中山 理

中山 理 2 – 知的ツーリズムのすすめ ―いざ、韓国の済州島へ!―

中山 理

モラロジー道徳教育財団特任教授

麗澤大学・前学長

麗澤大学大学院特任教授

 

●知的ツーリズムとは

 コロナ禍で「ステイホーム」が常態化しつつあるなか、このような旅行関係のテーマを掲げると、「ちょっと不謹慎ではないか」とお叱りを受けるかもしれません。でも、このような時期だからこそ、いずれ訪れるであろう、コロナ禍の収束後のことを考え、旅の計画をあれこれ練りながら「ステイホーム」を楽しい時間にしてはいかがでしょう。

 そこで筆者がお勧めする旅の楽しみ方ですが、これからは、ありきたりなパック旅行だけではなく、それぞれに知的な満足感を味わえるような「知的ツーリズム」に挑戦してみても面白いと思います。「知的ツーリズム」といっても、大げさなものではありません。ただ旅先の歴史や文化などの下調べをしておいて、グルメと観光だけで終わりがちな旅行(これも楽しいですが)をさらにバージョンアップしようというものです。きっと旅の楽しみが倍増するに違いありません。もちろん、下調べをするには手間がかかりますが、今なら「ステイホーム」で時間はたっぷりありますから、調べれば調べるほど旅行への期待に胸が膨らむはずです。

「旅行の下調べ? そんなのガイドブックやネットでもうやっているよ」とおっしゃる方がいるかもしれませんので、ご参考までに、筆者が知的興奮を覚えた体験をお話ししたいと思います。

 

 

●韓国の歴史ドラマと史実

 ちょっと昔の話で恐縮ですが、筆者が「知的ツーリズム」を始めたのは、『宮廷女官チャングムの誓い』や『太王四神記』といった韓流ドラマが我が国で大流行していた頃でした。ハンサムな韓流男優が登場するドラマの影響もあってか、妻のたっての希望により、そのドラマのロケ地がある韓国の済州島を旅行先に選ぶことになりました。

 皆さんもご存じのように、済州島は対馬の五島列島から150キロメートルほど離れた韓国最大の島で、大阪府とほほ同じ面積のリゾート地です。

 正直なところ、歴史には興味がありましたが、韓流の歴史ドラマとなると、あまり興味が湧きませんでした。というのも、ある程度は史実に基づいている日本の歴史大河ドラマとは異なり、韓流の歴史ドラマは、史実にほとんど基づいていない空想物語のように思えたからです。

 たとえば『宮廷女官チャングムの誓い』のもととなる史料は何かといえば、『朝鮮王朝実録』の『中宗実録』に記された「王の主治医となった医女がいた」(予證女醫知之)という、たった一行の記録だけなのです(中宗39年〔1544年〕10月)。それを54話にまで膨らませているのですから、このドラマはまったくのフィクションだと言えるでしょう。

 では『太王四神記』はどうかと言えば、確かに主人公の談徳タムドクは広開土王(好太王)とも呼ばれ、実在した高句麗の第19代の王様です(在位391~ 412年)。ところが、その居城の国内城(丸都城)は中国の遼寧省にありました。つまり、『太王四神記』の舞台は今の韓国内ではなく中国領内だったのです。

 言葉を変えれば、談徳をはじめとする高句麗人は、現在の韓国人にとって異民族であり、今風にいえば、『太王四神記』は「外国人」の物語だと言えるでしょう。そのような外国人の物語を無理やりに現在の韓国に結びつけようとした苦肉の策でしょうか、史料が少ないため何とでも描ける「古朝鮮」という、得体のしれない国家像を持ち出し、史実の虚構や矛盾をカモフラージュしているように思えます。

 

 

●朝鮮の古代史を記す「広開土王碑」

 では現存する史料は何を語っているかというと、現在の中国の吉林省集安市に「広開土王碑」という石碑が残っていて、古代の朝鮮と日本の関係を垣間見ることができます。その中には「倭以辛卯年来渡海破百残□□□羅以為臣民」という興味深い一節があります。素直な読み方をすれば「倭、辛卯の年(391年)よりこのかた、海を渡り百残(百済)を破り、新羅を□□し、以て臣民と成す」という意味でしょう。

