中山 理 5 – 「ニューモラル・ツーリズム」のすすめ ― 観光倫理を考える ―
中山 理
モラロジー道徳教育財団特任教授
麗澤大学・前学長
麗澤大学大学院特任教授
●道徳的ツーリズムとは?
前回のエッセイでは「知的ツーリズムのすすめ」についてお話ししました。今回はそれをさらにバージョンアップさせ、「ニューモラル・ツーリズム」についてお話ししたいと思います。
さて、皆さんは「ニューモラル・ツーリズム」と聞いて、どのようなイメージを抱きますか。モラロジー道徳教育財団の活動をご存じの方は、1969年の創刊から今日まで、同財団が50年以上も継続出版している月刊誌『ニューモラル』が思い浮ぶかもしれませんね。
しかし、意外なことに、この言葉が登場するのはわが国の月刊誌ではなく、イギリスで出版された『ツーリズムの道徳的改善』(The Moralisation of Tourism, Routledge, 2003)という洋書なのです。筆者も月刊誌の『ニューモラル』のほうに馴染みがあったので、同書で「ニューモラル・ツーリズム」という表現に出会ったときは、「英語でもそのような造語があるのか」と驚きました(英語では「ニューモラルズ」と複数形になるのが普通ですが、ツーリズムと複合名詞を形成しているので、偶然にも「ニューモラル」と単数形になっています)。
著者はカンタベリー・クライスト・チャーチ大学の講師ジム・ブッチャー氏で、「ニューモラル・ツーリズム」とは、同氏の提唱する「新しい道徳的なツーリズム」につけた名称です。この本は今から18年も前に出版されたものですが、なぜかしら「ニューモラル・ツーリズム」という言葉には新鮮な響きが感じられます。
日本でツーリズムといえば、もっぱら快楽を志向する慰安旅行のことであり、倫理や道徳とは無縁のものと考えられているからでしょうか、「ニューモラル・ツーリズム」と聞いても、にわかにはピンとこない人も多いと思います。というのも、欧米では「観光倫理」なるものが倫理の一つのジャンルとして確立しているのに対し、日本では近年になってようやく「観光倫理」が注目され始めたばかりだからです。残念ながら、わが国は、この分野の研究と実践において西欧先進諸国の後塵を拝していると言わざるをえず、ことほどさように「観光倫理」という言葉自体も、一般の日本人旅行者にはほとんど認知されていないようです。
現在、わが国ではコロナ禍が一段落して緊急事態宣が解除され、ようやく本格的なツーリズムが再開されようとしています(また第六波が訪れるかもしれず、予断を許しませんが)。そのような時期だからこそ、従来の旧態依然としたツーリズムの在り方を見直す好機が到来しているのではないでしょうか。
その際、特に注目したいのは、ブッチャー氏の著書の題名にも使われている「モラリゼーション」(moralisation)という言葉です。これは名詞形ですが、その動詞形の「モラライズ」(moralise)には、「道徳的に何が正しく何が間違っているかの諸判断を明らかにする」(自動詞)や「~の性質や行動を道徳的に改善する」(他動詞)などの意味があります。 つまり、えてして快楽志向的になりがちだった今までの「マスツーリズム」を道徳志向的なツーリズムへと改善する必要があるというわけです。
●「マスツーリズム」への反省
皆さんもご存じのように、「マスツーリズム」とは「大衆化した観光」のことです。戦前で観光旅行といえば、経済的に余裕のある富裕層に限られていました。しかし戦後の驚異的な経済発展のお蔭で、所得が飛躍的に増加した一般大衆も、それまで富裕層に限られていた観光旅行を楽しめるようになりました。その後、日本では1964年の新幹線開業、1970年のジャンボジェット機就航など、人々の大量輸送を可能にした交通機関の発達も、「マスツーリズム」を後押しすることになりました。それに伴い、大型のホテルや旅館がつぎつぎと開業し、「マスツーリズム」にあわせたパッケージ・ツアーなどもいろいろと考案され、観光産業はその事業規模を拡大していきました。しかしながら、その一方で、観光地は環境汚染や自然破壊という負の遺産も抱え込むことになったのです。
