高橋 史朗

髙橋史朗 49 – 科学的根拠・エビデンスに基づく家庭教育支援 

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

麗澤大学大学院客員教授

 

 

評価できる「有識者会議」報告書

 11月末に公表された「こども政策の推進に係る有識者会議」の報告書(骨子案)によれば、「今後のこども政策の基本理念」は以下の通りである。

 ⑴ こどもの視点、子育て当事者の視点に立った政策立案

 ⑵ 全てのこどもの健やかな成長、ウェルビーイングの向上

 ⑶ 誰ひとり取り残さず、抜け落ちることのない支援

 ⑷ こどもや家庭が抱える様々な複合する課題に対し、制度や組織による縦割りの壁、年度の壁、年齢の壁を克服した切れ目ない包括的な支援

 ⑸ 待ちの支援から、予防的な関わりを強化するとともに、必要なこども・家庭に支援が確実に届くようプッシュ型支援、アウトリーチ型支援に転換

 ⑹ データ・統計を活用したエビデンスに基づく政策立案、PDCAサイクル(評価・改善)

 基本理念に、子供の視点のみならず、「子育て当事者の視点に立った政策立案」や「ウェルビーイングの向上」「予防的な関わりの強化」「家庭に支援が届くよう」な支援への転換、「エビデンスに基づく政策立案」が盛り込まれたことは高く評価できる。

 また、「今後取り組むべき政策の柱と具体的な施策」として、「家庭教育支援」「家庭支援のためのデータベースの構築」「家庭の支援に関わる人材の確保・育成」を明記したことも注目される。

 子供の問題は家庭、保護者(子育て当事者)の問題と密接不可分の関係にあり、当初の「子ども家庭庁」から「家庭」を削除したこと自体が極めて不見識といえるが、有識者会議が「予防的な関わりの強化」を目指す「家庭教育支援」の「エビデンスに基づく政策立案」を政策の基本理念に掲げたことは、これまでの議論に欠落していた重要な論点を有識者会議が補い軌道修正したという意味で、画期的意義を有する。

 9県6市(熊本・鹿児島・宮崎・徳島・岐阜・静岡・群馬・茨城・福井県、加賀・志木・和歌山・南九州・千曲・豊橋市)に加え、来年2月には岡山県で家庭教育支援条例が制定される見通しである。

 自民党は衆議院選挙の公約に「家庭教育支援法」「青少年健全育成基本法」の制定を明記しており、脳科学などの科学的知見・エビデンスに基づく家庭教育支援に取り組む必要がある。

 

 

●幼児教育の「質」を高める投資の費用対効果が高い

 同有識者会議臨時構成員の中室牧子慶應義塾大学教授によれば、幼児教育無償化への支出の多くは、保育所に通うことで最も便益の少ない高所得者への再分配になったという。また、1960年代から経済困窮世帯のアフリカ系アメリカ人の3~4歳の児童を追跡し、「非認知能力」を育てる質の高い就学前教育への参加は、将来の年収の向上や生活保護受給率の低下につながったことが明らかになった。
(ヘックマン『幼児教育の経済学』参照)

 さらに、ガバナー・ベイカーの一昨年の研究によれば、カナダのケベック州で行われた幼児教育の利用率引き下げによる保育所の利用の増加は、非認知能力、健康、生活満足度、犯罪関与にマイナスの影響を与え、特に男子に攻撃性や多動の問題が顕著であることが判明した。つまり、幼児教育の「質」が長期にわたって子供に影響を及ぼすことが長期追跡調査によって明らかになったのである。

 予防的な関わりを強化し、予防的に介入する「プッシュ型の支援」への転換が求められているのは、予防的介入は、虐待や自殺などの生命の危険に及ぶ異変や問題が生じた後の対症療法的政策介入よりも効果が大きいことが、Kautzらの研究によって明らかになっているからである。