 この一文を含めた広開土王の碑文から日本と高句麗との関係でどのような内容が記されているかといえば、391年以降、倭(日本)は海を渡って百済や新羅を従えたが、倭の臣民となった百済は、396年に南下した高句麗の広開土王の軍に敗れた、399年(己亥年)に倭軍は新羅に侵攻したが、400年には新羅に救援を送った高句麗軍に撃退され、404年にも倭軍は帯方地方まで進出したけれども、この時も自ら兵を率いた広開土王に海上で敗れた、という戦争の記録です。

 高句麗軍は倭軍を破ったのですから、談徳(広開土王)の偉業としてもっと大々的にドラマ化して良さそうなものですが、どういうわけか、韓流ドラマのテーマにはならないのです。倭軍(日本軍)が朝鮮半島に影響力をもっていたという史実を明らかにしたくないからでしょうか、当時の朝鮮半島における日本のプレゼンスはできるだけ描かないという姿勢が見え隠れしているように思えます。そのような態度は学会でも見られ、たとえば、1972年代、在日の古代史家の李進煕氏により、広開土王碑文は日本の陸軍参謀本部の軍人により石灰で改竄されたという説が出されました。しかし、現在では碑文の拓本が発見され、改竄説は否定されています。

 というわけで、『宮廷女官チャングムの誓い』にしても『太王四神記』にしても、筆者にとっては『北斗の拳』や『ドラゴンボール』と同じように娯楽として楽しむものであり、その演出やストーリーの展開は面白いけれども、史実に基づかない、ほぼ100%フィクションの時代劇でしかありませんでした。ですから、両ドラマのロケ地で観光名所の「済州島民族村」や「済州パークサザンランド」は訪れてみたものの、韓国の歴史を探訪するというよりは、テーマパークや映画のセットを見に行くような気分でした。

 

 

●済州島の建国神話と史跡をめぐって

 そのようなドラマのロケ地よりも筆者が注目したのは、実際の韓国史の観点から見て興味深い済州島の建国神話や史跡のほうでした。ドラマのロケ地と比べると、ずっと地味でこじんまりしていますが、とりわけ「三姓穴サムソンヒョル」という史跡には特別の興味を覚えました。「三姓穴」は、済州島のルーツである耽羅国の始祖の三神人、高乙那コウウルナ良乙那ヤンウルナ夫乙那ブウルナがここで生まれて暮らしていたという聖地です。

「済州ウェルカムセンター」のオフィシャルサイトには、その耽羅国誕生の物語がつぎのように説明されています。

 漢拏山の北側の裾野で、何やら尋常でない気配がしたかと思うと、地面の中から3人の神が現れました。3人の神は、険しい山野で狩りをし、獣の毛皮を着て肉を食い暮らしていました。ある日、東の海辺に大きな箱が流れ着いているのを見つけ、駆け寄りました。それは、赤みを帯びた濃い紫の土で封じられた木の箱でした。箱を開けてみると、赤い帯に紫の衣をまとった男が、鳥の卵の形をした箱を大切に持っていました。その玉の箱を開けると、青い衣を着た美しい3人の乙女と、仔馬と仔牛、そして五穀の種が入っていました。箱から出てきた男は、「私は東の海の碧浪国の使者・・・・・・・・・・・・です。我々の王様にはこちらの3人の娘がいらっしゃいます。ご三方は将来、国を開く方々ですが、嫁がないので娘たちを連れて行けということだったのでこうしてやって参りました。嫁をめとられ、大業を成されよ」と言うと雲に乗って飛び立ち、忽然と姿を消してしまいました。三人の神と姫たちは心と身体を清めて相手を定め、順に婚礼の儀式を執り行った後、肥沃な土地へ向かい、順に矢を放ってこれから暮らす場所を決めました。そして五穀の種を撒き、牛と馬を飼うと民が増えて豊かになり、やがて「耽羅国」を築いたのです(済州オフィシャル観光情報ポータルサイトより 筆者傍点)。

 現地の史跡説明パネルにも、これと同じような内容が日本語で書かれています。この説明で筆者が「あれっ」と思ったのは「東の海の碧浪国の使者」という表現でした。この使者は、それまで原始的な狩猟生活しかしていなかった済州島の3人の男の神様に嫁を娶らせ、牧畜と農耕文化を伝承し、子孫繁栄までもたらしたのですから、済州島にとっては、自国よりもはるかに進歩した文明をもたらしてくれた耽羅国建国の恩人に違いありません。また、紫の衣をまとっていたことからしても、高貴な身分の使者であったことが分かります。

