高橋 史朗

髙橋史朗 54 –「とこわか(常若)の思想」と中村桂子「生命誌」の接点を探る

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

麗澤大学大学院客員教授

 

 

●「とこわか(常若)」の思想

 令和3年2月に明治神宮の近くのマンションに引っ越し、マンションのミーテイングルームで、髙橋塾を開塾し、中村桂子氏の「生命誌」(拙稿連載42参照)を「感知融合の道徳教育」の授業にどう生かすかをテーマに研鑽を重ね、12月5日に大阪府高槻市にある「JT生命誌研究館」を視察した。

 早速、視察時に撮影した映像を子供たちに見せ、小学生に感想を書かせた塾生が素晴らしい授業報告をしてくれた。1年間7回にわたって、東京都のモラロジー青年有志とも研修・討論を行い、髙橋塾の塾生と一緒に視察したかったが、実現できなかった。

 廣池千九郎博士生誕150年記念第12回地球システム・倫理学会学術大会が平成28年11月12日に麗澤大学で開催され、「A World of Sustainability ― とこわかの思想 ―」をテーマにシンポジウム(座長:服部英二)が行われ、シンポジストとして中村桂子氏が、生きものが持つ歴史物語(生命誌)と多様な生きものの関係を示す新しい表現法として考案した「生命誌絵巻」について説明した。

 コメンテーターの川勝平太氏は、「Sustainabilityを『持続可能性』ではなく、『とこわか(常若)の世』と訳した服部英二氏の着想は卓抜」と高く評価し、聖武天皇の御製「橘は実さへ花さへその葉さへに霜降れどいや常葉とこはの木」を引用しつつ、「常」の思想を植物に掛けて表現するのは、日本人の知恵」であり、「さらさらと流れる五十鈴川も清らかさのシンボルです。清らかな美しさは普遍的な価値だ」と結ばれている。

 ちなみに所功「常若の語義と類例」(同学会ニューズレター7号、平成28年)によれば、「とこわか(常若)」が使われている11~12世紀の歌として、「とこわかの 薬たずねに いでしかど 老いの波立つ 船路なりけり」「いつとなく 君のよはいを ゆずりはの なおとこわかに 栄ゆべらなり」の二首があるという。日本初の「とこわか(常若)」の思想と中村桂子氏の「生命誌」を道徳教育に生かし、世界に発信していきたい。

 

 

●時間と関係を取り戻す――「和して同ぜず」のキーワードに学ぶ

 中村桂子氏は効率や大量を求める「進歩」という現代社会の価値観と、プロセス、質、多様性、関係、時間が大事な「進化」との違いを強調し、ミヒャエル・エンデ『モモ』が問題提起した「時間」と「関係」を取り戻す必要性を説き、心を保つためには縦の「時間のつながり」と横のつながりの「関係」が大事であるという。

 また、環境破壊という「外なる自然破壊」と人間性の解体化という「内なる自然破壊」を一体的に捉え、自然を破壊する行為によって私たち自身が壊れることを自覚し、教会の権威から解放した「第一のルネッサンス」に続いて、「人間復興」を目指す「第二のルネッサンス」が時代の要請であるという。

 さらに、「和して同ぜず」という和の精神のキーワードは、「和(なご)む」「和(やわ)らぐ」「のどまる(のどかになる)」「あえる(個々の姿を保ちながら調和の世界を築き上げる)」で、「和」のやわらかさに様々な多様性を取り込んで新しい力を生み出す日本文化を世界に提案することを目指している(中村桂子『和一なごむ やわらぐ あえる のどまる』〈新曜社〉参照)。

 

 

●農業をした小学生の作文「夢への一歩は学校から」

「生命誌」の出発点は「普遍性(共通性)」と「多様性」という自然理解の基本にあり、「わかる」(understand)」ではなく、自然と接する「生きもの感覚」である「納得」が大事であるという。動物にはない人間独自のものは「想像力」と「分かち合う心」であり、兵庫県豊岡市の農業をした小学生は「つながりの中にいる自分がいる」ことを実感(納得)し、福島県喜多方市「小学校農業科」(特区で17校)の作文「夢への一歩は学校から」には、次のようなものがある。

