髙橋史朗 38 – LGBT理解増進法案の「差別禁止法」への変質を憂う
髙橋史朗
モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授
麗澤大学大学院客員教授
●山谷えり子発言批判の不当性
弘前学院大学の楊尚眞教授が産経新聞のオピニオン欄に寄稿した「LGBT差別解消の美名の下で…自由の危機」(5月23日付)と「『同性婚認めないのは違憲』判決は何をもたらすか…憲法解釈に矛盾あり」(3月28日付)の指摘は核心をついており、極めて注目される。
LGBT理解増進法案をめぐって、5月20日に開催された自民党の会合(内閣第一部会、性的指向・性自認に関する特別委員会合同会議)で、山谷えり子参議院議員が「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことがいろいろ起きている。このまま自民党として認めるには大きな議論が必要だ。しっかり議論することが保守政党としての責任だ」と発言したことが、朝日新聞などで批判的に報道された。時事通信も「差別解消を目指す動きを揶揄したとも取れる発言」と伝えた。
実際にアメリカのコネティカット州では数年前、トランスジェンダー(心と体の性が一致していない人)の陸上選手が州の大会で優勝を独占したために、他の出場選手らが競技への参加資格について「自認する性」を優先する州の方針に異議を唱えたケースもあり、「揶揄した発言」とは言えない。
自民党が令和元年に「LGBT理解増進法案」提出に向けて作成した『性的指向・性同一性(性自認)に関する「Q&A」』には、「性的指向も性同一性も、本人の意思で選択できるものではありませんし、そのものを矯正したり治療したりするものでもありません」と明記している。
しかし、楊教授が翻訳した吉源平ほか5名の大学教授らの共著『同性愛は生まれつきか?―同性愛の誘発要因に関する科学的探究―』(22世紀アート)によれば、1990年代初めに、同性愛は生まれつきであると認識するように誘導させた論文があふれ、同性愛を擁護する学者と団体の意のままに、同性愛を遺伝的、先天的なものと誤解するようになったが、10年後にはその間違いが明らかになったという。
●同性愛は後天的な要因が大きい
同書は次のように結論づけている。
⑴ 2000年以後の大規模調査によって双子の同性愛一致率が1割程度であることが判明し、同性愛が先天的に決定されるものではないことが明らかになった。
⑵ 同性愛は遺伝であるという研究結果(遺伝子など)はすべて否認された。
⑶ 同性愛が胎児期において子宮で受ける性ホルモンの影響によって先天的に生まれ持ったものだという研究結果も証明されなかった。
⑷ 同性愛者の脳が一般人と違いがあるという主張も証明されなかった。
⑸ 同性愛形成に遺伝的な要因よりも環境や学習のような後天的な要因が大きい。
⑹ 同性愛は環境や要因の影響を自身の意志の選択によって受け入れたのち、強い依存症によって繰り返されることによって形成される性的行動様式だと見ることができる。
この問題と道徳との関係について、同書の序文は次のように指摘している。
<同性愛が先天的に決められるのであるならば、同性愛は道徳倫理的な問題がない正常なものとして認めなければならない.なぜなら、自己の意志とは関係なく、同性愛者として決められて生まれるのであるから、そのような同性愛者を非難することはできない。肌の色、人種のように先天的に決められ、生まれてくるものを理由により、同性愛を非難してはいけないのと同じ道理である。反対に同性愛を個人の意志で選択したものであるならば、そのような選択をしたその人に、道徳倫理的な責任があるのではないか。それで、同性愛が先天的に決められたのか、そうでないのかは、他の人々が同性愛者をどのように見なくてはいけないかを決める核心的な事柄である。…同性愛に対する客観的な議論のために、同性愛が先天的に決められるのかに対する科学的探究が必要である。もし、同性愛が、環境、または学習/経験によって生ずるのであれば、新しい環境と学習/経験を通して同性愛を治療することができる>
ちなみに、ファミリー・フォーカス・ジャパン『性同一性障害Q&A』も、外国の研究を紹介しつつ、性同一性障害も先天的なものではなく、後天的なものであり、本人が望めば治療する例が多数あることを明記している。
●「同性婚認めないのは違憲」判決の問題点
北海道内の同性カップル3組6人が、同性婚を認めていない国に対し損害賠償を求めた訴訟で、3月17日、札幌地裁は同性同士の法律婚を認めないのは「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反するという判決を下し、「同性愛は精神疾患ではなく、自らの意思に基づいて選択・変更できないことは、現在は確立した知見である」と指摘した。
