エッセイ

大久保俊輝 3 – 一流は謙虚

大久保俊輝

モラロジー研究所特任教授

 

 

●節操や恥という文化

 自己顕示を優位とする外国かぶれと行動なき高慢な学者に会うと、私はとかく不愉快になる時がある。

 得てしてこういう連中は、人のふんどしで相撲をとる傾向が強く、不利と分かると姿をくらますか、理不尽に攻撃に出るようだ。ようは一流ではないからである。

 日本人は確かに自己顕示を得意とはしないうえ、節操や恥の文化を持っている。よって過度な外国かぶれは、性に合わないのである。

 これは教育界でも同じで、やれもしないことを、自らはやりもしないで、のうのうと講義をしたり、評論する輩がいる。第一線に出たこともない、ある意味そこから逃げ続けた姑息な面々の方が、なぜか出世することも多いようだ。

 しかしながら、日本人は節操や恥というものを文化として少なからずその魂を引き継いでいると私は確信している。それは利己でなく利他を心情とする言動が、幼き子供たちの中にも見受けられるからである。

 

 

●なぜ謙虚なのか

 ベルリンを訪れ、ドイツの子供たちにプレゼントをと思い、毛筆でどんな字を書いて欲しいかリクエストを取った。一番多かったのが何と「侍」であった。そのイメージを聴いたところ「強い」そして「静か」であった。この点からも口から出任せの薄っぺらい輩とは大きく異なるものに憧れていることが伝わってきた。それは私たち日本人が忘れかけていたことのようにも思える。

 私の両親は、佐賀の葉隠れ出身の武家であった。母方は江藤新平の盟友でもあり、動乱を生き抜いてきたおかげで私が生まれた。父は、先の大戦において暗号解読士として務め、奇跡的に生還した。父は「一流は謙虚、力があるからだ。二流三流はとかく偉ぶるものであり、肩書きや過去の栄光や専門用語を並べ連ねて、自分ではなにもできないくせに他を見下す傾向が強い。話せば話すほど回りを不愉快にするものである」と書き残していた。

 

 

●邪心あるがゆえに

 自分を先とするか、相手を先にするかは心が決める。受容から入って諭していくのが啓発教育すなわち「啓育」である。この受容には、相手を敬い認め自分以上の人になって欲しいと願う利他の心が基底部にないとできはしない。よって何よりも厳しい指導を誘発することもある。

 反面、俺は凄いんだ。お前たちとは違うんだ。こんなことも知っているし、あんな人とも繋がっているんだ。どうだ凄いだろう。と、いくら饒舌に話しても基底部に「邪心」があると人相が悪くなり、素行も悪くなっていくものである。そして、時にボロを出し惨めに自滅していくものである。自らの非を認め、年下の者に頭を下げて教えを得るのは、この部類の人種にはできない所作である。

 

 

 

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