<僕には夢があります。それは農業をすることです。それは、祖父母にあこがれているからです。……おじいさんの作った瓜は、ものすごくおいしかった。おじいさんはすごいと思った。……僕の作った野菜やお米を食べた人が笑顔になるとうれしいです。農業は天敵も多くて大変だけど、工夫をして作物を守りたいです。学校は夢をくれました。農業家になりたいと思う僕の夢をもっと強くしてくれました(要約)>
<学校でとれた野菜を家に持ち帰ったとき、家族が「すごいね」と笑顔を返してくれましたた。一生懸命育てれば、育てるほど、おいしい野菜になり、みんなの笑顔が増えるなんて野菜作りはすごいパワーがあると思いました>4年生
<僕は、エダマメを作りました。シャワーのようなみずやりがとても楽しかったです。エダマメに大きくなれよと話しかけました。農業は最高です>3年生
<原発事故で、せっかくの農家の人が苦労して野菜や米を作ったのに、出荷停止になるニュースを何回も見ました。喜多方のお米はあんぜんですごく美味しいです。福島県に来る人が増えるといいなと、この米作りで思いました>5年生
<私たちが育てた小豆を使って、赤飯を作り、一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんにくばりました。泣いて喜んでくれた人もいて、そのことがとても心に残りました>6年生

 

 

●道徳教育に生かす視点一生き物の特徴と生物の共通パターンに学ぶ

 中村桂子『自然はひとつ ― 総合的な自然の見方、考え方 ―』(実教出版)には、道徳教育に生かすヒントになる視点が、「自然のひとつであるあなた」の課題として、次のように例示されている。

 ⑴ あなた自身が自然の一部だということは、どのような意味を持っていると考えられるか
 ⑵ 自然の一員としてふるまおうとするとき、どのような視点を持つ必要があるか
 ⑶ 自然の一員として、あなたならどのような生き方を考えるか

 多様性と共通性という見方、「循環」「組み合わせ」「可塑性」という生き物の特徴、「矛盾に満ちたダイナミズム」という生物の特徴である以下の点にも注目させたい。

 ⑴ 多様だが共通、共通だが多様
 ⑵ 安定だが変化し、変化するが安定
 ⑶ 巧妙、精密だが、遊びがある
 ⑷ 偶然が必然となり、必然の中に偶然がある
 ⑸ 合理的だが、ムダがある
 ⑹ 精巧なプランが積み上げ方式でつくられる
 ⑺ 正常と異常に明確な境はない

 さらに、中村が「生物の共通パターン」として、次の点を挙げているのも示唆的である。

 ⑴ 積み上げ方式
 ⑵ 内側と外側がある
 ⑶ 情報によって組織化され、独自のものを産み出す(「自己創出」系)
 ⑷ 情報のかき混ぜで複雑化、多様化が起きる
 ⑸ 偶然が新しい存在につながる
 ⑹ 少数の主題で数々の変奏曲を奏でる
 ⑺ 常につくられたり壊されたりしている
 ⑻ 資源と排泄物、生産と消費などが相互に循環し、ネットワークをつくっている
 ⑼ 最大より最適が合っており、バランスを保つことが大切
 ⑽ 柔軟なあり合わせ
 ⑾ 協力的な枠組みの中で競争している
 ⑿ 生き物は相互に関係し依存し合っている

 

 

●大反響を呼んだニュース番組「ABEMA Prime」出演

 ところで、余談であるが、12月20日付朝日新聞デジタルは、12月8日に自民党本部で開催された党青少年健全育成調査会で「第1次安倍政権の教育再生会議にかかわりのある『親学推進協会』の高橋史朗氏が講演し、『こども家庭庁に改めるべきだ』と主張した」と報じた。

 この報道を受けて、12月22日に放映された「アベマプライム」というニュース番組(テレビ朝日系)で、「こども庁」が「こども家庭庁」に名称変更されたことについて、「なぜ『家庭』の追加必要? 髙橋史朗教授に聞く」というタイトルで、約30分議論させていただいた。

 翌日に「アベマタイムス」から、その要旨が「こども家庭庁への名称変更『戦前の家父長制を復活しようというような意図は全くない』自民党に影響を与えたとされる高橋史朗氏が反論」と題する記事として大きく報道され、多くの反響が寄せられた。

 その議論の全容はネット動画映像で確認できるが、「アベマタイムス」を引用しつつ、できるだけ忠実に再現したい。

 同番組は冒頭で野田聖子大臣、山谷えり子・自見はなこ議員のコメントを紹介した後、「自民党の会議等で名称を『こども家庭庁』にすべきだと主張してきた麗澤大学大学院の髙橋史朗客員教授と、シングルマザーとして子育てについて積極的に発信してきた益若つばさ(モデル/商品プロデューサー)を交えて議論した」として、私の主張の論点は、①子供の危機的状況は家庭の問題と密接不可分 ②親と子が「共に育つ」必要性 ③「親育ち支援」が必要、の3点であるとして次のように要約している。

 