もちろん「マスツーリズム」は日本だけでなく、世界各国がグローバルに共有する課題でもあります。ブッチャー氏も「マスツーリズム」の弊害として、パッケージ・ツアーによる環境破壊や文化破壊をあげ、欧米人が旅行先に選ぶスペインの海辺のリゾート・ツアーからアフリカのマサイ族ツアーに至るまで、これらの観光開発により、その地で古くから伝承されてきた伝統文化が破壊され、地元民の地域社会へ悪影響が及んだことを指摘しています。
現在、欧米では、パッケージ・ツアーに対する反感から、従来の「マスツーリズム」の代替策として「エコツーリズム」「サステイナブル・ツーリズム」「グリーン・ツーリズム」「オールターナティヴ・ツーリズム」、「コミュニティ・ツーリズム」など、新しいツーリズムの在り方が提案されています(これらの具体的内容については、別の機会に譲りたいと思います)。
●文化の多様性への配慮と自然環境の保護
「ニューモラル・ツーリズム」とは、主に文化や自然の保護とツーリズムとの両立を目指そうとする観光の形です。ここにおいて観光推進者は、経済的利益だけを追求するのでなく、自然環境と文化財保護への倫理的配慮が求められているのです。
例えば、後者の文化財の保護について言えば、2014年、中国がエジプトの許可を得ないで河北省にエジプトの世界最大の像を模した実物大の偽スフィンクスを建造したことがありました。これに対しエジプト当局は「文化遺産の侮辱である」と強く反発し、中国側はこの苦情を受けて事態の収拾を余儀なくされることになりました。その結果、スフィンクスを建造した中国企業は、偽スフィンクスは「撮影用」の像だったと説明し、今後取り壊すことを明らかにしたと報じています(5月26日付けの中国紙、新京報より)。
この種の問題が発生する原因の一つとしては、当初から観光事業そのものの性質や在り方に危険性が潜んでいると言えるかもしれません。というのも、中国が建造した偽スフィンクス像もそうですが、文化遺産にしろ、自然環境にしろ、観光の目玉になりそうな観光の対象物は、観光推進者の所有物ではない場合が多いからです。つまり、観光推進者は、他者の所有物で自分の観光事業の魅力づくりをし、観光客を引きつけようとしているのです。
だからこそ、他者である地元の一般住民、観光の対象、そして文化財や自然環境に対する利他的で道徳的な配慮がより一層求められているとも言えるのです。日本でも、一時的な観光ブームの波にのって乱造されたホテルやリゾート施設が、持続可能性を考えない経営の破綻によって廃墟と化し、自然の景観を破壊しているだけでなく、建物倒壊の危険性が地域住民の安心や安全を脅かすような惨状になっているというニュースをよく耳にします。
もちろん、同様の道徳的配慮は、観光を推進する業者だけでなく、観光を楽しむ旅行者自身にも要求されることは言うまでもありません。たとえば、コロナ禍の前に、京都や奈良などの人気観光スポットでは、「オーバーツーリズム」の問題がクローズアップされていました。「オーバーツーリズム」とは、観光客が観光地に大挙して押し寄せ、地元住民の生活や自然環境に悪影響を及ぼしたり、土地の魅力を低下させたりするツーリズムのことです。
コロナ禍以前は、訪日ビザの要件緩和などによって訪日外国人が急増し、日本ならではの旧所名跡で有名な観光地では、観光客による混雑やマナー違反が問題となりました。例えば、国内外から年間5000万人以上が訪れていた京都では、観光客によるバスの混雑、ごみのポイ捨て、民泊の増加による騒音など、いろいろな問題が発生しました。いうまでもなく、観光者の増加によるゴミ問題、自然環境の破壊、文化財の損傷、観光バスによる交通渋滞や混雑、立ち入り禁止区域への侵入や撮影、夜間の騒音などは、日本国内だけでなく、世界各地の観光地でも頭を痛める共通の問題となっています。
