言論人コーナー

加藤康子 – ものづくりの危機 ― 脱炭素で進む日本の中国化 ―

加藤 康子

一般財団法人 産業遺産国民会議 専務理事

産業遺産情報センター長

 

 

 

 明治の日本はお金がなかったが「工業を興す」という国家目標があり、その実現のために世界から人材を迎え入れる器をつくり、人を育て、産業を興し、憲法をつくり、わずか半世紀で工業立国の土台を築いた。令和の日本も、1億2500万人の国民を豊かにし、国を強くする国家目標と戦略が必要である。

 維新から150年の歳月を経て、わが国は世界経済の一翼を担い、米国、中国に次ぎ世界第三の経済大国となった。だが日本労働組合総連合会(連合)が行った2019年の調査では、「将来に不安を感じることはあるか?」という問いに、77%の労働者が「日本の将来に不安を抱いている」と回答したイギリスの民間調査機関である経済ビジネスリサーチセンター(CEBR)は日本経済が2030年までに、インドに抜かれて4位になり、中国はコロナウイルスからの復活が早かったことから、5年前倒しの2028年にアメリカを抜き世界一の経済大国になると予測している。日本はその後、さらに国力が低下し、7位か8位に順位が落ちるという結果も想定されている。国がどんどん貧しくなっていくという未来予想に、暗澹たる気持ちであるが、少子高齢化を言い訳に、悲観論にため息をついている場合ではない。忘れるなかれ、幕末、工業化が遅れていた日本が維新を成し遂げ、工業立国の土台を築いていったとき、人口はわずか3000万人である。当時に比べれば日本の経済条件は恵まれており、未来予測を逆転するためにできることはたくさんある。未来から逃げていては手遅れになる。

 

 

◆製造業は国益である

 国民総生産を見ると、全体で560兆円を超える日本経済は、その20~25%を製造業によって支えられている。製造業は国力そのものであり、国家安全保障の源である。屋台骨を支える製造業が弱くなれば国力は弱くなり、骨太になれば、国は豊かになる。だが菅義偉総理の施政方針演説には、製造業が出てこない。

 近年、日本の製造業は、世界一高い電力料金と環境規制、年々膨れ上がる人件費や社会保障費と労働規制の制約の中で懸命に闘っている。諸外国が産業を守り、官民一体で新技術を支援する中で、日本政府は産業支援には及び腰だ。この20年、ものづくりは明らかに後退している。1980年代に世界を席巻していた日本の半導体メーカーは周回遅れとなり、一世を風靡した日の丸家電メーカーの姿もない。ものづくり力の劣化は民間の経営責任にとどまらず政治にも責任がある。昨今、第四次産業革命の技術の進化によるパラダイム変化に対応し、中国・韓国が国として戦略的に重要な産業に巨額の資金を投じている中で、日本政府は民間を支援することに及び腰である。言い換えれば、国が本気で国力の増強に向き合う意志がないことが、国民にとり日本の未来に自信が持てない理由の一つとなっている。

 

 

◆日本は世界の二酸化炭素を削減できない。脱炭素により中国化が進む

 一方でわが国の政府は、2050年カーボンニュートラルを重要政策に位置づけている。日本の脱炭素実現の目玉といわれるのが、電気自動車(EV)と再生可能エネルギー、そして火力発電所から撤退することである。いずれも舵取りを誤ると、政府が自らの手で自国の基幹産業を破壊し、国力を加速度的に弱め、経済の中国依存を推し進めることになる。

 今年の4月22日に開催された気候変動サミットで、菅総理は2030年度温室効果ガス(大半が二酸化炭素)を2013年度から46%削減することをめざすと宣言し、これまでの目標を20ポイントも引き上げた。だが温室効果ガスの削減は、地球全体の問題で、主には中国や新興国の問題であり、彼らが協力をしなければ解決できない。世界の二酸化炭素(CO₂)排出量の三割は中国である。続いて米国、インド、ぐっと水を開けてロシア、日本と続く。日本の排出量は世界のわずか3%で中国の十分の一である。中国は2025年までに現在の排出量を10%増やす計画で、それは日本の全排出量に相当する。一方、日本の脱炭素政策は中国に向けられるものではなく、環境に配慮してきた日本国民と国民経済の犠牲の上に成り立つものであり、結果として経済を優先する中国の支援に結びつく。

 

 

