川上 和久

川上和久 – 新渡戸稲造⑦「武士道」はいつから形成されたものか

川上和久

麗澤大学教授

 

 

●武士の誕生

 新渡戸稲造の『武士道』は世界的なベストセラーとなり、日露戦争における我が国の勝利にも少なからぬ貢献をしたことは、この「道徳サロン」で何回か触れたところだが、「武士道」という言葉は、新渡戸の著作によって人口に膾炙かいしゃしたものの、新渡戸以前にも「武士道」という言葉は使われていた。

 今回は、武士の道徳である「武士道」が、新渡戸の著作以前にどのように形成されてきたのかを追ってみることにしたい。

「武士道」が誕生する以前に、まず、武士の誕生があった。武士という言葉自体は、奈良時代に遡り、武官・武人という意味で用いられていた。

 しかし、武士がその武力をもって地方を支配し、公権力に仕える者として認められるようになるのは、平安時代中期の10世紀以降のことである。10世紀頃には、蝦夷鎮圧や京都治安などをつかさどる鎮守府将軍、近衛・衛門府官人、検非違使庁官人などの軍事貴族が組織され、そのもとで殺生を生業とする狩猟・漁労民や、殺害・放火犯といった非法者の集団などが、手足として組み込まれて存在し、貴族間の私闘、地方領主間の紛争、物資輸送などに際し、弓馬や船や甲冑で武装した代理人として働く者たちが組織された。これが「つわもの(兵)」である。

 一方で、官人貴族は、自己の家産と家政を維持するために独自の従者を積極的に組織するようになる。こういった、官人貴族に仕えて家政や警固をあずかる者が「さぶらい(侍)」と呼ばれた。そしてまた、武力をもって公に奉仕する者が「もののふ(武者)」とそれぞれ呼ばれて、各分野に登場するようになり、これら三者が融合して、この実体を統一的に表現する語として武士が一般に用いられるようになった。

 武士は多様な側面を持ち、地方と都の両方に足場・活動拠点(政治的な足場や収入源)を持ち、相互に往復しながら(都鄙往還とひおうかん)、政治や文化を持ち込み合って、流動的な形で武士の地位を形成していたのである。

 こういった中世の武士について、「武士道」という言葉は用いられておらず、武士の特徴である戦う際の行為規範として、『吾妻鏡』に「弓馬道」、『太平記』に「弓矢の道」、源平盛衰記に「勇士の法」などの言葉が表れる程度であった。

 

 

●武士のあるべき姿が記された『甲陽軍鑑』

 それが、「武士道」という言葉が武士の道徳として体系的に用いられるようになったのは、近世の著作『甲陽軍鑑』であることは多くの研究者の一致した見解である。

 この作者は高坂弾正昌信とされている。高坂昌信は、武田信玄に仕え、弘治2 (1556) 年海津城代となり、永禄4 (1561) 年の川中島の戦いにはこれを守った。

 しかし、歴史学者の研究により、『甲陽軍鑑』は、武田家の遺臣で甲州流軍学の祖となる小幡勘兵衛景憲によって集大成されたものであるけれども、実際の著者は小幡であり、高坂は仮託されたに過ぎないという説も唱えられている。高坂が著者であれば『甲陽軍鑑』に頻出する「武士道」の言葉は中世、小幡景憲がまとめた編纂本であれば近世に登場したことになる。

 歴史的な論争が決着していない以上、「武士道」という言葉が中世に出てきたのか近世に出てきたのか、判断は留保せざるを得ないが、いずれにせよ、本格的に「武士道」という言葉を普及させた本書の意義は大きい。本書は写本としてだけでなく、明暦2(1656)年に板本が出版されて以来、何回も出版され、本書の解説という形での軍学の隆盛もあって、「武士道」という用語は社会の中に普及していったと思われる。

 本書の中では、版によって異なるが、「武士道」という言葉は少なくとも30回は登場している。その言葉の使われ方は、町人・商人のように、戦いのときに物品をもって戦火の及ばないところに逃げるような真似は「武士道」の役には立たない、と記されたり、「武士道」の働きで実績を上げるような場合には、他人を証人に立てるというようなことではなく、ただ自分の心を証人として、自らに恥を感じることが賞賛されるべきであると説いている。

 そして、「武士道」を踏み外しているとされることとして、悪質な嘘を、もっともらしく利口ぶって言ったり、優れた武士の手柄をねたんだり、口論の時、自分に味方する人が多いと強く言い張り、味方が少ないと言葉少なになってしまうことや、非武士身分の人間に対して横柄な物言いをすることや、羽振りぶりのよい時は傲慢な態度を取り、境遇が悪くなると滅入ってしまうことなどをあげている。

 このように、『甲陽軍鑑』の中では、正直、謙虚、節制、表裏のなさなど、武士としてのあるべき姿を「武士道」という言葉を用いて描いている。

 近世においては、『甲陽軍鑑』にとどまらず、小笠原昨雲の『諸家評定』、如儡子『可笑記』などでも、「武士道」という言葉が用いられ、武士のありようが説かれている。

 

 戦国の世は、武芸を磨いて生きるか死ぬか、という日常を送っていた武士たちだが、江戸時代になって太平の世が訪れ、そういった世の中における自らの生き様を模索し始める中で、軍学の隆盛も相まって、「武士道」という言葉を倫理観の一環として意識するようになったのである。

 

 

参考文献

桃崎有一郎 『武士の起源を解きあかす』 ちくま新書

髙橋昌明  『武士の日本史』 岩波新書

佐藤正英 校訂・訳 『甲陽軍鑑』 ちくま学芸文庫

笠谷和比古 『武士道 侍社会の文化と倫理』 NTT出版

 

(令和3年6月17日)

 

 

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