また、大切な文化財や世界遺産への落書き被害が多いのも憂慮すべき問題です。例えば、わが国を代表する富士山の神社や、優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城など、日本各地の有名な城郭や由緒ある寺社でも落書きの被害にあっています。いうまでもなく、古代から伝承されてきた貴重な文化財や自然遺産は一度壊してしまったら、二度と元通りに復元することはできません。これらの宝物を大切に保護し後世に伝えてくださった先人の方々の努力や愛玩の気持を思うと、貴重な文化財に落書きしたり、わざわざ傷をつけたりするのは、許しがたい不道徳的行為だと言わざるをえないのです。
筆者が前回のコラムで「知的ツーリズム」をお勧めしたのも、それが倫理的観光の一部を構成する要素になるのではないかと考えたからでした。例えば、2017年に国連世界観光機関(UNWTO)は「開発のためのツーリズム」の提言を発表し、観光者への推奨行動を紹介しています。その中で旅行前の観光者がしておくべきトゥ・ドゥ・リストには「旅立つ前に旅先の慣習・伝統・社会様式を調べておく」というのがあります。さらに海外旅行の場合は、現地の言葉を二言、三言でも話せるようになっておくことも推奨されています。旅行の機会を利用して現地の文化や言語を学ぶのは、その地域の伝統的な文化的遺産を評価し、文化の多様性を尊重するために必要なだけでなく、旅行それ自体の楽しみを倍増させることにもなりますので、まさに一石二鳥ではないでしょうか。
●三方よしの「ニューモラル・ツーリズム」
快楽志向の観光を道徳志向の「ニューモラル・ツーリズム」へバージョンアップさせるには、一部の人々だけが利益を得るような観光事業の形をとるのではなく、観光を推進する業者、地元の受益者、ブローカー、観光者など、観光に関わるすべての人々にとって好ましい形を追求することが必要です。そのためにはすべてのステークホールダーが、観光倫理に代表されるような道徳的視点を共有することが求められるでしょう。
わが国には道徳的な経済活動を可能にするためのモラルとして「買い手よし、売り手よし、世間よし」の「三方よし」という伝統的な考え方があり、その精神は今でも道経一体の経営を目指す人々によって継承されています。今こそこの日本型の「三方よし」の考え方を従来の快楽型ツーリズムに導入し、「マスツーリズム」から「ニューモラル・ツーリズム」へと大きく舵を切る時期が来ているのではないでしょうか。
最後に今一度、ブッチャー氏の示唆に富む指摘をご紹介しておきたいと思います。
「ツーリズムは徐々にではあるが道徳的に改善されてきている。一方で、ある種のツーリズムやツーリストは、環境や文化へのリスクという特定の考え方がないため、非倫理的だと考えられている。これに反して、それに代わる新しい倫理的な旅行手段のほうが、ツーリストを受け入れるホスト側の地域社会の視点からだけではなく、ツーリスト本人にとっても、より好ましいものと見られている。人がどのような休日の過ごし方を選ぶのかという消費者の選択は道徳的な選択へと変化するのであり、ホスト側にとっても、個人にとっても、重要な結果をもたらすものと考えられているのだ……もっぱら好き勝手に楽しむだけの旅行が、今や道徳的な活動領域となっているのである。」(同書、30頁、筆者翻訳)
このように「ニューモラル・ツーリズム」は「持続可能な観光」という考え方の基盤をなすものであり、「持続可能な開発(発展)」という理念を掲げるSDGsの重要な構成要素でもあると言えるでしょう。
(令和3年12月5日)
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