◆温暖化と二酸化炭素削減の関係

 地球温暖化については、2019年、スウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥンベリさんが温暖化への激しい怒りをぶつけたスピーチが、国連で話題となり、地球の温度が上昇することで起こる異常気象が人類の緊急課題として注目を集めた。地球温暖化を抑制するための温室効果ガスを世界的に減らす取り組みが気候変動枠組条約締約国会議(COP)で議論されてはきたが、気温の変化と二酸化炭素の因果関係を示す厳密な科学的根拠は学術的に確立されたものではなく、異を唱える学者も多い。各国の二酸化炭素削減目標は現実の技術の到達とは関係なく、目標は掛け声として加速する傾向で、未達でも何らペナルティや拘束力はなく、各国政府の任意に任されている。したがってどの国も目標を必達ゴールとは考えていない。だが菅政権の顔色を伺う担当官庁の役人が指導者の発した言葉に縛られ、その数値を実行しようと、組織に人を貼り付け、生真面目に政策や予算に計画を落とすなら、日本にとってこの数値目標は大きなリスクとなる。

 

 

◆国際的枠組みでは中国は縛れない

 6月にイギリスのコーンウォールで開催された世界主要7か国首脳会議(G7サミット)の気候変動に関する討議でも、菅総理は温室ガス排出削減対策において石炭火力発電をめぐり、「政府による新規の輸出を年内に終了する」と表明した。だが、中国は途上国のリーダーであり「途上国は経済開発の権利がある」という主張である。日本が世界の石炭火力発電所建設から撤退しても、中国は世界に石炭火力発電所を次々建設、世界シェアの四分の三を受注し、また新しく発表された石炭火力発電の80%以上を中国が占めている。サミットに先立つ米中の共同声明で中国は「産業と電力を脱炭素化するための政策、措置、技術を共に追求する」としたが、国際社会の枠組みの中で中国にルールを守らせることは難しく、誰も経済開発を優先する中国を監視することも縛ることもできない。どんなに環境に優しい日本の製造業が脱炭素に旗を振ったところで、中国をはじめとして途上国の二酸化炭素は増える一方なのである。

 

 

◆脱炭素がなぜ日本の中国化なのか?

 日本政府が現実離れした目標を掲げることは、日本の製造業に深刻な打撃を与える。その顕著な例が自動車産業である。自動車産業は550万人が就業する日本の基幹産業である。国民経済は自動車産業によって支えられているといっても過言ではない。小泉進次郎環境相は、ガソリン車の国内新車販売を2030年代半ばに事実上禁止する議論を展開しているが、これは日本の新車販売の60%を占めるガソリン車をなくすという大変無謀な政策である。自動車工業会の豊田章男会長は4月22日の記者会見で、「最初からガソリン車やディーゼル車を禁止するような政策は、技術の選択肢を自ら狭め、日本の強みを失うことになりかねない。今、日本がやるべきことは技術の選択肢を増やすことであり、規制、法制化はその次だ。政策決定ではこの順番が逆にならないようにお願いしたい」と明言した。内燃機関からEV車への転換は産業構造に影響する。日本が得意とするエンジンやトランスミッションが電池やモーターに代わる。EV車はコストの40%を電池が占め、またほとんどの電池が中国産であるため、収益構造が変わり、日本のメーカーがつくる自動車の心臓部を中国が抑えることになる。自動車産業の中国化が進んでいくのである。自動車メーカーが消費者ではなく、政治家の発言に重きを置いて、中長期計画を策定すること自体が経営判断をゆがめる。政治がメーカーの経営責任をとることはできない。

 米国の上院でも、自動車部品業界の人たちが「脱炭素政策を進めたら三分の一が職を失う」と主張し、日本でも豊田会長は3月11日の記者会見で、「このままでは、最大で100万人の雇用が失われることになりかねない」と警鐘を鳴らした。政治の役割は自国の経済を安定的に成長させ、雇用を増やし、人々の暮らしを豊かにすることではないのか。われわれは脱炭素により、隣国がのどから手が出るほどほしい世界一の技術者たちを失うことになる。なお豊田氏は12月、全車EV化するとどうなるのかという議論で、「原子力発電所10基分に相当する電力が必要になる」と語った。日本政府はEV化を推進しても、EV車を走らせるための充電施設や、送電網や必要な電力については腹案がない。小泉大臣は原発について一言も口外しない。むしろ「どのように残せるかではなく、どのようにしたら失くせるかという立場だ」と原発が脱炭素の主電源になることを否定している。

 

 