 子供をめぐる問題は家庭の問題と密接不可分であり、家庭の基盤を大事にしながら、多様な子供の問題にもっと支援を充実させる必要がある。私は臨床教育学を専門にしているが、まず「問題児」がいるのではなく、問題の親、問題の教師、問題の社会、つまり子供を取り巻く環境や構造そのものを変えなければ、子供をめぐる問題は解決しないということだ。私は旧自治省の青少年健全育成調査研究委員会座長を引き受けたことがあるが、大人が健全で子供が不健全という胡散臭い前提そのものがおかしい。そもそも大人が不健全であって、大人自身が変わらねばならないのではないか。そこを議論しなければならない。

 いじめの問題も本質は家庭の問題だ。教育再生実行会議で作家の曽野綾子さんが「どんなに法制度を作ってもダメだ。家庭なんだ」と発言された。私も神奈川県の不登校の審議会の専門部会長をし、いじめに関する教員研修もやったが、いじめっ子の根本にあるものは、いじめられている子の気持ちがわからないという「共感性の欠如」だ。これについて曽野さんは「家庭で親がどうかかわるかが大事だ」と指摘されていた。

 また、精神科医の岡田尊司氏の『父という病』『母という病』『夫婦という病』『絆の病』で明らかのように、親と子が「共に育つ」必要があるということだ。例えば、夫婦ゲンカを見るのは子供にとって大きなストレスになるし、心理的虐待につながる。親が子供を無視してスマホをずっと見ているのも虐待だ。そういうことを自覚していない親がどんどん出てきた。私は「心のコップを上に向けろ」と言っているが、子供支援と親が親としての役割を果たせるよう「親性の発達」を助ける「親育ち支援」の両方が必要である。親自身が幸せにならなければ、子供は幸せにならない。

 ただし、この「親育ち」支援というのは、「親性」が育っていくために寄り添っていくためのものであって、「もっと頑張れ」とか「家庭はこうあるべきだ」と押し付けるものではない。今、7割弱の虐待は「世代間連鎖」だ。十分な愛情を受けられずに育ち、虐待に苦しんだ親たちにとって、「父親、母親はこうあるべきだ」といわれるのは一番つらいことだ。そもそも子供は「社会の宝」として、みんなで育てる「共同養育」が江戸時代の子育ての伝統であり、社会全体が連携しなければならない。家庭か、そうでないかという二者択一ではない。

 名称に「家庭」を入れたからといって、家庭のことだけを議論するのではない。伝統的家族は崩壊しつつあり、親子関係もかなり厳しい。一方で、ヤングケアラーや、子供食堂などの新しい課題も生じており、それらのニーズに応えていくために叡智を絞らないといけない。そういう環境の中で「昔に戻れ」なんていうのはあり得ないことだ。

 

 

●「こども家庭庁」が「こども庁」に改称された理由は的外れ

 虐待を受けた子供が「家庭」と言われると傷つく、と言うが、ナイフは強盗が使えばドスになるが、名医が使えばメスになる。ドスになる危険性があるからといってナイフは危険だとは言えないだろう。あるいは、台風の被害にあった子が思い出すから、天気予報をどうにかしてくれというのと似ているところがある。虐待という一つのことを以て家庭そのものを危険視するのはいかがなものか。

「自民党保守派に配慮」して名称を戻したという報道は間違っている。公明党も旧立憲民主党・国民民主党も選挙公約に「家庭」を入れていたし、有識者会議でも家庭教育支援について詳しく議論されてきた。戦前の家父長制を復活しようとか、そんな意図は全くないし、そんなことを言っている人は見たことがない。

 崩壊しつつある家族の絆や親子の絆をどうやって取り戻していくかということだ。理想は多様でいいし、これが唯一の理想の家庭だ、というものはない。一方で、時代を超えて変わらない「不易」な縦軸の価値観と時代とともに変わる人権尊重等の「流行」の価値観を融合させていく必要がある。

「子供の最善の利益」を第一に考えるという意味の「子供ファースト」は、イデオロギーを超えて絶対的に正しいが、何が子供の最善の利益になるかについては、深い教育的配慮が必要だ。ヨーロッパの格言に「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるように、子供の意見を聞き、尊重しなければならないが、全てを聞き入れたほうがいいというわけではない。子供が嫌がること、例えば壁になることだって、子供の利益になることがある。

 

(令和3年12月27日)

※髙橋史朗教授の書籍
日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質
家庭で教えること 学校で学ぶこと
親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育
続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育
絶賛発売中!

 

 

※道徳サロンでは、ご投稿を募集中! 

道徳サロンへのご投稿フォーム

Related Article

Category

  • 言論人コーナー
  • 西岡 力
  • 髙橋 史朗
  • 西 鋭夫
  • 八木 秀次
  • 山岡 鉄秀
  • 菅野 倖信
  • 水野 次郎
  • 新田 均
  • 川上 和久
  • 生き方・人間関係
  • 職場・仕事
  • 学校・学習
  • 家庭・家族
  • 自然・環境
  • エッセイ
  • 社会貢献

ページトップへ