 Aizerらの研究によって、母親のストレスホルモンであるコルチゾールの上昇に晒された胎児は、生まれた後の健康や学歴に悪影響があることも判明している。また、GlewweやMuralidharanの研究によって、幼児教育無償化など、教育需要を喚起するような刺激策や再分配が学力や学歴に与える影響は一時的、且つ費用対効果に優れないが、教員の指導力向上などの「教育の質」に働きかける投資が費用対効果に優れていることが分かっている。

 

 

●科学的根拠・エビデンスに基づく研究成果

 この他にも質の高い幼児教育が貧困世帯の子供たちの教育効果を高めたというエビデンスは多数あり、逆境体験の予防に対してエビデンスがある政策には、乳幼児期を重視し、子供と家族がストレスを乗り越えるスキルを高め、ポジティブな子育てを伝える家庭教育支援によって、虐待などの逆境体験から子供と家族を守る社会規範を構築する政策などが含まれる。

 ちなみに、同有識者会議の山口有紗臨時構成員の提出資料によれば、本人の3割に①心疾患・呼吸器疾患・喫煙・がん、②アルコール、性行為の問題・精神疾患、③他者への暴力、自傷行為、自殺企図の一つ以上の逆境体験があり、虐待、ネグレクト、家庭機能の困難(離別、家族の精神疾患、家庭内暴力など)がそれぞれに与える影響は、①2~3倍、②3~6倍、③7倍以上に及ぶことが分かっている。
(工藤紗弓「成人期以前の困難な体験がもたらす長期的な影響に関する検討」武蔵野大学博士論文、参照)

 最近の脳科学研究によって、親性(parental caregiving network)は子供と共に育ち、女性は母になると脳に劇的な変化が生じ、妊娠期から産後にかけて、劇的なホルモンの変動が起き、その影響を受けて、妊娠・出産・養育という経験に十分に適応できるように、脳の機能や構造が再構成され、子育てに必要な親性が育っていくことが明らかになっている。

 大阪医科大学の佐々木綾子教授らの実験によると、未婚の男女でも「養育脳」を育むことは可能であり、乳幼児とスキンシップ体験を定期的に繰り返すと、乳幼児の鳴き声に対する敏感性が高まり、「親になるための脳神経回路が発達」するという。全国に広がっている家庭教育支援条例に共通している「親になるための学び」の必要性が、脳科学研究によって明確に裏付けられた点に注目したい。

 8月21日に開催された日本家庭教育学会において、「脳科学等の科学的知見に基づく家庭教育—新たな家庭教育学の樹立を目指して―」をテーマに基調講演を行い、同学会理の佐藤貢悦筑波大学教授から「幅広い知識と深い見識に基づく包括的、体系的、総合的家庭教育学」として高く評価された。 コロナ禍の影響で中断している「脳科学等の科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」も再開し、道徳教育の基盤となる道徳性の芽生えを育む家庭教育の在り方(拙稿「『道徳性の芽生え』を育む道徳教育の今日的課題—『臨床の知』と『科学の知』の融合—」『モラロジー研究』第87号、参照)についてもさらに研究を深めたい。

 

 

●日教組陣営の国連活動・市民運動の狙いと成果

 ところで、令和2年度の調査によれば、日教組、全日本教職員組合(共産系)の全国の組織率は21%、3%で、同調査が始まった昭和33年の日教組の組織率86%と比べると、62年間で4分の1以下に激減し、隔世の感がある。

 しかし、日教組のブレーンたちは児童の権利条約にターゲットを絞り、30年間、国連の委員会に働きかけて日本政府への国連勧告を領導し、「子どもの権利条例」を地方自治体に広げる市民運動を展開してきた。

 この対国連活動と市民運動の成果が今、「こども庁」「子ども基本法」「子どもコミッショナー(政府から独立した監視機関)」として結実しつつある。国連活動と市民運動をリードしてきた学者と市民運動家を中心とする「広げよう!子どもの権利条約キャンペーン実行委員会」が結成され、自民党中心の4つの議員連盟、日本弁護士連合会、日本ユニセフ協会、国連子どもの権利委員会委員長、日本財団を巻き込んだ院内集会が12月1日に参議院議員会館で開催予定である。4月と6月にも開催されており、同監視機関の狙いについて、次のように明記している。