◆再エネと電力

 菅総理は、G7サミットで国内の発電所も「石炭火力からの移行を加速する」と宣言に盛り込んだ。東日本大震災以降、多くの原発が休止し、再生可能エネルギー発電促進賦課金(再エネ賦課金)が増え、産業用電力は3倍に膨れ上がっている中で、懸命に闘う現場の声に耳を傾けたことはあるのか。現在国内36の原子力発電所のうち、稼働しているのは9基のみであり、電力の多くを石炭火力に依存している。すべての産業活動には安価で安定した電力が必要であり、その電力を太陽光パネルや洋上風力で賄うことはできない。日本は新規原発も含めた現実的な産業政策で未来に立ち向かうべきではないか。

 政府は環境NGOのような突出した削減目標を達成するため、コストがどのくらいかかり、国民にどれだけの負担を強いるのかを明確にしなくてはならない。再エネへの依存が高くなりエネルギーコストが上がれば、誰がそのコストを負担するのか。ほかならぬ国民である。日本は温暖化防止のために、大型の「温暖化対策予算」を組み、2030年までに100兆円超を使うといわれている。その半分以上が再エネ賦課金として、太陽光発電や風力発電などの再エネ普及促進のために、各家庭から電気代の一部として徴収されている。現在私たちが支払う電力料金の25%が再エネの賦課金コストである。今後再エネ比率が上がる中で、国民の負担がどのように膨れ上がるのか見届ける必要がある。

 4月24日の「news23」(TBS)で、小泉大臣は「高層ビルの屋根に太陽光パネルをできるだけ置きたい」と語っていたが、その太陽光パネルの大半が中国の新疆しんきょうウイグル地区でつくられており、米国では制裁対象になっている。しかし日本の再エネは中国への依存を深める一方である。

 日本の電力は今でも世界一高い。政府は再エネ比率の高いドイツをモデルにしているのだろうが、ドイツは産業を守るため、家庭用電源を1kwhあたり日本円で40円と高く設定し、産業用電源は日本の三分の一の6円である。ただでさえも高い日本の電力料金がさらに上がれば、中小企業や基幹産業の経営を圧迫し、日本の産業はコストを下げるために国を離れ、出て行く先は電力が安く環境規制の緩い中国である。現在中国では火力発電所の建設に加え、原子力発電所49基が稼働しているが、さらに40基の建設を計画している。

 法律に目標年限が記載され予算がつくと、否が応でも目標に向け前進していく。脱炭素をイノベーションのチャンスと見るのか、危機と見るのか業種によって受け止め方に差はあろう。だが産業史を見ても、政治が現実からかけ離れた実現不可能な目標を約束したり、目標達成のために制度設計を誤り、規制や負荷をかけすぎると、産業経済を破壊する。なぜ日本政府が脱炭素のような地に足のついていない政策に飛びつき、国の重要産業という国益を守れないのかという率直な疑問が湧いてくるが、その背景に、日本の政治家が「グローバリストでなければ国際社会市民権を得られない」と思っていることがある。

 諸外国が自分の国益を優先しているのにもかかわらず、日本だけが国益を譲りジャパン・ファーストの政策をとらない。国際的枠組みでは中国を縛ることができないことを知りながら、国際的枠組みを好み、諸外国の善意を信じている。自由貿易を信奉し、国の重要産業に必要な支援をしないのである。第三次エネルギー革命や、第四次産業革命の起こるその過渡期においては、多くの資金が必要となってくる。明治以来培ってきた日本の経済基盤が中国に飲み込まれていく潮流を看過できるのか。未来のために今こそ、国力の増強に向き合う意志が必要である。

 

『まなびとぴあ』8月号「令和のオピニオン」より)

 

加藤康子氏プロフィール
 慶應義塾大学文学部卒業。国際会議通訳を経て、米国CBSニュース東京支社に勤務。ハーバードケネディスクール大学院都市経済学修士課程(MCRP)を修了後、日本にて起業。国内外の企業城下町の産業遺産研究に取り組む。
 著書『産業遺産』(日本経済新聞出版、1998年)ほか、世界の企業城下町のまちづくりを鉱山・製鐵の街を中心に紹介。『エコノミスト』『学鐙』『地理』『週刊新潮』『新潮45』『Hanada』『WiLL』など各誌に論文、エッセーを執筆。
 明治日本の産業革命遺産世界遺産登録推薦書をはじめ、明治日本の産業革命遺産ダイジェストブック、パンフレットの執筆作成、『鉄がわかる本』『石炭がわかる本』『インタープリテーション・マニュアル』の監修、明治日本の産業革命遺産アクセスガイドマップなど、明治日本の産業革命遺産関連の印刷物作成を多数手がける。

 

 

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