川上 和久

川上和久 – 新渡戸稲造⑩ 武士道と神道

川上和久

麗澤大学教授

 

 

 前回、新渡戸稲造が著書『武士道』について、第一に仏教をその淵源にあげたことを紹介した。仏教、特にその中で、禅と武士道の関わりは特に深いものがあるが、新渡戸は、「仏教が武士道に与えることができなかったもの」として、神道をあげている。「仏教が武士道に与えることができなかったものを、神道が豊かにしてくれた」と述べているのだ。

 考えてみれば、神道は仏教より前に我が国に根付いていたものである。

 古くより日本では、数多くの神々がいて万物を司ると考えられてきた。太陽神・天照大御神あまてらすおおみかみ、月の神・月読命つくよみのみこと、山の神、海の神、川の神、動物や植物などの神々がいた。

 地域の文化や風習には、神に新穀を供え、収穫を感謝する儀式が数多く残っている。武士に限らず、日本人の価値観や心のあり方の拠り所になってきたのが神道である。

 

 

●武士たちの八幡神信仰

  以前にも触れたが、十世紀頃に、荘園を守るため、武士が支配する地域が現れてきたが、武士は土地を耕す農民とともに地方に根を張り、いざとなったら農民を守る存在でもあった。武士たちが、農村で受け継がれてきた神道の掟に従い、人々が信仰していた神道の道徳に従って生きてきたのは、自然なことであった。

 特に、武士によって信仰されたのが八幡神である。

 八幡神は、応神天皇(誉田別命ほんたわけのみこと)の神霊で、571年に初めて宇佐の地に示顕したと伝わっている。神仏習合によって、781年、朝廷は宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を贈り、全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。

 その後、胆沢の鎮守府にある鎮守府八幡宮には初代の征夷大将軍となった坂上田村麻呂によって蝦夷征討の際に勧進され、弓箭きゅうせんや鞭などが納められた。

 清和源氏は八幡神を氏神として崇敬し、日本全国各地に勧請したが、源頼義の子源義家は石清水八幡宮で元服し、自らを「八幡太郎義家」と名乗った。

 また、桓武平氏でも、平将門が939年に上野の国庁で八幡大菩薩によって「新皇」の地位を保証されたとされ、武家の守護神として、八幡神は清和源氏、桓武平氏を始めとする武家に広く信仰された。

 弓矢に秀でた武士の那須与一が1185年の屋島合戦の際、海上に浮かぶ平家の船に立てられた扇の的を馬上から弓を引き絞って狙いすまし、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ」と祈念し放った矢が見事扇を射抜き、敵味方の喝采を浴びた逸話は平家物語に記されているが、当時の武士たちの八幡神信仰をよく表している。

 源頼朝が鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて鶴岡八幡宮とし、八幡神を武神として多くの武将が崇敬した。室町幕府でも、足利将軍家が八幡信仰を熱心に進めた。

 八幡神を祀る神社は八幡宮(八幡神社・八幡社・八幡さま・若宮神社)と呼ばれ、その数は1万社から2万社にもおよび、稲荷神社に次いで全国2位である。

 このように、八幡神信仰一つとっても、武士と神道の関りが非常に深かったことが分かる。

 

 

●日本の伝統と武士の倫理観

 武士が神道を篤く信仰していた一方で、神道から身に着けた倫理観はどのようなものだったのだろうか。

 新渡戸は、神道が持っていた3つの点が、仏教が満たすことができなかった教えだと指摘している。

 それらは、第一に、「主君に対する礼節」、第二に「祖先に対する崇拝」、そして第三に「親に対する孝行」である。

 もちろん、神道自身も祭祀で不浄な状態(穢れ・罪・祟り)を清浄な状態(禊・祓い・清め)へと転換する古墳時代の上古神道から、平安期の御霊信仰、すなわち、無念・非業の死を遂げた人物を祭神として祈り祀れば、祟りが鎮められ守護神として働く考え方、安土桃山期から江戸期にかけての、上下の秩序を最重要視し、主君が不徳でも、臣下の心身緊張状態の有徳な振舞を主張する垂加神道などへ変遷を遂げてきたが、主君に対する礼節は、武家社会が定着した時期の垂加神道の影響を強く受けていると言える。

 祖先に対する崇拝は、神道古来のものだし、親に対する孝行も、本地垂迹説に基づく14世紀の説話集『神道集』などにも説かれている。

 武士は力を恃むという点では、えてして傲慢になりやすい部分がある。新渡戸は、神道の教義が武士に受け入れられることで、いわゆる、慎む態度が武士道として内面化されたと述べているのである。

 明治期にあって、「忠君愛国」が説かれたが、それは、明治新政府が成立する前に、すでに内面化されており、新渡戸は、
「この宗教は-あるいは、この宗教が表わしているのは民族感情だと言うほうが、より正確なのだろうか?-忠君愛国の観念を、武士道の中に吹き込んだ」
と述べている。

 神道は、日本の歴史の中に伝統という形で根強く息づいてきた。武士は、その神道が持っている「忠君愛国」の倫理観を内面化し、祖先崇拝や親孝行の倫理観をも内面化して、武士の倫理感として醸成していったと言えよう。

 仏教、神道、そして3つ目は儒教であるが、それは次稿に譲ることとしたい。

 

(令和3年10月15日)

 

 

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