これまで国は、法律婚は男女間のみで成立するという憲法解釈を取り、現行制度もそれをもとに整備されてきたが、同判決はこれを根底から覆すものであった。ただし、「憲法24条が『両性』など男女を想起させる文言を用いていることに照らせば、異性婚について定めたもの」とし、現行制度は憲法24条に反しているとは言えないと判断した。
しかし、「両性の合意のみに基づいて成立」すると「婚姻の定義」をした憲法24条を度外視して、14条の「法の下の平等」に「婚姻の自由の平等性」も含まれると解釈するのは無理があるのではないか。楊教授が「憲法解釈に矛盾あり」と指摘しているのはこの点であるが、同感である。
同教授は同性愛についての「判決の理解があまりに表層的だ」と厳しく批判し、「同性愛を精神疾患とし、治療対象として捉える医学者が現在も多数存在」しており、同性愛の「性的指向」や「性自認」に対し「精神的な葛藤を持ち、治療を受けている人々は多い」と述べ、現在の法律や大多数の日本人の倫理観にそぐわないもの(両性愛者の「重婚」を含む)も「自らの意思に基づいて選択・変更できない」という理由で法律婚を議論しなければならないということになる、と根源的な疑問を呈している。
●逆差別による教育現場の混乱――欧米の二の舞を踏むな
何より危惧されるのは、性的少数者の人権尊重に配慮するあまり、そうでない人たちの権利や価値観を否定する風潮に拍車がかかることである。欧米では、実際にこの問題が教育現場で生じている。2004年に同性婚が合法化された米マサチューセッツ州では翌年に、レキシントンのエスタブルック小学校で、子供に同性愛や同性婚を擁護する教育を受けさせることを望まなかった親が、学校に対し懸念を伝えて居残ったために、学校側が不法侵入で警察に通報。親が連行される事件が起きた。
また、コネティカット州の保健局職員が1997年に同性愛者に同性愛について助言したために免職となり、2006年にカナダのブリティッシュ・コロンビア州カムロープス市の市議が「同性愛は自然的でない」という発言をして千ドルの罰金と謝罪という判決を受けた。同様の理由で拘禁されたり、取り調べを受けた高校教師など、そうしたケースがイギリスにも広がっている。
●「LGBT理解増進法案」の問題点――「差別禁止法」への変質
楊教授によれば、同法案の問題点は以下のごとくである。
⑴ 「性的指向と性自認」を絶対的に正しい価値と一方的に決めつけ、それに反する行為や考え方や発言は「差別」と見做される。
⑵ 同法案が成立すれば、差別だと訴える訴訟が乱発し、社会に混乱と対立を招く。
⑶ 「性的指向を理由とする差別は許されないもの」という文言によって、同性婚合法化を促進させる理由となる。また、近親婚や重婚の合法化すべきであるという論理が出来上がってしまう。
⑷ ジェンダーイデオロギーに基づく「性のグラデーション」(本連載の拙稿34「新高校教科書とジェンダー史の導入実践事例について考える」参照)など「性の多様性を容認させる教育」は、性行為の多様性も容認させる教育となる。性の多様性を容認させて、性行為の多様性を否定する教育はあり得ない。また、学校の性教育においても、異性愛と同性愛の両方の性教育を実施しなければ差別となってしまう。そのような性教育を教育者や保護者が拒否すれば差別主義者と見做される。
⑸ 「性的指向および性自認を理由とする差別は許されないものである」との文言が誤用される可能性がある。性的少数者の性的指向や性自認は、当事者が公表しなければ知ることはできない。それ故に、性的少数者に対して腫れ物に触ることがないような特別扱いをせざるを得なくなり、相互理解よりも相互不信を深め、「哀れな逆差別者」を増産させる。
以上の指摘を十分に踏まえて、拙速を慎み国会審議を尽くす必要がある。当初の自民党案には「性的指向および性自認を理由とする差別は許されないもの」の文言はなかったが、公明・立民への配慮によって、「理解増進法」から「差別禁止法」へと変質してしまった。国や自治体が性的指向や性自認の多様性に対する理解推進を図る施策の実施を明記した同法案が成立すれば、各省庁・地方自治体・企業・学校の施策に決定的影響を及ぼすことになる。選挙目当ての政治的思惑によって、わが国の根幹を揺り動かすことがあってはならない。何を守る「保守」なのかが鋭く問われている。
(令和3年5月28日)
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