利条約の解釈及び適用に関して公的機関及び民間機関に助言を提供することも含まれる。

 

 

●「性と生殖の健康と権利」を基軸とした「包括的性教育」と国連勧告の関係

 もう一つの論議の争点になっている「包括的性教育」の必要性が強調される背景には、前述したCRCの総括所見に次のように明記されていることが関係している。

リプロダクティブヘルス及び精神保健
34、委員会は以下のことを深刻に懸念する。
(a)セクシュアルヘルス及びリプロダクティブヘルス並びに家族計画についての学校におけるサービス及び教育が限られていること。
(b)10代女子の妊娠中絶率が高く、かつ刑法で堕胎が違法とされていること。

35.同一般的意見第4号及び第20号を参照し、…以下の措置をとるよう促す。
(a)思春期の児童のセクシュアルヘルス及びリプロダクティブヘルスに関する包括的政策を採択するとともに、セクシュアルヘルス及びリプロダクティブヘルスに関する教育が、……学校の必須カリキュラムの一部として一貫して実施され、かつ思春期の女子及び男子がその明確な対象とされることを確保すること。
(c)あらゆる状況における中絶の非犯罪化を検討するとともに、思春期の女子を対象とする、安全な中絶及び中絶後のケアのためのサービスへのアクセスを高めること

 このCRCの総括所見の背景には、2017年10月にCRCに提出されたNGOレポート「日本における子どもの権利条約の実施:日本の第4回・第5回定期報告書に対するNGOの視点」において、「リプロダクティブヘルス教育は体系的・効果的に提供されていない」ことを訴えたことが影響している。同レポートが「包括的な子どもの権利法の制定の必要性」「政策立案における権利基盤アプローチの欠如/依然として不十分な制度的基盤」「国旗・国歌の強制で侵害される子どもの思想・良心の自由」「子どもの権利を過剰に規制する校則が依然として維持されている」「子どもの体罰の全面禁止と啓発措置強化の必要性」などを訴えている点も注目される。

 さらに、「包括的な差別禁止法の速やかな制定が必要」と訴えたことが、同総括所見において、「緊急の措置が取られるべき分野」として、「包括的な反差別法を制定すること」と明記されたことに直結している点も見逃せない。

 2006年に「包括的性教育」を提唱した国際家族計画連盟の目的は、「性と生殖に関する健康と権利」を擁護し、そのために必要なサービスを提供することにあった。同連盟の2020年の年次報告によれば、2千2百万件の妊娠中絶、1億3千百万件の避妊手術、6億2千万個のコンドーム配布などのサービスを提供し、2019年には2億523万件のセクシュアル・リプロダクティブヘルス(性と生殖の健康)サービスを提供したと公表している。

 

 

●「性と生殖の健康と権利」の新しい定義

 同連盟が「性と生殖の健康と権利(セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」について、「人権に基づく包括的アプローチ」や「ジェンダー平等」などを基軸として新しく定義した「性と生殖の健康とは、身体、感情、精神、社会的な幸福がセクシュアリティと生殖のすべての局面で実現できていること」の具体的な権利内容は以下の権利であるという。

<「自分の身体に関する決断を自ら下す権利を持ち、その権利を実現するために必要なサービスを受ける権利がある」「性的な行動をとるかとらないか、とるなら、その時期を自分で決められること」「自分の性的指向、ジェンダー自認、性表現を含めたセクシュアリティについて自由に定義できること」「自由に性のパートナーを選べること」「性体験が安全で楽しめるものであること」「いつ、誰と、結婚するか、それとも結婚しないかを選べること」「子供を持つかどうか、持つとしたらいつ、どのように、何人の子供を持つかを選べること」>

「包括的性教育」や「中絶サービス」は「性と生殖の健康」に関する必須事業パッケージとして位置づけられているが、同連盟はもともと8か国の「家族計画協会」によって設立され、昭和29年に設立された日本家族計画協会も運動目標として「全国どこでも、誰でも、リプロダクティブ・ヘルスのサービスが受けられる社会の実現」を掲げ、性教育指導用のコンドームを無料で提供している事実が「包括的性教育」と「家族計画」のサービス提供とが直結していることを示している。

 このような「家族計画についての学校におけるサービス及び教育が限られていること」に対してCRCから「深刻な懸念」が表明され、「セクシュアルヘルス及びリプロダクティブヘルスに関する教育が……学校の必須カリキュラムの一部として実施され、かつ思春期の女子及び男子がその明確な対象とされることを確保」し、「あらゆる状況における中絶の非犯罪化」の検討などの措置を促していることは問題である。

 

 

●「胎児の生命権」を主張するバチカン・アルゼンチン・グアテマラ

 前述した子供の「性的自己決定権」や産む産まないを決める「女性の自己決定権」については、「胎児の生命権」の視点についても考慮する必要がある。この点について筆者は内閣府の男女共同参画会議において繰り返し指摘してきたが、児童の権利条約前文には、「『児童は身体的及び精神的に未熟であるため、その出生前後において、適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする』ことに留意し」と明記されている。

 この前文の趣旨を踏まえて、出生前の児童にも権利の対象を広げるべきだ、と宣言したのは、バチカン、アルゼンチン、グアテマラの3か国である。バチカンは「出生前」に、アルゼンチン、グアテマラは「受胎時」に児童の権利が発生すると宣言している。出生前診断が広がり、障害のある胎児は中絶することを「自己決定」する親が増えているが、「児童の最善の利益が主として考慮される」と明記した児童の権利条約第3条軽視も甚だしい。

 また、CRCは児童の権利条約第7条「児童は、出生の後直ちに登録される。……その父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する」の規定に関連して、「人工授精によって生まれた子が自分の実親(生物学的親)を知る権利も、児童の最善の利益にかなう形で、できる限り保障されなければならない」と指摘している(『日本の課題95』332頁)点も注目される。

 拘束性のない多様性はない、というのが物理学の常識である。「包括的性教育」が重視する性の多様性は尊重すべきであるが、「児童の最善の利益」に反しない限り、という制約(拘束条件)があることを忘れてはならない。混沌とした多様性に通底する本質を探り、「多様」で複雑な生命体の構造を貫く「共通」の「自律的秩序形成機能」を解明したノーベル化学賞受賞者プリゴジンの「発見」に学ぶ必要があるのではないか。多様性に通底する共通の本質に気づかせる、という視点が重要である。性教育、道徳教育においても同様である。

 

(令和4年1月24日)

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