エッセイ

大久保俊輝 5 – 正しい認識

大久保俊輝

モラロジー研究所特任教授

 

 

●不安を煽る者の陽動

「モラロジー」という素晴らしい言葉が、話し相手に聞き返されることが日常である。すなわち一般化していないのである。ある時、モラロジーの動画を大学の講義で引用したところ、「宗教番組を視聴させられた」とある学生が大学教務課にメールをしたほどである。その反面、全国で長年行われ続けている学校の先生方を対象にした「道徳教育研究会」の歴史は古く、教育委員会共催や後援、さらに文科省の教科調査官などが講師となっている実態は、宗教団体ではありえない取り組みであることは明らかである。

 しかしだ。この学生の認識やモラロジーの知名度があまりに低く、電話の対応にも苦慮するのが現実がある。さらに右翼であると色眼鏡で見られている傾向も強く、ここも目指す方向は「中庸」にあるのであって、この時代に一番困難な「中庸」を求めているのであることは創建者の時代から何ら変わることはないのである。

 では、何故右翼となるのか。それは偏った左翼の言動を否定するからだろう。「右」を否定すると「左」と見られ、「左」を否定すると「右」に見られるという短絡的な思考が蔓延しているからだろう。この短絡的な思考は対立や分断を招き、その連鎖が雪だるま式に大きくなり、好き嫌いという安易な視点でものを見る、決めつける風潮を意図的に成しているように私には感じられる。

 子どもの教育においても、色を付けないで見るという見方や捉え方が教育の基本であり、あるがままを受け止めるという受容がなければ相互の信頼はできない。

 コロナ禍にあって、安心感よりも過度な危機意識や身近な不安を煽り利益にする悪意ある輩が横行している。ウイルスの正体がはっきりしないのだから危ない。きっと騙されている。と、徐々に自説に導いて講演会の参加費を集めたり、本の販売をしたりと善良な市民を食い物にする輩のことである。

 モラロジーも無責任な風潮により「宗教かもしれない」「きっと右翼だ」としている輩に陽動されてはならないのである。そうした輩には別のねらいが存在するからである。

 

 

●自らの誇りに恥ずるところなく

 ここで私が体験したエピソードを紹介したい。

 私が教員に成り立ての頃、先輩の先生方と地方の研究校公開研究会に出向くことがあった。その夜、先輩教師に囲まれて組合の勧誘が始まったのである。

「君のような青年が、私たちの仲間になって欲しい」と圧迫された。そこで「先輩たちは、何のためのやっているのですか」と問い返した。最後には「資本主義を守る憲法などはおかしい」という結論に結び付いた。ここで本質が分かったのである。よって土俵が違うのだからかみ合うはずがないのである。

 反面、教育庁に勤務して驚いたのは、課長から所員まで私を抜いてすべてが別組織の組合員であったことである。組合の幹部が地元の教育長になるのが当たり前と分かった。組合にも右左さまざま違いがあり同一視は出来ない。こうした事実を理解しないで、組合は問題だと一律に批判する評論家はあまりに多い。

 ところで、日本国は素晴らしいと大声で主張したら「右翼」だろうか。「日の丸」のバッチをつけて歩いたら「右翼」だろうか。そうみられるように社会風土をコントロールしている極めて悪意のある意思があるのではないだろうか。そこをクローズアップすべきではないだろうか。

 私は日本に生まれてよかったと思っているし、日本文化や風土が好きである。だから他国の文化にも敬意を払う。勿論、海外に出かけても中国人に間違われないように、日の丸を襟に付けている。それは誇りであり何ら恥ずべきものではない。その当然のことを教えない。示さない。せめて我が家からでも!

 

 

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