 子どもの権利が守られているのか確かめる仕組みを作る―「新しい機能(しくみ)は、政府と切り離したところに作る。政府とは違う立場で独立したもの」「今ある国の考えや決めごとが、日本に住んでいるすべての子どもたちの権利を守っているかどうかをチェックする」「守られていないときには、国の考えや決めごとを変えるように政府や国会に意見を言う」「独立した『新しい機能(しくみ)』を都道府県や市町村でもつくること」

 国や都道府県、市町村の決めごとをつくるやり方を変える―「子どもに関係する決めごとや考えは子どもの権利条約をもとにしてつくること」「国・都道府県・市区町村などのしくみを動かしている『行政』やしくみの実行にかかわる『機関』が、子どもたちを含む市民や団体と協力しながら、子どもの権利を守るためにできることを考えてやっていくこと」
(「知ろう、広げよう、叶えよう 子どもの権利条約」より抜粋)

 また、国連活動と市民運動を中心的に担ってきた「子どもの人権連」(日教組に事務局)代表委員の平野裕二氏は、活動の狙いについて次のように証言している。

「人権は闘いを通して獲得できる」「(子どもの権利条約は)生徒の人権を追求する上で有力な武器になるだろう」「まず、私たちが立ち上がり、団結すること」「私たちの力を合わせ、日本全国をひっくり返す」「闘いの有力な武器となることはうけあいである」「一人でも多くの生徒が学校現場で人権を求めるために立ち上がってくれればこれにまさる喜びはない」「うちの学校ではこんな人権侵害があるといった実情報告、あるいは、こんな風に学校に抗議してみたという実践記録など大歓迎」
(平野裕二他『生徒人権手帳』三一新書)

 

 

 

●教育現場と先進国における「権利条約」論争

 このように同権利条約を「有力な武器」として利用しようとする動きが全国に広がり、教育現場が大混乱に陥ったために、保守系の教員の全国組織である「日本教育文化研究所」は、平成3年に『児童の権利条約Q&A—教育現場の不安に答える』、平成7年に『同(各論編)』を相次いで出版した。

 筆者も編集に深く関与したが、同条約を歪曲し拡大解釈した左派の解説書が出回り、同条約によって「子供は従来の保護の対象から権利行使の主体へコペルニクス的に転換する」「学習指導要領の法的拘束力は排除される」「教師の教育権、教育課程の自主編成権を取り戻すことができる」「国旗掲揚、国歌斉唱は、思想・良心の自由に反する」「教科書検定制度は改める必要がある」などと主張し、教育現場が混乱した。

 平成6年に同条約をわが国は批准したが、先進諸国でもどういう形で子供を保護すべきかについて、①子供の自律権を認めるべきだ、②親権による保護を堅持すべきだ、③国による保護を拡大すべきだ、という論争が行われた。

 ①は親子関係は平等なパートナーとして組み立てるべきだと主張し、②は子供は基本的人権を享受するが、その権利の行使は親権によって行使されるという従来の考え方を基本とするのが子供の保護に適すると考えた。

 ③の主張は、福祉国家として称えられた北欧三国等でも、財政面で福祉破綻を引き起こしてきたことから衰退している。

 そこで、②の親権による保護を優先し、親権の保護が及ばない不幸な子供に対しては国が面倒を見る、という考え方に落ち着いてきている。この問題については、とくにフランスの学者間の論争が有名で、ローゼンウィックは子供の自律権を主張したが、フィンケルクラウは「子供を大人と同じに扱ったり子供の選択を無批判に認めたりすることは、かえって、子供を煽動して利用しようとする人々の餌食にすることになる」と主張し、多くの賛同を得た。

 ドイツも「解釈宣言」を付し、「児童の権利条約の諸権利は、ドイツ国法上の未成年者の法定代理に関する規定に何ら影響を与えるものではない」と明記した。こうした点を踏まえて、拙著『知っておきたい『こども庁』問題Q&A』(歴史認識問題研究会発行)を12月1日に出版するので、ぜひ活用していただきたい。

(令和3年11月26日)

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