髙橋 史朗

髙橋史朗 42 – 中村桂子氏が提唱する「生命誌」に学ぶ

髙橋史朗

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

麗澤大学大学院客員教授

 

 

●『自然の活力と人間の力をすべて活用する社会』づくりの新たな道

 ミヒャエル・エンデ著『モモ』(岩波書店)をあらためて読んでみると、「時間」と「関係」を大切にして生きることが、心を働かせることであり、皆でそのような生き方を取り戻すことが大切であることを教えてくれる。コロナ禍が「時間」と「関係」の大切さを再認識させてくれた。

 最近、「生命誌」を提唱する中村桂子氏の著書や対談集に出会い、「感知融合」の道徳教育、とりわけ「生命に対する畏敬の念」を育む道徳教育の理論と実践を深める貴重な視点を学ばせていただいた。

「生命誌」とは、「対話」で作り上げていく「知」であり、生物学の最先端であるDNA研究の成果を踏まえ、約40億年という平等な歴史を背負うものとして、人間を含むすべての生物の多様性と相互の関係を捉えなおそうとする中村独自の理論である。

 中村桂子著『ゲノムが語る生命――新しい知の創出』(集英社新書)によれば、「生命を基本とする知」のキーワードは、「生きる」「変わる」「重ねる」「考える」「耐える」「愛づる」「語る」で、「根っこ」を張るところを探し、どっしりと根を下ろしながら、「翼」を広げて飛んでいくことを夢見る若者を育てることの大切さを説いている。

 この「翼と根っこを持つように」というメッセージを発した国連難民高等弁務官・緒方貞子は、日本は「人道大国」になってほしいと訴えたが、子供や若者たちの「翼と根っこ」を育てるためには、まず親や教師、私たち大人が「主体変容」し、翼と根っこを持つ必要がある。

 NHK「人間講座」のテキストに加筆した、中村桂子著『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)によれば、現代の科学技術は人間を生きものとして見た時に大事にしたい価値を生かしたものにはなっていないという。

 同書は、生命誌から見えてきた生きものの姿をまとめ、生きものの歴史を踏まえた価値観をしっかり持ち、日常と学問をつなぐという考え方を取り入れた、「自然の活力と人間の力をすべて活用する社会」づくりの新たな道を提案している。

 同書によれば、生物の共通パターンは、①積み上げ方式、②内側と外側がある、③情報によって組織化され、独自のものを産み出す(自己創出系)、④情報のかき混ぜで複雑化、多様化が起きる、⑤偶然が新しい存在につながる、⑥少数の主題で数々の変奏曲を奏でる、⑦常につくられたり壊されたりしている(代謝)、⑧資源と排泄物、生産と消費等が相互に循環しネットワークをつくっている、⑨最大より最適が合っており、バランスを保つことが大切、⑩柔軟なあり合わせ、⑪協力的な枠組みの中で競争している、⑫生きものは相互に関係し依存し合っていることにあり、これらを生物から学ぶ必要があるという。

 中村によれば、「矛盾に満ちたダイナミズム」こそが「生きものを生きものらしくしている」のであり、生物の特徴は次の7点にある。

⑴ 多様だが共通、共通だが多様
⑵ 安定だが変化し、変化するが安定
⑶ 巧妙、精密だが、遊びがある
⑷ 偶然が必然となり、必然の中に偶然がある
⑸ 合理的だが、ムダがある
⑹ 精巧なプランが積み上げ方式でつくられる
⑺ 正常と異常に明確な境はない

 生命を基本とする知の歴史を自然・人・人工の関係に注目しながら整理すると、生命を基本とする神話の時代には、多様性が世界を織り上げ、情報は物語として伝えられていた。人と自然が一体化しており、人々は全体を感じ、関係を見ていた。

 次に、プラトンとアリストテレスに象徴される「理性」の時代になり、自然哲学と自然誌という形で、普遍性と多様性という自然理解に基本が整理される生命誌の出発点となった。

 近代になって自然哲学の延長線上に科学が登場し、現代になってついに科学が神の代わりをするようになり、神は退き、人は自然を征服し利用する対象として捉え、そのための手段として科学技術を進めるようになった。

 こうした「自然帝国主義」によって、科学技術は人間を自然の脅威や面倒から解放し、人間の自然離れを目的とするかのように人工物を生み出してきた。しかし、近年、環境破壊という外なる自然破壊のみならず、人間性の解体化という「内なる自然」破壊が深刻化してきた。

 合理性だけを求めて進めてきた近現代の人工社会が、生命誌で追ってきた38億年を超える生きもののつくる世界と合わないことが明確になった。そこで、自然・人・人工を一体化し、これを結びつける基本である生命という原点に立ち返って、自然に合わせながら、ダイナミズムを楽しむ「新しい神話の時代」が到来した、と中村は説く。

 科学は客観性を重視し、人間は観察者として外へ出たが、これでは自然をそのまま捉えることはできないので、改めて内へ入り込むことが必要になった。中村は「新しい神話づくりへ向かうプロセス」だったと位置付けている。

 構造主義では「差異」をキーワードにするので、自己や個という言葉を否定することになるが、主義でなく生きものの「自己創出」という構造を見つめていくと、自己を創出するからこそ差異が生じることがわかる。前述した「普遍でありながら多様」「多様でありながら普遍」という見方が本質を衝いていることがわかる。