 

 

●韓国の正史が物語る歴史の真実

「では、済州島の建国の礎を築いた碧浪国とは、どこの国なんだろう?」。このような素朴な疑問から、旅行前の下調べが始まりました。それが実は日本国であるということを教えてくれたのは、李氏朝鮮の鄭麟趾テイリンシらが編纂し、1451年(文宗元年)に完成した『高麗史』という史書でした。『高麗史』は朝鮮の高麗王朝(918年~1392年)のことを記した紀伝体の官史で、その中には碧浪国から来た使者について次のように記されています。「私は日本の国使・・・・・である。わが王はこの三女を生み、おっしゃるに、西海中のがくに神の子3人が降り、国を開こうとしているが、配偶者がない。そこで私に3女に侍して(仕えて)来たらしめたのである」と(我是日本國使也、吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、將欲開國而無配匹、於是命臣侍三女而來)(『高麗史』57卷—志11—地理2-033、筆者傍点)。

 ネットなどの訳文の中には、原文で「日本国」と明記してあるのに、わざわざ「碧浪国」と言い換えているものがありますが、素直に読めば「日本国」のままでよいのではないでしょうか。この他にも、李朝時代の地誌の『新東国輿地勝覧』をはじめ、『南槎録』や『耽羅志』などの朝鮮本にも「日本国」という記述が見えます。

 また日本と耽羅国の関係につきましては、『日本書紀』に「661年5月、耽羅国の王子の阿波伎アワキらを派遣して日本に対して初めて朝貢を行った」(斉明天皇7年5月丁巳条 耽羅始遣王子阿波伎等貢獻)という記録があります。日本側の史料からしても、耽羅国と日本との関係は、前者が後者の斉明天皇の朝廷に貢物をさし出すような外交的力学関係であったことが窺えます。

 

 

●現地での「三姓穴」訪問

 これらの正史や史料にもとづけば「済州島の文明の基礎を築いたのは日本国でしょう」と言いたくなるのですが、韓国では「日本国」ではなく、「東方海上の神仙の住む島、碧浪国」とか、「現在の全羅南道莞島」とか(KOREA.net)、某新聞では「百済」とか、諸説があるようです。

 そのような現状を見るにつけ、日本国説をとらない韓国の人に、国家が公式に編纂した正史である『高麗史』の記述をどう考えるのか、ぜひ聞いてみたいと思うようになりました。そこで済州島の「三姓穴」史跡を訪れた筆者は、現地を案内してくれた韓国人ガイドさんに「『碧浪国』とは、どこの国ですか」と尋ねてみました。するとそのガイドさんが「東方の海上にあった伝説の島ですよ」とおっしゃるので、「いや、韓国の正史の『高麗史』には、はっきり日本国と書いてあったように思いますが」とお伝えしたら、しばらく沈黙が続いた後、「……あなたは歴史の先生ですか。はっきりとは言えませんが、日本かもしれません」という微妙な回答をいただきました。これはほんの一例にすぎませんが、韓国では韓流ドラマだけでなく、史跡の説明でも「日本国」の存在はできるだけ表に出したくないという気持ちが働いているのではないか、と思えたのです。

 しかし、奈良時代の8世紀に完成した『古事記』や『日本書紀』という日本最古の歴史書や、前述した「広開土王の碑文」や『三国史記』などの朝鮮の史書を参照すると、古代の日本が、済州島にかぎらず、朝鮮半島に一定の影響力と権益を持っていたことは否定できないように思えるのです。もちろんその一方で、そのような史実の存在が面白くないと思う人々の中には、『古事記』や『日本書紀』の関係する記述はどれも虚構である、と決めつけたい歴史家もいるかもしれません。

 いずれにせよ、済州島への知的ツーリズムのお陰で、朝鮮の史書である『三国史記』や『三国遺事』を繙くきっかけになっただけでなく、豪華な海鮮料理や足マッサージなどの体験によるシナジー効果もあって、思い出に残る楽しい旅となったことは紛れもない事実です。

 

(令和3年9月21日)

 

 

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