 

 

●『大量生産・大量消費型から循環型社会への転換』『一人ひとりの人間がその一生を思う存分生きられる社会』を目指す

 そこで中村は、こうした生命誌研究の成果を踏まえて、次の6つの「ライフステージ」という視点に立脚した「自然の活力と人間の力をすべて活用する社会」を目指すとしている。

⑴ 個人の要求に応える
⑵ 一生を見通す
⑶ 病人・障害者・老人・子供などの弱者をステージの一つとみる
⑷ プロセス重視(ステージ間の移行)
⑸ ステージ間の相互関係
⑹ 地域を基盤にした生活

 具体的には、進歩一辺倒の「大量生産・大量消費型から循環型社会への転換」「一人ひとりの人間がその一生を思う存分生きられる社会」を目指すという。この「ライフステージ」という考え方の利点は、過程、多様性、質という生物の基本に目を向けることによって、健常者と弱者、正常と異常という区別がなくなることにある。

 中村桂子編『和 なごむ・やわらぐ・あえる・のどまる』(新曜社)によれば、グローバル化とはアメリカ型社会に均一化することではなく、「和える」につながるもので、日本文化から世界に提案できることがたくさんあるという。和の本質は、意見の違いや立場の違いを認めながら、新しいものを見いだしていく「和して同ぜず」の心である。

 日本文化の基層を表す「あえる」は「個々の姿を保ちながら調和の世界を築き上げる」言葉で、「和(なご)む」「和(やわ)らぐ」「のどまる(のどかになる)」もキーワードである。

 中村桂子・鶴見和子著『四十億年の私の「生命」』(藤原書店)で取り上げた、ホーグランド・ドットソン著『Oh!生きもの』(中村桂子・中村友子訳、三田出版会)171頁に掲載されている実例は大変興味深いものである。

『Oh!生きもの』より

 人間の手はプログラムされた「細胞死」によってできる。細胞は5本の指を作れ、ではなく、指の間に4つの谷間を作れと命令される。谷間にあたる部分にある細胞は、胚の中で自らの命を絶つことによって、指を作ってくれる。つまり新たな命が誕生する前に死んでいく細胞があって私たちの体はできていくわけである。

 J.C.スマッツ著『ホーリズムと進化』(玉川大学出版部)の共訳者である石川光男は、死んだ細胞が外壁を覆って新たに生まれる胃の細胞との幕間つなぎをしている生と死の関係構造の理(ことわり)を感じる「理観」の重要性を説いた。

 中村桂子は1977年にノーベル化学賞を受賞したプリゴジンと2回対談し、プリゴジンの「散逸構造論」「カオス理論」と南方熊楠の曼荼羅論とが重なり合う点に注目している。「散逸構造」とは、岩石のようにそれ自体で安定した構造を保っているような構造とは異なり、潮という運動エネルギーが流れ込むことによって生じる内海の渦潮のように、一定の入力のある時にだけその構造が維持され続けるようなものを指す。

 無秩序と混沌(カオス)の中に常にある「揺らぎ」が「ポジティブ・フィードバック」を引き起こした時、「自己組織化」の過程を通して、混沌から秩序ある構造が自発的に生じてくる、というのがプリゴジンの「散逸構造論」である。

 カオスは混沌を意味し、初期値がほんの少しずれるだけでその式に沿って現れるその後の世界が大きく変わるという特徴を持つ。どこかでチョウが羽ばたくと、遠方の気象が大きく変わるという「バタフライ効果」はよく引かれる有名な例である。

 生命の原初形態である粘菌(動物と植物の境界領域の生きもの)の研究が真言密教の曼荼羅とつながっている点が興味深い。中村桂子著『絵巻とマンダラで解く生命誌』(青土社)によれば、多様な生きものはすべて細胞でできているという「共通性」があり、その意味で「みんな違うけれど、基本は同じ」である(生命誌絵巻)。

 ギリシャ辞典によれば、”history”の第1の意味は「探求すること」、第2は「誌(しる)す」こと、第3は「歴史」で、探究すればそれを書き留めたくなって誌していく。それが積み上がると歴史ができるわけであると、京大教授・藤沢令夫は指摘した。

 20世紀はヨーロッパを基本にした進歩史観を科学技術の発展が支えた時代であったが、21世紀に入り、進歩史観と現代科学技術の組合せが持つ欠陥が浮き彫りになった。ダーウィンの適者生存の進化論を超えた「歴史物語を読み解く知」として、中村桂子は「生命誌」、鶴見和子は「南方曼荼羅」という新しいパラダイムを提唱した(南方マンダラ)。

 ユネスコで文明間の対話を提唱した服部英二と鶴見和子が対談した『対話の文化』(藤原書店)、川勝平太と鶴見和子が対談した『内発的発展とは何か――新しい学問に向けて』(同)、鶴見と頼富本宏が対談した『曼荼羅の思想』(同)も必読の書である。詳しくは、拙稿「『道徳性の芽生え』を育む道徳教育の今日的課題――『臨床の知』と『科学の知』の融合」(『モラロジー研究』第87号所収論文、9月発行予定)を参照してほしい。

 

(令和3年7月13日)

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